ると思ったのぱり貴方

「何か言ってました?」
「何も用事が無ければ勝手に人の部屋にはいらっしゃらない方でしょう?」
そう言ってチャン先生は珍しくお酒を一気に呷った

「チャン先生、何か言われたんですか?」
「…別に、何も。」
やだ、絶対に何かあったわよ。
え?何?

「医仙、私は貴女がこの高麗で恙無く日々をお過ごしいただければそれで良いのです。」
「…はぁ。」
チャン先生はそれだけを言うと、その後は何も言わなかった。
ただ、お酒を飲むだけ。
私も一緒に飲んだけど、こんなチャン先生初めて見た。

「チャン先生?本当にどうか、しました?」
改めてもう一度聞いてみた
するとチャン先生はその問いには答えず逆に私に質問する
「医仙、今、心は軽いですか?」
心が軽い?どう言う事だろう
「…言っている意味がよく分かりません。チャン先生」
「では、もう良いです。忘れてください。」
チャン先生がそう言った頃また私の部屋の扉の戸を叩く音がする

あの人かな?
今日はもう来ないと思っていたのに。
私はそう思って扉の方を見る

その私の顔をチャン先生は見ていた

「起きてますか?入りますよ?」
すると私の返事なんて待たずにこの人は入ってきた
「侍医…いたのか。」
差向かいで座っている私とチャン先生を眺めてる

「えぇ、一緒にお酒を頂いていました。では、私は自分の部屋へ戻ります。」
鼻で大きく息を吸い込むとチャン先生はお酒と使った器を持って少しふらつく足取りで出て行った。
やっぱり今日のチャン先生はちょっと変。

「侍医が心配か?」
「うん、なんだかチャン先生いつもと様子が違ってるわ。」
それだけを聞くと部屋の中に入ってきてチャン先生の座っていた椅子に座る
「貴方、夕方チャン先生の部屋に行ったんでしょ?何か言ったの?」
そう言うと鬼剣を自分の座っている椅子の側に立て掛ける
「別に、…何も。」
絶対、嘘。
そう思ったけど、チャン先生もこの人もきっと教えてくれない。
そう言う所は良く似ていると思う。

「医仙、肩を揉んで貰っても?」
「肩?如何したの、珍しいわね。」
「慣れぬ事をすると疲れるんです。貴女は医仙のくせにそんな事も知らないのか?」
「その位知ってるけど、慣れぬって…何したの?」
そうやって聞いてるのにこの人は答えない代わりに肩を揉めと自分の肩をポンと軽く叩いて私の顔を見る

暫くこの人の肩を揉んだ。
本当に今日は肩が凝ってるみたい。
何時も身体を動かしている人なのに珍しいわ

「王様に…話しました。全部。」
全部、…昨日の夜の事もよね。
「そして貴女の気持ちも、俺の気持ちも全部話して…許しを請うて来ました。」
「許しを…請う?」
王様に何の許しを求めたの?

「昨日貴女と共寝をした事を話し、貴女の今後はどうすると聞かれたので貴女の気持ち通り
天にお返しする旨を話し、…それから…」

私の事なのに私に何にも聞いたり意見を求めたりしないで、王様に何の許しを求めたの?

「…これからも共寝するからと許しを求めたの?何それ?私は物じゃないわ。貴方なら分かってくれても私を物としか思って無いんじゃないの…」
物凄く腹が立った。

貴方の事好きなのに、何となく嫌な感じがしてたのはこれよ

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フカ人を切ったと

「フランス」という国。戦勝国。ただし、どうしても「自力で勝った」とは思えない。温暖な気候。肥沃な領土。海あり山あり。観光資源の宝庫。先進国で、最も労働Dream beauty pro 脫毛時間が少ない。当然、年間五週間の有給休暇。

