月別アーカイブ: 2013年11月

昨日は佐賀市立テニスコートへ

木曜日、曇り 晴れ
昨日は朝から佐賀市立テニスコートへ出かけた。息子の嫁のお父さんから水曜日に仲間と練習しているので遊びに来ませんか、と9月の初めグラスコート選手権が佐賀であった時、おじゃましてそんな会話をしていた。
植木インターから乗ってみやま柳川インターで下りて2時間くらいで着いた。距離にして70キロの半ばだった。佐賀市の郊外とおぼしき所で体育館がありその前にテニスコートが8面、4面の背中わせであった。
4面のコートを借りきっており、9時に到着した時には二十数名がコートに入って曇天の肌寒さを感じるなか熱心に練習をして面々に試合を行っていた。
ぼくもすぐ仲間に入れてもらい楽しんだが、皆さんのレベルは思った以上に高くて苦戦の連続だった。k壮会松A以上の力を感じていた。ペアを変えて5セット、成績は3勝2敗だった。
何時もは9時から13時くらいまでやると言っていたがその日は12時で終わった。風が強くなり気温も上がらなかったこともあったのだろう。

今日は久しぶり10時からH氏とシングルス。ぼくは30分くらい早く行ってサービスや両手打ちを一人で練習していた。一回り若い彼と互角に戦うためにはこれくらいはしておくべしと思ったし、今イメージしている左右両手打ちを確認しておきたかった。

ファーストはワンブレークでリードしていたが、44と追いつかれ、先日のシングルスの大会でのOG氏の試合と同じパターンを踏んでいた。ぼくはそんな悪いイメージを払拭するように心がけていた。44で相手のサービス0 40と自分のミスで墓穴を掘っていたが、それから慎重にプレーすると逆転54とリード、ぼくのサービスをキープして、ファーストをものにできた。セカンドはラケット変えたりしてやっていると05 15 16とセカンドを落として、約束通りの10ポイントンのタイブレークに突入した。タイブレークは終始リードで勝つことができた。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:28 | 2件のコメント

CDクレイコート、最後のシングル大会は

土曜日、曇り 晴れ
県主催、今年最後の大会がCDコートで行われた。今日は男子35歳、45歳、50歳、6歳以上。女子B,C,40歳以上の試合が組まれていた。60歳は12時10分とえらくしびやに決められていたが、何時もの調子で間延びした試合進行で進んでいた。
60歳代は6人のエントリー、二組のパートに分かれて各二試合をこなしてパートの1位同士で決勝戦という段取り。ぼくは1パートの一、二、三の三番目。最初に一、二が戦い二が26で勝利。次に二と三のぼくが対戦した。二のOG氏とは過去4回ぐらい対戦した記憶あり、直近の勝利は2009のこの大会の50歳の部。その時はぼくが何とか相手のミスに助けられて勝利していた。

相手は巻き込んでくるようなフォアーのショットが得意な選手。
試合は最初のサービスをブレークして先行し、ぼくの流れで進んでいた。ぼくのショットが好調のうちは相手のフォアーを殺していた。10 20 21 31ここで相手のサービス、ここでブレークチャンスを逃したのが大きかった。32。42ここでもブレークチャンスはあった気がする。43、そしてブレークされて44、球が浅くなり始めてフォアーの強打を有効に決められ始めた。流れは変わっていた。ぼくはもがいたが45 46と力尽きた。精いっぱいやったし、相手を認めざるをえなかった。

パートの1番、1シードの優勝候補KN氏との2試合目は消化試合の気持ちだった。KNさんに申し訳ない、ぼくが前の試合に勝っておれば、1勝1敗の可能性が残され、三すくみでKN氏にもチャンスは残されていた。

ぼくは憂さを晴らすようにガンガンやると一方的に30とリードしていた。このまま進めば60かもと頭によぎり、へんな雑念が浮かんできたりした。ぼくのサービス、思い切りまたエースを取ろうと力むとダブルフォールト2本おかして31。それから、もがけばもがくほどアリジゴクのように36で終わっていた。

なんだか昨日のK壮会を再現するような内容の2試合だった。
負けましたが、自分の足りないところが分かったし、練習して次の試合につなげたいと思います。と、試合後の負け惜しみのプロ選手のコメントをぼくものべたい。

ぼくと練習をしたCクラスの彼女は2敗したと頭を垂れていた。ひとごとでない、ぼくと同じではないか。
そしてCクラスに同じクラブからもう一人出ていると会場で知った。よく知っている元気活発なOKさんだった。その彼女が2位になったと二人で帰ろうとしているところに出くわしてびっくり。「2位じゃなくて準優勝ですよ、すごいすごいおめでとう」ぼくは精いっぱいねぎらいの言葉をかけた。16名、4パートに分かれてのC
クラス。ちらり覗く、どう見てもCクラスの打ち方でない選手との決勝戦だったらしいのだ。
シングルスの試合は初めてらしいは彼女の健闘に、自分のふがいなさを思わないではなかった。

