温もれないけれど

赤ん坊の簡易ベッドを片付けながら、まるで入院患者が退院した後の、病室清掃気分。
あちこちに踏みつけられた雑草や、ゴミや、靴の腋下除毛片方だけが落ちている、
地響きとともに、戦車が通り抜けた跡のよう。

長女一家が、お婿さんの実家に里帰り。
戦車まるごと、瞬間移動。
こちらは開放感だが、あちらのお家は大変だろうなあ・・・。
お気の毒・・・。
わぁわぁ、きゃあきゃあ言って喜ぶのは最初のあたりだけ。
運動会の一周目トラック。

あちらは、去年は長男さんご一家も帰省されたらしいが、
「今回はどうなの?」と長女に尋ねると、「来ないかも知れないらしい」との返事。

そりゃあそうだろうなあ。
長男一家は、遠方に住む、幼児一人と若夫婦。
次男一家は、これまた遠方に住む、乳幼児2人と若夫婦。(長女の更年期お婿さんは、次男)
近くには、近距離のところに嫁いだお姉さん(子供は幼児2人)が住む。

日ごろは、リタイアされたご夫婦だけの静かな暮らし。
そこへ、芋の子をごった返したような乳幼児とりまぜた、ごった煮状態での年末年始。
台所、大変だろう。
あちらのおかあさん、目が回るだろう。
食堂、全員、揃って食べることが出来るのだろうか?
お風呂の順番は?
最後の人は、お湯の状態は? (量、質、温度。いっそシャワーで。温もれないけれど)

お年寄りが同居していないから、まだマシだ。
若い、熱い、次から次へと起こる用事で、熱気と混沌の、ごった返し。

そうやって親きょうだいを巻き込んで、子育寰宇家庭てしていく。
いちいち気を使っていては、やっていられない。
一人で抱え込んで頑張っても、パンクする。
自分もずいぶん、助けてもらった。
直接、手助けできないお年寄り(曾祖母)は、子育ての足を引っ張らないよう、自分の健康に気をつける。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 18:28 | コメントをどうぞ

休んだり書いたり

なので、まったく気が抜けて、やる気がない時や、友人に長い長いメールを送った後や、
時間がない忙しない余裕のない時にでも、なぜか、無理澳洲旅遊やり投稿している。
一種の変わり者か?

通常、ばりばりに気力をたたえ、気の緩みのない、どこに出しても恥ずかしくない力作をお届けするのが好ましいかと、考える。
が、自分のブログは、素人ブログであるし、家賃も月216円しか払っていないので、
(わずかとはいうものの、一応、有料です)
お客さんの入りや、収支状態も気にせず、道楽・殿様商売に徹することができる。
ああ、幸せ。わたしは、ブログが、大好きなのだ。

とは言え、去年下半期あたりから、しばらく、休んだり書いたり、詰まったり開通したり、の不定期状態が続いていた。
安モノの機械(わたしのアタマ)でも、多少、故障したり、感情がA股ETFあったりするようだ。

自分にとって、損得がないので、他人にとっても損得がない(だろう)。
そう思うと、なんだか肩の力がすっと抜け、同時にアタマの中身も急に薄く軽くなってきたように思う。

最近、自覚のある認知症状が多すぎて、今では、通常モードの基準を、認知モード基準にスライドしている。
基準を甘くしている。
すると、けっこう、健全な毎日を過ごせる。
あら、不思議。
どっちが健全なんだか。

(おふざけ認知表現は、深刻な認知症の方や、ご家族にとっては、禁句ですね)

次第次第に自分も、暗闇の世界に突入か・・・などと書いたとしても、
これまた、書いた本人もやたら暗いし、読む人も、まったく出口忠於自己のない重々しさを共有させられることになるし、
やめます。今日のところは。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:23 | コメントをどうぞ

表裏一体である

自分のブログに関するアクセス解析を見ると、閲覧元URLが表示される。
どのキーワードから飛んできたか、よくわかって面白い。

その中で、昨日は、「家政学部  嫁」というキーワードがあった。
自分の記事が、検索で引っかかって、蝶ブログに飛んできたようだ。
3年ぐらい前の古い記事。

で、その、自分の記事を改めて読んでみた。

まあ、好きなことを書いている。
自分のことを棚にあげて、よくまあ、しゃあしゃあと。
上から目線の権化である。(自覚してますが)

こうだったらいいな→できもしない理想。
これはあかんわ→理想どおりにいかないのは、內在潛能わかりきっていることなのに。
こういうことを、評論家ではなく、批評家のごとく、書き連ねている。
こんなことを書いている人は、いったい、どれだけ自分が出来るんだ???

