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熊壮会 1月例会  全豪オープンはベスト8

1月24日 火曜日 寒気団やってくる

寒くなるということで今週の運動公園の練習は欠席とする。
終日、全豪オープンを見ながらギターの修理。ブリッジのサドルがいつの間にかなくなっていた。楊枝より少し大きめの白いサドルが付いていたのだが、弦を外した時に見失っていた。あとで気が付き探したが見つからず、ネットで探すも爪楊枝の円形のものはなく高さは8ミリくらいのものしかなかった。

ペーパーやナイフで削って、一日費やす。何とか取り付けガットを張ったが少し高いようだ。しばらくこれでやってみよう。

全豪オープンはベスト8とが出そろい、4強を目指して熱戦が続いている、

1月16日月曜日 曇り

竹Bとは下から二番目のグループ。

だけどレベルは高いと感じている、ぼくの実力が衰えているのだが、そんな風におもぃたいのだ。z打って

サービスを見ていると、その人のレベルを押しははかることができる。力強いサービスの選手がいるのに気が付いた。本格的なサービス、ショット。初めて見る顔だ。

2試合目に対戦する。今日の結果は諦めていたが、最後には逆転して勝利していたが、思ったように上手には間違いなかった。入会初参加の選手だと耳にした。
sよう3試合目も逆転で勝利、4試合目は41でリードしていたので勝つ可能性は高く、勝つだろうと思っていた。ところが44と追いつかれて56負けてしまた。

優勝一歩手前、3勝1敗が4人いたらしく、ぼくにはお呼びは掛からなかった。
強いと評価していた新参者が結局優勝をさらっていた。

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今日の出来事

金曜日 曇り 雨

朝、スマホの予報を確認して運動公園に出かけた。コートの人影が見える所までくるも人影なし、土手に上がるとBコートには人影なし、慌ててスマホを取り出して納得した。せっかく来たのだからと、メインコートの壁打に行ってみた。センターコートの上から眺めると2人だったので、割り込ませてもらってた。
フロアーは人口芝、橋桁の壁打ちはアスファルト、その違いを今頃理解していた自分を心配した。
運動公園でのテニスの後は、菊陽町のさんふれあ温泉へ出かけることが多い。TSMCで活気溢れる菊陽町、
それを先取りしたかのように、一年くらい前から温泉の横に建築中の建物が姿を現した。軍艦のように大きな菊陽町の体育館。道路を挟んで富士フイルムの工場がある。
オープンまでには、まだ掛かりそうだが、テニスコートもできるというのだ。
どんなコートができるのか、まだまだ工事中の現場だが、おそくとも年内には全てが完成するだろう。
楽しみだ。

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今年初めて壁打ちに行く

月曜日 晴れ 成人の日

久しぶりの壁打ち、練習になった。
サービス、ストロークなど、終えて温泉へ。

クラッシックギター、齢のせいか進歩なしになってやる気失せている。難しいだけにやりがいはあるけど。頑張れ。 

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今年のテニス どうしょうかな?

日曜日 晴れ

昨日、孫二人を迎えに来たので、急に静けさを感じ複雑な感情が行き来している。

年賀状もかなり減らしたので来年から10枚を割ることなった。年賀状も煩わしく思えるが、正月に来る賀状が少ないのも寂しくなってくるに違いない。

今年は例年2月に行われていた福岡ベテラン春大会、3月初めになっていた。
とりあえずそれを目標に、体調を整えて体調の回復を占ってみたい。

ホームコート、1月は休会にした。運動公園での週三回のダブルスと週一回のシングルスでコンディションを整えて、例の壁打ちにも時々行って、それでそれなりの練習になると思ったからだ。

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大晦日 今年のテニスを振り返る 

土曜日 晴れ

朝からI氏より電話、ホームコートレンタルしているらしく、員数が足りなくなったようだったので、バタバタと用意して出かけると6人となって昼までお付き合い。楽しむ。

今年1年振り返ると、ぼくのテニス戦歴はさんざんだった。
今年の下記の戦歴を検証して来る年は、肩足は回復基調に思えるので頑張ってみたい。

➀ 2月 福岡ベテラン春大会は今日が締め切り、80歳は6人エントリしていて、出来れば自分も考えていたのにと、参加者を思い浮かべていた。
肩の回復いかんで、エントリーは諦めていたが、未練がましくチェックはしていた。(2022/2/8 ぶろぐより)
渕上氏が宗本氏を62 76(5)で破り優勝していた。

