10月24日木曜日
15日の早朝外がオレンジに、急いで外に顔を出すと朝焼けが空中に広がっている。急いであつのに屋上に上がりスマホで朝焼けを撮る。振り返ると空をまたぐ虹、街を見下ろすかのように、住み始めて初めて見る。なにせ驚いた。
11月上旬、佐賀での「グラスコートベテランテニス選手権大会」参戦で今年は終わりです。
10月1日 火 くもり
予選MS85は大会本部にて10:30までに本人がサインして出席としますとあった。定刻までに6人全員サインイン、定刻過ぎるとOPの13.14.15番コートに対戦者の名前が書込まれていた。
1試合目が終わるのを待ってぼくたちはそれぞれのコートにて対戦。相手のT氏は75歳以上の時、東北ベテラン1回戦で対戦していた。その時は全日本のポイント稼ぎに遠路山形市まで出かけて、Cグレード大会初めて優勝で忘れられない。
彼のランキングは6人の中でトップだった。楽勝かと思いきやフースト51から54と追い上げられ危うかったが必死で頑張り何とか64でとりほっとする、セカンドは63で取り本戦行き決定した。
10月2日 水 小雨曇り
本戦1回戦相手は京都から 奥さん連れで来ていた。ファースト接戦で64でとるとセカンドの終盤、足が痛いのでリタイヤすると手と上げた。これが最後の大会ですと彼は余生を話してくれた。
彼とは春の九州毎日でも対戦していた。ぼくは1回戦勝利して2回戦は1シードの彼と初めての対戦をした。手ごわく思えたがファースト64で取りセカンドになると相手に元気がなくなっていた。61で取り気を良くしていると、彼が話しかけてきた。弟が亡くなったと知らせがあったと告げた。末期の弟がいて試合に出ることも躊躇していたと肩を落としていた。
10月3日 木 小雨
2回戦は室内4面のコートに85歳代のQFが2試合目に並んで入った。
相手は四シードで戦った2人とは違いキレのあるボールを打っていた。24とリードされセットを諦めかけたが、ねばっていると流れが変っていた。4464と気がつけばファースト取っていた。押されながらもセットを取ったぼくは困惑していた。
次を落としてもファイナルまで行けるとそんな弱気なことがよぎっていた。今年は3試合目でほとんど負けていたが、今回もその通りになっていた。気持ちはあったのだが、体力は限界に来ていたのだろう、相手の迫力に押されてセカンドは26、ファイナル10ポイントのタイブレークも4-10で敗退していた。彼は決勝戦で敗れていた。
9月7日(土)晴
周南市で明日日曜日から行われる中国選手権に朝9時頃出かける。
10数年前出かけたころは九州から同世代の仲間がけっこう参加していて心強かったが今回はさびしい。まさに一人ぼっち。夜ホテル、明日の1回戦、OPがなかなかスマホに出ない。8時項ようやく8日(日曜日)のop(オーダof プレイ)が出た。目をこらして見るが名前がみつからない。また間違いをしでかしたのかと何度も見なおしていると一番下の欄に何かある。欠場者の一覧。相手の欠場でぼくの名前をまる印でかこっていた。まさかと思ったが まさか である。はり詰めていた気持ちがゆるみ複雑な思いが行き来した。
彼とはやはりその頃東北選手権の1回戦で対戦した記憶がある。ぼくは全日本ベテラン出場ののポイントを稼ぐために悩んだ末に8月の初めだった 山形市で開催されるその大会を選んでいた。今ではランキングはぼくよりずっと上で久しぶりの対戦を楽しみにしていた。ぼくは幸運にもその大会で初めてCグレードの大会の優勝ができランキングもうなぎのぼで6位となっている。山形の花笠音頭祭りにも遭遇して思い出深い大会となっていた。
今はルーセント熊本も休会でせっせと橋げたの壁打ちに通う日々。橋げたの上には道路があるので炎天であっても日差しは避けられるのがミソだ。
色んな人との出会いもある。UE氏もその中で際立った存在だ。いつもラケットをいっぱい持ってくる。これで打ってみませんか、いいですよとか言って進めるので、ぼくは買う気もないで遠慮しているとそうでもないようなのだ。それもあるかもしれないが、その辺がよく理解できないので最初は戸惑っていた、ぼくにはよくしてくるような気がした。いや誰にもそんなにあるようにも思えた。通っているうち彼の人柄を知る。来る人の面倒をよく見るし、初心者には教えたりもする、自分で持ってきたというたか箒でフロアーをキレイにもしてくれているのだ。
ある日彼が遠慮そうに、運動公園で週一回練習しているので来ませんかと言う。グループでの練習は嫌の思いを2回もしていたので、そのことを話すと「エー!そんなことがあるんですか」とたまげていた。
ある日家に電話があってあーちゃんが、ぼくに受話器を渡した。名前も内容も理解するのに苦労した。運動公園で練習するのでどうですかだった。彼の熱意に一回だけ付き合ってみようとAコートに出かけるとぼくの知っている70代の人が二人もいたほっとした。あとは現役の人たちでそれで練習が土曜日らしい。ぼくはついて行くのがせいいっぱいで練習になった。
