月別アーカイブ: 2019年4月

平成天皇本日をもって退位

火曜日 雨

終日マスメデイアは退位の報道で始まり終わった。日本は平和な国です。

明日、五月一日は令和の新天皇即位で終日盆と正月が一緒に来たように、大変な一日で終わるのであろう。

スーパーボランティアとマスコミが勝手に囃し立て命名した、大分の同世代のボランテイアは、退位についてコメントを興味津々に求めて来た報道陣に、そんなのは全く興味がない、関係ないとそっけなく、赤い八巻姿でリアカーを引きながら、そそくさとその場を去って行った。正解です。

夜、九州テニス協会のホームページを開いてみたら、今日朝から何度も開いてようやく開示に出くわした。九州選手権のドローです。

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バルセロナ決勝戦 ティエム、メドベージェフ倒し優勝

月曜日 雨  昭和の日とかの祭日

明日は退位の日とかで休日、一日は即位の日で休日、来年からは二日が平成の日で休日となりそうだ。

久しぶり終日の雨。イベントのある7日間はコートへ行かないと決めているけど、でも長男が遊びに来て天気が良ければ行くかもしれない、しかし原則休むことにする。

朝から夜中に行われたバルセロナオープンの決勝戦を拝見。ファーストはメドベージェフ30とリードしたので先週のモンテカルロSFで惜しくも終わった彼に来るのかとよぎっていたがそこで急に流れが変わって行った。テイエムがスライスを混ぜて打ち始めると、メドベージェフにミスが出始めた。今までの粘りのショットが影を潜めてじりじりと追いつめられて303334354546とスライスとスピンボールを打ち分けて勝負するテイエムに、ポーカフェイスのメドベージェフの表情に困惑が広がっていた。

セカンドもその流れを打ち消すごとのできぬメドベージェフは、あせれば焦るほどミスが重なり、そして流れに乗ったティエムのショットは冴えわたっていった。そのうち1ゲーム取るだろうと見ていたが、その一ゲームが取れそうで取れずに気がつけがなんとベーグルで終わっていた。

錦織圭の方がチームには相性が良かった気がするから、出来るものなら圭と戦わせたかった。

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バルセロナオープン 錦織 QFクリアーするもSFで惨敗

日曜日 晴れ

十日間のゴールデンウイークに突入二日目、停電で北陸新幹線がトラブルったり、皇室の幼子の教室の机の上に刃物が置かれていたり、登山で死亡したり、これから本番となって何が飛びだすのか。

バルセロナオープン準々決勝戦は地元の若者が推薦で勝ち上がっていた。圭はその若者カルバレス エバナ104位と戦った。中肉中背ビッグサーバでもないし、出だしを見ていると簡単に行けるかと思っていたが、とんでもなかった。圭のボールになれてくると、脚力もショットも圭と互角に戦っていた。主催者が推薦しただけの力を十二分に発揮していた。ファースト64で何とかとるも、セカンドは大接戦で55まで行って、そこで異変が待っていた。

必死でボールを追い圭の倍以上は走っていたのではと思われた。若者らしい必死さがあり、コート狭しと走り回り、そして圭を苦しめていたのだったが。

太ももを痛めていたらしく、逆を付かれてコートに倒れ込んで、すぐには立ち上がれなかった。メデイカルタイムをとるも、圭の敵ではなくなっていた。75でセカンドも取り、久方ぶりの準決勝戦に進んでいた。

その相手はニューゼネレーションの一人、ロシア23歳のメドベージェフだった。昨夜それはライブで中継してくれたらしい。8時くらいから見ることが出来た。

メドベージェフは先のモンテカルロ準決勝戦で惜敗して1000の大会での優勝のチャンスを逸していたので、きするものがあるのではと想像していた。

この大会好調な圭は接戦を繰り広げ、ファイナルでのチャンスもあったが、いまいち集中力をかいて、今度は圭が決勝戦の道を閉ざされていた。46 63 57。
タイブレークまで行っていれば行方は混とんとしていたと思う。

