木曜日 晴れ
youkokuru。またまた昔の話題になっていた。もう昔のことはシャットアウトにしたい。
会わないようにしょう。二階に退避するとか、外に出かけるとか心掛けよう。
昼から橋げたへ、橋げたのコートには一人しかいなかったので1時間ほど、右でのサービスの練習をする。風があり涼しげであったが、コントロールができずに、球拾いで足がよたよた。小一時間で切り上げて退散して温泉に行くも、長く湯船につかること出来ずに、直ぐに帰る。疲れを強く感じていた。
水曜日
あーちゃんを博多の義理姉のところへ、デイズで出かける。髪をカットするため。
2階で総裁選の選挙の行方をテレビでやっていた。はじめは若手の河野氏が先行していたかたに見えたが、終盤には混とんとして、岸田氏が水面から顔を出しているように感じていた。
候補者4人の論戦は聞いたことはなかったが、河野氏が分が悪くなっているように、マスメディアで感じていた。
岸田氏を選んだ国会議員には、常識というものがあったのだと、ほっとしていた。安部さんのもくろんだ院政は瓦解したのかなあ?モリカケはもう誰もかばってくれないよ。岸田総裁の手腕を見定めることにしょう。初心を見失い派閥に翻弄され、元の木阿弥にならないように心鬼にして頑張れ。
マスメディアさん、バラエティ番組の話題ができたのだから、皇室の結婚問題はそっとしておいてほしい。ポニーテールがどうのこうのとか、重箱の隅を楊枝でほじくるようなことばかり見たくないけど、見てて情けない。金も捨て愛を貫こうとしている。そっとそっと二人を見守って下さい。報道しているマスメディアもいきつくところは、マネーが絡んでいるように感じる。
火曜日
朝夕は過ごしやすくなってきたが、日中はままだまだきびしい。
昼からの西日の陰りが、橋げたの下では少なくなっていくので、11時ぐらいに出かけてみた。テニス専用では二人が遊んでいたので、他の壁でサービスの練習をするが、期待外れもいいところだった。一時間くらい遊ぶと足がよろよろ、もちろん左手は使わず右手でのサービスの練習と同じく両手打ちをやる。
ここに来るとあの頃を思い出す。
2018年06月09日
土曜日 晴れ
左腕が下から水平に持ち上げようとすると、持ちあがらない。
右手で持ち上げると痛みもなくすっと上がるが、左手自力で持ち上げようとすると、
上がらないし無理をして力を入れると飛び上るほど激痛。整形外科2軒回ってみたが、
はかばかしくなく、自分で治すしかないと腹を括った。
2018年06月11日
月曜日 曇り 雨 左肩腕回復しているが、ある一点だけが痛む、厄介そうだ。
2018年06月17日
日曜日晴れ 曇り
九州選手権で肩を痛めてから、矢継ぎ早に三軒成形外科を回る。最後はMRIを備えた近くの大きな新しい病院に、最後の期待をかけたけど、得るものはなかった。MRIは2〜30分で終わりますだったのに、終わったやれやれと思ったら、機械と調子が悪いのでと暫く待たされ、それからまた60分ほど棺桶とおぼしき所に閉じ込められていた。
だんだん頭の後ろが痛くてたまらなくなってきていた。髪を束ねたバンドからだった。
非常時のボタンを何度押そうかと思ったが最初からやり直しとか言われたらかなわんと我慢していた。
確かに映像はレントゲンに比べれば比較にならないほど、だけれど片方じゃ、左右の肩の映像があれば比較できるが片方じゃ、比較できない。ケンというか筋は切れていないようだとの説明。
それは最初に行った整形外科のエコーで分かっていたこと。 ぼくが質問しょうとすると、いまから私が説明しますからと、何度もさえぎられて、かみ合わなかった。
2018年06月20日 水曜日 雨
