1997年韓国戦・最終日

おはようございます!貴男です。
4月になり気温の上昇と共に東京はもちろんのこと他の地域でもコロナウイルスの感染者数が増えています。緊急事態宣言が出た地域では、テニスクラブやスクールが5月6日まで閉鎖になっている所も多く、今は、テニスよりも感染者数を増やさないことが最優先ですね。
さてデ杯・韓国戦の最終日の模様をお伝えします。初日のシングルス4セットとダブルスの5セットによって、最終日の朝は、相当な筋肉痛と疲労度でした。初日が1-1となりダブルスを勝利して日本チームが王手をかけているとは言え、最後まで何が起こるか分からないのは、95年のフィリピン戦で思い知らされています。そんな中で始まった最終日の第1試合は松岡さんとYoonの戦いで、第2試合に出る予定の自分は控え室で音楽を聴いて待っていました。
勝っても負けても自分が戦うことをイメージして歓声で分からないように大きな音量で聞いていましたが、本心は、松岡さんが勝ってチームが勝つことを願っていました。もし松岡さんが負けて、自分が戦うとなると2-2という勝負のかかったシングルスになるわけだし、そこにはアウェーということに加えてLeeという「しぶといしぶとい」選手が待ち受けているからです。
マッサージベットの上で松岡さんとYoonが戦っているイメージをしながら、自分の試合のイメージもするという何とも言えない時間です。たまにスタッフが入ってきますが、寝ているふりをして何も話さず、とにかく終わるのを待ちました。正直言って音楽を聴いていたのもありますが、ほとんど歓声が聞こえなかったので、松岡さんが何事もなく試合を優位に進めてホームの韓国応援団が静まり返っていると思っていました。
すると2時間も経っていない頃に控え室のドアが開いて、松岡さんが戻ってきました。これは覚えている範囲ですが、僕に「ごめん・・・・」というような一言を発して入ってきたと記憶しています。その瞬間にYoonに負けたんだと初めて認識し、それから15分ほどで最後のシングルスを戦うという準備を始めました。今日で最後まで書こうと思っていましたが、書いているうちに長くなったので、最終戦の模様は、次回に!!
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:20 | コメントをどうぞ
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お知らせ・韓国戦ダブルス

おはようございます!貴男です。
4月25日と26日に予定されていたカラバッシュテニスクラブとテニスアベニューでのイベントですが、コロナウイルスの影響によって緊急事態宣言が出たこともあり、延期とさせて頂くことになりました。参加することが決まっていた方々には申し訳ありませんが、現状を考えると感染を広めてしまう可能性がないとは言い切れないので、ご理解をお願いいたします。
さて1997年のデ杯・韓国戦の2日目のダブルスですが、当初は、岩渕さんとトーマス嶋田さんのペアーで戦うオーダーでしたが、朝のアップで体の状態が問題なければ変更して僕と岩渕さんでいく準備をしていました。前日のシングルスで消耗し、筋肉痛がかなり残る中でのアップであり、岩渕さんとのペアリングが一番慣れているということもありますが、大きな決断だったと思います。
それを信頼してくれた監督やチームスタッフ、出場する準備もしていた中で変更を余儀なくされたトーマス嶋田さんの気持ちに答えるためにも勝たなければいけません。試合中ずっと大きな声を出して応援してくれていたのが彼であり、彼の渾身的なサポートがあっての韓国戦でした。韓国チームもシングルスを戦ったYoonとLeeとのペアーに変更してきて、僕と岩渕さんのペアーとは何度も対戦してきました。以前に日本国内で行われていたサテライトサーキット(4週間の中で4大会を開催し、ATPポイントが獲得できる・現在のフューチャーズ)では、4大会の決勝戦で対戦し、2勝2敗という対戦成績でした。
第1セットを6-3で取り、第2セットを6-4で取って2セットアップとリードします。お互いの手の内が十分に分かっているので、特別な戦術というよりも堅実に確実にファーストサーブ・ファーストボレーの重要性と派手なプレーをしないということを徹底しました。というのも前年のデ杯オーストラリア戦で対戦したウッドブリッジ・ウッドフォードという素晴らしいダブルスペアーから僕らが学んだスタイルです。
第3セットに入ると韓国ペアーが巻き返し、3-6・4-6と第4セットも取られてしまいます。会場の応援も大きくなり、アウェーの中でどうファイナルセットを戦うのか!?僕は翌日のシングルスのことなど考えずにダブルスの勝利のために岩渕さんと全力を尽くしました。唯一記憶に残っているのは、両チームのサービスキープが続きセットの後半で自分のサービスゲームで0-40だったということで、そこを何とか挽回しサービスキープをして、最終的にファイナル8-6というスコアーでダブルスに勝ちました。
試合が終わってチーム全員と抱き合って喜んでいると自然に涙が出てきたし、僕の他にも泣いている人もいました。接戦のダブルスに勝ったとは言え、まだ韓国に勝ったわけではありませんが、2-1とリードして最終日を迎えられるのは最高の形です。初日の松岡さんのプレーを見ていたチームは、きっと勝利してくれると信じて2日目を終えました。次回は、最終日の模様をお伝えしたいと思います。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:25 | コメントをどうぞ
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1997年の韓国戦初日