➁ 第76回九州毎日テニス選手権大会
 ・4月12日 一回戦 信末氏64 26 10-8勝利 二回戦1シード良元氏に棄権する

第11回福岡市ベテランオープン
 ・5月3日 一回戦 徳永氏57 62 10-7 二回戦(決勝戦)渕上氏 06 06 優勝

第96回九州テニス選手権大会
 ・5月30日 一回戦 山田氏 36 36敗退

福岡県ベテラン夏大会
 ・7月15日 一回戦 徳永氏62 62勝利 二回戦 奥村氏26 16敗退

福岡県ベテラン秋大会
 11月18日 一回戦 宗本氏 16 46 敗退 宗本氏決勝戦で渕上氏に7564で優勝

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第四回愛知オープン  孫二人遊びに来る

月曜日 曇り 晴れ

好敵手がいないのが悩みのクラブ。明日までと覚えていたので、孫らが来るのはわかっていたが10時半過ぎ出かけてみた。

一人で練習してお姉さんたちとダブルス一つして、帰ろうとすると挨拶をする女性がいる、明日まででしょうと尋ねると今日までですと言う。ウイークデイ会員は今日までだった。

11月に行われた福岡ベテラン秋大会で負けたmunemoto氏は翌日の決勝戦で優勝していたので、えーつと思っていた。1シードのF氏に勝利していた記憶がなかったからだ。

11月の冬大会には出られるかと聞くので、ぼくはもういいですと答えていた。彼は出たいけれど名古屋の大会(D)に誘われているので、出たいけど出られない風だった。

第 4 回 愛知オープンベテランテニス選手権大会 2022

 

という大会でまだ4回目の新しい大会だった。二三日前ふと気が付いてスマホで開いてみた。大会の少ないこの時期の開催は、大盛況の様子、どの年齢もドロー数はびっくりするほど多かった。

80代も26ドローでランキング上位の選手が顔を揃えていた。

何と彼は第一シードを3回戦で破りベスト4、準決勝も勝利して、まさかの決勝戦でも勝利して優勝を飾っていた。誘われた選手とダブルでも優勝していた単複制覇を成し遂げていたのだ。正直嬉しかった、お祝いの電話でもと思ったが?

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クリスマス イブ

土曜日 曇り

自分で組み立てたクリスマスツリーでした。

孫たちはいつくるのかな?

 

https://youtu.be/Q4hgzJWBrVo

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熊壮会 月例 年齢別優勝

月曜日 晴れ

(兄より)

12月10日の お墓参りありがとうございました。 その時に持って来て頂いた 白菜の漬物今日食べました 。しょっぱくなくて大変美味しかったですよ ありがとうございました。

兄へ)

今日はテニスの愛好会(熊壮会)の月例会でほんとうに久しぶり優勝しました。
60才以上の男女が参加資格で12月は年1回の年齢別でした。肩を痛めてからアンダーサービスで低迷していました。
肩の鍵盤手術してから一年半余、以前の身体に戻りつつある中、パートナーを変えの4試合を頑張りました。パートナー次第で勝敗は大きく左右されるが、90歳のパートナーのとき、ほとんど動けない選手でしたからピンチもピンチでしたが頑張り4勝して、ほんとうに久しぶりの優勝でした。
試合を終えていつもの温泉へ、途中野菜市場へよると白菜を山のように積み上げ一個50円と書いている。温泉の野菜売り場で買う白菜、大きいとはいえ一個200円代、家には白菜漬けが漬物缶の中に残っている。迷ったが決断して3個買う、帰ろうとすると出口に大根が山積み、1本20円とある。迷ったが2本だけ手にした。そしてすぐそばに置いていた生姜が目についた。

安そうに思えたので2パック買う。生姜はぼくが朝食ですりおろして納豆に混ぜて食パンにのせて食べている。
まだ一週間たらずの白菜漬けだから、水っぽかったと思うけど、庭のダイダイを絞って食べるとまた異なると思います。
兄貴らしく苦言を期待していましたが、よかったです。

