ショット別で

おはようございます!貴男です。
先週は、気温が一気に上がって暑かった東京ですが、今週は、20度を下回るほどの気温で肌寒く感じます。皆さんも体調管理には、十分に気を付けて過ごしてください。では、メッセージに質問を頂いていたので答えていきます。現段階で僕が思う各ショットに対しての最強説もしくは、好みの選手を挙げていきます。
あくまでも僕個人の見解であり対戦経験から感じたことや単純に好きな選手という部分も加味されているので、他にも彼らに劣らないレベルを持っている選手がいると思っています。なお今回は、フェデラー・ナダル・ジョコビッチの3選手は入れずに考えました。サーブは、サンプラス(アメリカ)とクライチェック(オランダ)で、一人付け加えるならシュティッヒ(ドイツ)です。フォアハンドは、ゴンザレス(チリ)とデルポトロ(アルゼンチン)です。
フォアハンドを得意とし武器としている選手は沢山いますが、この二人に絞りました。バックハンドは、両手であれば錦織・ナルバンディアン(アルゼンチン)・ヒューイット(オーストラリア)で、片手だとワウリンカ(スイス)・ピオリーン(フランス)ですが、そこに加えるならガスケ(フランス)とロブレド(スペイン)です。
最後ですが、ボレーという部分での判断ではなく、僕はネットプレー全体として選びたいと思います。エドバーグ(スウェーデン)・ラフター(オーストラリア)・パエス(インド)です。きっとここでパエス!?と思っている方がいると思うので説明させてもらいます。ダブルスのイメージが強いパエスですが、シングルスで対戦した時のネットプレーの駆け引きは本当に厄介でした。
僕がネットプレーで勝負するタイプなので、彼のやりたいことが分かってしまうだけに「ハマってしまう」のです。実際に一度も勝ったことがなく、デ杯やオリンピックなどの大きな舞台で普段以上の力を発揮するメンタルを持っていたのがパエスです。そして、なぜネットプレーという括りにしたかと言いますと、ボレーの技術に加えてスマッシュの守備範囲であったり、ネットに出るタイミングや動き・駆け引きなどトータル面で判断したかったのです。
僕が思うのは、ボレーが上手いとネットプレーが上手いは別の問題であり、例え相手に抜かれても決められてもネットプレーが楽しいと感じることができるかです。ちなみに僕は、サーブやリターン・アプローチなどを駆使してネットプレーで勝負した時に相手にパスやロブを抜かれると喜んでしまうことがあります。なので、そこからパスを抜くか!その駆け引きがあったか!と自分のプレーを更に引き出してくれる相手に出会うと嬉しいのです。ちょっと変わってると思われるかもしれませんが、ベースラインでのプレーを好む選手と心境や考え方が一緒ならネットプレーヤーとしてはやっていけないと思います。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 12:08 | コメントをどうぞ
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サンプラスと金子英樹さん

