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休んだり書いたり

なので、まったく気が抜けて、やる気がない時や、友人に長い長いメールを送った後や、
時間がない忙しない余裕のない時にでも、なぜか、無理澳洲旅遊やり投稿している。
一種の変わり者か?

通常、ばりばりに気力をたたえ、気の緩みのない、どこに出しても恥ずかしくない力作をお届けするのが好ましいかと、考える。
が、自分のブログは、素人ブログであるし、家賃も月216円しか払っていないので、
(わずかとはいうものの、一応、有料です)
お客さんの入りや、収支状態も気にせず、道楽・殿様商売に徹することができる。
ああ、幸せ。わたしは、ブログが、大好きなのだ。

とは言え、去年下半期あたりから、しばらく、休んだり書いたり、詰まったり開通したり、の不定期状態が続いていた。
安モノの機械(わたしのアタマ)でも、多少、故障したり、感情がA股ETFあったりするようだ。

自分にとって、損得がないので、他人にとっても損得がない(だろう)。
そう思うと、なんだか肩の力がすっと抜け、同時にアタマの中身も急に薄く軽くなってきたように思う。

最近、自覚のある認知症状が多すぎて、今では、通常モードの基準を、認知モード基準にスライドしている。
基準を甘くしている。
すると、けっこう、健全な毎日を過ごせる。
あら、不思議。
どっちが健全なんだか。

(おふざけ認知表現は、深刻な認知症の方や、ご家族にとっては、禁句ですね)

次第次第に自分も、暗闇の世界に突入か・・・などと書いたとしても、
これまた、書いた本人もやたら暗いし、読む人も、まったく出口忠於自己のない重々しさを共有させられることになるし、
やめます。今日のところは。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:23 | コメントをどうぞ

表裏一体である

自分のブログに関するアクセス解析を見ると、閲覧元URLが表示される。
どのキーワードから飛んできたか、よくわかって面白い。

その中で、昨日は、「家政学部  嫁」というキーワードがあった。
自分の記事が、検索で引っかかって、蝶ブログに飛んできたようだ。
3年ぐらい前の古い記事。

で、その、自分の記事を改めて読んでみた。

まあ、好きなことを書いている。
自分のことを棚にあげて、よくまあ、しゃあしゃあと。
上から目線の権化である。(自覚してますが)

こうだったらいいな→できもしない理想。
これはあかんわ→理想どおりにいかないのは、內在潛能わかりきっていることなのに。
こういうことを、評論家ではなく、批評家のごとく、書き連ねている。
こんなことを書いている人は、いったい、どれだけ自分が出来るんだ???

世の中の「一生懸命、頑張っても上手くいっていない人」
「頑張って上手くいっているつもりの人」をオモシロいほど、コケにしている。
たぶん、要領の悪い、評価の低い自分へのエールなんだろう。自虐ベース。
(後に、この要領の悪さは、いつの間にか、べつのものに転じていた)
自分ではわかっていて、書いているのだが、読む人にとっては、グサグサ突き刺さるだろう。
わたしは、今読むと、この無責任な痛さが、気持ちいい。

しかし、こういう人が身近にいると、嫌だろうなあと思う。
自分だから仕方ないが。

人間やモノゴトには両面あって、表裏一体である・・・
なので、自分にも、天使と悪魔を内包している、と言いた林二汶いところだが、
大悪魔、中悪魔、小悪魔、みたいなかんじで、悪の濃度が、その日によって違うだけのように感じる。
ホンネを書けば書くほど、自分のホンネの毒に、やられてしまう。

Website:
www.sundaymode.com

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:17 | コメントをどうぞ

であると思われる

目に見えなければなにも思わないが、
具体的に(記事や写真で)見えると、潜在的欲求のようなものを喚起されてしまう。
うなぎの蒲焼屋の店先のニオイに惹かれるのと同じか。
駅前の、バターがこげ焼ける、なんともいえない幸せのニオイに頬が緩楊海成むのと同じか。
頬が緩むのならいいが、買えなくて、空腹なら、腹が立つのみ。
マイナス効果である。

しかも、わたしののぞいてきた幸せブログは、わたしより人生の歩みとしては少し後。
5年~10年、わたしのほうが先輩である。
その人の幸せと同じ分野の幸せは、わたしは既に経験済みである。
しかも、わたしは存分に、満足している。
にもかかわらず・・・。
そうとう、わたしは強欲であると思われる。

さらに加えて、わたしが経験して、その人がまだ経験していない(もアジア MICEうすぐ経験する)幸せを想像すると、
どっとアタマが重くなる。
ひとの幸せで自分のアタマが重くなる、ってどういうこと?