おはようございます!貴男です。
昨晩に緊急事態宣言が5月6日まで東京・神奈川・埼玉・千葉・大阪・兵庫・福岡に出ました。その他の地域でも気を付けなければいけないことは確かですが、これによって今まで以上にテニスをする機会が減ってしまったことは仕方のないことです。何とかここを乗り切って、元気にコートでプレー出来る日が必ず来るので我慢強く待ちましょう!
さて昨日に引き続き、1997年・2月のデ杯・韓国戦を書かせて頂きます。ドロー抽選の結果で初日の第1試合に鈴木vsYoonとなり、第2試合に松岡vsLeeとなりました。使用したボールは韓国特有のNassauとうい種類でしたが、何とか慣れることが出来たし、サーフェスの速さは自分のプレースタイルが上手く生かせると感じていました。第1試合のスコアーを先に書きますが、僕から6-1・5-7・3-6・1-6でした。第2セットを取れなかったことで完全に失速してしまい、第3セット途中から痙攣とまではいかないまでも足が動かなかったです。
韓国の選手は、とにかく体力に自信があると聞いていましたし、メンタル的な部分でもしぶとく我慢強いと感じました。特にデ杯のような5セットマッチになると、彼らの強さが発揮されるというイメージが今も脳裏に焼き付いています。第2試合に行われた松岡さんの試合は、相手のLeeがおもいきりぶつかってきたという印象が全てのポイントに表れている内容でした。
実際にスコアーが松岡さんから7-6・6-3・7-6というストレート勝利でしたが、この速いサーフェスで松岡さん相手に緊迫した試合が出来たLeeの能力は、その後の活躍(2007年8月にATP36位を記録)を見ると不思議ではないと思います。そんな中でも松岡さんのサーブ力には驚かされました。Leeに的を絞らせないサーブの組み立てとコントロールがずば抜けていたので、リターン力とストローク力が武器の相手でさえもブレークすることができませんでした。こうして初日が1-1となっての2日目のダブルスは、どんな展開になるのか!?
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:12 | コメントをどうぞ
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zoom・韓国戦