彼には感謝しなければならない。
6/13日くもり
今日85歳は決勝戦が行われているはず、B8で負けた選手は昨日B4で1シードに負けていた。
8日(土)にお登り、羽田まで二人で迎えに来てくれた娘宅にお世話になり、翌日義息が車で初めての有明の森公園まで乗せて行ってくれた。有明テニスの森公園で大会は初めてでとまどいながらも受付を探して、済ませて両脇に4面ある屋内コートの中を通りぬけて行くと8面の青色人工芝コートの会場があった。
2番コートで10時からの予定だったが60歳のSFが大接戦していた。かたや両方ともスピンボールかたや両方ともスライスでコートを縦横無尽に走り回っている。60才台とはいえ驚きの目で見守っていた。ファイナルのタイブレークも一喜一憂の大接戦スピン系に傾いていたが最後の最後にスライス系のネパリがウイナーとなっていた。
ぼくの初戦はイージに勝利が出来た。翌日の2回戦は9時から相手は個性のある選手で前回たしか九州選手権で負けてる。ファーストは接戦となってやばと感じたことがあったが何とかものにするとセカンドはぼくの流れで勝利できた。
5月3日 はれ 長男と娘きたる
それでブログをひもといた。
年末に負け戦を綴っていたがあれから4ヶ月も経っていると改め思う。
負け戦の連続が当たり前のように自分のテニスに愛想が付き、ブログからも遠のいていたが、継続を怠るとこのようになってしまっている。
九州での大きな大会の一つ九州毎日が四月に終わって2回戦でワンシードを破るも三回戦で不甲斐ない負け方をして落胆していたが、久しぶりの金星には違いなかった。
冷静に考えると体力不足と早朝の車の運転が影響しているかもしれないと、思い始めている。対策を立てて今月末に行われる九州選手権を頑張ってみたい。
ついに今年は最後の85歳代に突入している。驚いても仕方がないことなのに、驚いている。歳月人を待たずとよく言ったものだ。
あと1~2年でぼくの挑戦は終わるだろうから最後のふん張りを期待しているのだか、このよわいでの衰えも実感せざるを得ないのがさびしいこのごろ。
11月25日 くもり風あり沖縄から帰る日
起きてから娘とフィットネス、朝風呂に入ってホテルからビーチへと続いている小道を3人で歩く。途中から砂浜におりて波打ち際の砂浜に足あとを残して歩るく。もどってから四人で和食の朝食。11時項レンターカーで ANAインターコンチネンタル万座ビーチーリゾートをあとにして那覇空港へ。
11月24日(金)観光地ドライブする。近くの 万座毛海岸沿いを散策する強風で大変だった。たいがん 遠くに宿泊のヒッグな建物が浮かんでいた。
それから古宇利オーシャンタワーへ行く。
11月23日(木)
沖縄旅行に出かける。ぼく達は熊本空港、娘達は羽田から沖縄空港で落合い万座ビーチーリゾートへ。
11月19日(日)
2回戦は1シードのFG氏、エントリーは5名だけど1.2シードは80代F県のトップ選手、相手は昨年の九州選手権はしゃ、今年5月の福岡市選手権でダンゴダンゴの完敗を食っている人で今回どれだけ取れるか、回復具合を 試してみたいそんな気持でいた。
ワンブレークされながらもついて行っていた。44と追いついて何と54とリード、次のゲームを取ればファースト取れたのだか、グラスコート選手権と同じような結果になっていた。55と追いつかれ57で落した。
セカンドは46、大事なところでのカ不足を思わざるをえなかった。
11月18日(土)
NB10時30分に合せて家を出る。試合に行くというと諦め顔をしていた。胸の圧迫感と痛はあれからないが不整脈があるというので少だけ木安はあるがその時は止めればと思う。相手は風邪とかで連絡があったという。またも不戦勝 残念。横浜の50代の夫婦が エントリーしていたので応援する。
11月17日(金)
かかりつけ医院へいつもの薬をもらいに行く。血圧を測る看護師に昼食後 胸の圧迫感 が少しあったと話すと先生から心電図を測る指示が出る。不整脈があるね と 心電図を見ながら、血栓が脳に 飛ぶことがあるからね。すぐに受話器を取って 日赤に電話をかける。来週ではどうですかと言うとタメダメ今から 救急に行きなさいと言う。家に戻り 車で行こうとすると あーちゃんも一緒に行く という。4つほど検査したけれど 特別治療するようなものはないという。不整脈があるな間違えないのだから、循環器内科を受診したらどうですか、こちらから連絡取っておきますという。福岡ベテランを半分諦めながらも、決勝戦の翌日21日(火)にお願いしていた。
11月16日(木)
最後の1枚レッスンチケットを使う。
明後日からの福岡ベテランの為に残しておいた