日別アーカイブ: 2015年12月8日

祖父母の家の思い出

私の母は福島県と宮城県境にある伊達郡のある町に生まれ育った。共働きで忙しい両親は、小学校が長期休暇に入ると、私を母の実家で過ごさせた。だから、この町にはいろいろな思い出がある。夏に一時帰郷をした時、この町に眠る祖父母の墓参りに行った。地震の爪痕は二本松市や福島市よりも深く、古い家々は倒壊しているものが多かったAH股價

墓地は倒れて壊れてしまった墓石もあったが、地域の人たちの努力でできるだけ元の位置に戻されていた。祖父母の墓石は横長で安定性が高かったのでダメージはなかった。線香を焚き両手を合わせていたら、祖父母の家で1978年の宮城県沖地震に遭遇した時のことを鮮明に思い出した。
地震は夕飯の用意をしていた時にやってきた。祖母はスパゲッティの用意でミートソースを煮詰めていて、いい匂いがしていた。はじめはそれほどでもなかった揺れがだんだん激しくなって、天井で電灯の傘がブンブン振り回された。その真下の飯台にいた私は、母の誘導で揺れる室内を何とか歩いて、一番奥のタンス部屋(と呼んでいた客室)に行き、ガタガタ出てくるタンスの引き出しを両手で押さえているように言われた(今考えてみると倒れてきたらかなりやばかった!)。母は祖母を見てくると言って台所へ行ってしまった。タンスは幸い倒れなかった。台所へ行ってみると、散乱した食器、そこにミートソースの鍋が床に落ちて酷い状態になっていた。母は鍋が落ちた後につけっぱなしになっていたガスを止め、元栓を閉じたそうだ。祖母も母もやけどを免れ幸いだった。玄関を出ると、家の敷地を取り囲んでいた壁がすっかり崩れ、すぐそばの県道が見通せた。声が出なかった。家がつぶれなかったのでよかった、と祖父母たちは話をしていた。祖父がラジオを出してきた。アナウンサーが地震の速報を伝えていた。あの夕暮れ時、私は初めて死の恐怖というものを感じた樓宇套現

墓地を出てから、そういえばよく遊びに行っていた遠い親戚の家はどうなったろう、とふと思った。墓地からそれほど遠くないので、歩いて家の前を通ってみた。家屋や敷地に被害はなさそうだったが、以前はよく吠えていた犬はもういなくなってしまったのだろう、シンと静まりかえっていた。私が出入りさせてもらっていた裏玄関の周辺には雑草が生い茂り、庭木が伸び放題になっていて、玄関の入り口が通りからまったく見えない状態になってしまっていた。母は「お化け屋敷ね」と感想を述べた。親族はちゃんと住んでいるらしいのだが…。臆して挨拶に伺うことができなかったことは、ちょっと情けなかったと思う。

私がアメリカに留学をしていた三年の間に、祖父母は相次いで亡くなった。お葬式に出席できないままだったことが影響しているのかどうか、祖父母はよく夢に現れる。今は取り壊されてなくなってしまった祖父母の家が、生き生きとよみがえり、裏の畑のデラウエアを摘む祖父の鋏のパチンという音が聞こえてくる。そう言えば、お風呂のために薪をくべる祖母の炭臭い割烹着のポケットの中身はなんだったろう…。ばあちゃん、あのときに聞けばよかったね謝師宴 化妝

カテゴリー: 未分類 | 投稿者biubiuplpl 11:52 | コメントをどうぞ