サンプラスvsアガシ

おはようございます!貴男です。
今日の東京は、朝から雨が降っていて夕方頃には止む予報です。昨日のブログでクリスマスオープンの事をお伝えすると書きましたが、今日は違った話題を・・・・・。数日前にWOWOWで2002年の全米オープン決勝のサンプラスvsアガシの試合が再放送されていました。ちょうど見た時が第4セットの途中からだったのですが、結果を知っているとは言え、以前とは違ったことを感じました。スコアーや試合の流れといものは大きく変わることはありませんが、選手の表情から色々なことを感じたり、えっ!?こんなポイントのやり取りだったのかと細かい内容を忘れている場合があります。
サンプラスが最後にグランドスラムで優勝したのが2002年の全米オープンであり、アガシと決勝戦を戦うなんてちょっと劇的です。サンプラスとアガシとは、一度ずつ全豪オープンの時に練習をする機会があり、貴重な経験を得ました。その中でもサンプラスのサーブに関しては、最高級で特にセカンドサーブのスピード・回転量の調整によって、相手に重いボールと感じさせリターンにプレッシャーを与えます。その試合でも第4セットの第8ゲームでブレークポイントを握られた場面で、アガシにリターンミスをさせるセカンドサーブであったり、第9ゲームをブレークして、優勝に向かうサービスゲームでの組み立て方と気持ちの作り方は、本当に素晴らしいものがあります。
アガシに関しては、リターンとテンポの速いストロークというものが大きな武器ですが、サーブの連動性も素晴らしく、ストロークでの予測力は群を抜いていると思います。あまりにも予測が良すぎてラリー中に歩いているように見えることも多いですからね。この二人の対戦は、サーブvsリターン・ネットプレーvsパッシングショットという構図が多いので、僕としては駆け引きが面白く、他のどの対戦よりも好きです。皆さんのお気に入りの対戦は、どんな選手ですか!?
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 10:00 | コメントをどうぞ
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コレチャ戦を終えて

こんばんは!貴男です。
ここ一カ月ほどは、1週間が早いのか!?遅いのか!?よく分かりません。人によって様々ですが、平日の予定に加えて、週末だと休もうとかどこかに行こうなどと計画を立てると思いますし、日にちと曜日を照らし合わせて準備をするので、ちょっと変な感覚です。暖かくなってくると外に出たくなるし、どこかに行きたくなる気持ちが芽生えてくるので、その時に我慢ですね。また1週間頑張りましょう!!
さて前回までお届けした99年の全豪オープン1回戦のコレチャ(スペイン)戦の後ですが、グランドスラムということもあって、大きなインタビュールームで初めて英語の記者会見がありました。海外の記者の方には、シンプルな英語の言い回しでお願いし、全ての受け答えが終わった時は、心からホッとしたのを覚えています(笑)その後に日本語でのインタビューがありましたが、コレチャ相手に自分のプレーが通用したことが嬉しかったし、99年のシーズンが自分にとって良いものになる自信がありました。
しかし、今まで以上にツアーレベルの大会に多くチャレンジしたことや半インチ長いラケットを使用したことが影響したのか、怪我もあり思うようにランキングを上げることが出来ませんでした。その後の選手生活を考えると、もしコレチャ戦に勝利できた自分がいたら、ツアーレベルの試合をもっと経験できたと思うし、ランキングも上げれた可能性があったと思うと本当に残念です。次の試合については、一度だけ出場したことのある「イザワクリスマスオープン」の試合を予定しています。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 17:05 | コメントをどうぞ
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第4セットから