こんにちは!貴男です。
今日は、質問で頂いたサンプラスと金子さんのことについて書きたいと思います。サンプラスと試合での対戦はありませんが、先日のアガシ同様に全豪オープンの期間中にコーチの伝手でゲーム練習をする機会がありました。僕のジュニア時代の憧れはエドバーグとベッカーですが、サンプラスがグランドスラムで優勝するようになって、サーブでの体の使い方は参考にしていたし、サーブ&ボレーでウィンブルドンを連覇する姿は、憧れでもありました。
そんな選手と練習する機会を得た時は、あのサーブを受けられる感じられると思うだけでワクワクしました。実際にゲーム練習が始まるとサーブのコースを予測することが難しく、何とかリターンを返したとしてもボレーで追い込まれる場面ばかりでした。特にセカンドサーブの回転量が凄まじく、ブロックリターンで返すとボールが浮いてしまうことが多かったので、しっかり打ち込むようにしたら1度だけブレークすることが出来ました。
これは練習でのことなので、本番の試合でそうさせてくれるかは分かりませんし、自分のサーブを全てキープすることさえも簡単ではありませんからね。そしてサンプラスのストロークは、バックハンドでスピンとスライスを使ってゲームメイクしながら、フォアハンドのランニングショットのクロスカウンターで追い込む形を得意としていました。当時のライバルだったアガシやクーリエでも、このカウンターを防ぐのは大変でしたし、何よりもサーブ力がずば抜けていたのでグラスコートでは、異常な強さを発揮していました。
さて金子英樹さんについてですが、学年としては僕の3つ上で堀越高校と桜田テニス倶楽部の先輩です。1995年の全日本選手権2回戦で初めて対戦し、第1セットを取ったのですが、第2セットとファイナルセットを取られて負けました。左利きで体格こそ小柄な選手でしたが、ストローク戦で様々な球種とコースを使って相手を追い込み、アングルショットやトップスピンロブに翻弄されたのを覚えています。
金子さんは、サーブとスマッシュは左で打つのですが、ストロークでは、右利きの感覚でフォアハンドどバックハンドを打つ選手だったので、リターンでは、左利きのサーブに備えなければいけなくて、ストロークでは、右利きのパターンと戦わなくてはいけませんでした。選手時代は、デ杯で一緒に戦うことが出来ましたし、金子さんがコーチになってからは、バンコクでのジュニアキャンプやシンガポールでのイベントなどで一緒になる機会があり、テニスに対する考え方も面白く、色々な部分で共有させてもらっています。次の質問については、明日以降に書かせてもらいますね。
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 12:31 | コメントをどうぞ
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2005年のAIGオープンダブルス

こんにちは!貴男です。
男女のツアーが7月のウィンブルドン終了時(12日まで)まで延期でしたが、更に延びて7月終わりまでの延期を決定しました。これで早くても8月初旬のスタートになりますが、今後の状況次第でどうなるかは分かりません。早く試合がしたい見たいと多くの選手や関係者・ファンは願っていますが、焦っても良いことはないので、本当に悩ましい問題です。
では今日もメッセージのところに頂いた質問について書いていきます。2005年のAIGジャパンオープン(現・楽天オープン)でのダブルスでのことです。ちょうどダブルスにおいてのルール変更を模索している時期で、全米オープン後のアジアシリーズの大会からトライが始まりました。今までの3セットマッチからノーアドバンテージで1セットを5ゲームマッチ(5-0・5-1・5-2・5-3)4-4になったら通常のタイブレークを行い、それを3セットマッチで行うという形でした。
このような経緯があって、現在のノーアドバンテージで2セットやって、セットオールの場合だけファイナルセットを10ポイントのマッチタイブレークに至っています。そうなるといくらダブルスに実績があってランキングが高くてもルールが変われば試合の流れは読みずらいし、今でこそノーアドバンテージを普通にやっていますが、当時は誰も慣れていないという点がありました。
それにこのレベルに出場している相手ペアーは、全員が僕らよりランキングが上なので何も失うものはありません。ノーアドバンテージの時は、岩渕さんにリターンを任せて僕が前でプレッシャーをかけるということに専念したし、1セットで自分のサーブを2回キープすればタイブレークになるのだから、集中力が良い方向に働いていました。
このようなことはもちろんのことドロー運であったり、様々な要素が絡み合い、何と言っても地元の応援・声援と共に一緒に戦えたことが優勝できた要因だと思っています。決勝の相手だったアスペリン(スウェーデン)とペリー(オーストラリア)には、ATPツアーなのに申し訳ないと思うくらいデ杯のような雰囲気でしたからね(笑)サンプラスと金子さんとの試合については、明日以降に書きたいと思います。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:16 | コメントをどうぞ
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フェデラー

