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コナーズからフェデラーへ2

前回のマッケンローの続きになります。どうぞお読みください湯のみ

え~85年の全米でマッケンローを破りランキング1位になった
イワン・レンドルの話ですね。その以前はトップ選手でありなが
ら精神的に弱く「チキンハート」と言われていたのは有名です。

レンドルはすばらしいレシーブの技術があり、ストローク主体の
パサー(パッシングショットが上手い)と言われるまさにマッケ
ンローに真っ向から対向するスタイルのテニスをしていました。

しかしレンドルがその後のテニスに影響を及ぼす新しい流れを作っ
たとは言えないように思います。もちろんそれは影響を与えた人が
より優れているということではありません、結果的にそうなったと
いうことですのでボルグ、マッケンロー、レンドルファンの方々は
どうか怒らないでくださいませあせあせ (飛び散る汗)

この時期はいろんなタイプの選手がいた時代でした。ストロークマ
シーンのマッツ・ビランデルはタッキー二のウェアがよく似合い両
手打ちがカッコよかったぴかぴか (新しい)  またレンドルのJr.時代からのライバル
でフランスの英雄ヤニック・ノア、85年に衝撃的なウィンブルドン
優勝を飾ったボリス・ベッカー、何もかもが芸術的だったステファ
ン・エドバーグ、魅せるテニスで観客を沸かせたアンリ・ルコント、
金の長髪とジーパンのテニスウェアでコナーズを破り全米ベスト8
に進出して世界的な注目を浴びた当時18歳のアンドレ・アガシ…

個性的な選手も多くて楽しみがたくさんあったなと思います。

レンドルは85年から88年まで1位をキープし90年までは落ちて
も確か2位までだったと思います。これに対しビランデルがその王者
レンドルにどうやったら勝てるのかを示していきます。レンドルは全
体の傾向として速い球には速い球で返し、遅い球には遅く返す癖?が
ありました。
 
ここに目をつけてわざと遅目のボールでゆっくりレンドルに返させて
お互いゆっくりやるのかと思わせておいたところで急に攻めたりして
レンドルのペースを崩していく作戦でした。崩れるとレンドルの表情
には昔の「チキン…」の頃のレンドルが見え隠れしたようです。。

88年全米の決勝レンドル対ビランデル戦は試合途中までビランデルの
1stサーブの確率が100%という驚異的なものでした。この年ビランデ
ルはウィンブルドン以外の3つグランドスラムに勝ちランキング1位に
立ちます。負けることないんじゃないかと思わせたレンドルに対する
テニスをベッカーも今はチリッチのコーチ、ボブブレッドと共に完成
させレンドルに勝っていくようになります(これを書いた当時チリッ
チのコーチでしたテニス

この時期からベッカーはサーブでドカンドカン行くテニスからフォア
の逆クロスを軸に、いろんな種類・球種のショットを打ってネットも
こなし、かつビッグサーブも放つとても完成度の高いテニスをしてい
ました。この頃のベッカーのテニス、大好きです。特に88年のナビス
コマスターズ決勝や89年の全米決勝共に対レンドル戦はとても感動的
です。。

ちょっといろいろ思い出して熱くなってしまいましたがダッシュ (走り出すさま)
今日はここまでに…

次回はいよいよサンプラスの登場でするんるん (音符)

カテゴリー: 未分類 | 投稿者sugijiro 22:49 | コメントをどうぞ