001

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:42 | コメントをどうぞ

K壮会11月例会

金曜日曇り 晴れ
運動公園、秋の気配色こし。朝道路は濡れていたが曇り空に雨の気配はなかった。
参加者男子70名、女子28名の計98名。組合せ表を見た時は何とかなりそうな感じはしていたが、1勝3敗と勝てそうな試合を2試合負けて万事休していた。

明日から、この運動公園のCDコートでシングルスの大会がある。CDコートはセンターコートを入れて16面、大きな大会ができる規模だ。そして、いまどき貴重なクレーコートである。しかしこの大会が終われば人口芝コートの工事が始まるという。クレーコート最後の試合にぼくは60歳代にエントリーした。
今日の出来を見ると自信は遠のいたが頑張ってみよう。

002

009-1

011-1</a

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:52 | コメントをどうぞ

信頼を勝ち得た孫の七五三

木曜日、晴れ。
一番下の孫娘の七五三。信頼を勝ち得た孫娘は来年早々3歳になるという。着飾った姿に本人も大満足で家にやってきた。上の孫は羨ましそうに眺めている。二年したら7歳になったらまた着れるからねと慰めている。
近くの阿蘇三宮お参りしてから、一緒に昼食して、次男たちは用事があるらしく車でどこかに出かけた。

2時過ぎからコートへ出かけると、今日は珍しく多かった。クラブハウスの中ほどでMさんが笑顔を向けていた。シングルスしますかというと、はちきれんばかりの笑顔になり、いいですかSさんの大事な練習の時間にという。

彼女が土曜日行われる県主催のシングルス大会CクラスエントリーしているのはPCのドローで見ていた。昨年の同じ大会で同じクラブ名での女性がいると分かって、誰だろうと遠くからだったが試合を見てた。その人が彼女だった。思い切りの良いフォアーのストロークが武器で勝てるかなと見ていたが、最後は突き放されて負けていた。
こりずに今年もエントリーしているのを知って、何時でも練習相手になる用意はあったが、彼女たちは室内3面のコート以外でやるのを避けていた。日焼けを気にしてのことだが、そんな気持ちの彼女らには打ち合いたくもなかった。

どこでやるんですかとのたまうので外に決まっているでしょうというと、分かりましたといって準備に消えた。曇り空の下なのにと思ったが、女性の気持ちは分からない。
しかしコートに立つと、そんな彼女もきびきびとして、一生懸命だった。ファーストセットはミスも多かったが、ぼくが今まで経験したこと、教わったことなどをゲーム途中でアドバイスしながらやっていると、セカンドはミスも少なくなり、甘いボールは得意なフォアーで仕留めらてていた。ゲームカウント1対1で分けた。

ひとごとでない、ぼくも土曜日は同じ会場で頑張らなければならないのだ。
007

014

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:38 | 4件のコメント

早朝シングルス

土曜日晴れ 曇り
8時半から昨日の約束通りシングルスを行う。いつもは9時開門だが土日はジュニア連中が朝練に精出しているからハウスの入り口は解放されている。さて、いつだったか前回は2セット取った記憶がある。それはやっとこさだったが。その後K氏が来週試合に出る仲間数名とシングルスをやっているのを目にしていた。調子良さそうに見えていた。試合で手にしょうと思うシープのハイブリッドを使って20と出だしがよく、て30になればと期待したがサービスキープされて21、ブレークされて22と混戦になっていった。23 33 43 53 サービスキープすればと思っていると40 0から落とす、本番を思い出す嫌な流れになっていた。55からタイブレークと頭を霞めたが、54から相手のサービスをブレークして64でかろうじて取ることが出来た。やれやれだった。セカンドはナダルガットのラケットを手にした。どんな結果になるかと案じていたが、ほぼ同じ流れでまたも勝利してしまった。ラケット選択に迷いがでそう。

全日本テニス選手権女子シングルス決勝戦をNHKテレビで見る。穂積絵莉(19)と今西美晴(21)の対戦。64 46 64で19歳の穂積絵莉が初優勝を飾った。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:51 | コメントをどうぞ

同世代の島倉千代子逝く

金曜日、曇り。
午前中、修理しながら使っていた洗濯機更新。昨日のシングルスのダメージの大きさに、歳かなと思ったりしたが、リハビリだと思いコートへ出かけた。今まであまり経験のない左大腿部が痛くなっていたし、疲労が蓄積しているようだ。がらんとしたコートだったが練習相手は見つかった。ストロークとダブルス2セットしていると、KA氏がコートに現れた。レッスンに来たという。ぼくともシングルスお願いしますというと、こちらこそ、明日8時30分からどうっですかいうのだ。明日は早すぎると思ったが、OKした。こちらからお願いしたのだ。
島倉千代子が亡くなったという。享年75歳、ぼくとほぼ同じ世代なのだ。