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青春の思い出 門司港駅→日向市駅→椎葉村

昭和41年(1966)10月24日月 晴れ
私の誕生日
21日より今日までとTさんと二人で旅行する。21日の夜行で日向に行きそこからバスで椎葉→国見峠→本屋敷→熊本という計画だった。

門司港発21時21分の汽車に乗るため八幡駅20時37分の門司港行きで門司港まで行き、そこで乗り換えた。夜行列車である。思ったより乗客は多く門司港まで来て良かったと思った。金曜というのに小倉で身動きできないほど満員になる。
目的の日向には22日の4時53分着である。汽車で夜中を過ごすなんて、高校の修学旅行、いや、長崎へ受験で行ったとき以来夜行列車なんか乗ったことがない。ふと、昔のこんなことが思い出されて、感傷的な気分になり、この列車この真夜中を突っぱしり過去の世界へ、自分を連れて行ってくれたら・・・、前に坐っているTさんは何を考えていることやら、なかなか時間がたたない。体は疲れているはずなのだが、腰掛けて眠るなんて器用なことはそう簡単に出来るものではない。外はまだ暗い。
日向駅の待合室で上椎葉行きのバスを待つこと二時間あまり、外はかなり冷え時間のたたないことおびただしい。Tさんの持ってきたおにぎりを食べる。あまり食欲なし。
東の空が薄明るくなり簡素なじんまりとした日向の夜明けがやって来て、七時十分発のバスに乗る時間が来た。前からにばん目の座席に座った。前方の景色がよく見える。
バスは耳川に沿って上流へさかのぼって行く。まだ稲は刈り取られていず、早朝のすがすがしい田園風景が展開された。
上椎葉まで二時間余り、途中いくつも小さなダムがあり、だんだん山の谷にあいに進むにつれ道の曲がりがはげしく、谷も深くなり青い水が美しく流れている。 おそらく山の中の 部落 だろうからと思い食料等を用意してきたのに思いの外開けていて 生活必需品は 何でも買えそうであった。

バスを降りて 次の利根川行の時間を調べてから 近くのおみやに登った。 ポカポカと温かく 申し分のない 天気であった。 谷間の部落 から陽気な流行歌がスピーカーから流れていて、シンと静まっているはずの谷間の静寂を破っていた。
神社の上で 石に腰掛けて持ってきた 食料食べる。 写真で見た大きなダムがあるはずなのにどの方向か見当がつかない。 Tさんはかなり疲れていてダムなど探して見物する気はないようだ。 仕方なし 一人で部落方向に 行く。 出会ったおばさんに尋ねるともう少し上流に上ったところにあるとのこと。 せっかく きたのだからと思い引き返しTさんを 連れて一緒に上流へ行く。 木材を切り出すだろう道は広く、そして車が通ると砂埃を浴びた 。

10分ほど歩くと 橋があり、その橋から右手前方に高くそびえたダムがあった。 我々の 位置は谷底に近いところで、ダムにたどり着くまでは、かなり急な道をうかいしていかなければならない所にあった。Tさんは行かないと言うので荷物を持つてもらって、もとの神社で待っているように言って一人出かけた。近くの家でだいたいの道を聴き登る。

橋を渡り急な崖道を登って行くと中学校があった。こんな崖の中にと思われるところに学校があるのだ。山腹を削り取って平らにし、まだ新しく新築中の校舎もあった。ダム目指して近道しようとしたが失敗した。中学生の一人に尋ねると学生らしく道を教えてくれた。

中学校を少し登ると車が通れる道があった。これはダムの周囲通っている道だろう。バラスのしかれた道を行くと、今度はダムよりかなり高い位置にでた。そこからはダム全体が見渡せた。たっぷりと水をたたえた大きな湖があった。道の間の小道からダムに下りていった。

人は私のほか誰も見かけない、ここは驚くほど静かだった。無理をしてTさんも連れてくるのだったと後悔した。ダムサイトを反対側に渡り、今来た道を逆に帰ろうと思った。この山腹を歩いて行くと、Tさんのいる神社に平行した道だから途中から、谷間に向かって下るとたどり着くはずだ。途中からななめに谷に向かっている小道を見つけて歩く。

ドングリがたくさん落ちていた。それ拾って歩いていると、うまいことにその道はちょうど神社の裏側に続いていた。Tさんは夜行で来た疲れがでたのか、土手で横になって目をつむっていた。

