金曜日
無意識に椅子から急に立ち上がろうとすると、左の腰ががくっと、何かを支えて立ち上がると、あとは問題なく行動ができていたので、その内治るだろうと軽く考えたのが甘かった。3週間ほどなるだろうか。油断していると頻度が多くなり、立ち上がるとき注意していればokなのだが、今週月曜日シングルスの練習した時、ボールが追えなかったし、サービスの時足の違和感も感じていた。
でんぶの表面でなく奥底からくる痛みで表面を抑えてみても、あまり感じない。右手のサービス、バックの両手打ちの練習ばかりやっていたのが、膝に来るとケアーしていたら臀部に来ていたのだ。
午後針治療に行く。これは背骨の方から来ていますね。指で抑えながら痛くありませんかという。痛くありませんと答えていた。やわらかい臀部なのに、「このあたり硬くなっていますねー」という。目の不自由なはり師は触れた感覚だけで微妙な差がわかるようだった。
普段より長く針治療をしてくれていた。気を付けなければ座骨神経痛になりますよと注意があった。
午前中はコートで仲間の一人と軽い練習を1時間ほどするが、以前のようにはボールを追うことができなかったし、だんだん左臀部に負担を感じるようになっていた。
福岡ベテラン、昨年の秋大会、今年の春大会、夏大会と初戦敗退が続いている。秋大会はドローを見てチャンスだと考えていたが、昨年の秋大会を思い出している。
渡哲也、亡くなってしばらく、テレビなどで特集が組まれていて見ていた。彼の作品はほとんど見ていない。あの軍団の印象は石原裕次郎しかない。吉永小百合との「愛と死の記録」も始めてだった。浜田光夫が飲み屋でのけがで、出られなくなり渡哲也がピンチヒッターとあった。小百合は浜田タイプでなく渡タイプが好み?
そういえば、あれくらい共演したのに小百合と光夫の浮いた話は耳にしたことはなかった。
渡哲也30代半ばの特番ワンマンショーを垣間見た。「くちなしの花」を歌って、へたくそですと自負しながらのはにかみ、奥さんとのなれそめを漫才師西川きよしより、詰め寄られ青山大学の時からの付き合いの人だったことなど知った。義理堅そうな渡哲也、そんななり染がなかったら、小百合との縁もあったかもしれないと。