「この世の花」デビュー曲は16歳という。ぼくが高校生時代ということになる。あの時代の出来事を走馬灯のように思い出す。皿倉山のふもと、大谷広場の屋外舞台で当時のトップ歌手春日八郎などと一緒に見たような気がするが、幻かもしれない。
ひとごとではなかったよね、OKさん。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:55 | コメントをどうぞ

久しぶりのシングルス

木曜日、曇り。
久しぶりのシングルス。HAchi氏と十時約束、朝方まで雨が降っていたが、予報通りにやがて止んだ。しかしコートは苦手な水を含んだ人工芝だった。先日ワンセットやったとき苦戦したが今日もその再現だった。得意のフォアーに足がよく動いていた。ぼくも頑張ったがファーストは26でやられていた。取れそうな2ゲームを落としたのが勝敗の分かれ目だった。

セカンドは短パンになり、腰のガードベルトもはずして意気込んだが03と相手の勢いは止まらず、どうせ負けるならと3本目のラケットを試して見ようと少し強めに張っているナダル使用の黒いガットに持ち替えた。
すると33 44 64と危うく連敗は阻止することが出来た。ガットのせいか気持ちのせいか分からないが引き分けることが出来た。
来週末、県主催のシングルスの大会が開かれるが、自信を無くすに十分な試合内容だった。

wowowでの工藤静香の歌番組を録画していたので、再生してみた。Sさんが亡くなってからの放映でなく昨年末に演奏されたものであったがSさんをしのんで聞いてみることにしたのだ。今まで二回見たものとは異なり、ドラマーがかっこよくアップで何度も映された。曲の出だしのしばらくをドラマーのソローだけで歌った珍しいシーンもあったりして驚いた。サングラスの御子息はかっこよくメリハリをつけてドラムをあやつっていた。
Sさんが見たならば涙を流して喜んだろうにと、無常をさびしく思った。今年のある暑い日だった。コートからクラブハウスに歩を進めていると、入り口近くにSさんがテニス姿でない人とたたずんでいた。近づくとぼくの方に目線を向けて、お世話になっているTさんですとか言って紹介した。
息子が帰ってくると笑顔で話していたのを思い出す。色白の垢抜けした好男子だった。東京でそんな生活をしている人に見えた。自慢の息子、突然のことでぼくも緊張していた。あとで思ったデジカメで撮っておけばと。又のチャンスもあるだろうと思ったのに・・・・。Sさんぼくがしっかり見ていたからね。かっこよかったし演奏も抜群だったよ!

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:57 | コメントをどうぞ

孫の信頼を勝ち得た日

水曜日、曇り。
近くに住む二男の嫁が体調不良でいるから、なにか電話があったらよろしくと二男からケイタイがあった。
何時も当てにしているあーちゃんは夕方まで留守なのだ。ぼくに直接電話することはめったにないから心配になって車を走らせると、途中ですれ違う。長女を幼稚園迎えのバスに送っての帰りだ。顔色悪く元気がない。病院まで送りますよと言って部屋で待っていた次女を乗せて近くの病院へと向かった。2時間ほどかかり、病院には遊ばせるところはないと、困惑顔でいうのだ。I氏には何時もの10時からの約束は断っていた。時間は十分あるが、まりあちゃんとの二人だけの時間は自信がなかった。しょっちゅう遊びには来るが玄関を上がっての挨拶と帰りの挨拶くらいで、ぼくにはほとんど近寄らずに二階であーちゃんといろいろ遊んでいるのだ。じいちゃんと遊ぼうと言ってもあーちゃんがいいと言って全くうてあってくれず、それをいいことにぼくは努力を怠っていた。
まりあちゃんを横の座席に乗せて病院を出ようとするが後追いする様子はない、家に帰ればあーちゃんが待っていると思っているかもしれない。家へ帰るのはヤバイと考えた。公園に行こうというと「うん」と笑顔。
「元気の森」と甲板のある公園が家から少し離れたところにある。ゴルフのミニコースの一部を活用、周囲にウォーキングコースのある広い草むらと、ところどころにどんぐりの木などがある。そしてぽつんと一か所幼児向けの滑り台をメインとした遊戯施設がある。
ぼくは嫁が用意していたおむつ、着替え、飲み物、お菓子などが詰め込まれた手提げを提げて、解放されたかのように草むらをよちよちと歩いて行く孫の後ろを追った。なだらかな起伏んある草むらをどんぐりの木の下ではどんぐりを探し、銀杏の木の下では黄色の葉を手にし、棒切れがあればそれを拾ってチャンバラの真似事をして、水道の飲み口では何度もコックに手を当てるが水を出すことは出来なかった。

