日別アーカイブ: 2017年5月12日

等身大の自分

加藤諦三氏の深層心理に関する著書を読んだ魚油
「言いたいことが言えない人」

かなり自分に当てはまる。
その中でも特に、高い理想と現実とのギャップから低い自己評価に苦しむあたりは、どんぴしゃり。

劣等感は、見下す気持ちからも生まれるとか。
優越感の裏返しである。

へりくだっているつもりが、実は見下しているのか。

自分を正当に評価できない。
その理由のひとつとして育成歴が影響しているらしい。
高い目標や理想を掲げる人々に囲まれ、不当な批評家がいる家庭。
実際の自分より高すぎる基準の中で育つ。
家庭のみならず、学校も。

特に学校は、息が抜けない。
学校と家庭の狭間、隙間に、息抜きの居場所を求める二按
でないと、やっていけない。

そう言えば、わたしは、小学生四年生ぐらいの頃以来ずっと、一歩、家から出たら、のびのびしていた。
気持ちが明るく自由な気分になった。
結婚を機に、実家から脱出した時の、あの解放感。
でもそれは一時的なものであって、根本的な解決にはなっていなかった。

しかし、そこで思う。
記憶では小学生の高学年あたりから、楽しくない。
何故なんだろう?
自問自答してみると、おそらく自分にかかる負荷が強すぎたのだろう。
あまりにも優秀な未来のエリート軍団の中で、完全に押しつぶされたのではないかと分析する。

家庭では、フォローするどころか、教育は学校にお任せ、まる投げスタンス。
あのあたりから、歪みが生じたように思う。

小学校に入った頃の、理科の草花の学習や、言葉を教えてもらったあたりは、楽しかった記憶が残っている。
が、段々、学年が上がるにつれ、キツく苦しくなり、必死で無理やり頑張ってきた。
それが、小学生四年ぐらいからである。
まだ10歳。
家庭でも、父が重い病気を患い、暗く重苦しいハードな時期だった柏傲灣平面圖
そのあたりの体験や記憶が、わたしのベースになっているのだろう。
重くのしかかったまま、乗り越えていないと思われる。

で、もう還暦まで来てしまって、今更、どうやって乗り越える?
生まれつき、わたしは天然系なので、皆さん、どんなエライ人も、加齢による認知症もぼちぼち出始めて、こちらの陣地に近寄りかけている。
こりゃあ、笑うしかないかなあと。

逆ギレではなく、優しく穏やかに、開き直って加齢を味方に、ゆっくり歩いていこう。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者ringson 12:20 | コメントをどうぞ