これは、自業自得、欲が深い自分を戒めるには、もってこいの教材、題材である。
その人を否定することは、カンタンである。
比較したり、勝ち負けの分野、部分を見つけると、必ずある。
しかし、人をけなしてまで自分の満足を得たいかというと、そんなことはない。

人を不幸にして、強奪した金品で、身を飾っても、楽しくないようなもの。

その部分をピックアップして、「わたしのほうが勝ってるわよ」と仮に思ったとする。
それは、傲慢なだけであり、勝ったもの、戦利品は、そう思った瞬間、途端に色あせる。
人に自慢するために、頑張ったのではない。
自分のために頑張ったのだ。
それで、仮に人より勝っていたとしても、こころの中でだけ誇りに思う香港如新集團のは自由だが、
わざわざ、口に出して表現するのは浅ましい。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 11:59 | コメントをどうぞ

あり得るあり得ない

家を買って引っ越した先の隣人が殺人者だった……というのは、先に読んだ『クリーピー』という小説の設定だが、そういう話は心のどこかで「あるかも」と思うからこそ怖い。世の中には悲惨な事件やニュースが溢れているし「悪い偶然」はどこにでも転がっていて、いつ巻き込まれるか分からないと恐減淡皺紋れているところがある。

ところが、思いもかけない「いい偶然」がお話の中に出てくるとなると、とたんに「そーんな都合のいいことなんかないよ」と却下したくなるのは何故なんだろう。たとえば、家を買って引っ越した先の隣人が、行方も知れなかったこの世でただ一人の血縁者だった……なんていうことは、設定としてあまりに都合が良すぎると思ってしまいがちだ。

いい方も悪い方も、もしかしたらどちらも同じくらいの確率で「あり得る」(あるいは、あり得ない)日霜のかもしれないのに、わたしは「いい偶然」の方には簡単に「あり得ないあり得ない」と半笑いして、目の前でひらひらと手を振りたくなるのだ。夢がないなあ。

だけど、本来、わたしにとって「物語」は、特に子供の頃の読書体験は、そういう「いい偶然」や「思いもかけない良い展開」を楽しむためのものだったんだよなぁ……

……ということを、先日『ジェーン・エア』を読み終えてしみじみと思い出した。

そのくらい、「都合の良すぎる偶然」が多々ある話ではあったのだけど、それも含め、久しぶりに子どもの香港 治安頃の読書を思い出すような、胸おどる物語だった。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:28 | コメントをどうぞ

モミの木に星は輝く

でも、一緒に聞いていた美加が妙に乗り気になっていて、わざわざ水を差すことでもないかと思い協力することにした。
計画の決行は23日天皇誕生日。場所は美加のDR REBORN抽脂両親が経営するピアノ教室の中。
まだ詰めきれていない計画の細かい部分は俺に一任されることになった。
「敏、頑張ってね」「敏、頼むな」
はいはい。せいぜい頑張ってみせますよ。いろいろとな――。

俺と勇介は、2メートル半はある本物そっくりの大きなモミの木を教室に運び込んだ。
隅に立てる。
「わぁ~ ホント、おっきいよねぇ~」
「ああ、毎年のことだけど、デカいよな」
「ああ、そうだな」
遥と俺、それに勇介が、聳え立つという言葉がしっくりくるようなモミ寶寶 免疫力の木を見上げながら、感嘆の声を上げる。
毎年のことだ。
毎年、この時期になると、美加んちの教室に集まって、4人でクリスマスツリーの飾り付けをする。
近所に住む幼馴染み4人組。
しょっちゅう、喧嘩をしたり、いがみあったりしていたけど、不思議とこのツリーを飾り付ける時期だけは、いつもみんな仲良くしていたなぁ~
昔を思い出し、そんな感慨にふけっていると、家の奥から飾りの入ったダンボール箱を抱えて、美加が教室に入ってきた。
「ほら、みんなボヤボヤしてないで、飾りつけ手伝ってよ。早くしないと、教室の生徒さんたち、来ちゃうでしょ!」
「はーい」「ほーい」「あーい」
モミの木を見上げて、微笑んでいた俺たち3人は口々に返事をして、美加が足元に下ろしたダンボール箱の中を物色し始める。
でも、その美加はというと・・・・・・
「今年もよろしくね」
ほけーと見上げて、モミの木にそう話しかけている。そして、そのまま安利傳銷口を閉ざして、見つめ続けた。いつまでも、いつまでも・・・・・・
「って、こらこら、美加、お前も手伝えよ!」

