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☆移動出来る家、自立する家☆

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☆移動出来る家、自立する家☆

2001年9月10日ニューヨークから、教え子達を連れた

USオープン観戦ツアーの帰り、日付変更線を超えて11日になり

我が家について、テレビを見ると、ニューヨークが写っており、

なんと、ツインタワービルに航空機が激突、なんだこれは?

映画か?って思い呆然としてたら、もう一つのタワービルに

2機目が激突、これは、テロなんだと分かった、

 

それにしても、現実とは思えない、信じられない光景に、

何も出来ない自分が居た、

 

それから10年後の、2011年3月11日、当奥地方太平洋沖地震で

大津波が来て、街中を飲み込んでいく映像がテレビで放送されると、

やっぱり、何も出来ない自分がいて悲しかった、

津波で流される家屋や車、皆の思い出や希望が消えていく気がした、

 

震災直後に自分が出来る事は、募金ぐらいだと思い実行した、

でも、それが何に使われたか解らないし、実感がないので、

1年後に、現地に行って、テニスを教えようと思った、

いろんな仮設住宅に行って話をしても、テニスどころじゃないよね、

 

こんな時に、白戸プロから紹介して貰ったスクールで教える事になった、

最初は『何だ?金髪のオッサンは?』なんて思ってたスクール生達が、

レッスンが進むにつれて、面白いと受けるようになった、

 

震災で被害にあった人達に、2週間ぐらいのボランティアが

『元気を出せよ、テニスしようよ!』って言っても、他人事だけど、

落ち込んでいるけど、テニスで元気を出そうと思ってる人を

もっと元気にしてあげて、地元の力で元気づけられたらいいな?

なんて、思った、

 

そして、今年も、少しだけテニススクールを応援にいった、

今回の収穫は、指導者講習会が出来た事かな?

 

時間を見つけて仮設住宅を廻ってみたら、昨年と雰囲気が違う、

昨年は、ボランティアの移動図書館やら、芸能人の訪問やら

いろんな行事が目白押しだったのに、今年は誰も居ないし、

3連休だと言うのに、仮設住宅から出てくる人も居ない、

家の中に居る気配はするのだが!!

 

仙台市内の公園にある、仮設住宅の周りだけが、震災の日から

時間が止まったように、雑草が生えて、浮いてるようにみえる、

 

昨年話ししたお婆ちゃんが言ってた事を思い出した、

一番辛いのは、やる事が無い事だと、

朝起きて、畑に行き仕事をして、犬を散歩に連れて行き、

庭の掃除をしたり、鳥に餌をあげたり、一日があっと言う間だった、

今は、することが何にもない、一日が長い、疲れるって、

 

皆が寄付したお金を、いろんな仕事をしてもらって、

なんでもいいから、出来る仕事をしてもらって、給料で渡す方が

よっぽど、良かったんじゃないかな?援助してもらって肩身の狭い

思いをするよりも、自分達が自活できるような応援が出来たらいいと思った、

 

それから津波の時に印象に残ったのは、コンテナだった、

波に流されながらも、浮いて移動し、あるものはアメリカまで流れ着いた、

 

もしかして、これで家を立てたら、家族構成が変わったら、1部屋売ったり

災害に会った時も、太陽熱発電や風力発電で自家発電出来、救難信号を

送ったり、家電が使えたり出来るし、復興が進むにつれて、

我が家に、少しずつ近づいて行ける実感が(*∩∀∩*)ワクワク♪ような事が

出来ればと思い、沖縄に帰ってきてから、模索中です、

 

だれか、電気に強い人や、建築家の人がいたら、アドバイスや応援

宜しくお願いします、これが、震災の被害を受けた人だけでなく、

地球温暖化を防ぐ最大の方法にもなると思います、

カテゴリー: 未分類 | 投稿者ヒーロー 15:50 | コメントをどうぞ