梅雨前線の豪雨が続きそう。テニスが出来ないので雨は一向にかまわないが、肩はどうなるのだろうと、不安な毎日。先日コートに顔を出すと、医者の治療を諦めているぼくに、テニス仲間の一人が数人肩の手術をして順調に回復しているという整形外科をしきりと薦める。 一生懸命薦めてくれる彼はそこで肩を手術して生還した一人。
肩のこりこり音がしたり、ねじると吸い込むような痛さは尋常でないと不安はつのっていた。だが、そこの先生は手術が好きなようで、簡単に手術と言われても、直る保証はない、電話番号や先生の名前などを教えてくれたが、考えれば考えるほど足は向きそうもない。
2018年12月31日月曜日 晴れ
今年一年は肩の故障で棒に振って終わった。肩の構造がどんなになっているとかも、知ろうとうもしないで、直すすべが分からず半年以上が過ぎていた。九州選手権で最後の止めというべきか、サービスで腕を上げて打とうとしたとき、激痛が走った。ぼくはすぐ試合を棄権して、途方に暮れていた。整形外科を2軒回りMRIを撮ってもらったりしたが、医者からは納得する説明えられず、自然治癒を待つしかないと観念していた。 テレビに接続しているユーチューブであるとき、「肩が痛い」と呼びかけると、全国の整体師のケアーのノウハウが次々と出て来るのに驚いた。インナーマッスルという言葉も知らず、上腕骨を支えている腱を教わり、そのトレーニング方法を教わりリハビリに取り組んだ。腱は重傷に思えるほど、痛んでいた。毎日少しずつ、根気よく、痛みの緩和に取り組んでいた。 三か月間クラブを休会して、橋桁の壁打ちに通う毎日を過ごしていた。そこでは利き腕は休ませて、反対の腕でのストローク、サービスの練習に励んだが、かぼそい右腕は悲鳴をあげていた。三か月くらいで、どうにもなるわけではなかったが、ぼくにはそれに期待するしかった。 ふく会して、試合に出たりし始めたが、だましだましのサービスで何とかしのいでいる現状、来年の4月までには何とかと思いながら過ごしているこの頃です。
2019年01月01日
火曜日 曇り 一年の計は元旦にありで計画を、と思うが去年のブログを見ると、肩は秋口からだんだんと悪くなり、年明けして痛いなりにサービスやストロークをやっていたのだが、それがこじらす原因になったと今ではよくわかる。なおすためにはどうすればよいか分からず、行きつくとこらまで行ったのだ。 完治していないのは昨年によく似ているが、肩の仕組みを勉強した分だけ、前向きになれている。この状況で完治の努力を怠らずに一歩一歩進めます。
水曜日 晴れ
一緒に行くというので、今日は二人で小郡市の病院へ出かけた。時間をかけて出かけた割には、先生は忙しいのか今日も会話は最低限だった。一緒に診察室へ入り、付き添いですと断る。先生は腕を上げてくださいと言う。上げると角度を測っているようだ。予定以上の回復のようで、無理はしてないだろうねと言うので、していません。次に腕を脇に着けて水平に開かせ、これも角度の確認のようで目視で終わり、リハビリに行ってくださいで、追い出された感じだった。
待合室で待機していると、小柄の女性が近づいてきたので、えーっと凝視していると、エコー検査の担当者だった。もう3回もエコー検査してもらっているのに、検査では色々質問したりして勉強させてもらっていたのに、すっかり忘れていて失礼していた。
三か月という節目のなのでエコー検査したのだと後で理解した。上腕骨に打ち込まれたアンカーはうすぼんやりと見えた。腱の動きをチェックして血流を確認して問題ないようだと言ってくれた。もうこれでエコー検査はおわりです。手術前に1回、入院中に2回ほどやった気がする。半年後にMRIの検査がありますが、エコー検査はもうないと言う。寂しく感じた。
若者yanagiharaセラピストが階段を降りてきた。先生に出来なかった質問をする、『手術後三か月のリハビリを要します。修復した腱が骨に固定されるまでに約3か月かかります。』