おはようございます!貴男です。
東京は、昨晩から雨が降り続き、朝方から強くなりました。せっかくの週末と言いたいところですが、今は全国に緊急事態宣言が出ていますので、可能な限り家で過ごすことですね。さて昨日に引き続き全豪オープン1回戦のコレチャ戦をお伝えします。第1セットを落としたものの第2・第3セットを連取し、運命の第4セットです。
世界2位のコレチャ(スペイン)を相手に3セットを戦った時点で体力的な部分では問題ないものの、けっして余裕はありません。ブレークするチャンスが来るまでは我慢強くサービスキープを続け、ワンチャンスに絞るかタイブレークで勝負と考えていました。試合中は、サーブの調子が良かったし、コレチャが片手バックハンドということもあり、セカンドサーブでのスピン系のサーブが上手く機能していました。4-4までサービスキープが続きましたが、第9ゲームでコレチャのサーブをブレークし5-4とリードしました。
自分としては、あまりにも上手く行き過ぎた感じがあり、気持ちを整える時間が足りず、コートに向かうとサーブの前に大きな拍手と歓声が沸き上がりました。こればかりは予想していなかったので、いつも通りに入ろうと思っていた自分には、急に強い緊張感が襲ってきた瞬間でした。15-15までいったものの、3ポイント目でコレチャのフレームショットのリターンがサーブ&ボレーをした僕の頭上を越えてベースライン際に入り、ポイントを取られます。
15-30から2ポイント連取され、ここまで第1セットに1度しかブレークを許していなかったサービスゲームをこの大事な場面でブレークされてしまったことで、ファイナルセットを優位な状態でプレーするのが難しいと判断しました。何としてもタイブレークで決着を付けるために逃げ切りたい気持ちが強く序盤で3-0とリードするものの、コレチャのしぶといプレーに押され出し最終的に5-7でタイブレークを取られます。
ファイナルセットは、体力的な余裕がなくなったことで動きのスピードが落ち、ネットプレーを効果的に出せなくなります。コレチャの経験が生きた試合とも言えますが、こっちからすると自分を信じる力が足りなかったと言えます。最終的には、3-6・6-4・6-3・6-7(5)・2-6で敗退し、グランドスラムでの大金星と100位を切るチャンスを逃した瞬間でした。この試合後の感想については、また明日以降に!!
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:31 | コメントをどうぞ
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コレチャ戦がスタート

こんにちは!貴男です。
昨日は、前年から全豪オープンのコレチャ戦までの経緯をお伝えしましたが、今日は、会場入りしてから試合序盤までいければいいな~と思っています。99年の本戦ワイルドカードが決まるまでは、何度かグランドスラムの予選を戦っていたので、前哨戦を戦ってから試合まで約1週間ほどという期間が取れたのは初めての経験でした。デ杯で5セットマッチの経験はありますが、グランドスラムの本戦が初めてということもあって、コーチのクラウディオの経験が生かされたのを覚えています。
特に練習では、コーチと繋がりのあるトップ選手達と練習する機会でクーリエと練習できたことが一番印象に残っています。本戦の数日前にドローが出て、自分の名前が第2シードのコレチャの前にあった時は、初めてのグランドスラムで凄いところを引いたなと感じましたし、オーダーが出て月曜日のセンターコートのオープニングマッチになった時も驚きました。この時のコレチャは世界ランキング2位で、前年のATPファイナルの決勝戦でカルロス・モヤを破り優勝を果たし、クレーコートはもちろんのことハードコートでも強さを発揮するほどの実力者でした。
グランドスラムの本戦だからと言って試合前に特別なことをした覚えはありません。いつも通り朝のアップを済ませセンターコートの雰囲気を感じ、コーチのクラウディオとコレチャのプレースタイルなどについて話をして試合に入りました。第1セットは、相手のボールの強さやコントロール力に押された部分があり3-6で落としたことで第2セット以降は、自分のペースに引き込むようにしました。サービスゲームでは、サーブ&ボレーを徹底し、ネットプレーの頻度を多くすること・相手のセカンドサーブに対してチップ&チャージを増やす・ストローク戦になってもアプローチショットを躊躇せず打っていくことでコレチャのペースにさせないようにしました。
徐々にセンターコートの観客も埋まり始めて、世界2位の選手を相手にネットプレーで勝負する自分の応援が多くなるのを感じました。会場の雰囲気が変わることで気分的に乗ることが出来た僕は、調子そのものが良くなり第2セットを6-4で取り返し、第3セットも6-3で取りセットカウント2-1とリードしました。ここからが5セットマッチの難しさなので、明日以降をお楽しみに!!
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:51 | コメントをどうぞ
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コレチャ戦までの経緯

こんにちは!貴男です。
今日からの試合解説ですが、99年の全豪オープン1回戦のコレチャ(スペイン)の試合をお伝えします。ただ試合の様子のみを書くよりも、それまでの経緯があった方がいいと思いますので、最後までお付き合いください。この大会は、僕が初めてグランドスラムの本戦に出場した大会であり、99年の大会時のランキングは、120位前後だったと思います。
ストレートインではなく、アジア枠を使ったワイルドカードでの出場で、ワイルドカードの資格としては、ランキングが200位以内で本戦ストレートインに同じ国の選手が出場していない中で一番ランキングが高い選手に与えられました。その後は、同じルールでワイルドカードが何度か決定されていましたが、ここ数年は、ワイルドカード選手権という大会で優勝した選手に与えられる形に変化していきました。
98年の夏のカナダ・アメリカのチャレンジャー大会で多くのポイントを獲得し、10月のストックホルムオープンでトーマス・エンクイスト(スウェーデン)とケネス・カールセン(デンマーク)に勝ち、ベスト8に入ったことでランキングを一気に上げることが出来ました。オフシーズンには、イタリアのローマで練習とトレーニングを約1か月ほど行い、半インチロングのラケットを試打して感触が良かったので、そのまま前哨戦と全豪オープンで使いました。
この時は、調子が良く自信を持ってプレー出来ていたので何も感じていませんでしたが、全豪オープンが終わり数か月経過した頃に通常のラケットに戻しました。99年は、それまでよりもツアーレベルの大会に出場する機会が増えたことで勝ち星が減ったのもありますが、第1セットを取ってからの逆転負けが急に増え出したのです。試合途中からボレーとバックハンドスライスの細かい操作に支障が出て、ラケットが長くなった分だけ試合の後半になり疲れてくると操作性に乱れが出ていたのです。
それ以来、ラケットを変えたり何か道具を変える時には、サーブ・ボレー・スライスがプレーの中心なので、調子が悪くてもそこのブレが少なく済む道具を選ぶようにしています。調子が良い時は、どんな道具を使ってもかなりの確率で上手くいきますからね。余談が長くなってしまいましたが、このような経緯があってのコレチャ戦なので、明日以降もお付き合いください。
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 12:01 | コメントをどうぞ
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95年・全日本室内