こんにちは!貴男です。
昨日の雨から一転して、素晴らしい晴れの天気で暑い東京です。これからの季節は、コロナウイルスの対策と熱中症などの暑さへの対策の両方を考えていかないといけませんね。そういう中でもプレー出来るテニスというスポーツを構築していかないと生き残れないなと感じています。
ではメッセージに頂いた2005年の全豪オープン2回戦のフェデラー戦について書かせてもらいます。この試合に関しては、取材を通してや様々な場所で喋っていることもあり、重複することもあるかと思いますので、ご理解ください。予選3試合では、ミドルクープ(オランダ)とマーク・ロペス(スペイン)とプレス(デンマーク)に勝利し、本戦1回戦でギャンビル(アメリカ)に勝ってのフェデラー戦でした。
特に予選決勝のプレス戦では、お互いサービスゲームを譲らない展開が続き、少ないブレークチャンスをものに出来たことが勝因でした。予選決勝という舞台は、ラッキールーザーの可能性が少しはある予選上位シードの選手ではない限り、負ければその時点で終わりです。何度か予選決勝で負けてラッキールーザーとして入れる可能性があったものの、結局1度も入ったことがないので、勝たないと意味がないのは十分に分かっていました。世間で言う天と地の差がグランドスラムの予選決勝だと僕は思っています。
さてフェデラー戦ですが、初対戦ということでボールのスピードや強さ・回転量は、想像するしかありませんでした。そして行き着いた考えは、相手のことを考えても始まらないので、自分のテニスを全て出そうという結論です。最高のサーブを打っても返されるだろうし、ネットプレーやスライスがどれほど通じるかなんて頭の中でシミュレーションしても上手くいきませんでした。それは当然のことであり、1位vs200位の対戦ですから、良いイメージで最初から最後まで戦えたら勝ってますからね。
それよりもセンタコートのナイトセッションなので、恥ずかしくない試合をしたい!これまでやってきた自分のテニススタイルを少しでも見てもらいたい!という思いの中で試合をしていました。現在も世界のトップとして戦っているフェデラーですが、あの当時のフェデラーを表すなら良い意味で荒々しいことです。
特に走る・飛ぶ・切り返すという動きの部分で今とは違った野性味を感じましたし、それがトップ10選手を相手にしても寄せ付けない大きな要素だったのではないでしょうか。あの時のフェデラーと今のフェデラーが戦ったら・・・なんて想像しますが、どちらも違った強さと魅力があるとしか言えません。そんなフェデラーのテニスを少しでも長く見ていたいと思うのは、ファンの皆さんだけではなく選手やコーチという関係者も感じることではないでしょうか。
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 13:34 | コメントをどうぞ
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タイの選手・アガシ

こんにちは!貴男です。
今日の東京は、朝方から雨が降り出し少しずつ強くなってきています。夜まで雨のようなので、家でやれることに専念します。では、頂いたメッセージの中から2001年に行われたデ杯・タイ戦+スリチャパンとウドムチョクについて書きたいと思います。
2000年の前半は、右肩の怪我でランキングを落としたのですが、夏のシーズンからチャレンジャーで連勝を重ねてランキングを上げることが出来て、タイ戦の時も調子が良かったのを覚えています。スリチャパンとは、デ杯の対戦で2勝1敗とジャパンオープンの対戦で1勝2敗なので、3勝3敗という対戦成績です。ウドムチョクに関しては、ATPのホームページで2勝1敗とありますが、これが全成績なのかどうかは定かではありません。
そのデ杯では、初日のシングルスで僕がウドムチョクに勝利し、本村さんがスリチャパンに敗れて1-1となって、二日目のダブルスで僕がトーマス嶋田と組んで勝利し、最終日のスリチャパンとのシングルスで僕が勝って日本チームが勝利を収めました。その頃のウドムチョクは、まだ線が細く対戦していても怖さという物は感じませんでしたが、その後トップ100にも入っていますし、ストロークでの粘りであったりボールを打つ能力は高かったです。
スリチャパンに関しては、トップ10に入った実力はもちろんですが、欧米の選手達に負けないパワーが一番の強みで特にフォアハンドでゲームを支配されると厄介でした。なので、スライスとネットプレーを上手く使って心地よく打たせないようにしないといけなかったし、パワフルなサーブにも手を焼きました。プレースタイルの違いからネットプレーvsストロークという図式でぶつかる場面が多かったので、対戦していて楽しかったです。
2005年・全豪オープンのフェデラー戦については、また後日書かせて頂くとして、アンドレ・アガシについて書きますね。アガシとは、コーチの伝手もあり2000年の全豪オープンの期間中に1度だけ練習する機会を得ました。憧れる選手の一人でもあったし、自分のサーブやネットプレーがどのくらい通じるかも知りたかったのでワクワクしました。フォア・バック共にボールを綺麗に強く打ってもコントロールには長けていましたし、何よりも次のボールを予測する能力は異次元でした。
サーブやネットプレーは、そこそこ通じていたのですが、ストローク戦になるとアガシは全然走っていないのです。僕が考えて考えて打つコースに既にゆっくりと動き出し、走ることなく歩く程度で追い付くラリーの連続なのです。こちらは、必死に走ってストローク戦をやっているのに、アガシは、何事もなかったかのように次々にボールを打ってきたのが印象的でした。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 12:33 | コメントをどうぞ
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本村さんと錦織選手