十根川行きのバスは二時と聞いてた。
Tさんは二時半だといったが気になったのでバス停に行った。バスはやはり二時で、バス停は学生がいっぱい順番で待っていた。土曜日なので中学生の帰校時間と一緒になったのだ。超満員であったがどうにか乗れた。

終点十根川まで40分。
そこは耳川の支流の一つ、十根川沿いにバスは上椎葉より少し引き返し、そしてこの十根川沿いの谷間を登ってきたのだった。中学生も皆降りた。まるで学生の貸切バスみたいな感じだ。彼らはこの細い耳川沿いの谷間に点在する部落から、あの上椎葉ダムのすぐそばにあった中学校へ遠い道のりを通学するのだ。
これから先の私の計画が、どれほど無謀であったが知る由もない我々はバスを降り一息入れてから、これから長距離を歩かなければならないと覚悟を決めて、ナップサックを背中に担ぎ直し出発した。13時50分。
我々は6時頃までには仲塔→胡摩山→国見峠をこえて本屋敷にたどりつき、そこからバスで熊本まで行く計画なのだ。同じバスで降りた中学生の女の子二人と一緒になった。
私が話しかけると、一瞬彼女らの顔が恥じらいた。そしてその理由は後ろ手にしていたコッペパンのせいであることがわかった。中学一年生、セセーラ服まだ板につかないとといった感じがした。

本屋敷までの道のりを色々とたずねた。彼女らはどれくらいの時間がかかるとか、正確なことは言葉を濁していたが、小さいとき国見峠を越えて本屋敷まで行ったことがある、それも1日で往復したのか、1日がかりで行ったのかよく聞き取れなかったが、聞き直すのはやめた。
彼女達の家は国見峠の麓だ、そこから峠を越えて行った、それも子供の時に行けたのだから、若い我々であれば、何とか予定通り行くに違いないと内心不安を感じながら思った。

でも途中の渓谷美はすばらしく、ともすればそれに見とれて、足が遅くなったのもたたっていた。私はTさんにハッパをかけメゾのつくところまで、ピッチをあげたいと思い急がせた。

2時間も歩くととみよ君が足が痛いと言いだし、中学生から追い越されてしまった。
4時頃峠の麓らしいところまでやってきた。腰を下ろして一息入れていると上の方から子供をつれた嫁と姑とめらしい三人が通りかかった。
ここから本屋敷までどれくらいかかりますかと尋ねてたら,女の足で3時間くらですねと言った。野良仕事の帰りらしい、もうそんな時間なのだ。それを聞いてホットした。3時間くらいなら7時には本屋敷に着くことが出来る。
いくら田舎でも最終バスには間に合うだろうと思ったからだ。

我々の歩いている道は国道265号線、でも車は1時間ほと前に蘇陽町のタクシーが一台通っただけ。国見峠はこの車道を通らなくて途中から山道を通る近道があると、ぼくが椎葉に興味をもった、ここを案内の新聞には書いていたが、途中でたずねた百姓のおかみさんらしき人は、その道を教えてくれず、女連れだからこの道を教えてくれたのだろう。
だんだん登につれて紅葉は美しい、あの中学生が胸をはって言っていたように、もうしばらくすると、もっとすばらしいだろうと思われた。峠の山道に入って道は今までより急になったが、それでも国道で車が通れるくらいの林道、石ころが多く、ダラダラとなだらかに迂回をしながら、この道は峠に続いて続いているはずだが、歩けども歩けども峠には行きつかない。あの曲がり角を曲がれば、あの曲がり角を曲がればと、いくど思ったことだろう。

Tさんはすっかり疲れ切っているようだ。その上に足も痛いと言う。でも弱音を吐かずにもくもと歩く。
小石が多くそれが足をうばい、Tさんの歩調はずっと落ちた。
あたりはかなり暗くなり、山にはもう夜のとばりが降りようととしいる。
道脇に真っ赤に紅葉したモミジが見つかった。すごく印象深かったのでその前で、おそくなりついでだと思い写真を写す。
国見峠にたどり着くまでに懐中電灯が必要となった。
そして峠にたどり着いたとき、日はとっぷり暮れて山の上には月が出ていた。