おはようございます!貴男です。
今日は、95年の全日本室内選手権の模様をお伝えします。97年から京都に移動し、男子が国際大会(チャレンジャー)になり、今は、逆で女子が国際大会となり男子が国内大会で開催している経緯があります。当時は、東京体育館で開催されていて、ダブルスは、岩渕さんと組んで出場しました。僕は、その年の4月からプロに転向したので、大会期間中は、まだ高校3年生という括りでの出場でした。
大会前にデ杯のフィリピン戦のアウェーを経験し、チームとして負けはしたものの良いキッカケを得れた感触があり、これからプロの世界で挑戦するんだという積極的な気持ちで試合に臨めました。サーフェスの部分では、緑色のサプリームコートでバウンドが低くて速いので、自分のプレースタイルが生かせると思っていましたし、サーブとネットプレーの調子が良かったです。2回戦で前年度チャンピオンで第2シードの森さんに勝利し、決勝では、当時亜細亜大学に在学していた宮地さんに勝利して優勝しました。
一般の大会での優勝は初めてでしたし、ダブルスも優勝し二冠を達成して、プロに転向する前の大きな弾みになったことは間違いありません。何と言ってもこの大会で勝てた一番の要因は、やはりデ杯のフィリピン戦です。それまでは、デ杯合宿でプロの先輩方と一緒に練習する機会だったり、サテライトサーキットや全日本・関東オープンなどで対戦することはあったものの、デ杯という場所を経験できたことが自分にとって、大きくて新しいモチベーションになりました。
しかもアウェー戦という特殊な場面を経験できたことで、自分に合ったサーフェスであったり、環境だと力を発揮しやすく戦いやすいということを感じれました。これが後の有明のセンターコートであったり、デ杯などでのパフォーマンスに繋がったのかもしれません。明日以降は、99年の全豪オープン1Rのアレックス・コレチャ(スペイン)戦をお伝えします。
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 09:03 | コメントをどうぞ
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93年・全米オープンジュニア

おはようございます!貴男です。
昨日の雨が夜中には止んで、朝から快晴の東京です。ちょっと風が強くて肌寒い感じがしますが、今日も元気にやれる範囲内のことを頑張ります。さて皆さんからのメッセージを頂き、93年の全米オープンジュニアに岩渕さんと組んでダブルスを戦った時のことがありましたので、お伝えします。
当時の二人は、僕(高校2年生)が堀越高校で岩渕さん(高校3年生)が柳川高校に在籍していたので、ダブルスを組む場合は、海外遠征に一緒に行った時や全日本選手権などの一般の大会に出る時のみでした。お互いにシングルスも出ていましたが、やはりダブルスの方が海外の選手達を相手にした場合は勝つ確率が高く、お互いの長所を生かせるペアリングだなと感じていました。
結果は準決勝で負けてベスト4だったのですが、マルセロ・リオス(チリ)とベネズエラの選手が組んだペアーに勝つことも出来ましたし、その後の日本で行われたグレードAのスーパージュニアでは優勝することが出来ました。当時のリオスと言えば、ATPランキングが高くジュニアランキングがサバウ(ルーマニア)とトップ2で、既に一般の大会でも結果を出す超有望選手でした。ただ気分が乗らないと試合態度が悪くなる所があり、僕らとのダブルスが終わってから、パートナーの選手が「今日の試合態度は申し訳ない!悪い奴ではないから気にしないでくれ」というフォローまでありました(笑)
準決勝の試合では、6-4・5-4とリードし僕のサービスゲームだったのですが、キープ出来ずに逆転負けを喫し、もし勝っていたら・・・・と思うと本当に残念です。その準決勝の相手の一人がアンダーソン(南アフリカ)とチョン・ヒョン(韓国)のコーチもしていたネビル・ゴッドウィン(南アフリカ・ウィンブルドン4回戦)でした。ジュニアの時に強くて、そのまま一般でもランキングが上がる選手もいれば、ジュニアの時に結果が出ていなくても一般で活躍するなど、その選手によって成長は様々です。同世代も含めて、多くの選手(ライバル)に刺激されたからこその選手生活だったことは間違いありません。95年の全日本室内選手権については、明日書かせてもらいます。
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:15 | コメントをどうぞ
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東京は、雨