おはようございます!貴男です。
あっという間の金曜日なのか!?まだ金曜日なのか!?それぞれだと思いますが、元気にお過ごしでしょうか?僕は、特に変わることなくほとんどの時間を家で過ごしながら、元気にしています。では、頂いていた質問に順番に答えていきますね。
まず本村さんとの対戦ですが、初対戦が僕が中学3年の時のジュニアの大会です。本村さんが3学年上ですので、この時はまったく歯が立たなかったのを覚えています。ちなみに対戦した場所は、有明の4番コートだったと記憶しています。それからお互いが高校を卒業してプロに転向し、デ杯チームやプロの大会で一緒になる機会が増えていき、全日本選手権やチャレンジャー大会で何度も対戦してきました。それぞれのプレースタイルが対局に近いこともあり、ライバル関係と言われることも多く、お互いで負けたくないという気持ちがデ杯チームで一緒に戦っていても出ていたと思います。
本村さんのストローク・リターン・パッシングショットのレベルが上がると対抗するために僕のサーブとネットプレーのレベルが引き上げられていました。多くの方々は、フォアハンドのボールの速さであったりスイングスピードに目を奪われると思いますが、対戦経験からするとバックハンドのボールの方が僕は受けにくく、ボールの出所が分かりにくいと感じていました。サーブに関しては、スライスサーブが取りにくかったことは今だから言っておきます(笑)
そして錦織選手ですが、2007年のAIGジャパンオープンのダブルスで対戦したのみです。その試合は、錦織選手が添田選手と組み、僕がベンジャミン・ベッカー(ドイツ)と組んでいました。デルレイビーチのATPツアーで初優勝を飾ったのが2008年ですから、対戦した時は17歳で既に素晴らしいボール扱いをしていたのは言うまでもありません。その後デ杯チームで一緒になったり、ナショナルセンターで練習をする機会がありましたが、やはりバックハンドは一級品です。
いやそれ以上と言っていいと思いますし、片手で打つスライスも上手いです。両手打ちのジョコビッチやマレー・ナダルも素晴らしいですが、錦織選手のバックハンドは、殺傷能力が一番高いと思います。相手からすると態勢が悪くても、どこにでも打たれそうな感覚があるし、左利きの選手がフォアハンドのクロスコートで勝負しても何事もなかったように対抗できるのでナダルにも勝てるのだと思います。2001年のデ杯・タイ戦に関しては、明日以降に書ければと思います。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 10:24 | コメントをどうぞ
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豊田チャレンジャー・対戦経験から