世の中の「一生懸命、頑張っても上手くいっていない人」
「頑張って上手くいっているつもりの人」をオモシロいほど、コケにしている。
たぶん、要領の悪い、評価の低い自分へのエールなんだろう。自虐ベース。
(後に、この要領の悪さは、いつの間にか、べつのものに転じていた)
自分ではわかっていて、書いているのだが、読む人にとっては、グサグサ突き刺さるだろう。
わたしは、今読むと、この無責任な痛さが、気持ちいい。

しかし、こういう人が身近にいると、嫌だろうなあと思う。
自分だから仕方ないが。

人間やモノゴトには両面あって、表裏一体である・・・
なので、自分にも、天使と悪魔を内包している、と言いた林二汶いところだが、
大悪魔、中悪魔、小悪魔、みたいなかんじで、悪の濃度が、その日によって違うだけのように感じる。
ホンネを書けば書くほど、自分のホンネの毒に、やられてしまう。

Website:
www.sundaymode.com

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:17 | コメントをどうぞ

であると思われる

目に見えなければなにも思わないが、
具体的に(記事や写真で)見えると、潜在的欲求のようなものを喚起されてしまう。
うなぎの蒲焼屋の店先のニオイに惹かれるのと同じか。
駅前の、バターがこげ焼ける、なんともいえない幸せのニオイに頬が緩楊海成むのと同じか。
頬が緩むのならいいが、買えなくて、空腹なら、腹が立つのみ。
マイナス効果である。

しかも、わたしののぞいてきた幸せブログは、わたしより人生の歩みとしては少し後。
5年~10年、わたしのほうが先輩である。
その人の幸せと同じ分野の幸せは、わたしは既に経験済みである。
しかも、わたしは存分に、満足している。
にもかかわらず・・・。
そうとう、わたしは強欲であると思われる。

さらに加えて、わたしが経験して、その人がまだ経験していない(もアジア MICEうすぐ経験する)幸せを想像すると、
どっとアタマが重くなる。
ひとの幸せで自分のアタマが重くなる、ってどういうこと?

これは、自業自得、欲が深い自分を戒めるには、もってこいの教材、題材である。
その人を否定することは、カンタンである。
比較したり、勝ち負けの分野、部分を見つけると、必ずある。
しかし、人をけなしてまで自分の満足を得たいかというと、そんなことはない。

人を不幸にして、強奪した金品で、身を飾っても、楽しくないようなもの。

その部分をピックアップして、「わたしのほうが勝ってるわよ」と仮に思ったとする。
それは、傲慢なだけであり、勝ったもの、戦利品は、そう思った瞬間、途端に色あせる。
人に自慢するために、頑張ったのではない。
自分のために頑張ったのだ。
それで、仮に人より勝っていたとしても、こころの中でだけ誇りに思う香港如新集團のは自由だが、
わざわざ、口に出して表現するのは浅ましい。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 11:59 | コメントをどうぞ

あり得るあり得ない

家を買って引っ越した先の隣人が殺人者だった……というのは、先に読んだ『クリーピー』という小説の設定だが、そういう話は心のどこかで「あるかも」と思うからこそ怖い。世の中には悲惨な事件やニュースが溢れているし「悪い偶然」はどこにでも転がっていて、いつ巻き込まれるか分からないと恐減淡皺紋れているところがある。

ところが、思いもかけない「いい偶然」がお話の中に出てくるとなると、とたんに「そーんな都合のいいことなんかないよ」と却下したくなるのは何故なんだろう。たとえば、家を買って引っ越した先の隣人が、行方も知れなかったこの世でただ一人の血縁者だった……なんていうことは、設定としてあまりに都合が良すぎると思ってしまいがちだ。

