ダブルスの行方は!?

おはようございます!貴男です。
1995年のデ杯フィリピン戦(マニラ)の続きです。初日を1-1で終えて、二日目のダブルスは、僕と岩渕さんのペアーから僕と松岡さんのペアーに変更されました。僕の予想ですが、2-0とリードしていたら変更がなかったと思いますが、当時のチームは松岡さん頼みのチームと言っても過言ではありませんでした。それは松岡さんが一番感じていたでしょうし、相手選手の状態とシェルコートということを考えた時に自分がダブルスに出場して勝って、最終日の自分のシングルスで勝利して日本チームが勝つ!というシナリオを描いていたと思います。
そこにアウェーという要素が加わわり、絶対に相手を乗らせてはいけないということも加味されているはずです。試合の方ですが、松岡さんがアドバンテージサイド(バックサイド)ということもあって、僕にとって最初で最後の松岡さんとのダブルスが始まりました。松岡さんの強力なサーブはもちろんのこと、リターン・ボレーが相手選手にプレッシャーを与え、最後まで僕に自信を与え続けてくれました。当時高校3年生という自分にとって初めてのデ杯で、興奮のあまりに何度もガッツポーズをし過ぎて途中で攣りかけたということは内緒にしておきましょう(笑)
シェルコートという遅くてバウンドの高いサーフェスでしたが、松岡さんとのコンビネーションも問題なくストレートで勝利を収めました。ダブルスに勝って2-1とリードした瞬間これでフィリピンに勝てると思ったのは僕だけではなかったと思います。けっしてチーム全体が浮かれていたわけではありませんが、最終日を戦う松岡さんと辻野さん、そして福井監督は、どのような心理状態だったかは本人達しか分からないところです。最終日の死闘は、次回に!!
それでは、また・・・・。貴男


カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 10:57 | コメントをどうぞ