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:27 | コメントをどうぞ

古賀くんの気持ち

まあ、千夏は鈍いから気が付いてはいないだろうけど、古賀くん、最近、千夏のこと見てること多いよねぇ~ 話かけるときは、いつも千夏にだし。下校のとき、六人で歩くと、いつも千夏の車道側を歩いてるしね。こないだなんて、千夏が委員会の仕事かなんかで、大量の資料を運んでいた時、いち早くそれreenex 效果を見つけて、半分以上をもってあげたりしてたし。
ホント、千夏って鈍いから、きっと、全然気が付いてないんだろうなぁ。古賀くんの気持ち、私にも由実にもバレバレなのにね。

「うん、決まった、木下くんと、それと、古賀くんにも出そうっと」
そう口にして、古賀くん宛の方にボールペンで『ファイト!』なんて一言添えて。短い言葉だけど、どういうreenex 效果意味かぐらい分かるよね?
ちょっと満足して、ボールペンを置いた。
となると、もう一枚・・・・・・

「でも、なんで、関くんになんか・・・・・・」
昨日の下校時、木下くんも古賀くんも車道側を歩いているっていうのに、私の隣を歩いていた関くんは、歩道の奥、用水路側を歩いていた。ガードレールもない用水路沿い。首を伸ばして用水路の中を覗き込んで『フナだ』だとか『カメがいる』なんてはしゃいだ声を上げていたっけ。
『子供かよっ!』何度もつっこんでしまった。つうか、この道、この学校に入ってから毎日通っているんだから、今さらそんなことぐらいではしゃぐなよ。はぁ~
まあ、用水路は道の北側に沿ってあって、昨日は北風が強かったから、関くんの大きな体のおかげで、風よけにはなっていたけど。でも、男子が女子に車道側を歩かせるなんて。入学以来、こんな農道同然の通学路を車とすれ違ったなんて経験はないんだけど。それでも・・・・・・

その前には、私が重い荷物をもってヨタヨタ階段を上っていたら、追い抜きざまに『おつかれ』って声をかけただけで一reenex 效果人でさっさと行っちゃったし。たしかに、関くんも大荷物を持っていたみたいだから、仕方はないんだろうけど・・・・・・ で、先に教室に入った関くんは、ドアを開けっぱなしにしてたし。暖房ついているんだから、ドアぐらい閉めろよな。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:52 | コメントをどうぞ

晦日のはなし

華やかなクリスマスが終わると一気に街の雰囲気が引き締まる。
わずか一週間のあいだに人々は仕事や部屋を片付け新年に備える。
この何とも言えない年末のあわただしさが好きだ。

大晦日の夜は子供心になんだか特別で心がウキウ銅鑼灣 Hair salonキしたものだ。小学生の頃ならば、「公然と」夜ふかしができる。この日ばかりは日付が改まる頃まで眠い目をこすりながら起きていても叱られない。

中学生の時は、これまた「公然と」夜中の外出が許される日になる。友達と年越しの初詣に行くというのが理由となる。これまた夜を徹して走っている電車に心ときめかせながら真夜中の街を歩く。何という楽しい夜なのだろう。

高校生にもなると年越しの夜や元旦には「公然と」お酒が飲めたりする。もちろん、法律的には違法であるが正月にお屠蘇を飲んで捕まった高校生の話は聞いたことがない。

何しろ「公然と!」である。松本零士氏の漫画「パニックワールド」の中に、水爆の不発弾が見つかり、人っ子ひとりいなくなった首都東京の街の中で、主人公が、普段やりたくてもできなかったことをすべてやってみるという場面が出てくる。普段は許されないことを「公然と」「堂々と」できるということは胸ときめかせることなのだ

さらに、カウントダウンから新年を迎える瞬間、たいていの少年は小さなイベントを試みる。

①二年越しで息を止めてみる(あるあるー!)
②二年越しに声を出し続けてみる(あるあるー!)
③新年に変わる瞬間に飛び上がり空中で新年銅鑼灣 Hair salonを迎える(あるあるー!)