系たんさんの「住みたい国ランキング」、意外とフランスが低い。なんとなく、私には分かる。

「個人主義」、これは「フランス」という国そのもの。「国風」といっていいのである。皆、私私俺俺の世界である。他人へのレスペクトゼロの世界だ。車の運転を見ていても良く分かる。ドイツ人の運転とまったく違う。赤信号で道を人々が渡らないし、横断歩道以外で渡らない。私の母国と同じである。このフランスでは、なんの規律もない。早い者勝ち、自己主張勝ち、弱肉強食である。だからこそ、皆、イライラしているのだ。自業自得と申し上げる。フランス人が一丸となることは絶対にない、から、世界で最も「戦争がToshiba冷氣似合わない」、そう、享楽的なのである。食事、セックス、バカンス???。しかし、このフランス人のイライラは、個人主義の食べ過ぎと申したい。自己主張の果ての贅沢なのだ。他人の批判、ネガティブシンキング???、享楽の果てと申し上げる。

ところで、このゲップの出そうな個人主義の成れの果ての打開を、二十世紀初頭の知識人たちは、探っていた。たぶん、私見ではカ思う。そして、サミュエル?ベケットが文学の世界では続く。そして、なんども書く、マルセル?デュシャンが、たぶん、最も、「これ」から抜け出した「フランス人」なのだ。

「忘れてはいけませんよ、我々は、沢山の人々の中の一人であることを」

こんなことをいうフランス人は、ほぼ、皆無なのだ。ほとんど、東洋思想に近いなんかドイツに行って来たから、改めて「フランス、フランス人」のことを考えてしまう。まあ、フランス人だけではないけれど、西洋世界では人間が自然界も含めた頂点にいるという考え方が中心にある。ルイ十四世のベルサイユ宮殿へ水を運dream beauty pro新聞ぶ巨大ポンプ「マルリーの機械」が象徴するように、自然さえ手中に収めようとするのである。

日本人も含めて東洋人にはあまりないような気がする。「自然界の一部に我々がいる」という皮膚感覚みたいなものがあるから、諸々の刹那を感じたりもする。うん、なんかね、我々は「己を消す術」を知っているような気がするのである。

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日程にも待という条

茶壷は将軍様と同じ扱いだから行列を遮ろうものなら言い訳も聞かず無礼打ちが許されたという時代である。吉宗の時代(享保頃)になって諸費用出費の倹約令が出されたというが将軍家の諸行事はかなり派手に振る舞われたらしい。前後するが天保の混乱期、高野長英らと蛮社の獄につながれ後に自刃した三河藩士で止汗膏文人画家、渡邉崋山が幼少時に父の薬を買った帰途、急ぐ余り行列を横切ったことで藩を巻き込む大騒動になった経緯もある。『御茶壷行列』にはそれ程の威厳や格付けを持たせたようである。

旧暦四月一日に宇治で加工された新茶が茶壷に詰められ江戸へ出発行列は六月初頭までに江戸に到着したというが腫れ物にでも触るような新茶搬送(行列)で300人もの役人が着任、将軍様御用の茶葉を確保する為の一大イベントだったようである。『わらべ歌』にある「ずいずいずっころばし」をご存知だと思う。「御茶壷行列」に配属の役人達を揶揄し、庶民の間に生まれた戯れ歌とされるが、街道の周辺住民は日頃自分達が使用する生活道路までを封鎖され、野良仕事の妨げにもなったという。役人の中には行列を個々の利得に利用した輩も居たのである。

『やだヨ~胡麻を擂って美味い味噌和えを造ったのにお茶壷行列かい 早く表戸をピシャンと閉めなッ! 居ない素振りをしないと鼠みたいなお役人が這入って来るからおっ母さんたちが呼んでも返事しちゃ駄目だよッ! 言ってるそばから井戸で茶碗を割ったのは誰だいッ!
何お駕籠は行っちゃった行っちゃえばもう此方のもんサ(ぬけたらどんどこしょ)』

長閑な幼児たちの遊び歌にも受け取れるが地域住民の、お上に対する抵抗を童謡に託したようだ。明治期になっnu skin 香港て聴こえた川上音二郎の様な人物が江戸時代にも存在したのであろう。

   『茶摘みしてでも養いまする 私しゃお前の妻じゃもの』
  
   『ぬるいお茶でもお前の手から 注いでもらえば熱くなる』

幕末~明治の都々逸から拾った戯れ唄の一節だが季節が巡ると腕を見込まれた出稼ぎの「茶摘み職人」は引く手数多で多忙を極めたようだ。お得意様の茶葉農家と契約を結んでおいて手
際よく仕事をこなし、新茶の季節は睡眠時間を割いて働いたという。茶葉の生育状況によっては茶摘みの件が重なったらしい。

