日別アーカイブ: 2016年12月8日

に仇なき鎖着こんで

容保は当初、在京の諸藩および洛内外に「言路洞開」を布告している。
これは言うなれば、上の者が下の者の意見を広く聞き、話し合いで結論を出す事であった。
公明正大な容保らしく、どのような相手であろうとも深く意見を聞け嬰兒揹帶ば分かり合えるという姿勢を見せたわけだが、相手が悪すぎた。
寛仁な容保をあざ笑うように、事件は起こる。

足利将軍木像梟首事件(京都等持院にあった室町幕府初代将軍?足利尊氏、2代?義詮、3代?義満の木像の首と位牌が持ち出され、賀茂川の河原に晒された事件)が、それであった。
この日を境に、容保はそれまでの優柔ともいえる方針を一転させた。
捕縛された尊王攘夷派の討幕の意思を知った容保は、ついに激怒する。

「足利将軍等が朝廷にそむいたという理由で、木像の首を晒すなど言語道断である。彼らは天皇から直々に官位を賜っているのだ。逆臣などではない。」

詮議の調書に目を通した容保は、怒りのあまり顔色を変えた。
彼らは、いずれは徳川将軍の首もこうなるぞという意味を込めて、木像の首牛證熊證を晒したとうそぶいた。
普段穏やかな顔しか見せない容保の、迸る激高に控える家臣すら驚いた。
まなじりをあげて容保は毅然と、不逞浪士掃討を言い放った。

「よいか。尊王攘夷派は、天下を無用に騒がせているばかりか、畏れ多くも公方さまに仇なすつもりなのだ。悪漢どもを、このままには捨ておけぬ。すぐさま処断せよ。」
「はっ!既に潜伏先の目星はつけております。」
「急げ。捕り物を気取られて、洛外へ逃走するやもしれぬ。会津の名に懸けて、一人たりとも逃すなよ。」
「はっ!」
戦支度をした、一衛の父と直正もいた。

「直正。やっと手柄を上げる時が来たな。」
「はい、叔父上。殿のお役にたつときがやっと来ました。」
「存分に働けよ。」
「はい。腕が鳴ります。」

互いに故郷の話は一切しなかった。
穏健な容保をあざ笑うように、尊王攘夷を振りかざして無頼を働く不逞浪士の所業に、歯噛みしな冷氣機がら耐えてきた至誠の士達がついに一斉に動いた。
洛内外に潜んだ賊を炙り出し、一気加勢に捕らえる段取りを立てながら、会津藩士は京の町を走った。
カチャリ……
物陰に潜んで鯉口を切る音が、静かに闇に響いた。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者pealou 13:15 | コメントをどうぞ