日本中の46.7%の少年がこうした儀式を行い大人になっていくのだ(と思う)

さて、昨年末

「30日の日、子供の友達が泊まりに来るからどこかに泊まってきてくれない」

という指令が入る。

住んでいるのが大邸宅ならば問題はないが我が家高濃度精華液は決して広くない。加えて泊まりに来る息子の友達というのは屈強なる高校生のラガーマンだという。下手すれば床が抜けるかもしれぬ。

こんな時「オレを追い出すのか!!」などと怒るのは野暮なことだ。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 13:12 | コメントをどうぞ

吹き溜まり

日の出のころはすばらしい上天気だった。が、沖の小島を出て濃い島影から出たあたりで霧が立ち込め、ものの影がまったく見えなくなった。島の周りは海流が北にながれ、そのすぐ脇に逆行する細い流れがある。
こんな時は同じ海域をぐるぐるまわるようなことになりかねない。しかし、人は動かなくyou beauty 美容中心ても舟は海流に流されている。
霧は濃く薄く流れ、ようやく晴れると太陽は海に落ちようとしていた。前方にあるはずの、のっぺりと細長い陸地はどこにもみえない。
波はまったりと穏やかなのに、翌日もまた霧にまかれ、船は彷徨い続けた。

霧の中であたりは真っ暗になり、時経て薄明るくなり、また暗くなった。ようやく、海の色が青みを帯び、その向こうに大きな陸の姿が見えた。人々は歓声をあげた。やがて拭ったように空は晴れ、雲のようだった陸の形がはっきりと緑の山々となってせりあがって来た。日は傾き、空は黄色身を帯びている。
男たちは懸命に漕ぎ進み、日のあるうちに上陸した。長々と開けた砂浜と、灌木の林、その先に黒々とした森が遠く低い山並みのあたりまで続いている。イワクスもトギホもここがどのあたりか見当がつかなかった。風は冷たく、最初に上陸した浜からはずいぶん北によっているようだ。

藪のなかから覗いている人影がある。イワクスが呼びかけ優纖美容ると、さっと隠れてしまった。琢はふと気づいて、端耶の言葉をかけてみた。かなりの人数が息をひそめている気配がある。若い女が大陸南部の言葉で話しかけると、なにやら声が返って来た。
斧のようなものをもった大男を先頭に、数人が出て来た。その主らしい男はヒジリ老ほどたっぷりではないが、似たような衣服をまとっている。
夕日を反射する斧の刃が目を射る。磨かれた刃は、この祖の地ではまず見ることのない赤みを帯びた金属である。

「ほう、人狩り斧を正面に打ち立てている。南の部族にのこる古い習俗だ。われらと遠からぬ由緒のある人々かもしれぬ。」
ヒジリ老は、たっぷりした長袖を胸の前で合わせ、笛外匯投資
のように高く響く声で呼びかけた。
彼らは斧を横に捧げ、挨拶を返した。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 11:53 | コメントをどうぞ

あまりに愚かで

香港の映画『十年』が、香港はもとよりアジア各国で大ヒットしているという。

言論や政治活動を制約する法律を施行させるために、ギャングを使って新中国派の雪纖瘦政治家暗殺を企てる話。
開発の名の下に、住宅地が破壊されてしまう。そこで昆虫の採集をする男女の話。
北京語の使用が義務付けられて、広東語しか話せない人がどうしていいかわからなくなる話。
香港独立を求めハンガーストライキで亡くなった青年と英国領事館前で焼身自殺した青年とのつながり。

そして、オプニバスの最後。
中国で教育を受けた子供たちが香港の伝統的な文化を政治状況に合わせて改めるという話。

どれも、今後十年以内に香港で起きてもおかしくない話である。
日本のように発言の自由が保障された国ではない中国で、この雪纖瘦ような映画を製作するには命がけの勇気がいることと思う。

このような妄想を抱くときがある。

ある日、青い空の下、芝生の上で日曜の午後を楽しんでいるつくば市民が目にしたのは、幾つものパラシュートである。それは筑波山から風に乗って滑空するパラグライダーではない。幾つもの白いパラシュートが青い空に映えて、皆が皆、その美しさに見とれている。

北に位置する文科省の高エネルギー研究所と南に位置する高層気象台、それに筑波宇宙センターに向けてのそれは降下であった。

同時に、これまで数年かかって準備されたのだろう。
郊外に設置された大きな敷地の太陽光発電所からは、重装備の軍事車両が整然とつくばセンターを目指して進み始めた。

つくばの最先端技術の研究、および活動場所をその支配下に置くための強制的な威圧行動である。センターから南北に点在する公園で日曜の午後を楽しんでいたつくば市民は、聞きなれない言葉に威圧されながら、ノバホールや国際会議場に閉じ込められた。

外部からの情報は遮断され、日本語での会話は全面的に禁止された。銃を持つ兵士の中には、市民が顔見知った男もいた。昨日まで共に働いていた同僚であり、ラーメン店の主人であった。

