月曜日
昼ごろから3人で震災の街へでかけて下通から熊本城へとあるいてみた。傷跡の見受けられる通りであったが、人通りは思ったより多くて努力して開店にこぎつけているさまに見受けられた。
長塀の横を流れる坪井川の通りに出てお城へと向かったが、全てとうせんぼで城に近づくことは出来なかった。
坪井川を反対方向に歩いて信号を左折して神社のある方へ歩を向けてみた。
お城の石垣がなだれ落ち神社の建物を直撃していた。神も仏もないんだ。しばらく歩いてようやく後ろ側のお城を遠くから見ることができた。
日曜日
昨日は兎谷とおぼしきところの震災を受けた仲間を訪問した。そして今日は益城の仲間の事が浮かんでいた。電話を二回ほどしたが、家が少しやられたが大丈夫ですとの返事だった。
昼過ぎ娘婿が実家からUターンしてきたので、百聞は一見にしかず、誘って二人で出かけることにした。
震災から二週間余経過しており、渋滞も緩和されて道路状況も少しは改善されているだろう。益城の道路標識が目に付きはじめたころ、農地の中の大きな屋敷が屋根瓦はもろにやられてかたむいて見えた。
街中に入ると娘婿が驚きの声をあげる。道路状況は黒いアスファルトの修理箇所だらけで運転に無中で、目をそらすと道路際の無残にも倒壊、半壊の家々が続き始めていた。そのすざましさに唖然とするばかり。
娘婿はスマホを向けたが無残な姿を収めるのを躊躇してシャッターは押さなかった。
テレビでは切り取った一部分だけだが、道路の両側にこれでもかこれどもかと、いうように無残な建物の残骸に心が痛んでいた。
ipadのカーナビを頼りに街中を抜けてしばらくして左折して田圃の道、アスファルトの修理だらけでまともに運転は出来ない。
前方に大きな道路が目についた。それを左に曲がりしばらくして左手の坂道を登りだした。かなり田舎の集落に見えた。少し迷ったが、ipatの終点でタオルでほおかぶりした麦藁帽のおっさんに見覚えがあった。
農家の構えの大きな屋敷、小学生らしい数名が軽トラの後ろで手伝いをしている。聞くと稲の苗床作り、土を長方形の底の浅い箱にすりきりに入れる作業を繰り返していた。母屋の横の納屋、大きな中柱は折れかかり、かたぶきその前に建てられていた鉄骨の構築物に寄りかかり、何とか耐えていた。
その小さな集落には被害はいたるところに見受けられて、電話口でのギャッの差を実感しながら、邪魔にならないように引き上げて行った。
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土曜日
少し冷え込んでいるものの朝から天気が良い。被災した仲間を尋ねてみようという気になっていた。そんなに遠くはないのでチャリで出かけた。
自衛隊の駐屯地から急左折の道は何度も見ていたが初めての道、かなりの坂道でチャリを押して行かねば到底無理、くねくねと曲がる路際の建物は高級で傷んでいるようすは伺えない。展望が開けて街を見下ろせる。
長崎の坂道を思い起こすに十分な上り坂が続く、ipadのナビを自転車の荷物入の上着の上にそっとのせて、仲間の家を探査して行った。
そこは岩倉台というから高台なのだ。まもなく登り切り下りになっていた。近くまで来ていた。右折して下って行くと通行止めになっていたがチャリですり抜けて行くと、ナビが示していた一番端っこの家の前に来ていた。彼の車を見つけたので、いるんだなと思って近よって表札を見ると違っていた。うしろで声がした。振り返るとびっくり顔の彼がいた。
ブルーシートは乗っかっていたが家の外観は保たれていたので痛みの程度は分からなかったが、もう住めないと言っていた。近くの真新しいコンクリートのガレージに相手の好意で10日ほど寝泊まりしたという。
義捐金を募集してくださいと、冗談ともいえぬ真顔で言った。ぼくはキリギリスですと言いたかったが噛みしめた。時間はあります。汗もかけますから遠慮なく言って下さいが精一杯だった。
まもなく友人の運転する軽トラックが来た。洗濯機と物干し一式積み込むのを手伝って別れた。
29日 金曜日 祭日 昭和の日
水道は元のさやに納まるが、市内でまだでない所があるという。