決勝戦はナダルを倒したチームVSメドベージェフ。モンテカルロはナダルを倒したフォニーニが優勝したから、バルセロナではチームに女神は微笑むのだろうか。

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スペインのバルセロナオープン(500)錦織QFへ

金曜日 晴れ 曇り

明日土曜日27日から10連休のまさにゴールデンウイークが始まる。5月1日から平成から令和なることを記念してらしい。ある人は遠くまで出かけ、ない人たちはほんとうの休みを過ごすのかもしれない。

飛び石連休だったこの連休にゴールデンウイークと命名した人がいたという、昨夜テレビであった。ある映画会社の役員、以前は盆正月の二回が興業の目玉だったが、春の飛び石連休を何とかしょうとみんなで知恵を絞っているときにこの名前が出たという。

世界は大きく動いているように見えるけど、まだまだ日本は平和な島国です。この連休がどんな結果をもたらすのか岡目八目といきましょう。ホームコートは1週間イヴェントなど企画しているので、年金暮らしはこの際、日曜大工、かたずけ、家のメンテナンスなどをやろうと考えている。

スペインのバルセロナオープン(500)、錦織初戦の2回戦相手はアメリカの若手の一人、19歳のフリッツ。2歳の子供を連れた妻と親族らしきが陣とって応援。彼がデビューしたころの試合を見ていた記憶がある。全米学生で優秀な成績を上げてのプロデビュー、学生結婚かもしれない。58位、2メーター近い長身からのビッグサービスで、フォアーも強かった。

ファーストは14とワンブレークでリードを許すも243444と追いついてから75で取るもかなり厳しい内容だった。セカンドに入ると下半身を痛めたらしくメデイカルタイムアウトを取り、治療などして奮起するも圭の敵ではなくなっていた。62。

3回戦はウジェ アリアシム。カナダのこれも若手の一番手と思われる活躍を近頃している。3月の圭が初戦で敗れたマイアミオープンでは準決勝まで進み、アメリカのイズナーあと一歩まで追いつめたが6767で惜しくも敗れていた。

深夜に放映、朝録画を見る。サービスもそこそこに長身から打ち込み、ショットもフォアーもバックも目いっぱい体を使ってスピンをかけて、脚力も旺盛。

だが圭は生まれ変わったようにショットが良くて、ミスがほとんど見受けられなかった。聞きしに勝る圭のテニスに、アリアシムは動揺を隠せなかった。サービスもよくなく、ショットも圭に押されるシーンが多く見受けられた。ワンブレークしての31での永いながいサービスをキープして41となると相手は流れを変えることあたわず16で失う。

セカンドも圭がワンブレークで進むも41ブレークを許して4243、そこでまた圭がブレークして53 63と終盤は相手のショットも蘇っていた厳しい場面のあったが、さすが圭は力で押し切りサービスフォーセットをきっちりと納めて、反撃を与えなかった。63。

3回戦はモグラたたきのようにニューゼネレーション二人目を叩く。QFこれもぼくの知らない若手のようだ。今夜行なわれている。テレビは録画かもしれないが、結果を知らずに観戦しょう。

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モンテカルロ1000 苦節フォニーニに栄冠

月曜日 真夏日の陽気

2試合しかしなかったのに非常に疲れていたねんりん予選。試合では50%力を出せれば十分だと、wowowを解説していた柳の言葉を思いだす。ぼくは50%の力を出せずに苦しみ、パートナーは50パーセント以上の力を出していてくれたから、勝てたと正直思っている。

昼からコートへ行くと情報は伝わっていて、おめでとうと言ってくれる人が多かった。気恥ずかしかったけれど悪い気持ちはしなかった。

モナコのモンテカルロ1000の大会の決勝戦はフォニーニVSライオビッチの間で行われていた。フォニーニはイタリアの31歳ランキング18位の選手、かたやライオビッチはセルビアの28歳48位の選手だった。