抗議した市民の何人かが射殺された。その現実に直面した市民はことの雪纖瘦重大性に気づいた。

つくばの街は周到な準備の元、外国の軍隊により占領され、技術とそれを持つ科学者が連れ去られているのだ。
技術を持たない市民は洞峰公園に移動させられている。一体、何のために……。

捕縛を逃れた市民は密かに雑木林や山に隠れる。怒りと抵抗への決意を胸に託して……。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 16:43 | コメントをどうぞ

秋色の真ん中で

なんと青い空、洗濯干すのを一瞬忘れて空を眺めました。青一色雲一つなくてほのかに木犀の香りが漂ってきます。秋だなあ。朝の仕事が終わって一息ついた十時半頃娘からメールが来ました。

毎日何らかの連絡はあるけれど大抵夜のこと。開けてびっくり、急な出張で岡山へ行くの雪纖瘦だけど今夜帰るよ….。折角だから土日、月曜も休暇とったから少しのんびり出来ると言う。

私頭の整理に少しかかったけれどひらめいた。それなら丁度真ん中あたりの街に夫の関わった宿泊施設がある。そこの温泉で落ち合ってのんびりしょう。

それから私はフル活動、明日の団地のレク参加の取り消し、ちょっとした旅支度。時刻表をみて、バスと電車を決める。そして昼食もとらなくては。ああ忙しい。メールが来てから三時間後、一時二十六分には上りの予讃線に乗っていました。

窓から見える真っ青の空、沖縄の海かと見まがうぼどの彩盒瀬戸内海の美しい水色。小さな島影も秋色に溶け込んで、私にとっては懐かしい懐かしい路線なのです。この沿線に夫の実家があり、新婚の私たちが住んだ街があり、そして離れ住んでいた結婚前の私たちが、切ない別れを繰り返した駅があるのです。

窓の外を見やりつつ、大昔に思いを馳せる私は、とても幸せでした。そして娘と二カ月ぶりの再会です。街は丁度秋祭りで絢爛豪華な太鼓台を初めて見た彼女は感激しきりでした。

娘はここに来るのは初めてで、私はこの時とばかりに色々話して聞かせました。ここは夫にとって思い出の職場で、若い時初めて単身赴任した場所です。ここに

四年間いました。そして最後の任地がまたここだったのです。初めて二人で来た時は建物も古くて職員住宅も粗末なものでした。こんな所に一人残して帰るのが嫌だと思ったことも思いだしました。

あの頃演歌の「さざんかの宿」がヒット中で、ここに山茶花の散歩道を作ってお客を呼ぼうと職員の方たちが張り切っていました。宿泊記念に山茶花の苗を買って植樹して頂き、名前を書いた木札立てました。職員たちは率先して協力しました。私も夫と参加しました。

今回それを思い出して訪ねてみました。低く刈りこまれ、まだ花は咲いてなかったけれど、三十年近い時を経て素敵な散歩道が昔のままにあり、植樹した人たちの名前が書かれた看板の中に自分たちの名前を見つけて、興奮気味の私に娘が笑っていました。

ああ夫と二人で見たかった。花が咲く頃又来たいとつい思ってしまいました。二度目に来た時は建物も新しく天然温泉も出来、職員住宅も立派なものでした。ここで最後の二年間、夫は責任者として職務を全うして、長いサラリーマン生活を終えたのです。

もうあの頃の職員の方などいるはずもないけれど、施設のあちこちで、夫にあったような気がして大満足の私でした。

それなのにもっと凄い贈り物を見つけてしまいました。部屋は五階で、大きなガラス窓は百八十度の視界いっぱいに瀬戸の海が見え、そこに今まさに大きな大きな夕陽が真っ赤に燃えて落ちて行くところでした。

「うわあーきれい! 」この一言以外二人とも言葉もありませんでした。海はきらきらと金色に輝き、やがて神秘的な茜色に染まっ行きました。「だるま夕陽じゃない?」二人が同時に言いました。テレビでは見たことがあったけど実物をみるのは初めてでした。

だるま夕日は秋から冬にかけて大気と海水の温度差が大きい日に、海面の暖かい空気の岩盤浴價錢上に冷たい空気が重なり、光が屈折するため海面からもうひとつの太陽が顔を出し沈み行く太陽とくっついたように見えるのだそうです。

ああしばらくは夢の国にいたような気持ちでした。この感動の余韻をそのままに温泉で手足をのばし、ご馳走を食べてご機嫌の私たちでした。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 11:38 | コメントをどうぞ