おはようございます!貴男です。
ニュースを見る限りでは、今日にも緊急事態宣言が東京を含めたいくつかの地域に出るようです。そうなると今まで以上に外出を控えることになりますので、やれる範囲内のことで日々を過ごしていくだけですね。そのようなこともあり昨日に続き、今夜も「zoom」を使ってのテニス談義と称して、公開ミーティングを行う予定です。詳細につきましては、後ほどホームページに載せておきます。
さて前回のフィリピン戦に続き、過去に自分が出場したデ杯の中から1997年・2月の韓国戦の模様を書かせてもらいます。プロになってから約2年が経とうとしていた頃に韓国のソウルで行われたデ杯になりますが、インドア施設にサプリームコートという球足の速いサーフェスになりました。当時は、このサプリームという種類のコートの経験もあったので、僕らにとってはけっして悪い状況ではありませんでした。チームには、松岡さん・岩渕さん・トーマス嶋田さんと僕の4人で、監督が福井さんから神和住さんに変わっての初陣でした。
1995年のフィリピン戦後の4月にプロに転向し、ヨーロッパやアメリカなどへの遠征を経験し、ランキングも上がってのことでしたので、それまでのデ杯よりは自信がありました。韓国チームには、YoonさんとLeeさんという2枚看板がいて、二人でシングルスとダブルスを戦うことが予想されていました。特に二人は、ランキング以上の実力を持っていることは分かっていましたし、韓国で戦うことを考えると応援はもちろんジャッジなどにも気を付けなければいけないとチーム内で話していました。現地に入り、調整を進め神和住監督が決めたオーダーは、松岡さんと僕でシングルスを戦い、ダブルスに岩渕さんとトーマス嶋田さんで戦う布陣になりました。果たしてどんな戦いになるのかお楽しみに!!
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 08:57 | コメントをどうぞ
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4月6日

おはようございます!貴男です。
デ杯・フィリピン戦の感想をFacebookや応援メッセージなどでの感想ありがとうございます。当時からかなり時間が経っているので、記憶が曖昧なこともありますが、皆さんが楽しんで頂けるのであれば、思い出しながら書きたいと思います。あくまでも僕個人の思いや見解なので、そこはご理解ください。
さて今日の12時頃から関口周一選手と公開ミーティングを行います。Zoomというアプリを使ってのいわゆるテレビ電話(会議)です。僕と関口選手がテニスを中心に会話をしているので、参加者の方々に聞いて頂くという形です。もし何か要望があればチャットで書いて頂ければ、いくつかはお答えできると思います。12時から約1時間ほどを予定していますので、もしお時間のある方は、ぜひお聞きください。アクセスするための詳細は、ホームページをご覧ください。たぶん最大で100人までになるかと思います。
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 09:59 | コメントをどうぞ
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デ杯

おはようございます!貴男です。
1995年の2月に行われたデ杯・フィリピン戦の最終話です。初めてのデ杯は、正直言ってとても辛い経験をしましたが、一番の思い出と言っても過言ではないと思います。監督・コーチはもちろんのことチームスタッフと多くの応援によって救われた僕のデ杯は、20年以上のツアー生活の中でも中心的な存在でした。
特にこのフィリピン戦は、これこそがデ杯でありアウェーという状況をまざまざと見せ付けられた感じさせられた対戦でした。だからこそ自分にとって大きな価値があったし、ここ数年のデ杯とは違った面白さがあったと言い切れます。5セットマッチが3セットマッチになり、3日間が2日間になり、デ杯ファイナルズという新たな形が取り入れられたことにより、以前と同じものが二度とないと思うと寂しさがありますが、その時代にあった形に変化していくこともけっして悪いことではないと思っています。
なぜならその変化によって日本の選手達のランキングが上がり、今まで経験することが難しかったワールドグループでの戦いが主戦場となってきているからです。ATPツアーで優勝したり、グランドスラムとツアーレベルで活躍する日本人選手が増えたことは、本当に素晴らしいことです。僕は、デ杯というものでツアーとは違った貴重な経験を沢山させてもらったので、その経験と思いを今とこれからの選手とテニスファンに伝えていきたいと思います。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 08:59 | コメントをどうぞ
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フィリピン戦・最終日

