おお、遂に。と思ってしまいました。
母が朝のダブルスを終えてから、神宮テニスクラブのクラブハウスの階段を降りたところで、倒れたのです。
熱中症か、貧血です。
ちょうど私が濡れたシャツを着替えて階段の上にいたところで「直子ちゃん、ママが変!」と、どなたかが教えて下さり、私は飛び降りて母を支えました。
そもそも母は、親切なメンバーの方々に両脇を支えて頂いていたのですが、昨年の9月に同じように倒れた時に、兄が気づかずにそのまま倒れて足首を捻挫してしまったのです。私はどこも痛めないようにその場に取り敢えず他のメンバーの方と寝かして、脇の下、足の付け根、両手の平、首の後ろを冷やしました。
神宮テニスクラブの方がすぐ氷の袋をいくつかとOS1を持ってきてくださったので、それを飲ませました。飲むことができないと重症なのですが、飲んでくれたので少しほっとしましたが.一回気絶しそうになったので、「母上、母上!わかる?」と大きな声で意識がなくならないようにしました。
そうこうするうちに救急車が来て、救急車の中で心電図や血圧などを測ってくれ、「数値は安定しています。」と言われました。でも、まだ母の顔は青白く、すごく怖かったです。
「救急車についてきて下さい」と言われたものの、赤信号を行ってしまって良いのかダメなのか分からず、信号を守っていたら振り切られました。
よく知っている日赤医療センターだったので、できるだけ早く駆けつけました。
講演が午後群馬であるという兄が保険証、お薬手帳を持ってきてくれて助かりました。
実は私も11時36分品川発で四日市のインカレへ向かう予定でしたが、様子を見ることにしました。
兄と一緒に処置を受けている部屋へ入ったら、よくテレビの場面で患者の脈か血圧が低くなった時の合図の赤い線が「ブーっ、ブーっ」と言いながら画面についたので、腰が抜けました。もうダメなの?と思いました。本当にそう思いました。
でも、悪代官強し!また復活して、「大丈夫ですよ」とお医者さんに言われ、ほっとしました。
兄は講演へ行き、私は3時間ほど緊急処置室にいて、母が「もう帰るからこの点滴は抜いてもらって」というのをなだめながら、お世話になった方々に報告のメールを書きました。
そして、母は無事またテニスシューズを履いて歩いて車に乗り込み、私がうちに来て休んだ方が良いと思うよ。というのに、1人でグダァ〜したい。というので、母の家に送ったのです。
まあ、いつか母がいなくなる日は来るはずですが、もう少し一緒にいられそうで、良かったです。
写真は、日赤医療センターを出る時に撮りました。佐藤直子