公園をほぼ一周したところで小さなタンポポを見つけて、息を思い切り何度も吹きかけて種をとばした。最後に遊戯施設でしばらく遊んでいると元気良さそうな園児がやってきたので、あわててその場を離れたのだった。小一時間たっていたので孫を車に乗せた。そして残りの時間をテニスコートでつぶそうと思った。

コートへ着くとちょうど3番コートでI氏とHI氏のシングルスのたけなわであった。車から降りるとANAi氏と鉢合わせ、孫を見つけるとびっくりの表情で車に戻ると孫向けのお菓子を手渡してくれたのには驚いた。
シングルスのコートサイトへ行くと、驚いたように親しくしているおばちゃん二人が駆け寄ってきた。目線を合わせて孫に質問する。孫は直立不動で立っていた。「お名前は」「shinoda マリア」「何歳ですか」「にさい」としっかりと言ったのにぼくの方が驚いていた。えー、こんなにしっかりしているのだと。感心した。まりあちゃんはお利口だったのだ。まさに知らぬが仏とは・・・・。
何時までも直立不動にしているまりあちゃんへ、ここへ座ったらと横に座らせるとやっと落ち着きを取り戻した。
しばらくテニスの試合を見学していた。ぼくが拍手するとまりあちゃんも一緒に拍手した。おばちゃんからお菓子を貰った。手提げの中のジュースやお菓子を食べさせて、もうそろそろと、おいとまして病院へと走らせた。まりあちゃんンは知らぬ間に眠っていた。やっと病院へ着くと気の毒そうに先生が忙しくてあと1時間半くらいかかるという。
車の中で眠っている孫のおむつを取り替えてもらってから、もう家に帰るしかないと思った。それから孫は車の中で1時間半は十分に眠っていた。ケイタイが鳴った。診察が終わりました。ぼくは急いで車を走らせた。病院へ着くと嫁は外で待っており、車のドアーを開けるとまりあちゃんは目を覚まして満面の笑みを浮かべていた。
ぼくは2時過ぎコートへ出かけて軽くテニスをして戻ると、あーちゃんが戻ってから孫二人が来たらしく、じーちゃん大好き大好きといったらしい。さあ、これからが大変になりそうだ。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 19:46 | 2件のコメント

関東選手権の思い出

11月5日 火曜日、晴れ。 午前中、家のメンテナンス。午後、1時からのレッスン久しぶり受ける。グリップを変えたりしての左右両手打ち、少しは良い方向に変化があってほしいと、確かめているこの頃だ。今日はいろんな球出しがあって面白かった。

「第1回玉造山陰ベテランオープンテニス選手権」にfuji氏が出かけていると小耳にはさんだことがある。はるばる山陰まで出かけたと知って来年への意欲を感じていた。ベスト4だったと仲間から今日聞いたので早速パソコンを開いて見た。 山陰は陸の孤島と言われるくらい交通不便なところなのにけっこう参加者がいたのにびっくりした。65歳S-57人,D-9組、70Sー31名 D-5組 75S-4名 D-不成立。KN氏も同じく65でエントリーしていたがB16で終わっていた。

その選手たちの熱意に驚いているはんめん、ぼくの熱意は正直減退している。時間をかけて、金かけて、孤独に耐えて・・・どしてそこまで頑張り続けるの。ぼくはもう十分やった気がしている。 JOPに挑戦しはじめ頃、70を前にして知らぬが仏で関東選手権に3年つづけて挑戦したことがある。もしかしてぼくの両手打ちが通じるかもしれないと、しかし現実は甘くはなかった。選手の名前と顔を知らず、その腕前も未知数で勇躍参加したのだからお笑いもいいところだったのだ。一回目は65歳代最後の年、会場は小田原だった。四面楚歌の面持ちでの見知らぬ土地、1回戦は泣く泣く必死で頑張り1勝を挙げたが次はシードの元デ杯選手のkuromatu選手だった。たしか30代のころだった、朝日生命のテニス教室で往時の日本を代表する選手たちが、ぼくのテニスクラブにもやってきた。羨望の眼差しの中の一人に確かいたのだ。その人とできるのが光栄で緊張していたことを思い出す。一方的に敗れたが、試合が終わりそのことを話すとなつかしそうに眼を細めた。次は70歳の最初の年、仲間からチャンス到来と励まされその気になって参加した昭和の森の会場。1回戦で負けてしまったのだ。それもファーストは簡単に取りしめしめと思っていたのに、弱点を悟られたのか分からないがセカンドファイナルと相手の流れで敗退。あの時の切なかった気持ちは忘れられない。 翌年は大宮の会場、1回戦で(13-16)シードを破り2回戦も勝って3回戦2シードと対戦して敗れたが、手ごたえを感じたことを覚えている。

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:38 | コメントをどうぞ