こんにちは!貴男です。
昨日の夕方から雨が降り続いている東京です。既にかなり落ちてしまいましたが、この雨でほとんどの桜の花びらが散ってしまいそうです。今年は、例年のように桜の花見を楽しむことが出来なかったので、ぜひ来年こそは実現させましょう。そのためにも今は、とにかくコロナウイルスを増やさない、そしておもいきりテニスが出来る日まで我慢ですね。さて、これまでの試合の様子についてですが、もう数日ほど皆さんからの意見をお待ちします。1997年のデ杯・ウズベキスタン戦は、色々とドラマがありますので、まだ出さずに温めておきます。
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:46 | コメントをどうぞ
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どうぞホームページに!!

こんにちは!貴男です。
ファンの方からのメッセージありがとうございます。今は、ほぼ自宅にいる生活を続けているので、皆さんからの質問にブログで答えることが出来ますし、要望があれば記憶に残る試合の状況を僕からの視点で書くことができます。今後は、1997年のウズベキスタン戦(タシュケント)と2002年の韓国戦(グンサン)のデ杯の模様を書こうと思っています。なぜアウェーでの戦いを書くかと言いますとホームで戦ったデ杯よりもアウェーの方が色々な難しさというものを感じてもらえると思っているからです。もちろん試合はデ杯だけではなく、ツアーの大会でもいいですし、国内の大会でも覚えている限りは大丈夫です。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 12:29 | コメントをどうぞ
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韓国戦・最終試合

こんにちは!貴男です。
今日は、デ杯・韓国戦の最終試合の模様をお伝えします。最終日の第1試合で韓国のYoonが松岡さんに6-2・6-4・6-3と勝利したことで2勝2敗となり、僕とLeeの対戦にチームの勝利がかかりました。もちろん僕にとって初めての経験であり、お互いに3日間のフル参戦という条件での戦いです。僕としては、初日の経験で最初から飛ばし過ぎるときつくなるということもありましたが、手を緩めて勝てる相手ではないということもあって体力的な不安を抱えての戦いだったことを覚えています。
こちらはサーブを軸にネットプレーをメインに戦い、Leeは、安定したサーブに加え、応戦するためのストローク・リターン・パスという形です。第1セットを6-3で取りましたが、第2セットは4-6で落とします。体力的な勝負にさせたくないのもあり第3セットを6-1で取りますが、まったくリードしているという余裕はありません。
厳しいジャッジもあったし、まだ左足を動かすサーブのフォームではなかったけど、なぜかフットフォルトを取られたりもしました。これがデ杯でありアウェーなんだから、これを跳ね返す力がないと勝てないとも思っていましたが、第4セット以降からLeeの粘り強いテニスとメンタルに押され始めます。最終局面だからこそ自分のスタイルでもあるサーブ・アプローチ・ボレーで追い込みますが、相手の片手バックハンドのストレートに何度も跳ね返されます。
第4セットを4-6で落とし、ファイナルセットも4-6と取られてセットカウント2-3で僕が負けて、日本チームも2-3で敗退でした。試合が終わった瞬間の韓国チームの喜びや会場の歓声は何となくしか覚えていません。特に最終試合は、キープやブレークなどのゲーム展開を覚えていないほど、浮足立っているというか相手とアウェーにほぼ飲み込まれていたと思います。
この敗退によって下のグループに落ちないためのプレーオフ・ウズベキスタン戦をアウェーで戦うことになり、この韓国戦が松岡さんにとって最後のデ杯となりました。この97年の韓国戦から監督が神和住さんに変わって、次のウズベキスタン戦から本村さんと金子さんが加わり、新たな時代に入る瞬間だったと思います。デ杯は、勝っても負けてもツアーとは違った時間とエネルギーを使うので体調を崩したり、その後のツアーに影響が出ることもありました。しかし何かキッカケを掴んだり、他では経験できない凄いプレッシャーを感じることが出来ます。メンバーに選ばれても試合に出れないこともあれば、自分が勝ってもチームが負けたり、自分が勝てなくてもチームが勝つなど貴重な経験を積めるので僕は大好きでした。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 12:43 | コメントをどうぞ
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