おはようございます!貴男です。
今日は、1995年のデ杯フィリピン戦の最終日をお届けいたします。初日のシングルスが1-1となり、2日目のダブルスを勝利し日本が王手をかけました。最終日のシングルスは、第1試合がナンバー1同士で最大の見せ場です。松岡さんのランキングと実力を考えれば勝利して当然かもしれませんが、初日で快勝しホームの大声援を背に戦ってくる相手選手は絶対に侮れません。そこにシェルコートという難しさが加わり、松岡さんへのプレッシャーが大きくなったことは否めないでしょう。
試合の方は、第1セットを日本が取り、コートサイドで応援していた僕らからは何も問題なく試合を支配しているように見えました。もし第2セットを日本が取っていれば、かなりの確率で勝利できたと思いますが、そこは相手のリザルド(フィリピン)としても絶対に落とせないのが分かっていたのでしょう、相当なエネルギーを注ぎ込んで奪いにきました。
第3セットの序盤で日本がリードしたことで、フィリピン陣営が戦い方を変え、第3セットの全ての時間をエネルギー回復に充ててきたのです。無理にポイントやゲームを取りにこないで相手が疲れるようにプレーし、ゲーム間の休憩では、バナナを食べたり水分をしっかり取って第4セット以降に懸けてきたのです。第3セットを6-0で取った日本ですが、第4セットの序盤から中盤にかけて松岡さんを足の痙攣が襲います。ここからエネルギー補給をしたり、トレーナーの治療を受けながらプレーはしたものの、ラリーを必要とするシェルコートでの痙攣は最悪です。
第4セットをフィリピンが取り、ファイナルセットが始まる頃には立っているのがやっとの状態となり、福井監督が松岡さんの元に駆け寄りゲームを止めました。エースの松岡さんが負けたというショックは日本チーム全体に広がり、フィリピンチームは、これでいけるという自信を選手だけではなく、会場全体が表していました。この状況下で淡々とプレーしてフィリピンの勢いを止めることができた選手は、あの時の日本人選手にはいなかったと僕は思います。それくらい後にも先にも経験したことのない異常な状況で辻野さんは、コートに立ちました。
相手のアンジェロ(フィリピン)は、守っても攻めても隙がなく、シェルコートを知り尽くしたように最高のプレーを一番大事な場面で見せました。最終試合の結果は、ストレートでフィリピンが勝利し、僕の初めてのデ杯は、ダブルスで勝利したもののチームが2-3で負けるという経験でした。このフィリピン戦の総括と僕がデ杯に対する思いは、次回に!!
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 10:51 | コメントをどうぞ
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ダブルスの行方は!?

おはようございます!貴男です。
1995年のデ杯フィリピン戦(マニラ)の続きです。初日を1-1で終えて、二日目のダブルスは、僕と岩渕さんのペアーから僕と松岡さんのペアーに変更されました。僕の予想ですが、2-0とリードしていたら変更がなかったと思いますが、当時のチームは松岡さん頼みのチームと言っても過言ではありませんでした。それは松岡さんが一番感じていたでしょうし、相手選手の状態とシェルコートということを考えた時に自分がダブルスに出場して勝って、最終日の自分のシングルスで勝利して日本チームが勝つ!というシナリオを描いていたと思います。
そこにアウェーという要素が加わわり、絶対に相手を乗らせてはいけないということも加味されているはずです。試合の方ですが、松岡さんがアドバンテージサイド(バックサイド)ということもあって、僕にとって最初で最後の松岡さんとのダブルスが始まりました。松岡さんの強力なサーブはもちろんのこと、リターン・ボレーが相手選手にプレッシャーを与え、最後まで僕に自信を与え続けてくれました。当時高校3年生という自分にとって初めてのデ杯で、興奮のあまりに何度もガッツポーズをし過ぎて途中で攣りかけたということは内緒にしておきましょう(笑)
シェルコートという遅くてバウンドの高いサーフェスでしたが、松岡さんとのコンビネーションも問題なくストレートで勝利を収めました。ダブルスに勝って2-1とリードした瞬間これでフィリピンに勝てると思ったのは僕だけではなかったと思います。けっしてチーム全体が浮かれていたわけではありませんが、最終日を戦う松岡さんと辻野さん、そして福井監督は、どのような心理状態だったかは本人達しか分からないところです。最終日の死闘は、次回に!!
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 10:57 | コメントをどうぞ
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福井監督から