初めて画面で見たライオビッチはゴファン、テイームを破り、準決勝ではメドベージェフをファースト15から逆転でものにして決勝の舞台に立っていた。

かたやフォニーニは準決勝でクレイの王者をまさかのストレートで破り決勝の舞台へ。

彼のナダル戦は全仏の舞台などで何度か目にしていた。引きつけた両手打ちのバックハンドでナダルの逆を付、ストローク戦で打ち負けず1セットを取ったりしていたが、長くは続かずナダルの粘りに最後には屈していた。

今回もそのパターンを予想していた。ナダルはモンテカロルで8連勝をはじめ、今回も三連勝中で4連勝はここまでくれば指呼の間と思われた。

だが今回の31歳のフォニーニは違っていた。フォアーもバックもナダルよりまさり、ナダルは対応することが出来ずにファーストは64でフォニーニ。セカンドは屈辱のベーグルで終わるのではと思われる50のフォーティラブまで行ったのだ。勝利を確信したのかフォニーニはラフになり、ダブルファーストでダブったりで落とすも62でものにして念願の勝利をナダルからもぎ取っていた。知る限りでは初めての勝利かも。

そんな二人の対戦はどちらが勝利してもおかしくなかったが、フォニーニの粘り強い正確なショットはナダル戦から引き継いでいた。片手バックハンドのライオビッチ、力強いフォアーは健在で応戦したがファースト63でフォニーニ、セカンドもワンブレークで進み54からプレッシャーのかかったサービスフォーチャンピオンシップセット、フォニーニは落ち着いて逃げ切って初めてのマスターズの優勝を成し遂げていた。

モンテカルロはイタリヤからは指呼の間、大勢の人が観覧席には見受けられた。何年か前グランドスラムでの女子の決勝戦は注目された選手は消えてイタリア人同士となっていた。そこで初優勝をなした選手はそれで満足したのか、即引退ししたのはいろんな意味できよいと感じていた。彼女はフォニーニのガールフレンドだったという。まもなく結婚したらしい、その奥さんも自陣にはいたようだ。優勝が決まると、着ていたシャツを捲し上げ頭を覆う、こみ上げていたに違いない。まもなく自陣の席に歩を向けて仲間と熱い抱擁を交わし続けた。

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わかやまねんりんピック予選  

21日 日曜日 晴れ

日々に暖かくなるこの頃。朝方少しヒヤッとするが以前ほどではない。すっかり葉桜もなくなり青葉若葉の季節に模様替えを日一日とめざましい。

ホームコートに8時にO氏と待ち合わせ、彼の車に便乗して浜線コートへ30分の距離だった。

毎年この月に行われているねんりんの予選、昨年も彼と出で、2組しか出ていなかったが、ぼくの不調で負けていた。思えばあの頃もサービス、ストロークもまともでなかった。それでも何とかならないかと思っていたが現実は厳しいかった。

今年は腕肩はかなり癒えていて、サービスストロークとまずまずに戻っていたが、いつものように迷っていてばっかりで、不安を抱いていた。

70歳は3ペアー出場。一試合目は1番目と二番目ぼくたちのペアーが対戦。相手は熊壮会の顔見知り、ぼくたちが先行して32から42となってこちなの流れとなり63で一勝する。二試合目は負けたちペアーと3番目同じクラブのペアーが対戦する。

クラブでの練習試合では互角で、ぼくたちが勝ったので負けることはあるまいと見ていると、出だし互角で進んでいたが仲間のペアーが1ゲームダウンながら大接戦だったが、終盤相手のひつような粘りに根負けしていた。46で1番目のの勝利で1番目は1勝1敗。

