ブログ引っ越しましたよー。
新しいブログのURLはこちら。
http://1000win1000lose.blog.jp/
ご愛読くださった皆様、ありがとうございました。
引っ越し先でも変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い致します。
終わりじゃないよ!俺達の旅はこれからだ!
古い友人にソクラテスを尊敬している奴がおります。
・・・・・・。
いや。右上の✕ボタンを押すのはちょっと待ってもらえませんかね(・∀・;)
ちゃんとテニスの話に繋がりますから。
ソクラテスは古代ギリシアの哲学者で、「自分は何も知らないということを自覚して
いる者は、それを自覚しない者より優れている」という思想「無知の知」を提唱した
ことで知られています。
ソクラテスは賢者と呼ばれている者を次々に訪ねては対話を行い、彼らが実は自分で
語っていることをよく理解しておらず、よく知らないことを知っていると思い込んで
いることを指摘していきました。
その結果、ソクラテスは賢者であると評判が広まる一方、無知を指摘された人々から
は憎まれ、公開裁判で死刑を宣告されて毒杯をあおる事になるのです。
さて、この「無知の知」ですよ。
我々テニスプレイヤーはテニスというスポーツに関して、多少のことを知っています。
少々上手くなれば150㎞/hを超えるようなサーブも打てるし、そんなサーブを打ち返す
こともできます。テニス未経験の人が見れば「すごい!この人は達人に違いない!」
と思われるかもしれません。
でもその高速サーバーは、サーブのことをどれだけ理解しているのでしょう?
なぜその位置にトスを上げるのか?なぜ膝を曲げるのか?膝をどの程度曲げるのが
最適なのか?インパクトの位置は本当にそこが最適なのか?いくらでも疑問が出て
くるはずです。
「俺っちサーブ得意だもんね!150キロ出せるもんね!」というのは慢心であり
思考停止と言えましょう。「自分はサーブのことを何も知らない」と謙虚に一つ一つ
試行錯誤することが上達につながると思うのです。
でもねー。ごちゃごちゃ考えて打つとダブルフォルトするし、かえって
「打てるもんなら打ってみろ!」と慢心するくらいの方が結果が良かったりするん
ですよね。
やはり私はテニスというスポーツについて何も知らないのだ。まる。
久しぶりの名言シリーズ、とっておきのこれで行ってみましょう。
病弱テニスプレイヤーひなしーの愛読書「はじめの一歩」
「スラムダンク」と並ぶ運動部のバイブルですね。もちろん私も全巻読破
しています。
煌星のごとく数々の名言を残しているこの作品ですが、特に一歩くんの師である
鴨川会長の言葉には素晴らしいものがあります。中でも有名なのは
でしょう。
「天才」とか「才能」とかいう便利な言葉で努力を諦めたりせず、
「努力は必ず報われる」という耳障りの良い言葉でごまかしたりせず、
ただただ自分を信じて努力を重ねろという厳しい言葉ですね。
あまりにもこの言葉が有名になりすぎて、本来「当然~すべきだ」と使われる
「すべからく」という言葉を「すべて」という意味で誤用する人が後を絶たない
そうです。
上記の名言は有名すぎるので、私が今回選んだ名言はこちら。
これも厳しい。
「毎日の積み重ねで強くなる」のではなく、「漫然と日々を過ごせば弱くなる」
と言うのです。しかも「どうすればいいか自分で考えろ」と。
練習するのは当たり前。それも強くなるにはどんな練習をすればいいのか、
場所と時間と相手をどう確保するのか、アドバイスをもらうには誰にどんな
質問をすればいいのか、自分で考えて行動しなければ強くなれない・・・
いや、「弱くなる」のです。
さすが鴨川会長、厳しいながらも愛情に満ちた名言ですね。
