カテゴリー別アーカイブ: 日記

久しぶりの運動公園 偶然に熊壮会が行われていた

月曜日 晴れ 朝夕秋らしく冷え

体力気力その内回復するだろうと楽観視していたが、さもあらず。

毎日運動公園でウオーキンや壁打ちをしているという温泉仲間から、気分転換に運動公園は良いですよと誘われていた。

チャリで運動公園へ、9時半過ぎ家を出る。退院してから初めての長距離でのチャリ。ハ ンドルさばき問題はなかったが、坂道には体力なさを実感していた。コートで走り回るのは問題があると感じていた。11月から左肩を極力使わないテニスを再開してみようかと考えているのだが足がダメなら無理かもしれない。

一番広い広場の草原に立ったが紅葉には早すぎた。Aコートを垣間見るとテニス仲間が週三回の練習をしている。

日当3万円だとメディアが取り上げていた、車チェックの監視員が公園内に配置されていた。チャリを車の横に止めたら近寄ってきて、あそこに止めてくれと指さした。問題ないところだと思ったが、文句言っても疲れる。

よたよたとジョギングしている似たような人がくる、彼だった。「壁打ちは」というとまだ少し走る?というので、ぼくはチャリでメインコートCDの方に行く。その一角にセンターコートと壁打ちコートがあるのだ。

チャリを監視員に判らないように草むらに寝かせて、階段を上がるとCコート眼に入る。にぎやかだ、何かの大会をやっている。女子の選手だ、女子連か何かの大会かと近ずくと、

ぼくを遠目に見つけたのか一人の女性が小走りでくる。頑張り屋(kubota)さんだった。聞くと熊壮会だと言うのでびっくりしてた。みんなに会って挨拶セロということだったかもしれない。4ケ月で腕は完治に近いのだ。Dコートへ行くと男子の試合が行われていて、親しくしていた人達と合って会話をしていた。

ぼくは調子に乗って連絡員に11月の会には参加しますと言ってしまった。

IMG_1100

IMG_1098

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:13 | コメントをどうぞ

腱板断裂手術4か月目 順調すぎる回復だと思う?

金曜日 晴れ

今日は10月15日、腱板断裂手術して4か月目です。6月15日手術してから7月21日退院した。
脇を固定する装具はつけっぱなしで高速バスで帰り就くとその足で、近くのリハビリの医院に行きリハビリをお願いする。

まだ腕は肩まで上がらず左手はほぼ使えない状態だった。片手だけしか、風呂に入るときなど不自由さを実感していた。ズッコケでもすると、肩を痛めて悪くすると再手術とかが頭をかすめて必要以上に慎重になっていた。今はほぼ普通通りに風呂も入れるし、当初はラジオ体操もままならなかったがいまでは、左右の腕を同じように体操できるようにっている。

まだ少し違和感残るところもあるが、半年後、あと二か月すればそれも解消されることを期待している。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:47 | コメントをどうぞ

母と父の結びつき➁

火曜日 晴れ 今日も暑そうだ

昨夜またデイズのバッテリー上がっているのに気が付く。何がいけなかったのか分からないが、施錠していなかったのが、一番の問題だが。

タイトルの②は下記の日付でおうよそ書いていたので、コピーする。

2021年03月27日  土曜日 晴れ 「ファミリーのルーツを尋ねて」

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 09:20 | コメントをどうぞ

手術の質問にてまどる 長女夫婦急ぎの旅

月曜日 カレンダーではスポーツの日の祭日と思えしが東京オリンピックと振り替わりとかで休みでないと長女が言う。昨日福岡で友達と会って昼過ぎやってきた。二人でできたての熊本城に行ってきて、暗くなって帰って来てそれからの旦那と行きつけの温泉へとバタバタする。
入城料は800円で高すぎると言って眉をひそめていたが、ぼくもそう思った。みんなの寄付でこぎつけたのであろうから、500円から400円だったら、またという気持ちにも、なろうけれども、もう二度と行くかだとぼくは想像する。

今朝は9時半からの映画を見ると言う。4人で新型デイズに乗り込んで光の森へ出かけた。映画には行った記憶が見当たらない。お付き合いで行ったのだが、前の席を取っていたので、迫力ある音響に両手で聞こえずらくなった耳を両手で抑えながら調節しながら、カーチェイスのド迫力、次々と変化する画面の音響のド迫力に3時間余耐えるのはしんどかった。
最新作・映画『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』最後には15年間主演の007は死ぬ。昼は熊本ラーメンを食べて高速バスで福岡空港へ帰途に。

久しぶりのコメントの返事に手間取る。(腱板断裂手術の質問)
テニスの温泉仲間から、手術をした人がいると聞いていたが、誰かははっきりとしていない。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:16 | コメントをどうぞ

母と父の結びつき①

金曜日 晴れ

父はきつい労働について行けず、抜け出して写真屋さんの手伝の仕事にありついたのだろうか、おそらく十代で行ったことだろうから、かれこれフィリピンでの生活は20年近く続いていたようだ。