三試合目は1勝のぼくたちと3番目の1敗の仲間のペアーとで対戦。序盤は先行したがぼくのサービスが不安定でが不調で44と追いつかれていた。ヤバイ、ホームコートの練習試合と同じパターンが再現されんとしていった。55、65でぼくのサービス、ぼくのサービスキープは最初だけでブレークされていた。66タイブレークを覚悟して、不調のスピンサービスをイメージしていたスイングで再度試みると、レシーブサイドの枠内に入って相手に攻撃されずにポイントを重ねて気がつけば75で勝利していた。

ほっとした、これでO氏念願のねんりんの切符を掌中にしていた。今日はO氏の調子がすごく良くて助けられぼくが足を引っ張っていた。O氏の活躍てもぎ取ることが出来たのが最高で感謝している。

クラブ同士の骨肉の争いが行われるということで、クラブの仲間が冷やかし観戦に数名見えていたが、和気あいあいの雰囲気で楽しかった。そして厳しかった。

60歳女性は同じく3ペアーでテニス仲間は残念ながらダメだった。60歳男性は7ペアーがエントリー。2パートに別けてパートの勝者同士の戦いで決めていた。

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錦織 モンテカルロ1000も初戦敗退 心配

水曜日 晴れ  風強くなる

水曜日いつものとなったI氏と9時からシングルス、10時からは彼はレッスン。そしてレッスンの終わった11時半からは、打ち合わせていたねんりんピック予選会の練習を行った。I,TvsO,S戦。6ゲーム先取で接戦の末1勝1敗で終わり、ファイナルは本戦のある次の日曜に持ち越された。

モナコのモンテカルロ1000の大会、昨日からNHKBSで観戦、昨日の1回戦カナダの18歳アリアシムvsロンデーロ(アルゼンチンの若者)戦はアリアシムが7576の接戦の末勝利。

今日の2回戦、錦織圭初戦の相手がフランスのエルベールと分かった時は嫌な予感がした。圭は2勝しているらしいが、直近の試合では接戦だったと記憶していた。

ダブルスでの活躍は知っていたが、この頃ではシングルスでもよく名前を耳にしている。188cmの長身からチリッチのように体をのけ反らせて厳しいサービスを打ちこんでいた。

ファースト圭はラブフォーテイというブレークチャンス、イージなバックボレー、両手打ちで決めたかと思ったらネット。そしてキープされ、試合を通して象徴するようなシーンだったのだ。ブレークチャンスは何度かあったがことごとく失敗、55からブレークされて57でファーストを失う。セカンド、圭はブレークチャンスもあったが、ファーストサービスに阻まれ、なんとかキープしながら44まで何とかサービスキープで進んだが45からブレークされて、あっさりと初戦敗退となっていた。

1000の大会続けて初戦敗退に拍子抜け気分になっていた。圭のサービスはそこそこでストロークで勝負するテニスの圭にとって、今日のエルベール戦はサービスもストロークも相手が徐々に良くなっていたから、始末が悪かった。

今日のような戦いぶりでは、赤土の全仏までの戦い、試練が予想される。初心に戻り、打ち合いでは負けないというテニスにならなければ、勝ち抜くのは厳しいと予想される。

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タイガー・ウッズ14年ぶりオーガスタ―征す

月曜日 晴れ

朝方は冷え込むが日中は暖かくなる。

テニス、ラケットの握り方を替えたり、スイングを替えたりするので、自分のフォームがいつまでもぐらぐらとしているのが、上達しないゆえんのような気がする。

6月上旬に行われる九州選手権の結果をかんがみ、今後の方針を決めようと決心した。

この二三日、朝テレビをつけると、ゴルフのマスターズが行われていた。今朝の放映が四日目の最終日、優勝候補は四五人いて、バックナインの中盤、13アンダーと2打先行していた選手が、池ポチャのダブルボギーで11アンダーがタイガーを含めて数名となる、10アンダー、9アンダーという選手もいたので、この時点では誰が優勝するか、誰もがチャンスがあったと思う。

