日別アーカイブ: 2016年6月2日

で酒が飲めるう

四十代のご夫婦が手作りで仕上げられたと聞かされ、その器用さに感心させられる。全国の地酒や焼酎、季節野菜や魚介類を取り入れたメニューが準備されていた。ご夫妻の創作による夢舞台を満喫させてもらったことだ。瀬戸?京?伊万里の陶磁器??色を添えた皿小鉢に心憎い演出が為されている。父子は美酒に酔い美辦公椅味なる肴に目を細め、程を測ってご馳走様をした。ほろ酔い気分で店を出るとトップリ暮れた夜風が心地よく、記憶に留めておきたい春宵(春の酔い)であった。

酒に纏わる語録や物語は無数だが古くは中国から伝わっている「張果老」の白驢伝説は知られる。日本でいう「瓢箪から駒」がそれだが真夏に咲く白い五弁花の瓢箪は秀吉が馬印にも用いたように酒器や茶碗など器としての利用でも最古のものとされる。呑兵衛でもない私だが野郎(倅)に「養老の滝」の父子伝説を説きながら、もどかしい足取りで我が家に帰った夜であった。

「ゆずり葉」には「親子草」という別名があるが、資産も無ければ家宝も無い私に「ゆずり葉」の持ち合わせなど無い。残せるものを探すとすれば折々の想い出話くらいだろう???。だとするならば「父と子」で嗜む盃は大切な御宝に代わるものかも知れない??。倅よ、偶には瓢(ひさご)を手に飲め王賜豪ないオヤジの「悟り酒」にでも付き合うか???笑顔ちに???。通り過ぎた時間、過ぎ去って行く情景、取り戻せない青春の忘れ物???セピア色に変色した懐古を骨董品の様に残すべきか?と思う時がある。 私は大阪生まれの大阪育ち??昔の大阪ならいつも記憶の中にあるが、現在を聞かれゝばまるで盲目に等しい。『澪つく し』や『難波津』に遡ると歴史解説になってしまうが堂島川や 土佐堀川に囲まれた『船場、島之内』が大阪の中心とされた昔 が懐かしい。

嘗て『糸へんの街』と言われ繊維問屋が建ち並ぶ丼池(どぶ池)や文具、化粧品、袋物問屋が軒を連ねる博労町??船場界隈は 算盤片手に印半纏の番頭さんが店頭に立ち、道路は仕入れに訪れる商人たちで歩く隙間もないほど混雑していた。文紙関係の問屋回りをしていて類似する町名に時々戸惑ったことがある。 雑学に長け同珍王賜豪ていた父親に訊くと『長堀橋から心斎橋筋北詰め迄を、久太?久太?ふた久宝??博労?順慶?安堂?塩??と節を付ける様に記憶すれば覚え易い』と教えられた

カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 11:37 | コメントをどうぞ