技術も取得して余裕もでき、だからそれなりにフィリピンでの生活を楽しみ写真館として独立して、お店や車も持てるようになっていたようだ。稼いだお金を田舎に仕送り山林などを買っていたようだと母から聞いたことがある。

写真屋さんなので写真は沢山、色々と生活ぶりが想像できる。父は結婚を考えていた女性に振られ40近くなっていたので慌てたのだ。日本で花嫁探しを始めたのだ。

記憶に残っているいることを、つなぎ合わせればさもありなんと、思うのだ。長女の母は、女学校を卒業して中津にある専門学校で小学校教師の免許をとり、田川で先生をしていたようだ。長女で年ごろになっていた母にそんな縁談が舞い込んだのだ。

年齢差二十歳、嫁ぎ先はフィリピン、普通だったらキャンセルする縁談だが、好きな人との結婚を反対されていた母は違う思いがあった。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:37 | 1件のコメント

テニス仲間の訃報  兄宅訪れ親父のルーツを

木曜日 晴れ

近くに住むテニス仲間の訃報の知らせにがっくり。八十路にはまだ少しあったはずなのに、先に行ってしまった。胸の病で入退院していたが、テニス仲間のラインに「・・・総合的検査の結果、再度熊大病院で治療することになりました、あとひと踏ん張り頑張りす。・・・・」と写真入とりのコメントがあった。あの写真が気になっていた。明日が通夜、明後日が葬式。合掌。

火曜日兄のところに行ってきた。葬式の会場で、連れ添いの看病疲れと急逝にショックを受けていた、痛々しいほどの兄の姿が気になっていた。

昼からお願いして親父のルーツの部落を訪ねて行く。40年ぶりくらいかな、終戦直後に行ったときは神社の中に戦闘機らしきものがあったので、びっくり、どうして運んできたのだろうと?
当時は歩いて行ったのだが、それからでも車でかなりの距離があった。山間の途中まで広く舗装されていたが、それが途切れると上り坂の鬱蒼とした山道、何とかボロの舗装は
されていたが、軽でいっぱいいっぱいの道、離合なんでできるところは、ほとんど見当たらない。心配しながら慎重にデイズを進めると、最後まで車は来なかったのでほっとしていた。青空が見えるところに出ると、人の気配はなく、廃墟のボロボロの家屋が転々と目に入っていた。
まさに廃墟の部落が寂しく朽ちかけていたが、上の方に一軒だけ生き残った家があった。

親父弟兄は昭和の初めころだろうか、心を決めて出稼ぎを考えたのだろうが、ハワイやブラジル等には旅費をねん出できなくて近くのフィリピンに行ったのでは、と想像している。
想像するだけで何も証拠がないので分からない。明日、想像してみよう。親父の生きざまを・・・・。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:40 | コメントをどうぞ

ブログ 総合ランキング1位にびっくり

日曜日 晴れ 残暑厳しく

ブログ 総合ランキング1位にびっくり、一日だけど。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 00:06 | コメントをどうぞ

昼過ぎから橋げたへ➂ よたよた youkokuru

木曜日 晴れ

youkokuru。またまた昔の話題になっていた。もう昔のことはシャットアウトにしたい。
会わないようにしょう。二階に退避するとか、外に出かけるとか心掛けよう。

昼から橋げたへ、橋げたのコートには一人しかいなかったので1時間ほど、右でのサービスの練習をする。風があり涼しげであったが、コントロールができずに、球拾いで足がよたよた。小一時間で切り上げて退散して温泉に行くも、長く湯船につかること出来ずに、直ぐに帰る。疲れを強く感じていた。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:09 | 1件のコメント

総裁岸田氏に決まる ベターな選択です

水曜日 晴れ

あーちゃんを博多の義理姉のところへ、デイズで出かける。髪をカットするため。

2階で総裁選の選挙の行方をテレビでやっていた。はじめは若手の河野氏が先行していたかたに見えたが、終盤には混とんとして、岸田氏が水面から顔を出しているように感じていた。
候補者4人の論戦は聞いたことはなかったが、河野氏が分が悪くなっているように、マスメディアで感じていた。

岸田氏を選んだ国会議員には、常識というものがあったのだと、ほっとしていた。安部さんのもくろんだ院政は瓦解したのかなあ?モリカケはもう誰もかばってくれないよ。岸田総裁の手腕を見定めることにしょう。初心を見失い派閥に翻弄され、元の木阿弥にならないように心鬼にして頑張れ。

マスメディアさん、バラエティ番組の話題ができたのだから、皇室の結婚問題はそっとしておいてほしい。ポニーテールがどうのこうのとか、重箱の隅を楊枝でほじくるようなことばかり見たくないけど、見てて情けない。金も捨て愛を貫こうとしている。そっとそっと二人を見守って下さい。報道しているマスメディアもいきつくところは、マネーが絡んでいるように感じる。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:37 | コメントをどうぞ