いい方も悪い方も、もしかしたらどちらも同じくらいの確率で「あり得る」(あるいは、あり得ない)日霜のかもしれないのに、わたしは「いい偶然」の方には簡単に「あり得ないあり得ない」と半笑いして、目の前でひらひらと手を振りたくなるのだ。夢がないなあ。

だけど、本来、わたしにとって「物語」は、特に子供の頃の読書体験は、そういう「いい偶然」や「思いもかけない良い展開」を楽しむためのものだったんだよなぁ……

……ということを、先日『ジェーン・エア』を読み終えてしみじみと思い出した。

そのくらい、「都合の良すぎる偶然」が多々ある話ではあったのだけど、それも含め、久しぶりに子どもの香港 治安頃の読書を思い出すような、胸おどる物語だった。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:28 | コメントをどうぞ

モミの木に星は輝く

でも、一緒に聞いていた美加が妙に乗り気になっていて、わざわざ水を差すことでもないかと思い協力することにした。
計画の決行は23日天皇誕生日。場所は美加のDR REBORN抽脂両親が経営するピアノ教室の中。
まだ詰めきれていない計画の細かい部分は俺に一任されることになった。
「敏、頑張ってね」「敏、頼むな」
はいはい。せいぜい頑張ってみせますよ。いろいろとな――。

俺と勇介は、2メートル半はある本物そっくりの大きなモミの木を教室に運び込んだ。
隅に立てる。
「わぁ~ ホント、おっきいよねぇ~」
「ああ、毎年のことだけど、デカいよな」
「ああ、そうだな」
遥と俺、それに勇介が、聳え立つという言葉がしっくりくるようなモミ寶寶 免疫力の木を見上げながら、感嘆の声を上げる。
毎年のことだ。
毎年、この時期になると、美加んちの教室に集まって、4人でクリスマスツリーの飾り付けをする。
近所に住む幼馴染み4人組。
しょっちゅう、喧嘩をしたり、いがみあったりしていたけど、不思議とこのツリーを飾り付ける時期だけは、いつもみんな仲良くしていたなぁ~
昔を思い出し、そんな感慨にふけっていると、家の奥から飾りの入ったダンボール箱を抱えて、美加が教室に入ってきた。
「ほら、みんなボヤボヤしてないで、飾りつけ手伝ってよ。早くしないと、教室の生徒さんたち、来ちゃうでしょ!」
「はーい」「ほーい」「あーい」
モミの木を見上げて、微笑んでいた俺たち3人は口々に返事をして、美加が足元に下ろしたダンボール箱の中を物色し始める。
でも、その美加はというと・・・・・・
「今年もよろしくね」
ほけーと見上げて、モミの木にそう話しかけている。そして、そのまま安利傳銷口を閉ざして、見つめ続けた。いつまでも、いつまでも・・・・・・
「って、こらこら、美加、お前も手伝えよ!」

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:27 | コメントをどうぞ

古賀くんの気持ち

まあ、千夏は鈍いから気が付いてはいないだろうけど、古賀くん、最近、千夏のこと見てること多いよねぇ~ 話かけるときは、いつも千夏にだし。下校のとき、六人で歩くと、いつも千夏の車道側を歩いてるしね。こないだなんて、千夏が委員会の仕事かなんかで、大量の資料を運んでいた時、いち早くそれreenex 效果を見つけて、半分以上をもってあげたりしてたし。
ホント、千夏って鈍いから、きっと、全然気が付いてないんだろうなぁ。古賀くんの気持ち、私にも由実にもバレバレなのにね。

「うん、決まった、木下くんと、それと、古賀くんにも出そうっと」
そう口にして、古賀くん宛の方にボールペンで『ファイト!』なんて一言添えて。短い言葉だけど、どういうreenex 效果意味かぐらい分かるよね?
ちょっと満足して、ボールペンを置いた。
となると、もう一枚・・・・・・