しかしタイガーは、終盤フェアウエーをキープして安定したゴルフを展開して13,14アンダーと伸ばし2打先行して、優勝候補の一番手に躍り出ていた。

最終ホール18番のミドルではドライバーを握らず、スプーンで刻んでスリーオン、ツーパットで経験を生かしたゴルフで14年目ぶり5度目の優勝をなしていた。

女性問題や体を壊したりでしばらくはゴルフ界から姿を消していた。復帰したとは耳にしていたが、またもやマスターで優勝する復帰を誰が予想したことだろう。

頑張り努力すればかなうことを、43歳のタイガーは身をもって証明してくれた。今年の朗報の一つに数えられる出来事だろう。

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県テニス選手権大会70にエントリー

土曜日 晴れ

朝方は8度くらいで昼前には20度弱になるこのごろ。まだまだ油断大敵。いつもの厚着をして運動公園CDコートへ出かけた。70はDコートの左サイトの8番コートに9時半からフォローバイで4試合が組まれていた。

ぼくは3試合目だったが外の試合も見たいと9時半過ぎに到着して1回戦を観戦していた。試合の半ば過ぎに本部の受付へ、受け付けを済ませてオーダー表を見ると、昨夜プリントアウトしたオーダー表が変更になっており、2試合目に名前があったので慌てた。

1回戦でK氏が勝ち上がり、2回戦で彼と対戦した。ストロークがだめでダメかと思ったが相手がそれ以上に悪くて83で勝利、1シードのW氏と決勝戦を行う。41とリードしていたが、前に戦った選手が41から負けたと聞いていたので、楽観視はしていなかったが、それから全部取られて48で負けていた。コートの中に入りライジングで、どんどんと攻められ始めて、自分を見失っていたようだ。ホームコートのようにショットが打てなかったのも大きな敗因だと思っている。九州毎日といい、今回といい、自信は遠ざかるばかりだ。

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嬉しかったこと

木曜日 曇り

春先の天候は不安定、関東地区では積雪があったと報道している。九州では急変はなく、三寒四温で五月に向かっている。葉桜に模様替えしてい通の桜にも、齢のせいか風情を思える。こいのぼりを早々とコートへの途中で見かけた。五月まではまだだいぶあると思いながら・・。

昔と違って今は夜になるとその日の戦歴が、ネットで見ることが出来る。ぼくはあの日以来、忘れたいという思いとはうらはらに、夜ごとチェックしていた。隣のコートで行っていた選手には彼は負けることはあるまい。決勝戦までの道のりは固いとは推測していた。

準決勝の相手だったのはぼくが何回も対戦した思い出のあるYR選手だった。スライスを武器とした同じようなテニス、あのジャッジをされたらヤバイと思っていたら、なんとストレートで簡単にやっつけてくれていたのには、爽快な気分になっていた。どんなテニスをしたら勝てたんだろう。

そして今日は決勝が行われていた。相手のMT氏とも思い出があった。10年前2009年の中国選手権70になりたての頃、noシードのぼくはシードを二人倒してベスト4に勝ち上がっていた。同じくnoシードの彼に負けて悔しい思いをしていた。彼はそこで優勝をはたして、翌週から始まった関西選手権でも優勝していたので、強かったのだと後で思ったことだ。

翌年の九州毎日では2シードの彼に2回戦で対戦して夕やみ迫る大接戦をして643664とファイナルで彼を倒してぼくはベスト4まで進んでいた。

その後、彼は何かの事情でシングルスから遠のいてダブルスに注力して、全日本を取ったり活躍していたが、80歳になった今年からシングルス出場して、一回優勝していた。

その彼と彼は対戦したのだった。負けているのでは恐る恐るパソコンを開いてみると何と接戦をものにして優勝をはたしていた。36 62 10-5。

ぼくは感激して、まだ一度も連絡したことのない彼の名刺を捜しだして、携帯していた。

優勝おめでとうございます。びっくりしていた。彼とは直近の山陽ベテラン(D)でも決勝で対戦して負けていたというから、リベンジを果していたのだった。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:20 | コメントをどうぞ