大型連休官民が協調して休日を増やし一週間を超える連休(ゴールデンウイーク)が当然という時代である。内外の航空便大學 BBAも新幹線も新設された。高速道路も増設高性能車が縦横無尽に走る。自然災害ばかりは避けられないが戦争や国交の摩擦が無ければ世界は平和である。日本茶農家では茜襷に菅の笠を被った昔娘が一番茶に汗を流しているだろうか。
 

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書いたりのだけれど

とはいえ、たとえば、私は小説モドキを書くのだけれど、ジャンルとすると私はどちらも書く。でも、私の内部でなんとなく「やはり、重いテーマをきちんと書かなければいけない」と元文学青年の思い込みが正直ある。だから、お笑いショートショートなんか書いている時は、本人が一番楽しんでいるし、自分の原稿を読んでゲラゲラ笑う。健康には絶対にいいし、慢性鬱がどこかへ吹っ飛ぶ。しかし、いかんなぁー、こういうくだらんことばかり書いていてはとか脳の片隅で考えている。臉部肌膚金子光晴の晩年の三部作、森敦の月山、深沢七郎の笛吹川なんかが脳内で蠢く。慢性鬱がぶり返す。そして、気を引き締めて書き出す。全然楽しくない。たぶん、私は高年性恒常的幸福感症候群と自分で名付けたのだけれど、この状態にあるから、体が耐えられないのだ。酒をがぶがぶ飲んで、泣きながら、ある一線を越えると急に笑い出すのだ。うなもんぉん、どうでもえぇーべって。どうせぬんげんはつちにかえるだけだべ、うなもん、ぎょうぎょうすく、おれがかいてなんぼのもんだべ、とかなる。

先日の黒猫でのコンサートは私にとって実に示唆に富んでいた。たとえば、私が孤高の芸術家であるとする。この場合は、会場のいかなる空気にも一切動揺せず自分の音楽をやる。理解してくれる方のみ好んでくれればよし、とこうならなければならない。しかし、実際の裕イサオ君は、バーのおねえちゃんにでれでれし、出入りするカワイ子ちゃんを目で追い、わぁおぉ、失敗ぃ、シンセサイザーで格好いい感じぃにすたかったなおれぇーと、ものの二秒でなっている。ここで、踏ん張り、「我々は、なにごとにも動揺せず、我々の音楽個人化護膚を貫き通す、以上っ」とバンドマスターはメンバーに指示を出すはずなのに、真師匠の目はすでにタレ目であるし、オリビアは「あら、エレクトリックベース持ってくればよかったわね」なんていっている。どうしても、この空気をぶち壊すなぁんての、皆、しんどい。共有し共鳴してお客様共々皆で楽しみたいとこれまた二秒でなった。

結論として、自然体が一番楽しいし、駱駝。そして、先輩たちから裕イサオ君は堕落したと叱責されるのであるが、デェへヘェー目のまま、林家三平する。おりゃ、思い出した。一冊だけ上梓された私の自伝的散文詩的小説。芥川賞作家お二人から「次回作に期待する」というお手紙まで頂いているのに、その次回作が、お笑いショートショート集。出版社から、「あ
のー、前作の、あのー、正当な手法で書いて頂けませんか?」といわれたのである。私の脳はそ改善皮膚の時すでにジャズ菌に侵されていた。結局、編集者はいかりや長介。見放されたのである文学の世界から。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 12:19 | コメントをどうぞ

こうやって躊

空想は僕の過去を美しく彩り、それに沈潜しているはかない喜びは、はかないはかない幸せを僕に与えつづけていました。はかないはかない空想だと自分でも気付いていたのかもしれません。でもそれが単なる空想だと思うことは僕の過去——美しく彩られた過去を——僕は幻で個人化護膚もよかった。幻でもいい。信じていたかった。僕に寄せられるなたたちの切ない真心を少年の日の美しい思い出として胸に秘めつづけておきたかった。