こんにちは!貴男です。
ホームページでの応援メッセージありがとうございます。いくつか質問を頂きましたので、順番にお答えしていきたいと思います。愛知県の豊田市で行われていたチャレンジャー大会では、メインスポンサーがダンロップだったこともあり、ほぼ毎年のように出場していました。時期がシーズン後半だったこともあり、怪我で途中リタイアが多かったのは残念でした。そして日本人選手の出場が多かったため対戦することも多く、その場合ちょっと複雑な心境で試合をしていたこともありました。
僕の思い出としては、チャレンジャー大会だったので海外選手との試合の方がおもいきり挑戦できた部分があり、サーフェスが速かったのでサービス合戦になる試合も楽しかったです。優勝することは出来ませんでしたが、会場に足を運んで頂いた方々には本当に感謝ですし、サイン会や最終日のクリニック・週末のトークショーも僕にとって良い思い出です。ありがとうございました!
さて、これまでシングルスで対戦してきた選手の中には、後々にトップ100はもちろんのことトップ10に入った選手がいます。ブレーク・ベルディヒ・ナルバンディアン・ジョコビッチとは、チャレンジャー大会で対戦していますし、ツォンガ・フェレール・ワウリンカ・ソダーリングに関しては、グランドスラムの予選で対戦経験があります。どの選手も彼らが若い時に対戦しているので、対戦している時点で「あっトップ10に入るな!!」と全員から感じたわけではないですが、ベルディヒの堂々とした風格はよく覚えていますし、ツォンガの身体能力の高さには驚きました。
シングルスの対戦はありませんが、同じ大会に出ていたダビデンコのマシーンのようなストローク力とベルダスコのフォアハンドのスイングスピードは、ちょっと次元が違うと感じました。もちろん後々にトップ10に入れなかった選手の中にも彼ら以上の能力を持った選手はいましたので、そこに行く着くには、能力だけではなく、コーチとの出会いであったり、努力に加え運など様々なことが絡み合っての世界なので、将来的にどうなるかを若いうちに全てを見分けるのは難しいです。本村さんと錦織選手に関しては、明日以降に書かせてもらいます。
それでは、また・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:59 | コメントをどうぞ
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2010年の全日本選手権

こんにちは!貴男です。
先日ほどの暑さではありませんが、良く晴れた東京です。空気が気持ち良いので、おもいきりテニスがしたい試合がしたい衝動になりますが、ここ我慢です。コロナウイルスの感染者が確実に少なくなっているからこそ、もう一踏ん張りだと感じています。
今日は、応援メッセージに送ってくださった2010年の全日本選手権の杉田戦(決勝戦)のことを書かせて頂きます。結果から言いますと6-1・6-3で杉田選手が勝って、全日本選手権初優勝を成し遂げます。ここ数年の彼の活躍を知っている方には、世界ランキング36位までいったし、全日本選手権を優勝するのは当たり前と思っている方も多いと思います。けっして全日本を獲らないと世界に挑戦できないとは言い切れませんし、選手やコーチによってはATPやITFのツアーを回って実力を付けてから全日本に挑戦するというやり方もいい思います。
僕の場合は、95年の4月(18歳)にプロに転向し、全日本で優勝したのが96年・97年・2007年なので、全日本で優勝してから世界に挑戦したという形に見えるだけです。実状は、プロに転向してからヨーロッパや日本での国際大会にも出場していたので、海外のツアーを回りながら全日本が開催される時に帰国して優勝を目指していました。当初は、優勝したら全日本には出場しないつもりでしたが、様々な事情があって翌年も出場し、決勝の「天覧試合」で勝って2連覇を達成できたことは本当に良かったと思います。
さて試合の話ですが、やるからには勝つ(優勝する)気持ちで挑んだ決勝戦でしたが、数ゲームが経過して感じたことは、そんな果敢な気持ちではなく「まずいすぐに終わる!?」という気持ちでした。杉田選手とは、これまで何度か対戦して若い頃に一度勝ったことはありますが、噛み合ったらゲームが取れないという感覚を味わうタイプです。この年に22歳を迎える杉田選手は、ツアーで結果を残し始めていたし、決勝という舞台でも伸び伸びとプレーし、付け入る隙を与えてくれませんでした。
全日本選手権の決勝戦というのは、NHKで放送されることもあり、これは全国ネットで完璧にやられる姿を披露しているようなものです。1-6・0-3となってチェンジコートの時にスコアーボードを見上げて、まだ30分ちょっとしか経っていないと焦ったのは忘れません。そこから勝つとかブレークバックしようという気持ちとは程遠く、少しでも自分の良さを出すことに必死でした。内容としては、終始ストローク戦ではテンポ良く左右に振られるし、ネットに出てもパスで抜かれるというプレーが何度も起こります。
リターンの能力が高いのは分かっていたので、サーブの球種・スピード・コントロールを試行錯誤したものの4回キープしただけ、リターンゲームでは、チャンスらしいチャンスはありませんでした。それほど完璧に抑え込まれた試合でしたし、正直言って恥ずかしく感じた試合でもありました。どこかで自分に期待していた部分があったし、決勝戦の内容としては誇れませんからね。そんな経験も今となっては貴重だと思いますし、準優勝したことで準優勝者の気持ちが分かった瞬間でもありました。その他の事に関しては、明日以降に書きます。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 11:39 | コメントをどうぞ
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遠慮せずに!!

