日別アーカイブ: 2016年7月5日

日程にも待という条

茶壷は将軍様と同じ扱いだから行列を遮ろうものなら言い訳も聞かず無礼打ちが許されたという時代である。吉宗の時代(享保頃)になって諸費用出費の倹約令が出されたというが将軍家の諸行事はかなり派手に振る舞われたらしい。前後するが天保の混乱期、高野長英らと蛮社の獄につながれ後に自刃した三河藩士で止汗膏文人画家、渡邉崋山が幼少時に父の薬を買った帰途、急ぐ余り行列を横切ったことで藩を巻き込む大騒動になった経緯もある。『御茶壷行列』にはそれ程の威厳や格付けを持たせたようである。

旧暦四月一日に宇治で加工された新茶が茶壷に詰められ江戸へ出発行列は六月初頭までに江戸に到着したというが腫れ物にでも触るような新茶搬送(行列)で300人もの役人が着任、将軍様御用の茶葉を確保する為の一大イベントだったようである。『わらべ歌』にある「ずいずいずっころばし」をご存知だと思う。「御茶壷行列」に配属の役人達を揶揄し、庶民の間に生まれた戯れ歌とされるが、街道の周辺住民は日頃自分達が使用する生活道路までを封鎖され、野良仕事の妨げにもなったという。役人の中には行列を個々の利得に利用した輩も居たのである。

『やだヨ~胡麻を擂って美味い味噌和えを造ったのにお茶壷行列かい 早く表戸をピシャンと閉めなッ! 居ない素振りをしないと鼠みたいなお役人が這入って来るからおっ母さんたちが呼んでも返事しちゃ駄目だよッ! 言ってるそばから井戸で茶碗を割ったのは誰だいッ!
何お駕籠は行っちゃった行っちゃえばもう此方のもんサ(ぬけたらどんどこしょ)』

長閑な幼児たちの遊び歌にも受け取れるが地域住民の、お上に対する抵抗を童謡に託したようだ。明治期になっnu skin 香港て聴こえた川上音二郎の様な人物が江戸時代にも存在したのであろう。

   『茶摘みしてでも養いまする 私しゃお前の妻じゃもの』
  
   『ぬるいお茶でもお前の手から 注いでもらえば熱くなる』

幕末~明治の都々逸から拾った戯れ唄の一節だが季節が巡ると腕を見込まれた出稼ぎの「茶摘み職人」は引く手数多で多忙を極めたようだ。お得意様の茶葉農家と契約を結んでおいて手
際よく仕事をこなし、新茶の季節は睡眠時間を割いて働いたという。茶葉の生育状況によっては茶摘みの件が重なったらしい。

大型連休官民が協調して休日を増やし一週間を超える連休(ゴールデンウイーク)が当然という時代である。内外の航空便大學 BBAも新幹線も新設された。高速道路も増設高性能車が縦横無尽に走る。自然災害ばかりは避けられないが戦争や国交の摩擦が無ければ世界は平和である。日本茶農家では茜襷に菅の笠を被った昔娘が一番茶に汗を流しているだろうか。
 

カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 15:53 | コメントをどうぞ