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ることなくダンスに

紋付に羽織?袴で鼓と扇子を両手にして舞台に現れ、出囃子が終わるとポンッ!と鼓を打って始まる漫才コンビ??席のトリを務めたのは「砂川捨丸?中村春代」という往年の銘コンビで笑いに包まれた大阪は吉本の寄席??お笑いの世界では当に古陶磁の味わいを持つ掛け合い漫才で芸の真髄を見せられた思い出である。

15年も前のことだったかNHKの深夜番組で1950年、全米で大ヒットした「テネシーワルツ」を製作当時のエピソードを交えながら「パティページ」にもう一度唄ってもらおうという企画番組があった。アメリカでの録画番組のようだったが画面では昔の面影などとっくに消え失せたパティーページがマイクの前旅遊市場に現われる。割れんばかりの拍手で登場した彼女だが体調のせいか唄い出した処で声が途切れてしまった。彼女の目に涙が光る。

懐かしいメロディーと懐かしい人??しかし歌唱はもう無理な様だ。ステージで観客席の拍手を受けた途端、嘗ての栄光や込み上げる想いが彼女の涙を誘ったのであろうか??。

    《もういいじゃないか??誰かがカバーしてあげなきゃ酷だ??》

伴奏のピアノとフィドル(バイオリン)がメロディーバートを奏で、彼女は涙を押さえながら更なる拍手と共にステージを降りた。思わず胸が熱くなる。20歳だった頃の美声を覚えているオールドファンは誰もがそうだったに違いない。まるでSPレコードの盤面を針先が空転するような虚しい雰囲気であったが、画面では会場卓悅化妝水の拍手が鳴り止まなかった。

アメリカ全土でヒットしたという「テネシーワルツ」は当時としては珍しく一年を待たずに日本にも上陸した。カントリーソング「テネシーワルツ」は大ヒットしたのである。当時、私はブルーグラスやカントリーに嵌っていてSP盤が擦り切れるほどテネシーワルツを聴いた。ダンスホールやキャバレーのラスト前には何処へ行ってもテネシーワルツだった。ハンクウイリアムスのヒットやビルモンローの来日も重なりちょっとしたカントリーブームが漂っていた時代である。

洋酒喫茶が大流行??アメリカナイズされた一面を覗かせていた日本でもあったと思う。洋酒を口にすることが男達のステイタスで当時の新名所「ハイボール?スタンド」の止まり木には若者が酔っていた頃だ。レコードもEP.LP盤が主流となりはじめ、欲しくても手が届かないオートチェンジャーが持て囃卓悅假貨された時代。男女が誰憚興じ、バーや洋酒喫茶ではリボンタイにベストの女性が西部劇のホンキートンクよろしくカウンターサービスに努めていた時代でもある。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者passioncool 12:47 | コメントをどうぞ