新幹線も高速道路も復旧、メインの交通網は回復しているが、阿蘇路の回復はいつになるのやら、髙森までの南阿蘇鉄道は一年ゆうにかかるとのこと。
避難している人たちの苦難は今から本番となる、仮設住宅が建つまでの過ごし方が問題となりそうだ。東日本で経験した事が生かされるのであろうけれども、仮住まいは耐えがたいに違いない。
あの南阿蘇の根子岳の麓に、老後テニス三昧で過ごそうと、色見の友達に広い土地を世話になりテニスコート作りに一人で取りかかっていた、随分昔の話。芝を植えてほぼ完成になりかかっていた頃、大雨が降りぬかるんだコートの中を、夜に猪が駆け回って遊んでいたらしく台無しになっていた。ネットポールもネットも段取りして、コートの後ろにボールが逃げないように高さ2.5メータ、幅10メータのネットをパソコンで2枚オーダー注文して取りよせていた。杭を打ちこみ棒を立てコートの前後にネットを張っていちようテニスが出来る一歩前まで進んでいたが、一度もまともにやることなくぼくの夢は土地とともに潰えてしまっていた。
ネットは2枚は持ち帰っていたので、その1枚を今日コートへ積んでいった。コートの仕切りのブロックが地震で倒れてボールが逃げて行く、とりあえずブロック代わりに使ってもらえればと考えた。やっと役立つときがやってきた。ゴールデンウイークに突入して来場者は増える。
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木曜日
5面のコートの内4面は水が溜まり一面のみ水たまりは見かけなかった。雨が止んだばかりの様子なのに曇り空は高く約束したテニスは何とかなりそうに見えた。コートに下りたつと戸惑うほどのみずみずしいサーフェイスだったがテニスに飢えていた二人には迷いはなかった。
少しだけコート整備してからシングルス2セット楽しんだ。
雨上がりのコートを苦手としているぼくだったが何とか互角に戦えたのが収穫、サービスも少しだけ思いのサービスが打てたような気がしていた。2セット目タイブレークとなり接戦していると雨がぽつぽつと落ちだして、ゲームが終わると本格的に降り出した。ぼくたちの2セットが終わるのを待っていたかのように、一汗ふた汗もかいて心地よい疲れで帰途についた、昨日のできごと。
今日、震災の14日福岡でテニスを一緒した仲間から携帯があっていた。あの日からテニスをしていないというので、夫妻と午前中遊んだ。
二対一のストロークを一時間ほどすると、一組のご夫婦が現れた。ぼくは娘婿が昼に来ることになっていたので、そこでワンセットダブルスを楽しん帰った。
震災のお手伝いを何でもいいからさせてくれと言う娘婿に、あーちゃんは一か所だけ戸棚を封印していたらしい。ぼくは赤めの垣根の剪定をたのんだ。頼まれていた娘の友人宅二か所の訪問もはたす。
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火曜日
昼前コートへ出かけて籠ボールで練習する。一息入れているときに一度冷やかしに来てくれた仲間のことが浮かんで携帯をしてみた。テニス仲間は悪くてブルーシートくらいで収まっていると勝手に解釈していたら、かえってきた言葉に驚いた。立て直さなければいけないほどやられていて、二人で倒壊を心配しながら整理しているというのだ。
仲間の別邸を借用することが出来て、神様仏様のように思えたと声には安堵があった。地獄に仏とはこのことだと思えたのだろう。
ぼくは丁重に携帯を切った。管理人以外誰もいない静まり返っているコート。倒れたブロック塀を業者らしき人が数人立ち代り下見しているようす。
しばらくするとオーナーが家族とともに顔を見せた。どうやら繁華街のお店の建物が地震にやられて、建物は配管がいかれて上下水道が使えず、ガタガタになり弱り切っているようすであった。
ぼくはそうそうにコートを後にした。
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月曜日
深夜、零時30分からのスペインバルセロナの決勝戦をライブでなければ意味がないと珈琲飲み飲み待っていた。
ワンシードナダルとツーシードの錦織の対決に会場は超満員になっていた。
