月曜日
朝食後に食卓で新聞を読んでいた妻が訃報欄にM・Kさんの名前があるというので、慌てて新聞を手にして見た。
近くに住む常務をしていた人で疎遠にしていたが、会社をM&Aで坊主ボウズで育てた息子の社長が保証人が嫌だと株を手放したと聞いて、会話したのが近くの喫茶店だったが、コロナで家族葬の店に変わって、皮肉にもそこで、棺桶に横たわっていた。びっくりするほど瘦せこけた姿だった。
ぼくは急いで喪服に着かえてチャリにまたがり彼の家に行ったが、人の気配はなかった。このまま帰るわけにはいかない。頭をめぐらす、近くに2軒の葬儀屋がある。とりあえずそこにチャリを走らせた。規模の大きな方には名前はなく引き返して、喫茶店が模様替えした家族葬の方に行くと、彼の名前が家族葬の道路際に見えた。
受付まで行くとぼくを見てマスクを外して懐かしそうに話しかけてきた女性、久しぶりにみる娘さんだった。会社に連絡したか尋ねると、誰にも連絡してふうだったので、会社に元常務のMK氏がなくなったと伝え、会場と時間を連絡して電話を切る。
葬儀が始まると数人が後から来た気配がした。娘さんは喜んだろうと思う。
喫茶店だったここで最後にあってから2年くらいたったのかな?コロナが問題になってまもなく喫茶店は閉店していた。その頃はデーケアーに行っていたようだけど、そこそこ健康にみえていた。転んで二か月ほど入院したそうで、それから入退院が続いていたという。
初めから苦労してきた役員二人なくなり、トップは痴ほうでそれなりのところに入所しているようだ。天罰覿面とはよく言ったものだと思う。
無我夢中で頑張っていたあの頃も、遠くに遠くになってしまった。子供三人育てるためにも頑張った。ぼくの人生はそれでよかったのだと八十路でときどき振り返る。ぼくのばんもそんなに遅くはあるまい。
・大江健三郎死亡 88歳 ノーベル賞作家
・伊藤雅俊死亡 96歳 元イトーヨーカドー社長