「でも、なんで、関くんになんか・・・・・・」
昨日の下校時、木下くんも古賀くんも車道側を歩いているっていうのに、私の隣を歩いていた関くんは、歩道の奥、用水路側を歩いていた。ガードレールもない用水路沿い。首を伸ばして用水路の中を覗き込んで『フナだ』だとか『カメがいる』なんてはしゃいだ声を上げていたっけ。
『子供かよっ!』何度もつっこんでしまった。つうか、この道、この学校に入ってから毎日通っているんだから、今さらそんなことぐらいではしゃぐなよ。はぁ~
まあ、用水路は道の北側に沿ってあって、昨日は北風が強かったから、関くんの大きな体のおかげで、風よけにはなっていたけど。でも、男子が女子に車道側を歩かせるなんて。入学以来、こんな農道同然の通学路を車とすれ違ったなんて経験はないんだけど。それでも・・・・・・

その前には、私が重い荷物をもってヨタヨタ階段を上っていたら、追い抜きざまに『おつかれ』って声をかけただけで一reenex 效果人でさっさと行っちゃったし。たしかに、関くんも大荷物を持っていたみたいだから、仕方はないんだろうけど・・・・・・ で、先に教室に入った関くんは、ドアを開けっぱなしにしてたし。暖房ついているんだから、ドアぐらい閉めろよな。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:52 | コメントをどうぞ

晦日のはなし

華やかなクリスマスが終わると一気に街の雰囲気が引き締まる。
わずか一週間のあいだに人々は仕事や部屋を片付け新年に備える。
この何とも言えない年末のあわただしさが好きだ。

大晦日の夜は子供心になんだか特別で心がウキウ銅鑼灣 Hair salonキしたものだ。小学生の頃ならば、「公然と」夜ふかしができる。この日ばかりは日付が改まる頃まで眠い目をこすりながら起きていても叱られない。

中学生の時は、これまた「公然と」夜中の外出が許される日になる。友達と年越しの初詣に行くというのが理由となる。これまた夜を徹して走っている電車に心ときめかせながら真夜中の街を歩く。何という楽しい夜なのだろう。

高校生にもなると年越しの夜や元旦には「公然と」お酒が飲めたりする。もちろん、法律的には違法であるが正月にお屠蘇を飲んで捕まった高校生の話は聞いたことがない。

何しろ「公然と!」である。松本零士氏の漫画「パニックワールド」の中に、水爆の不発弾が見つかり、人っ子ひとりいなくなった首都東京の街の中で、主人公が、普段やりたくてもできなかったことをすべてやってみるという場面が出てくる。普段は許されないことを「公然と」「堂々と」できるということは胸ときめかせることなのだ

さらに、カウントダウンから新年を迎える瞬間、たいていの少年は小さなイベントを試みる。

①二年越しで息を止めてみる(あるあるー!)
②二年越しに声を出し続けてみる(あるあるー!)
③新年に変わる瞬間に飛び上がり空中で新年銅鑼灣 Hair salonを迎える(あるあるー!)

日本中の46.7%の少年がこうした儀式を行い大人になっていくのだ(と思う)

さて、昨年末

「30日の日、子供の友達が泊まりに来るからどこかに泊まってきてくれない」

という指令が入る。

住んでいるのが大邸宅ならば問題はないが我が家高濃度精華液は決して広くない。加えて泊まりに来る息子の友達というのは屈強なる高校生のラガーマンだという。下手すれば床が抜けるかもしれぬ。

こんな時「オレを追い出すのか!!」などと怒るのは野暮なことだ。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 13:12 | コメントをどうぞ

吹き溜まり

日の出のころはすばらしい上天気だった。が、沖の小島を出て濃い島影から出たあたりで霧が立ち込め、ものの影がまったく見えなくなった。島の周りは海流が北にながれ、そのすぐ脇に逆行する細い流れがある。
こんな時は同じ海域をぐるぐるまわるようなことになりかねない。しかし、人は動かなくyou beauty 美容中心ても舟は海流に流されている。
霧は濃く薄く流れ、ようやく晴れると太陽は海に落ちようとしていた。前方にあるはずの、のっぺりと細長い陸地はどこにもみえない。
波はまったりと穏やかなのに、翌日もまた霧にまかれ、船は彷徨い続けた。