一段とたくましくなった錦織と復活の兆しナダルとの対決は両者の今後を占う指標となるに違いないと身構えて見ていた。
両者は期待にたがわず壮烈な打ち合いと駆け引きで観衆を魅了していた。だがナダルの執念が圭をうわまっているシーンが大事なところで見受けられた。ファースト46 セカンド57、取れそうで取れないあと一歩のゲームをナダルは昔をしのばせる粘りとショットで圭を突き放していた。圭も文句のつけようがないほどよかったと思うが、復活に燃える執念はナダルが上だった。
もう、負ける相手はいないとのべた言葉を、圭はもう一度噛みしめなければなるまい。
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日曜日
体に感じる余震は何度も襲ってくるが、あの強烈なのは無くなったので慣れてきだした。
昼過ぎからテニスできそう空模様2時からコートへ出かける。間仕切りのブロックが倒れ込んでいない2面のコートでテニスを楽しんでいた。気になっていたサービスの練習をしたが、イメージするサービスは打てずにむきになってやっていると、しばらくしてダブルスどうですかと声をかけてくれた。
丁度2面でダブルスが出来るメンバーがそろい始めていた。先日も勝った記憶はなかったが、今日もメンバーを変えて4回もしたのに一度も勝つことが出来なかった。気がつくと時計の針は夕刻の6時に近づいており、自信を失くして帰途についた。
今も水道の出る時間は限られている。風呂と思ったが、水はちょろちょろの勢いで入浴はあきらめた。
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土曜日 曇り 雨
昨夜水道は水が出始めやっとの回復に喜んだ。風呂沸かして入浴、そして洗濯一回すると、また水が止まったという。
昨夜のドルゴポロフ戦、ファーストがすべてだった。
45での圭のサービスで4回のセットポイントに襲われたが、ジュースを何回も繰返し55にすると流れは変わっていた。ブレークキープして75でとるとセカンドはワンサイドで終わる。
今夜のセミファイは昨年屈辱的な二連敗を喫していたフランスのペールだった。
どんな戦いをするか興味信心だった。
今日は完璧なリベンジを果たした。63 62。
そこには一回りもふたまわりも大きく強くなっていた圭がいた。
(テレビ観戦しながら携帯に入力)
金曜日
昨夜10時過ぎトイレのタンクに水の滴る音がする、覗いてみると少しづつ水が出ている。やっと出始めたかと台所の蛇口を開くボゴボゴ音がして気配は感じられた。明日の朝はOKなんだろう。
11時から錦織とシャルディの試合、1セット取ったのを確認してベットについた。
今朝、蛇口をひねるが期待していた水は出ない。7時から9時まで給水と聞いていたので15リッターくらいのポリを車に積んで7時に近くの小学校に出かける。給水車3台待機、二三人待つくらいで給水は楽勝に終わった。
昼前コートへ、籠ボールで一人練習。けっこう楽しめるいいコート月フィーもビジターフィー安いのにがらんとしていてもったいない。
道路はいたるところで工事中、帰りは東バイパス経由で帰途についたが流れは順調で、テニス仲間のうちに寄ってみた。
そのまま上がってきてくださいという家の中は、いまだ踏み場のないほど散乱していたのに少々驚いていた。屋根瓦もやられていてブルーシートが掛けられていた。奥の寝室にへたり込んでいた奥さんは動こうともしなかった。疲れ果てまいっているように窺えた。ぼくは風呂へ行くと言ってそうそうに引き上げた。
戻ってから一人で宝の湯へ、テニス二回分の疲れと汚れを落とした。行きはよいよい、帰りはこわい。渋滞しそうでない道をアイパットでさがして帰り着く。
夕食を済ませてテレビを見ているとあーちゃんが水が出だしたという。待望の水がやっと今回は本物らしい。水のありがたさ、電気のありがたさ、足を伸ばして寝られるありがたさを実感した。
のぞもと過ぎないように心して生きて行こう。
・錦織 3年連続8強(スペイン バルセロナ・オープン500)
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