どこかの怪鳥も見習わなければいけません。
一昨日の記事は「ドラゴンズ山本昌引退」でしたが
今日はその山本昌広投手の名言で行ってみましょう。
1984年、中日ドラゴンズに入団した山本昌広投手は新人合同練習でさっそく
プロの厳しさを味わいます。高校時代とは別次元の厳しい練習、そして
それを平然とこなす選手達に圧倒されたのです。
そしてこんな言葉をつぶやきました。
50歳まで現役投手として投げ続け、219勝を挙げた大投手も、最初は
ただただ周りに圧倒されるルーキーの一人でしかなかったのですね。
私が同じようなことを思ったのは、地元北見市のB級大会で何度か優勝して
A級シングルスに出場した時です。
1回戦でK市テニススクールのコーチと対戦して、初めて見るキックサーブや
エッグボールに圧倒されてほとんどラリーにもならず、1ゲームどころか
合計で5ポイントくらいしか取れずに敗れたのですが
そのコーチも準々決勝くらいで負けてしまい、その後の試合を見ながら
「こいつらどんだけ強いねん・・・」と思っていました。
おそらくそのコーチには今の私でも勝てないでしょうが、少しはまともな
ラリーをして苦しめることくらいはできると思います。
「とんでもないところに来てしまった」「こいつらどんだけ強いねん」
と感じながらも、あきらめずに何年も練習を続けて挑み続ければ意外と
近いところまで行けるものです。
A級には化物とか魔神とか勇者とかがたくさんいるけど、まだまだ彼らとは
差が大きいけど、あきらめずに頑張るよ!
私はあまり艦船や飛行機などにはあまり興味がなかったのですが、
ブラウザゲーム「艦隊これくしょん」を始めて以来、何かとWikipediaで艦船や艦載機、
第二次大戦の海戦などを見たりするようになってきました。
そんなわけで、久々の名言シリーズ行きますよ(・∀・)
太平洋戦争で活躍した木村昌福中将。
この木村提督は「海軍大学校出身のエリート」ではなく、駆逐艦勤務などを経た
「現場叩き上げ」の指揮官で、部下をむやみに叱ることもなく、勇猛ながら常に冷静な態度で
将兵からの信頼は厚かったそうです。
特に人道的な指揮官として知られ、
・敵の輸送船を撃沈する際に乗員を退去させてから沈めた
・全軍撤退の中、「ごめーん、エンジン壊れた(意訳)」と嘘をついて他艦の乗員を救助
・敵輸送船団を撃破した後、司令官自ら「お前ら先に逃げてろ。俺はやる事あるから(意訳)」
と言い残し、危険海域で機関を停止させて撃沈された味方艦乗員の救助を行う
などのエピソードが残っています。
中でも有名なのが「キスカ島撤退作戦」。
敵中に孤立したキスカ島の守備隊5,200人を船に乗せて撤収させるという作戦なのですが
アメリカ軍は島の周囲を厳重に包囲しており、作戦は困難を極めました。
木村提督は濃霧に乗じて出撃するのですが、突入寸前で霧が晴れてしまいます。
そして強行突入を主張する部下たちを・・・
と諭して撤退するのです。
帰還した木村提督は司令部からの催促や周囲の誹謗中傷も意に介さず、再び濃霧を待って
出撃し、犠牲者を出すことなく守備隊全員を撤収することに成功しました。
この作戦は『太平洋奇跡の作戦 キスカ』として映画化されています。
さて。
毎日のようにテニスをしていると、大抵どこか痛めるものです。
手首、足首、肘、膝、腰、アキレス腱などなど。私も捻挫で全治1年という怪我を経験しました。
あれ?ちょっと痛めたかも?と思ったらこの言葉ですよ。
無理をして怪我が長引いたり、再起不能になっては元も子もありません。
少しでも違和感を感じたら、無理せずに帰って治療するのです。
そうすればまたテニスできるから・・・。
などと言い残して、今日も無理矢理テニスブログにするのでした(・∀・)