その辺を詳しく尋ねると、先生の診察の情報は彼に伝わっていた。情報を共有するとは聞いていたが早い。固定と言っても腱が上腕骨に少し馴染んでいる状態です。無理ををしたらいけませんとたしなめられた。リハビリもまだ必要ですよ。
先輩のtagami氏がやってきたので、手もこんなに上がると示し、出来なかったラジオ体操も、ほぼできるようになっていると自慢すると、今が大事な時だから油断しないようにと、くれぐれも言われた。
最後には分厚いにアンケート用紙持ってきた。よくアンケートをされたのを思いだして、手を動かしていた。
術後半年の12月15日まで、テニスのことは忘れることがベターのようだ。画竜点睛。
日曜日
・6月14日入院して翌日15日手術。
・7月21日退院。
・地元の整形外科で週2回ほどのリハビリと2週間に一度の手術病院行き。2回目に行くと装具が取れて、車の運転もOKとなる。次は一か月後となった。
それが来週の水曜日。3か月になると、どれだけどうなるのか、頭の中ではぼんやりしているので、貰っていた資料を取り出して、読み直してみた。
『手術に関する説明』の中に
・・・・・・腱板は加齢に伴ない質が低下して何かの外傷にて断裂がおきるといわれています。腱板は肩関節の安定化と稼働時の力源として働きます。腱板が切れていても活動性の低い方は絶対的な手術適用となりません。しかし断裂サイズは発症後徐々に大きくなっていきます。断裂サイズを大・中・小とすると大断裂以上は手術しても筋力の完全回復は望めません。しかし痛みがなくなり筋力もアップすることで日常生活機能は格段に上がります。また残存する腱・筋の質と量が良好なうちに手術することが望ましいと考えています。
手術は関節鏡を用いることにより、疼痛も創も小さく、筋肉へのダメージも最小限で行えます。
術後の機能回復、合併症の予防にリハビリが非常に重要になります。手術後三か月のリハビリを要します。修復した腱が骨に固定されるまでに約3か月かかります。その間、医師・理学療法士の指導にそったリハビリをして下さい。
『肩の手術後の患者様へ』
・・
・・
◇引き続き、術後半年にMRIの検査が行われて、腱の状態が分かるまでは、再断裂しないように気を付けて生活することが大事です。
・・・・
① 装具を外しても術後4ヶ月までは⇒脇を開かず手を使用する時期
② 術後4ヶ月から6ケ月⇒軽く脇を開いても良いが、手を上げての使用や重いものを持つ
ことはまだ行わない時期
術後四か月で腱が骨に逢着してくる時期と言われています。
③ 術後半年以降⇒スポーツや農作業など少しづつ行っても良い時期
左肩腕、自分ではかなり動いているからと考えていたが、これを読んで半年待たねば仕方なしと思えてきた。
ぼくの腱板は大断裂だったと言う、筋力も体力もガタガタだから年内はおとなしくしておくべきなのだろう。
日曜日
田舎の兄嫁、急逝の報昨日あり。朝から高速小倉東インター経由を利用して始めて行くと2時間半で到着していた。
兄が妻を自宅でみとったと知ったのは、火葬場での待ち時間、一人寂しく座っている兄を見つけたので、側に行き肩に手をまわして会話したときだった。手を背中に回すと瘦せこけている背中があった。帰りたいと言う妻を自宅に連れ帰ったが、けれどもトイレなどで大変な苦労していたという。最後まで一生懸命に看病、最後の言葉は大きな声で妻の名前を呼ぶと「はーい」とこたえて、それが最後だった。看護婦さんに電話して、それから医者に連絡してもらったという。長女はいたようだが、一日早めて戻った長男家族は間に合ったのだろうか。
涙ながらにつぶやいていた兄、焦心しきった兄の姿。最善を尽くしていたのだから義姉はきっと喜んでいるよと肩を抱きしめていた。時間が来るまで、ぼくは兄の側に寄り添って昔話などもしていた。
