水曜日
光陰矢のごとし、小学校の時学んで理解できなかったが、意味する年月は経過している。
2007年ごろからJOPに挑戦を始めいつのまにか10年も経過しているのに身震いする思いだ。そのうちその内と思いながら嫌なことを忘れるために打ち込んできたテニスも、そろそろ限界を感じ始めている。
今日も体調が悪いというI氏とのシングルスでオタオタしていた。その後レッスンを終えたwさんとシングルスをお願いしたのはいいが、ダンゴを付けられた。セカンドをお願いしてようやく勝たせてもらったが、肩の調子がよくない彼女に変わってサービスをやり続けたのだから、負けなのである。
65歳代で宮崎の熊谷杯に何度か、雲仙国際テニスにも何度か別府の正月テニスにも挑戦したがシングルス優勝はなくダブルスはK氏と組んでK氏が69歳のときに優勝して喜んでくれた。70歳になった頃K氏と別府でダブルスに優勝、西日本新聞に顔写真付きでで大きく掲載されていたのに驚いた。これを最後に三つ大会から遠ざかっている。
それからはJOPの大会に絞り、四国、山口、大阪、名古屋、関東、松本、山形などに無謀な挑戦を繰り返して今は矢尽き刀折れという心境だ。