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ランス人の楽しみ

今回のコンサートは、「裕センセ社会復帰記念コンサート」という意味合いも、私自身には
あった。そのですね、フリージャズの火を消さずに、それが出来るのかという正念甩頭髮原因場だったのだ。うで、出来る目処が付いた。から、私の燃え方は半端ではなかったのだぞって! おっ、しかも、二十代の日本別嬪娘が二人来てくれた。アヤカとチハル。アヤカは、なんども足を運んでくれている。チハルは、ワーホリでパリへ。モッズヘアーで研修。仙台のねーちゃんだ。私も幼少期は仙台である。同郷のよしみで、チハルのために、勝手にアンコール曲を弾いたのだ。どうだっ、参ったかっ!

真師匠の談話 「今晩、絶対、このカルテットのベスト演奏、間違いないね」 その後、皆で飲み捲くったのだ。
以前にもなんどか書いたけれど、「一般的なフランス人」、金持ち、資産家とか高給取りとか、こういう人々のことは分からない。その一般的なフは、もちろん、子供の成長、家の購入、こういったことを除いてという意味で、極論するとバカンス、そして、永遠のバカンスである定年。

今朝、歯を磨いていて、なんとなく気が付いた。私の定年、後、5年と11ヶ月な中醫美容のだ。そんな先ではない。

ふむ、私の現在の基本的な人生設計は、実に単純。「絶滅寸前の世界指定の野鳥のようなフリージャズの火を消さない」。私は、第一次世代からすれば、第三世代ぐらいに位置している。非常に少ない。その少ない人口のひとりである。こうなると、意地でも続けるのだ。これを遂行するために、定年という状態は、非常に助かる。まあ、餓死しない程度の保障はあるから助かるのだ。と、算数上は、私の新しい仕事を、後、5年と11ヶ月続ければ、フリージャズオンリーライフがやってくる。うん、これは嬉しい。とはいえ、新しい仕事は、そんな仰々しいものではないけれど、プロライセンスを所持していないとできない。つまり、このライセンスがある限り、逆に定年はないのだ。先輩方、七十歳で引退が多い。

ふむ、仕事とコンサートを交互にやっている。考えてみたら、「フリージャズの火を消さない」、この私の升降桌基本スタンスに、なんらの支障もでていない。私の職業選定は正解だった。支障がないのであれば、続けていても構わないということになる。まあ、六十二歳の誕生日に考えよう。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者passioncool 19:23 | コメントをどうぞ

でいる家だの収だの?

と、勝手に書いているけれど、応援されたいのであれば、応援もしなければならない。後者をあまり本気でやっていない私のような者が、何様なの? と自分で思う。しかし、(お客様)疎らの道もあまり長く歩んでいると茨の道になってしまう。

わっ、新しい仕事? こっちは売れっ子。どうしてこうなるの? ほど抗衰老心得ほどでいい方が、お客様ぐわっ。

ヤノピを くんなまし 我疎らの道を 歩む後姿 字余り

と、真剣な眼差しのオリビアに俺、「えっ、今一感? うなことねぇー、後で聴いてみぃー、たぶん、すげぇー演奏になっとると思う。やりなれないことをやったから、そんな感じなんじゃない? 心配するな、俺が応援している」。

うーーーん、マバラ(疎ら)の道なぁー、イバラ(茨)じゃね? とも正直思う。バンドマスターとしての責任もあるだろう。バンマスがうんざり状態では、メンバーはどうするの? とも思う。

しかも、このバンマス、わたくしはピアノのために会社、安定した老後、悠々自適、そこそこのス毛孔粗大テータス、および、そこそこの収入、まっ、一応「中流」ちゅうものをすべて投げ捨てて、ピアノちゃん三昧おやじと成り果てている「のに」、これじゃー、理解あるカミサンだって首が傾ぐ。妾だの浮気よりはいいのかもしれないけれど、ある意味、うなもん以上にヤバイんじゃね? わたくしのピアノは?

元泣く子も黙る凄腕営業マンだったと自分で言っているから本当だ。しかし、「自分の営業」はからっきし駄目。元お坊ちゃまだからだ。駄目なのだよ、お品があり過ぎて???。がつがつでけんのだ。「ボロは着てても心は錦系」なのだ。勝ち負けとかまったく興味がないし、学歴だのお勤め先だの、乗っている車だの、住ん??、どうせ果ては棺桶なんだから、一番安いので十分だし、そっ、バン?ゴッホのお墓、家の近所なんだけれど、もう、素敵なのだ、あまりに。あれでいいし、あのようになりたい、わたくしは。

しっかし、ギャラの高い安いはいいにしても、お客様が疎らは、こっち、および、メンバーの心意気、その熱い気持ちに水差し。

まあ、いつもそうではないのだけれど???。第一、ピアノがないとこがほとんどなのだ、こっちは。俺のローランドと真師匠の美容儀器ドラムスとオリビアのコントラバスを持っていかないといけない。これは老体には渋い。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者passioncool 12:12 | コメントをどうぞ

ることなくダンスに

紋付に羽織?袴で鼓と扇子を両手にして舞台に現れ、出囃子が終わるとポンッ!と鼓を打って始まる漫才コンビ??席のトリを務めたのは「砂川捨丸?中村春代」という往年の銘コンビで笑いに包まれた大阪は吉本の寄席??お笑いの世界では当に古陶磁の味わいを持つ掛け合い漫才で芸の真髄を見せられた思い出である。