こんにちは!貴男です。
昨日の東京は、本当に暑さを感じる一日でした。冷房は入れませんでしたが、窓を開けっぱなしにしていないとすぐに空気が籠る感じでした。5月も中旬に入っていますから、これから少しずつ気温が上がって梅雨の時期が来て、あっという間に夏がやってくるのでしょうね。コロナの問題と共に熱中症対策も気を付ける時期です。
さてこれまで過去のデ杯やコレチャ戦などのことを書いてきましたが、皆さんが知りたい試合がありましたら、ぜひ応援メッセージの方に書いてください。全てを覚えているとは言い切れませんが、勝った試合だけではなく負けた試合でも構いません。勝つにしろ負けるにしろ何かしら理由があるし、その試合の前後で感じることもありますから意外と負けた試合の方が面白かったりもしますからね。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 10:26 | コメントをどうぞ
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今日は、暑い!!

おはようございます!貴男です。
今日の東京は、最高気温が30℃まで上がる可能性があるようなので、体調管理に注意して過ごしたいと思います。月曜日ということで新たな1週間の始まりであり、コロナウイルスに対しても気を緩めずにいきましょう!さて昨日まで2002年のデ杯・韓国戦の模様をお伝えしましたが、いかがでしたでしょうか?「いちファン」さんからのメッセージにもありましたが、この韓国戦での勝利をキッカケにホーチミン・京都・大阪で行われた3週連続のチャレンジャーで優勝し、ランキングを100位前半まで上げました。
サーフェスや気候の違う場所での連続優勝は自信になったし、99年の後半に同じくらいのランキングまで上がった頃よりも経験が生かされた部分が大きかったです。しかし、その勢いを1年を通して持続することが出来ずに、結果的に一度もトップ100を切れなかったのには悔いが残っています。なぜトップ100位を切ることが出来なかったか!?と、その事は考えトップ100を切った選手と自分のテニスを見て、自分なりに分析したりもしました。
勝つべく試合や思い当たる出来事に加え、ショット・動き・メンタル面などランキングに大きく関係することから細かなことまでです。もちろん答えはいくつか出てきますし、僕以外の他の誰かが見れば違った見解があっても不思議ではないし、同じ見解もあるでしょう。しかし時間は戻ってきません。いつも思いますが、今の経験値と考え方で若い時の自分の体とテニスがあればな~と思って終わるのでした。ということで、これまでの戦いから経験したことや自分の特徴を生かした指導でテニスへの取り組み方などを伝えていきたいと思います。
それでは、また・・・・・。貴男

カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 09:54 | コメントをどうぞ
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