過去とはそして幻とはいったい何なのでしょう。同じなのではないでしょうか。過去も幻も同じだということを、僕は信じていたのです。僕の美しい少女たちの真心に彩られた美しい過去。そしてそのことごとくを踏みにじってきた僕の罪。美しい思い出でした。

佐賀の町並みもクリスマスの景色を呈していた。自分は早めの正月休みを貰って長崎へと帰る途中、再び佐賀へ寄った。もちろん桃子さんと会うためだった。8月の時もそうだったようにただ桃子さんと会うためだけに佐賀へ寄った。

店内はいつものように薄暗く再びやって来た僕を桃子さんは訝しそうに見て、ただ見るだけでカウンターの中で護膚品個人化仕事をしているだけだった。しかし、ママに言われたのか僕のところへとやって来た。そしてウイスキーの水割りを作ってくれた。大きなコップにだった。それも40度のウイスキーをちょうど半分割っただけの濃いウイスキーだった。僕が大きなコップにつがれたウイスキーでもいつも最初一気に飲んでしまうことを知っていてわざとそうしているようだった。

『長野はやはり寒いです。自分は長崎に帰りたく思っています。寂しいです。自分はそして165万円するスーパーライザーという低出力レーザー装置に似たかなり高出力の光を出す機械を買いました。そしてそれで長崎で自分の家の応接間を治療室にして開業しようかと考えてもいます。買うときは長崎で開業する決意で買いました。しかしそれがあまりにも冒険すぎることを考え、今躊躇しています。このまま勤務医でいる方が無難だし、楽だし、開業するとものすごく厳しい日々が始まります。でも躇していていいのか、たくさんの難病で苦しんでいる人たちを救ってゆく使命が自分にあるのではないのか、と考え迷っています。長崎に帰りたいです。長崎で暮らしたいです。遠い長野での日々はやはり寂しいです』

『長崎は、僕らが育った長崎は、夕暮れの薄靄の中にはかなく消えて行くような気がします。そのような夕暮れを僕は今、送っています。寂しい夕暮れ。独りぼっちの夕暮れ。寂しく過ごした佐賀での1年半の日々を思い出してしまいます。長野は創価学会の人がとてもちやほやしてくれてとても居心地が良いです。始めてその長野の大きな病院に来た創価学会の医者として学会の人はとても良くしてくれます。悩みを持ったアルコール中毒か分裂病か解りませんが、夜、11時半頃、独りで住む僕のアパートを訪ねて来たりします。無碍改善膚質に断ることはできません。僕は創価学会に迷惑を懸けてはいけないと思い、日本共産党のところを訪ねて行くように言いました。今まで、かつてなのかもしれませんが、骨肉の争いをしていた日本共産党のところに相談に行け、と言いました。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 11:59 | コメントをどうぞ

くてもこれいは予

春樹の変化に気づいたわけではなさそうだが、バッグを受け取った後も青年は無言で春樹を見つめてくる。
春樹もじっと見つめ帰す。

けれど先ほどの衝撃は想像以上に痛烈で、僅かに視界が揺らいだ。
好奇心から犯してしまった不可侵Pretty renew 呃人領域の真実が、その心臓に深く突き刺さり、平静を装う春樹のこめかみを、汗が伝った。

二人が見つめ合い、無言で別れるまでほんの一瞬だったはずだ。
だが、春樹にはとてつもなく長く思われた。
それは「罪に苛まれた9年間」の苦しみを確認するには充分な一瞬だった。

その青年にとっても。

そして、その青年の記憶の断片を読みこんでしまった、春樹にとっても。
二人が予約を入れていた民宿に着いたのは、もう薄っすら陽が陰って来た頃だった。
一階で軽食喫茶も営んでいるその民宿には、ほんの4部屋ほど宿泊出来る部屋がある。

どちらかというと、宿泊施設の方がオマケという感じだ。
後ろは竹林。前面は県道を挟んで、のどかな田園風景が広がっている。

「おどろいた。本当に何もないド田舎ね、ここは」
2階の自分たちの部屋に入るなり、外を眺めながら、すっかり回復した美沙が言った。
「泊まるところがあっただけマシだよ。ここがなかっPretty renew 呃人たら僕らは野宿だ。他の民宿はみんな潰れちゃったみたいだからね」