峠に着けば本屋敷はすぐ眼下に見えるのだ、なんてとんでもない錯覚にとらわれていたのだ。峠までの道のりはTさんの足が衰えていたとはいえ、事実遠かったのだ。


峠まで行けば何とかなるだろうと思っていたのに、そこでこの計画が無理であるということを知らされる。峠の向こうに続く尾根と尾根と暗闇の中の深い谷がそれを証明していた。


時計の針は七時をさしている。今からどうして熊本市まで行けようか、我々二人は今九州のど真ん中、それもこれから先の道もよくわから山中にいるのだ。とにかく人家のあるところまで歩く以外に道はない。
ジャリを敷いた道は、車の輪のあとを残して中央に盛り上がっている。
そして枯れ枝だと思っていたそれが、蛇だったと分かった時は、一瞬ギョットして立ち止まった。懐中電灯の灯りの元で、確かに動いている。蛇に間違いないのだ。


そのために我々はほとんど動けなくなっていた。私は本当に不安を感じ始めた。
峠からかなりくだった時、ライトが峠の方向で光って消えた。二人は一瞬立ち止まり顔を見合わせた。
またライトが光った。車に違いないのだ。

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57年前の思い出を辿りに 日向市駅から椎葉へ

2022 11 22(月)晴れ晴れ

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(日向市駅)

早朝6時頃出発して向日市駅→上椎葉へ向う。高速の嘉島ジャンクションを利用して九州中央自動車道へ、途切れ途切れの中央自動車を利用して延岡へ。南九州自動車道に乗って日向市駅へ何とかたどり着いた。57年前の記憶もなく、そこには大きな駅舎がそびえて見えた。駅で2時間余過ごしバス停に向かったと書いていたが、チンプンカンプン。車のナビに椎葉をインすると高速を利用したりする案内しかなくて、二人でバスで行った道とは違う。スマホのナビで見ると、バスで行った道を案内してくれていると思った。それでスマホのナビで行こうとした。
だがスマホのナビを利用したことはほとんどないのだ。ちょっとしたことで画面が切り替わったりして、戻し方もわからず、途中で立ち往生すること数度、車からの充電もうまくいってないようで、車のナビで行くしかないと決断する。
時間はたつばかり、来た道「北方よっちみろ屋」の道の駅でおりてひと息入れた。日向の街に入った所のセブンイレブン(そこの女の人がやさしく日向市駅を教えてくれた)、そこで買ったおにぎりとカレーパンを食べる。11時頃だった。
そこからは両方のナビを使ってみた。五ヶ瀬川の修理中の橋ようやく渡って山あいの道を両方のナビを見ながら運転する。
この道を行けば椎葉へと行けるはずだった。五ケ瀬川沿いで何度か車を止めて写真を撮る。
道の駅を出てしばらく、もたもたしたけれど、椎葉への道を進んでいたことが、家のパソコンでドライブレコーダーをチェックしていて分った。
レコーダーを道路案内のあるところで止めてチェックしなが2分ごとの記録を追っていった。
3oom先 まっすぐに↑327号椎葉 右折→五ケ瀬503号線(13時半ごろ)

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ナビを見ながら慎重に運転していたはずなのに、ぼくは右にハンドルを切っていた。曲がったところで停車していた。ちょっとおかしいと考えたが、そのうち案内板があるだろうと思ったに違いない。新しいトンネルを通り抜けしばらくは立派な道が続いたが、案内板は何一つ出て来ない。

だんだん道は細くなり軽自動車がやっと離合できる道に入り道路の決壊した工事現場を何度も通り抜け、落石注意の表示板のある隘路を延々と登って行った。高千穂の見覚えのある峰が一瞬見えた時は、えらいところを走っているのだと一瞬思った。ナビを拡大して見ると、めちゃくちゃの迂回をして椎葉に行き着くようにはなっていた。
503号線を北上して五ヶ瀬のある九州中央自動車道への道だった。そこが飯干峠と分かった時、車を止めて考えた。時計は15時頃、ここから2時間で椎葉に行けるだろうか、着いたところでゆっくり散策する時間はあるだろうか。国見峠に行けるだろうか、あのときと同じように夜の7時くらいになっていてもおかしくない。
ナビで自宅までの時間を確認すると2時間くらいで帰れそう。
ぼくは諦めて帰ることにした。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 00:19 | コメントをどうぞ