おはようございます!貴男です。
現在のアメリカとヨーロッパの状況を見ると予想通りというべきなのか、全仏オープン後のウィンブルドンを含めたグラスコートシーズンが全てキャンセルになりました。それはATP・WTA・ITFの全てのカテゴリーの大会です。まずは感染を少しでも食い止めることであり、一日も早く終息に向かうことを願います。
さて昨日のデ杯フィリピン戦の続きですが、初日の試合を迎える前に現地での練習前の出来事をお伝えします。僕と岩渕さんが午前の練習時間に向けてストレッチをしたり準備をしていたところ、練習の開始時間よりも少し前にコートが空いたので松岡さんと辻野さんが先に打ち始めました。その光景を見ながら準備をしていると福井監督から僕と岩渕さんが呼ばれて「二人よりも先に準備して打ち始めないと二人に追いつけるわけがない!!」というお叱りを受けました。どこかで僕は二人に任せていた部分があったし、ジュニア感覚が抜けていなかったのでしょう。
この福井監督からの言葉があったからこそ、テニスへの取り組みが変わり、翌日から会場に行って松岡さんと辻野さんが練習を開始するよりも早くコートに立てるように、いつもよりも早く起きて朝食前に部屋でストレッチとラケットの準備を終わらせるようにしました。当時のナショナルセンターだった久我山スポーツセンターでの練習でも松岡さんに関しては、練習時間のかなり前から準備していて、コートさえ空いていれば自分の時間で動く方です。こちらが準備を済ませていないと失礼ですし、練習前のアップを含めた準備の重要さは松岡さんから学んだことです。
そして迎えたフィリピン戦の初日ですが、第1試合で松岡さんが勝利し、辻野さんが負けて1勝1敗となりました。辻野さんに勝ったフィリピンの選手は完璧なプレーでしたし、翌日のダブルスのために岩渕さんと離れたコートで練習をしていましたが、会場の声援がお祭り状態でした。ランキングだけでは分からないのがデ杯であり、日本チームに松岡さんがいるからと言って優位ではないということを感じた初日でした。続きは次回に!!
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:34 | コメントをどうぞ
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初めてのデ杯

おはようございます!貴男です。
今日の東京は、朝から雨が降り続いているのもあり、ずっと家で過ごそうと思います。さてブログやメッセージで何を書こうかと日々考えていましたが、こういう機会だからこそ昔話をさせて頂きます。初めてデ杯に選ばれた1995年のフィリピン戦(アウェー・マニラ)です。当時の監督は福井さんでチームには、松岡さん・辻野さん・岩渕さんと僕の4人でした。対戦するフィリピンは、ハードコートではなくインドアのシェルクレー(土ではなく貝殻を砕いたもの)と言われる遅いサーフェスを選択してきました。
もちろん僕は初めてプレーするサーフェスですし、デ杯選手として経験することが全て新鮮でした。現地に着いて練習を始めると2月ですが、マニラ特有の暑さもあってかボールの弾み方が凄かったのを覚えています。特に松岡さんのトップスピンの効いたストロークは弾みましたし、練習すればするほどフィリピンの選手がランキングの差を埋めるために用意された会場とサーフェスだと感じました。そしてドローが決まり、松岡さんと辻野さんがシングルスを戦い、僕と岩渕さんでダブルスを戦うというオーダーになりました。この続きは、次回に!!
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 12:41 | コメントをどうぞ
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