美沙の失礼な発言が民宿の女将さんに聞こえはしなかったかと、少しばかりハラハラしながら春樹は言った。
そして、もうひとつ、心配そうに付け加える。
「ねえ美沙。部屋、別々にして貰って予算は大丈夫?」
そう訊く春樹の方をチラリと見た後、美沙は苦笑いを浮かべた。
「ここの民宿のおばちゃんが、あんたと私を見ながらニンマリ笑って『お部屋は一つでいいですよね?』って言うからさ、何だかムカついて『仕事仲間なんで2部屋用意してくいださい』って言っちゃった。今にも『お布団は一つでいいですよね?』とか訊いてきそうだったからさ」

美沙の言葉に春樹は声を出して笑った。
「ありえないね」

「そうよ、ありえない。だけど、あのおばちゃんに余計な妄想抱かれるのは戴けないしね。姉弟みたいなもんだからって説明しても、あの目つきじゃ信じてくれそうにないし。面倒だから。
それにここは、あのシュレックみたいなおばちゃんが趣味でやってる民宿だから結構安いのよ。心配しな算で落とせるって」
「シュレックって……」
いくらなんでも、あのキャラクターに例えるなんて……と思ったが、後かPretty renew 呃人らじわじわと笑いが込み上げて来た。
仕事上の上司なのにどこか子供っぽい美沙の発想も、大雑把なところも、春樹は嫌いではなかった。

美沙が自分たちの事を姉弟と例えたのも、間違ってはいない。
兄が生きていたら、自分たちはそうなっていたのだろうから。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 15:17 | コメントをどうぞ

で酒が飲めるう

四十代のご夫婦が手作りで仕上げられたと聞かされ、その器用さに感心させられる。全国の地酒や焼酎、季節野菜や魚介類を取り入れたメニューが準備されていた。ご夫妻の創作による夢舞台を満喫させてもらったことだ。瀬戸?京?伊万里の陶磁器??色を添えた皿小鉢に心憎い演出が為されている。父子は美酒に酔い美辦公椅味なる肴に目を細め、程を測ってご馳走様をした。ほろ酔い気分で店を出るとトップリ暮れた夜風が心地よく、記憶に留めておきたい春宵(春の酔い)であった。

酒に纏わる語録や物語は無数だが古くは中国から伝わっている「張果老」の白驢伝説は知られる。日本でいう「瓢箪から駒」がそれだが真夏に咲く白い五弁花の瓢箪は秀吉が馬印にも用いたように酒器や茶碗など器としての利用でも最古のものとされる。呑兵衛でもない私だが野郎(倅)に「養老の滝」の父子伝説を説きながら、もどかしい足取りで我が家に帰った夜であった。

「ゆずり葉」には「親子草」という別名があるが、資産も無ければ家宝も無い私に「ゆずり葉」の持ち合わせなど無い。残せるものを探すとすれば折々の想い出話くらいだろう???。だとするならば「父と子」で嗜む盃は大切な御宝に代わるものかも知れない??。倅よ、偶には瓢(ひさご)を手に飲め王賜豪ないオヤジの「悟り酒」にでも付き合うか???笑顔ちに???。通り過ぎた時間、過ぎ去って行く情景、取り戻せない青春の忘れ物???セピア色に変色した懐古を骨董品の様に残すべきか?と思う時がある。 私は大阪生まれの大阪育ち??昔の大阪ならいつも記憶の中にあるが、現在を聞かれゝばまるで盲目に等しい。『澪つく し』や『難波津』に遡ると歴史解説になってしまうが堂島川や 土佐堀川に囲まれた『船場、島之内』が大阪の中心とされた昔 が懐かしい。

嘗て『糸へんの街』と言われ繊維問屋が建ち並ぶ丼池(どぶ池)や文具、化粧品、袋物問屋が軒を連ねる博労町??船場界隈は 算盤片手に印半纏の番頭さんが店頭に立ち、道路は仕入れに訪れる商人たちで歩く隙間もないほど混雑していた。文紙関係の問屋回りをしていて類似する町名に時々戸惑ったことがある。 雑学に長け同珍王賜豪ていた父親に訊くと『長堀橋から心斎橋筋北詰め迄を、久太?久太?ふた久宝??博労?順慶?安堂?塩??と節を付ける様に記憶すれば覚え易い』と教えられた

カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 11:37 | コメントをどうぞ

京の街を切出

「私があそこを出られたのは私の力のせいじゃないわよ」とレイコさんは言った。「私があそこを出られたのは、直子とあなたのおかげなのよ。私は直子のいないあの場所に残っていることに耐えられなかったし、東京にきてあなたと一度ゆっくり話しあう必要があったの。だからあそこを出てきち同珍王賜豪ゃったのよ。もし何もなければ、私は一生あそこにいることになったんじゃないかしら」

僕は肯いた。

「これから先どうするんですか、レイコさん」

「旭川に行くのよ。ねえ旭川よ」と彼女は言った。「音大のとき仲の良かった友だちが旭川で音楽教室やっててね、手伝わないかって二、三年前から誘われてたんだけど、寒いところ行くの嫌だからって断ってたの。だってそうでしょ、やっと自由の身になって、行く先が旭川じゃちょっと浮かばれないわよ。あそこなんだか作りそこねた落とし穴みたいなところじゃない」

「そんなひどくないですよ」僕は笑った。「一度行ったことあるけれど、悪くない町ですよ。ちょっと面白い雰囲気があってね」

「本当」

「うん、東京にいるよりはいいですよ、きっと」

「まあ他に行くあてもないし、荷物ももう送っちゃったし」と彼女は言った。「ねえワタナベ君、いつか旭川に遊びに来てくれる」

「もちろん行きますよ。でも今すぐ行っちゃうんですかその前に少し東京にいるでしょう」

「うん。二、三日できたらゆっくりしていきたいのよ。あなたの王賜豪總裁ところに厄介になっていいかしら迷惑かけないから」

「全然かまいませんよ。僕は寝袋に入って押入れで寝ます」

「悪いわね」

「いいですよ。すごく広い押入れなんです」

レイコさんは脚のあいだにはさんだギターケースを指で軽く叩いてリズムをとっていた。「私たぶん体を馴らす必要があるのよ、旭川に行く前に。まだ外の世界に全然馴染んでないから。かわらないこともいっぱいあるし、緊張もしてるし。そういうの少し助けてくれる私、あなたしか頼れる人いないから」

「僕で良ければいくらでも手伝いますよ」と僕は言った。

「私、あなたの邪魔をしてるんじゃないかしら」

「僕のいったい何を邪魔しているんですか」

レイコさんは僕の顔を見て、唇の端を曲げて笑った。そしてそれ以上何も言わなかった。
吉祥寺で電車を降り、バスに乗って僕の部屋に行くまで、我々はあまりたいした話をしなかった。東京の街の様子が変ってしまったことや、彼女の音大時代の話や、僕が旭川に行ったときのことなんかをぽつぽつと話しただけだった。直子に関する話は一なかった。僕がレイコさんに会うのは十ヶ月ぶ王賜豪總裁りだったが、彼女と二人で歩いていると僕の心は不思議にやわらぎ、慰められた。そして以前にも同じような思いをしたことがあるという気がした。考えてみれば直子と二人で東歩いていたとき、僕はこれとまったく同じ思いをしたのだ。

かつて僕と直子がキズキという死者を共有していたように、今僕とレイコさんは直子という死者を共有しているのだ。そう思うと、僕は急に何もしゃべれなくなってしまった。レイコさんはしばらく一人で話していたが、僕が口をきかないことがわかると彼女も黙って、そのまま二人で無言のままバスに乗って僕の部屋まで行った。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 12:36 | コメントをどうぞ

