関東選手権の思い出

11月5日 火曜日、晴れ。 午前中、家のメンテナンス。午後、1時からのレッスン久しぶり受ける。グリップを変えたりしての左右両手打ち、少しは良い方向に変化があってほしいと、確かめているこの頃だ。今日はいろんな球出しがあって面白かった。

「第1回玉造山陰ベテランオープンテニス選手権」にfuji氏が出かけていると小耳にはさんだことがある。はるばる山陰まで出かけたと知って来年への意欲を感じていた。ベスト4だったと仲間から今日聞いたので早速パソコンを開いて見た。 山陰は陸の孤島と言われるくらい交通不便なところなのにけっこう参加者がいたのにびっくりした。65歳S-57人,D-9組、70Sー31名 D-5組 75S-4名 D-不成立。KN氏も同じく65でエントリーしていたがB16で終わっていた。

その選手たちの熱意に驚いているはんめん、ぼくの熱意は正直減退している。時間をかけて、金かけて、孤独に耐えて・・・どしてそこまで頑張り続けるの。ぼくはもう十分やった気がしている。 JOPに挑戦しはじめ頃、70を前にして知らぬが仏で関東選手権に3年つづけて挑戦したことがある。もしかしてぼくの両手打ちが通じるかもしれないと、しかし現実は甘くはなかった。選手の名前と顔を知らず、その腕前も未知数で勇躍参加したのだからお笑いもいいところだったのだ。一回目は65歳代最後の年、会場は小田原だった。四面楚歌の面持ちでの見知らぬ土地、1回戦は泣く泣く必死で頑張り1勝を挙げたが次はシードの元デ杯選手のkuromatu選手だった。たしか30代のころだった、朝日生命のテニス教室で往時の日本を代表する選手たちが、ぼくのテニスクラブにもやってきた。羨望の眼差しの中の一人に確かいたのだ。その人とできるのが光栄で緊張していたことを思い出す。一方的に敗れたが、試合が終わりそのことを話すとなつかしそうに眼を細めた。次は70歳の最初の年、仲間からチャンス到来と励まされその気になって参加した昭和の森の会場。1回戦で負けてしまったのだ。それもファーストは簡単に取りしめしめと思っていたのに、弱点を悟られたのか分からないがセカンドファイナルと相手の流れで敗退。あの時の切なかった気持ちは忘れられない。 翌年は大宮の会場、1回戦で(13-16)シードを破り2回戦も勝って3回戦2シードと対戦して敗れたが、手ごたえを感じたことを覚えている。

 


カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:38 | コメントをどうぞ

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