畑にしている隣地を買い求めたとき、二人で植えた桜の苗が今はこんなに大きくなっているよと、両手でを丸めた。そこには二人の思い出の桜の木があったのだ。
3月、ルーツ求めてと田川の香春町へ出かけたとき、兄のところへ、庭先を写しているとき、兄が何か言っていたので写真に収めていた。あの桜の木を眺めながら、なつかしむことだろう。
全米女子決勝戦ラドゥカヌ(英国)vsヘルナンデス6463で英国の18歳が予選から上り詰めて優勝。
金曜日
全米OP、まさか十代の二人が決勝のひのき舞台に上り詰めようとは驚きより呆れる出来事。
ランキング2位のサバレンカ、大坂なおみと互角のハードヒッターはQFでウインブルドン優勝のクレイチコバをストレートで下して、そのパワーをいかんなく発揮していたので、まだくちばし黄色くおもえしヘルナンデス、力でねじ伏せてほしいと、そして試合開始直後はそのパワーでブレークくしたのだが、ヘルナンデスは徐々に粘り強さを発揮しだして、互角に持ち込みタイブレークとなる。そしてタイブレークはヘルナンデス。
セカンドは流石にサバレンカが取りファイナルへ、互角に進んで45でサバレンカのサービス。しかし、あとのないサバレンカはいつもの短所が首を持ち上げていた。メンタル修行をしたと聞いていたが、一番悪い自分に戻っていた。力んでしまってサービスはまともにラケットに当たらず、ショットおかしくなり、独り相撲で自滅もいいところ、なにか情けない寂しい終わり方だった。
続いて行われたSFラドゥカヌvsサカーリ。サカーリはもっと良い試合をやってくれると期待していたが、スリムなフェルナンデスより少し大きく感じたラドゥカヌのショットは腰をおとして目一杯ラケットを振っていた。筋肉ウーマンのサカーリをついて行けずファーストは61でサカーリらしさは発揮できずにズルズルとなっていた。セカンドの中盤かららしき自分を取り戻していたが、時遅し46でここでも十代の少女に負けていた。
2020年コロナの影響で9月に行われた全仏では19歳のシフィオンテク(ポーランド)が優勝していた。いみじくも彼女がのたまっていたのを思いだす、今の女子テニス界では誰もが優勝のチャンスがある。
木曜日
スマホのカレンダーを見ていると今日は9月9日だったと理解する。毎日が日曜日で過ごしていると、日にちと曜日がおぼろげなのだ。並びの日は何かあったと巡らす。
「さんふれあ」の温泉が半額なのを思いだす。そうだ行ってみようとその気になって用意する。退院してきてからひと月以上、車の運転もOKとなっているから、行けたのだが来週の第三木曜日に回数券の割引があるので、それから始めたらと考えていた。
ウオーキングプールプールを歩いてみると、手術前と同じ感覚で行ける。左腕の違和感は感じられず、可動域が知らず知らずのうちに広がっているのが分かった。
テニス&温泉仲間とも出くわして、会話が弾んでいた。
全米、女子QF戦、英国18歳のラドゥカヌVS東京オリンピック覇者のベンチッチ戦。ラドゥカヌは初めて見る選手だった。準決勝まで来たのだからヘルナンデスとどうなのだろうかと、興味深く見ていた。最初は互角に見えたが、慣れるにつれて重心を低くしての思い切りの良いショットはヘルナンデスとよく似ていたが、彼女より体格から推し量って威力がありそうな気がしていた。ベンチッチもハードヒッターの選手だが、動きの良さの差で、押されてミスの差が敗因となっていた。5364で18歳のラドゥカヌ勝利。
完敗を認めたかのようにベンチッチはネットを横切りコートにうずくまるラドゥカヌのもとへ、祝福したのだろう。つよいわね。
同じくQF、ジョコビッチVSベレッティニ戦のファースト。すごい打ち合いでベレッティニがファースト取って、期待したのだが、ジョコビッチは打たれ強い。相手に合わせて、緩急自在にボールを操りまたも最後は余裕のテニスを繰り広げて勝利していた。57626263。