泣きながら

二人が肩を並べて話しながら歩いていると、いきなり坂崎のグループに囲まれた。文太は思った。「案の定だ」坂崎は子分たちと言っていいだろう仲間に命じて、二人を人通りのない路地に引き入れた。
「金は持ってきたか?」
坂崎が悠斗の胸倉を捉まえて言った。
「俺の貯金は全部下ろしちゃってもう無いのだ。許してくれ」
「それなら、親の金をくすねて来い」
「出来ないよ」
悠斗は、ベソをかいている。
「やめろ!親の金といえnuskin 如新ども盗めば犯罪じゃないか」
文太は悠斗と坂崎の間に割って入った。
「悠斗を放せ!」
大声をだして文太は虚勢を張った。
「おっ、このチビ生意気だな」
組員らしい男が言った。文太もここ一年で急激に背が伸びたが、まだ坂崎たちには及ばなかった。
「ここは俺たちで片を付けます、賢さんは見ていてください」
坂崎は捉まえていた悠斗を放すと、いきなり文太に殴りかかってきた。文太は顔面にパンチを受け鼻血を出したが、怯まず坂崎を睨みつけながら悠ろと顎で合図をした。文太はこの後、殴られ、投げ飛ばされ、足蹴にされたが、抵抗せずに耐えていた。
「賢さん、あなたはどこの組の人ですか?」
倒れたままの文太が、賢と呼ばれた男に問いかけたが、男は答えなかった。
「この近くの組なら、松本組でしょう」
文太が言って男を睨みつけると、男はほんの少しばかり動揺している様子だった。

「ボクの名前教えてくれる?」
それを皮きりに、書類の作成が始まった。
「高倉文太、6才です」
「お父さんの名前は言えるかな?」
「居ません。お母さんも居ません。ボク捨て子です」
文太は「わかりません」ではなく、はっきりと「居ません」と躊躇せずに言った。
「お家はどこ?」
「朱鷺の里愛育園です」
「児童養護施設だね」

警察官は「もしや?」と、6年前の「赤ん坊遺棄事件」を思い浮かべた。場所はこの如新集團地からさほど遠くないJR駅のトイレに遺棄された、生まれて間もない男の赤ん坊が見つかったのだ。赤ん坊は未熟児で、すでに鳴き声も上げられない程衰弱していたが、直ちに大学病院に搬送され、奇跡的に命が救われた。
数ヵ月後、彼は乳児院に移され、そして児童養護施設で小学校の入学を迎えた。

文太に用意されたランドセルは、もう何代目なのだろうか、所々が擦り切れた黒くて大きなものだった。それでも文太は大喜びで、入学式の前日まで背負う練習をして、昨夜は枕元へ置いて遅くまで眠らずに、蒲団から顔を出して眺めていた。

翌朝、施設の職員に連れられて文太は喜び勇んで学校へ向かったが、施設にもう一人新小学一年生が居た。泣き虫の女の子梨奈(りな)である。梨奈は学校へ行きたくないとグズっていたが、文太と職員に手を引かれて、ベソをかきながらの登校であった。

「梨奈、お兄ちゃんが付いて居るからな」
妹に言うように偉そうに励ましていたが、実は文太の方が半年ほど年下である。

少しずつ学校に慣れてきたようで、1ヶ月は機嫌よく学校に通っていた梨奈が、突然「学校に行きたくない」と、再びぐずるようになってしまった。
文太が訳をきいてやると、どうやら虐めに遭っているようすだった。「施設の子は汚い」と雑巾で顔を拭かれたり、「親なしっ子」と蔑まれたり、「ゴミ」と称して梨奈の持ち物を屑入れに捨てられたりしたそうである。
文太は虐めっこのリーダーの名を訊き出し、談判に行ったが、それが基で文太自身も虐めを受ける羽目になった。

リーダーの名は木藤明菜、明菜は兄である五年生の拓真と、その悪仲間に告げ口をした為、文太は彼らに学校の倉庫に連れ込まれ「生意気だ」と、取り囲まれた。
殴るの、蹴るのとボコボコにされた挙句、文太は倉庫の中へ置き去りにされた。それを震えながら見ていたnu skin 如新梨奈が担任の教師に告げたが、「倉庫は鍵が掛かっているから、そんな訳がない」と、取り合わなかった。教師はあまりにも執こく梨奈が訴えるので仕方なく倉庫へ行ってみること、鍵は何時からか壊されたままになっている。扉を開けてみると、文太が鼻血を流して倒れていた。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 17:04 | コメントをどうぞ

Hello world!

Blog総合管理へようこそ。これは最初の投稿です。編集もしくは削除してブログを始めてください !

カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 08:04 | 1件のコメント