橋げたに行く 腱板断裂手術までの足取り①

火曜日 晴れ

朝夕は過ごしやすくなってきたが、日中はままだまだきびしい。
昼からの西日の陰りが、橋げたの下では少なくなっていくので、11時ぐらいに出かけてみた。テニス専用では二人が遊んでいたので、他の壁でサービスの練習をするが、期待外れもいいところだった。一時間くらい遊ぶと足がよろよろ、もちろん左手は使わず右手でのサービスの練習と同じく両手打ちをやる。

ここに来るとあの頃を思い出す。

2018年06月09日
土曜日 晴れ
左腕が下から水平に持ち上げようとすると、持ちあがらない。
右手で持ち上げると痛みもなくすっと上がるが、左手自力で持ち上げようとすると、
上がらないし無理をして力を入れると飛び上るほど激痛
。整形外科2軒回ってみたが、
はかばかしくなく、自分で治すしかないと腹を括った。

2018年06月11日
月曜日 曇り 雨 左肩腕回復しているが、ある一点だけが痛む、厄介そうだ。
2018年06月17日
日曜日晴れ 曇り
九州選手権で肩を痛めてから、矢継ぎ早に三軒成形外科を回る。最後はMRIを備えた近くの大きな新しい病院に、最後の期待をかけたけど、得るものはなかった。MRIは2〜30分で終わりますだったのに、終わったやれやれと思ったら、機械と調子が悪いのでと暫く待たされ、それからまた60分ほど棺桶とおぼしき所に閉じ込められていた。
だんだん頭の後ろが痛くてたまらなくなってきていた。髪を束ねたバンドからだった。
非常時のボタンを何度押そうかと思ったが最初からやり直しとか言われたらかなわんと我慢していた。
確かに映像はレントゲンに比べれば比較にならないほど、だけれど片方じゃ、左右の肩の映像があれば比較できるが片方じゃ、比較できない。ケンというか筋は切れていないようだとの説明。
それは最初に行った整形外科のエコーで分かっていたこと。 ぼくが質問しょうとすると、いまから私が説明しますからと、何度もさえぎられて、かみ合わなかった。

2018年06月20日 水曜日 雨
梅雨前線の豪雨が続きそう。テニスが出来ないので雨は一向にかまわないが、肩はどうなるのだろうと、不安な毎日。先日コートに顔を出すと、医者の治療を諦めているぼくに、テニス仲間の一人が数人肩の手術をして順調に回復しているという整形外科をしきりと薦める。 一生懸命薦めてくれる彼はそこで肩を手術して生還した一人。
肩のこりこり音がしたり、ねじると吸い込むような痛さは尋常でないと不安はつのっていた。だが、そこの先生は手術が好きなようで、簡単に手術と言われても、直る保証はない、電話番号や先生の名前などを教えてくれたが、考えれば考えるほど足は向きそうもない。

2018年12月31日月曜日 晴れ
今年一年は肩の故障で棒に振って終わった。肩の構造がどんなになっているとかも、知ろうとうもしないで、直すすべが分からず半年以上が過ぎていた。九州選手権で最後の止めというべきか、サービスで腕を上げて打とうとしたとき、激痛が走った。ぼくはすぐ試合を棄権して、途方に暮れていた。整形外科を2軒回りMRIを撮ってもらったりしたが、医者からは納得する説明えられず、自然治癒を待つしかないと観念していた。 テレビに接続しているユーチューブであるとき、「肩が痛い」と呼びかけると、全国の整体師のケアーのノウハウが次々と出て来るのに驚いた。インナーマッスルという言葉も知らず、上腕骨を支えている腱を教わり、そのトレーニング方法を教わりリハビリに取り組んだ。腱は重傷に思えるほど、痛んでいた。毎日少しずつ、根気よく、痛みの緩和に取り組んでいた。 三か月間クラブを休会して、橋桁の壁打ちに通う毎日を過ごしていた。そこでは利き腕は休ませて、反対の腕でのストローク、サービスの練習に励んだが、かぼそい右腕は悲鳴をあげていた。三か月くらいで、どうにもなるわけではなかったが、ぼくにはそれに期待するしかった。 ふく会して、試合に出たりし始めたが、だましだましのサービスで何とかしのいでいる現状、来年の4月までには何とかと思いながら過ごしているこの頃です。

2019年01月01日
火曜日 曇り 一年の計は元旦にありで計画を、と思うが去年のブログを見ると、肩は秋口からだんだんと悪くなり、年明けして痛いなりにサービスやストロークをやっていたのだが、それがこじらす原因になったと今ではよくわかる。なおすためにはどうすればよいか分からず、行きつくとこらまで行ったのだ。 完治していないのは昨年によく似ているが、肩の仕組みを勉強した分だけ、前向きになれている。この状況で完治の努力を怠らずに一歩一歩進めます。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:32 | コメントをどうぞ