日別アーカイブ: 2016年6月22日

こうやって躊

空想は僕の過去を美しく彩り、それに沈潜しているはかない喜びは、はかないはかない幸せを僕に与えつづけていました。はかないはかない空想だと自分でも気付いていたのかもしれません。でもそれが単なる空想だと思うことは僕の過去——美しく彩られた過去を——僕は幻で個人化護膚もよかった。幻でもいい。信じていたかった。僕に寄せられるなたたちの切ない真心を少年の日の美しい思い出として胸に秘めつづけておきたかった。

過去とはそして幻とはいったい何なのでしょう。同じなのではないでしょうか。過去も幻も同じだということを、僕は信じていたのです。僕の美しい少女たちの真心に彩られた美しい過去。そしてそのことごとくを踏みにじってきた僕の罪。美しい思い出でした。

佐賀の町並みもクリスマスの景色を呈していた。自分は早めの正月休みを貰って長崎へと帰る途中、再び佐賀へ寄った。もちろん桃子さんと会うためだった。8月の時もそうだったようにただ桃子さんと会うためだけに佐賀へ寄った。

店内はいつものように薄暗く再びやって来た僕を桃子さんは訝しそうに見て、ただ見るだけでカウンターの中で護膚品個人化仕事をしているだけだった。しかし、ママに言われたのか僕のところへとやって来た。そしてウイスキーの水割りを作ってくれた。大きなコップにだった。それも40度のウイスキーをちょうど半分割っただけの濃いウイスキーだった。僕が大きなコップにつがれたウイスキーでもいつも最初一気に飲んでしまうことを知っていてわざとそうしているようだった。

『長野はやはり寒いです。自分は長崎に帰りたく思っています。寂しいです。自分はそして165万円するスーパーライザーという低出力レーザー装置に似たかなり高出力の光を出す機械を買いました。そしてそれで長崎で自分の家の応接間を治療室にして開業しようかと考えてもいます。買うときは長崎で開業する決意で買いました。しかしそれがあまりにも冒険すぎることを考え、今躊躇しています。このまま勤務医でいる方が無難だし、楽だし、開業するとものすごく厳しい日々が始まります。でも躇していていいのか、たくさんの難病で苦しんでいる人たちを救ってゆく使命が自分にあるのではないのか、と考え迷っています。長崎に帰りたいです。長崎で暮らしたいです。遠い長野での日々はやはり寂しいです』

『長崎は、僕らが育った長崎は、夕暮れの薄靄の中にはかなく消えて行くような気がします。そのような夕暮れを僕は今、送っています。寂しい夕暮れ。独りぼっちの夕暮れ。寂しく過ごした佐賀での1年半の日々を思い出してしまいます。長野は創価学会の人がとてもちやほやしてくれてとても居心地が良いです。始めてその長野の大きな病院に来た創価学会の医者として学会の人はとても良くしてくれます。悩みを持ったアルコール中毒か分裂病か解りませんが、夜、11時半頃、独りで住む僕のアパートを訪ねて来たりします。無碍改善膚質に断ることはできません。僕は創価学会に迷惑を懸けてはいけないと思い、日本共産党のところを訪ねて行くように言いました。今まで、かつてなのかもしれませんが、骨肉の争いをしていた日本共産党のところに相談に行け、と言いました。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 11:59 | コメントをどうぞ