霧の中であたりは真っ暗になり、時経て薄明るくなり、また暗くなった。ようやく、海の色が青みを帯び、その向こうに大きな陸の姿が見えた。人々は歓声をあげた。やがて拭ったように空は晴れ、雲のようだった陸の形がはっきりと緑の山々となってせりあがって来た。日は傾き、空は黄色身を帯びている。
男たちは懸命に漕ぎ進み、日のあるうちに上陸した。長々と開けた砂浜と、灌木の林、その先に黒々とした森が遠く低い山並みのあたりまで続いている。イワクスもトギホもここがどのあたりか見当がつかなかった。風は冷たく、最初に上陸した浜からはずいぶん北によっているようだ。

藪のなかから覗いている人影がある。イワクスが呼びかけ優纖美容ると、さっと隠れてしまった。琢はふと気づいて、端耶の言葉をかけてみた。かなりの人数が息をひそめている気配がある。若い女が大陸南部の言葉で話しかけると、なにやら声が返って来た。
斧のようなものをもった大男を先頭に、数人が出て来た。その主らしい男はヒジリ老ほどたっぷりではないが、似たような衣服をまとっている。
夕日を反射する斧の刃が目を射る。磨かれた刃は、この祖の地ではまず見ることのない赤みを帯びた金属である。

「ほう、人狩り斧を正面に打ち立てている。南の部族にのこる古い習俗だ。われらと遠からぬ由緒のある人々かもしれぬ。」
ヒジリ老は、たっぷりした長袖を胸の前で合わせ、笛外匯投資
のように高く響く声で呼びかけた。
彼らは斧を横に捧げ、挨拶を返した。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 11:53 | コメントをどうぞ

あまりに愚かで

香港の映画『十年』が、香港はもとよりアジア各国で大ヒットしているという。

言論や政治活動を制約する法律を施行させるために、ギャングを使って新中国派の雪纖瘦政治家暗殺を企てる話。
開発の名の下に、住宅地が破壊されてしまう。そこで昆虫の採集をする男女の話。
北京語の使用が義務付けられて、広東語しか話せない人がどうしていいかわからなくなる話。
香港独立を求めハンガーストライキで亡くなった青年と英国領事館前で焼身自殺した青年とのつながり。

そして、オプニバスの最後。
中国で教育を受けた子供たちが香港の伝統的な文化を政治状況に合わせて改めるという話。

どれも、今後十年以内に香港で起きてもおかしくない話である。
日本のように発言の自由が保障された国ではない中国で、この雪纖瘦ような映画を製作するには命がけの勇気がいることと思う。

このような妄想を抱くときがある。

ある日、青い空の下、芝生の上で日曜の午後を楽しんでいるつくば市民が目にしたのは、幾つものパラシュートである。それは筑波山から風に乗って滑空するパラグライダーではない。幾つもの白いパラシュートが青い空に映えて、皆が皆、その美しさに見とれている。

北に位置する文科省の高エネルギー研究所と南に位置する高層気象台、それに筑波宇宙センターに向けてのそれは降下であった。

同時に、これまで数年かかって準備されたのだろう。
郊外に設置された大きな敷地の太陽光発電所からは、重装備の軍事車両が整然とつくばセンターを目指して進み始めた。

つくばの最先端技術の研究、および活動場所をその支配下に置くための強制的な威圧行動である。センターから南北に点在する公園で日曜の午後を楽しんでいたつくば市民は、聞きなれない言葉に威圧されながら、ノバホールや国際会議場に閉じ込められた。

外部からの情報は遮断され、日本語での会話は全面的に禁止された。銃を持つ兵士の中には、市民が顔見知った男もいた。昨日まで共に働いていた同僚であり、ラーメン店の主人であった。

抗議した市民の何人かが射殺された。その現実に直面した市民はことの雪纖瘦重大性に気づいた。

つくばの街は周到な準備の元、外国の軍隊により占領され、技術とそれを持つ科学者が連れ去られているのだ。
技術を持たない市民は洞峰公園に移動させられている。一体、何のために……。

捕縛を逃れた市民は密かに雑木林や山に隠れる。怒りと抵抗への決意を胸に託して……。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 16:43 | コメントをどうぞ