15年も前のことだったかNHKの深夜番組で1950年、全米で大ヒットした「テネシーワルツ」を製作当時のエピソードを交えながら「パティページ」にもう一度唄ってもらおうという企画番組があった。アメリカでの録画番組のようだったが画面では昔の面影などとっくに消え失せたパティーページがマイクの前旅遊市場に現われる。割れんばかりの拍手で登場した彼女だが体調のせいか唄い出した処で声が途切れてしまった。彼女の目に涙が光る。

懐かしいメロディーと懐かしい人??しかし歌唱はもう無理な様だ。ステージで観客席の拍手を受けた途端、嘗ての栄光や込み上げる想いが彼女の涙を誘ったのであろうか??。

    《もういいじゃないか??誰かがカバーしてあげなきゃ酷だ??》

伴奏のピアノとフィドル(バイオリン)がメロディーバートを奏で、彼女は涙を押さえながら更なる拍手と共にステージを降りた。思わず胸が熱くなる。20歳だった頃の美声を覚えているオールドファンは誰もがそうだったに違いない。まるでSPレコードの盤面を針先が空転するような虚しい雰囲気であったが、画面では会場卓悅化妝水の拍手が鳴り止まなかった。

アメリカ全土でヒットしたという「テネシーワルツ」は当時としては珍しく一年を待たずに日本にも上陸した。カントリーソング「テネシーワルツ」は大ヒットしたのである。当時、私はブルーグラスやカントリーに嵌っていてSP盤が擦り切れるほどテネシーワルツを聴いた。ダンスホールやキャバレーのラスト前には何処へ行ってもテネシーワルツだった。ハンクウイリアムスのヒットやビルモンローの来日も重なりちょっとしたカントリーブームが漂っていた時代である。

洋酒喫茶が大流行??アメリカナイズされた一面を覗かせていた日本でもあったと思う。洋酒を口にすることが男達のステイタスで当時の新名所「ハイボール?スタンド」の止まり木には若者が酔っていた頃だ。レコードもEP.LP盤が主流となりはじめ、欲しくても手が届かないオートチェンジャーが持て囃卓悅假貨された時代。男女が誰憚興じ、バーや洋酒喫茶ではリボンタイにベストの女性が西部劇のホンキートンクよろしくカウンターサービスに努めていた時代でもある。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者passioncool 12:47 | コメントをどうぞ

よい顔をつくる法則

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幕末~明治頃になると本家の争奪戦ではないだろうが、四条眞流などを名乗る新派が旗を揚げたという。いずれも四条流の本家から派生した流派らしい。包丁式は明治維新まで全国で行われ、高家神社でも四條公の本流を汲む古法を継承されているようだ。時を捲き戻せば「後鳥羽上皇」の命に端を発德善健康管理した往年の著名鍛冶?刀工の時代がある。江戸時代には陶磁器など焼き物の世界でも各藩が自慢のお庭窯きなど殿様の趣味と腕を披露する華やかな時代があった。

城下で殿様が絵筆を手にされたのと同じように時代文化の象徴だったのであろう。私が住む上総国から少し上った下総国(常陸)ではそろそろ水郷の菖蒲祭りが始まる。サッパ(笹ッ葉舟)が十二橋を巡る嫁入り舟が往く季節の到来だ。これは大阪が生んだ作家?作詞家である「石浜恒夫」氏の作品で「道頓堀左岸」に収まる一節である。「夫婦善哉」の織田作之助門下で後に川端康成にも師事した。「大阪ぐらし」などムード歌謡の作詞でも知られるが、作品の大方は氏が捉えた大阪の表情に「なにわ言葉」を織り込德善健康管理んで読者や歌唱愛好者を愉しませてくれる。

儒者藤沢南岳が名づけた「天に通じる楼閣」も武蔵の国に誕生した「スカイツリー」ムサシ(634m)には太刀打ちできない「小次郎」だが、一時代を反映し水の都??商都大阪の歴史を見届けて来たのである。初代の通天閣は戦時中の昭和18年、出陣要請?でその姿を消した。現在の二代目は昭和31年10月に竣工、開業となったものである。

――よい顔をしている方は、どんな脳の使い方をしているのでし
ょうか。

藤木 まず、いい脳をつくるには、やっぱりいい顔、美しい顔をす
ること、その根本はホラを吹く德善健康管理ということです。 先ほども申しまし
たように、ホラとはドリームのことを指し、夢を持つ人間はいい顔
をしている。 しかし逆に、脳がアンラッキーな思考をしていると、
顔もアンラッキーになる。
例えば、何か失敗をした時に、「しまった」 と思ったら、アンラ
ッキーな顔に。 結果はどうであれ、「楽しい」 と思ったら、気分
が高揚して顔に光が入る。 要するに顔はすべて脳が作用する。
逆に脳も顔から刺激を受ける。 明るい、いい顔をして鏡に向か
っていれば脳がどんどん磨かれていきます。

――たがいに蓮関しているのですね。

藤木 もう、おんなじことなんです。 脳相一致と言いましてね。
両方が一致している、と。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者passioncool 18:29 | コメントをどうぞ

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カテゴリー: 未分類 | 投稿者passioncool 09:28 | 1件のコメント