ベストフォーに一歩届かず

土曜日 晴れ

クォーターファイル、ベストフォー賭けての戦いは昨日と同じ7番コートの3試合目となっていた。昨夜のPCで見たオーダーでは二試合目になっていたのに今朝のオーダーオブプレーで変更になっていたとは思いもしなかった。
二番目には同じクォーターファイルの選手が入り、その後で12時頃にコート入った。

相手は何年か前、福岡県ベテランで対戦して、やられそうなシーンを際どくかわしてタイブレークに持ち込んでやっとこさ勝った記憶がよみがえっていた。

試合は33まで進んだところでブレークされた34。ちょこちょこっと出てきてネットプレーにやられていた。
ホアーのちょんぎるようなカットプレーが得意で、甘いボールは自在に打ち込んでくる。
ブレークしてと意気込んでみたが相手のペースは崩せづ35 45 46とファーストを失う。

バック両手打ちがネックになっていた。試合前にいじったのが裏目に出ているように思えた。

セカンドのスコアは15になっていた。万事休す、このまま終わるのかと思っていたら1ゲーム取れていた。両目開いたぞ、あと1ゲーム頑張ってみるかで35 45 55、4ゲーム連取していた。バックは片手のスライスだけに絞っていたがチャンスボールを両手で打ち込んでミスを犯し墓穴を掘っていた。

キープされて56、キープして66としてタイブレークに突入したが昨日の試合のようにはいかなかった。

リベンジの執念は相手が上だった。タイブレーク37で落としぼくは負けていた。4667。
昨年のベストフォーはかなわずエイトで終わった。これでまたランキングも下がり混迷は続くことになる。

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九州毎日テニス選手権B8  75

金曜日 曇り 晴れ

オーダーオブプレーはネットで見ることが出来る。今日はNB10時7番コートになっていたので7時9分の高速に乗る。

試合開始は10時半ごろ、相手一勝一敗の顔馴染みの選手、一昨年の福岡県ベテランで楽勝し昨年の同じ大会で完璧なリベンジを受けショックは大きかった。
ドロップショットを持ち味として拾いまくる。その辺をケアして試合に挑むと、ジュース何度も繰り返すロングゲームも取ることができてファーストは61、しかし内容は接戦だった。

セカンドはぼくのボールに慣れてきたのか、疲れでぼくのボールが浅くなっていたのか、彼の攻勢が続いていた。ブレークされて23、キープされて24、34 35。
まさに相手の術中に陥っていた。バックにきたボールを繋ごうと相手のフォアに打とうものならストレートネット際絶対取れないドロップかストレートにスライスで流しこんでくる。
ファイルへ行けばヤバイと感じていたが、どおしていいか分からなくなっていた。
こんなんでは小田原行きの資格はねえなあとと自嘲していた。不甲斐。

35でぼくのサービス、サービスをしっかり入れて出来るだけフォアに回り込んでの勝負を心がけた。なんとかキープ45、必死走り回りブレークして55。

ここでほっとしたのがいけなかったのか簡単にサースを落としたのだ。
これまでかと落胆したが気を取り直して、サービスブレークに全力を尽くしてブレーク、66としてタイブレークへと持ち込んだ。

流れはぼくの方に来ていた。終始リードを保ち73。
61 76でやっと勝った。大変な戦いだった。
(帰りの高速バスの中で)

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九州毎日 室内を除き雨天中止

木曜日 雨

今日1日は前線通過で九州は終日雨模様。

降っても会場に行かなければならない。もしかして会場は曇り小雨で試合が行われているかもしれないのだ。

今日は9時9分の高速バスに乗った。NB11時にはギリギリだが、ままよという気持ちだった。

強風と強い雨に初めてバッグを車で歩いて十分足らずのバス停まで運んだ。そこから大会本部に電話したがうまく繋がらなかった。

もし繋がっていたら乗らなくてすんだかも知れないと思ったりもしたが、中止の決定は9時30分と言っていたからやはり無理だったか?。

車窓からの様子は曇りで出来そうな気配がしていた。ヤバイひとバス早めればよかったと後悔しているとまもなくどしゃ降りとなってほっとしたりしていた。ところが福岡市内に近付くと曇り空に雨の気配はない。

10分ほど遅れて到着したバスはそれを維持して予定到着時間を守ろうという感じはなく、もっと遅く11時になる恐れもあった。

ヤバイと感じたぼくは一番後ろにあるトイレに駆け込み大会本部に電話した。

女性が出た、「今日はやっていますか」「何歳ですか」「今日は屋内以外すべて中止となりました」

ほっとしたような、がっかりしたような複雑な気持ちが交錯していた。

空港のバス停に到着すると帰りの一時間一本、50分のバスは走り去っていた。
近くのベンチに腰をおろすと携帯を取り出して時間を費やす。(携帯より)

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九州毎日テニス選手権 初日の二回戦

水曜日 曇り

8時9分の高速バスに乗ると9時36分予定どおり福岡空港着。 NB11時には十二分に余裕はあるが、何が起こるか分からない。室内コートの前の段丘にある桜はまだ見ごろだった。 四面ある室内コートの二番コートで30分過ぎに試合は始まる。

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相手は神奈川から来ていた。ダブルスプレヤーで活躍、シングルは大したことはないだろうと友達の弁だった。今年から75歳代の選手。

5分間練習してレシーブを取り試合ははじまった。
最初に相手のサービスをブレークそしてキープして20、食い下がられて時間はかかったが順調に自分のペースになりそうに思えた。
相手はネットに出たりして揺さぶりをかけてきた。キープされ21、キープすれば31だと安易考えているとブレークされて22。32 33。ぼくのボールに慣れてきたのかなと不安がよぎりだした。
接戦を覚悟しているとそれから3ゲーム連取して63でファーストをものにしてほっとする。後半はサービスとストロークの感触が良くなっていた。

セカンド21でほくのサービス、ここからだとベンチに座り気合いを入れていると、相手はローピングアンパイヤを呼んでいる。そんな素振りはなかったのに、リタイアーするむね申し込んでいた。ぼくは拍子抜けのかんがあったが、初戦突破に正直安どしていた。ダブルスの事を考えてのリタイヤーだった。

隣のコートで明日対戦する選手が試合を始めたので、一息入れると二階に上がってその試合を観察して帰途についた。

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タクマコートで散りゆく花見と外人との練習

火曜日 晴れ

10時に間に合うようにタクマコートへ向かった。朝食を食パンからごはんに変えてからコメの消費が増えている。ok氏とお米の受け渡しを済ませてから、定例の練習に参加させて貰った。

練習後に、コートを見下ろす高台の桜の下で花見の宴が予定されていた。もう散るを急いでいた桜だがこれも風情がある。ぼくも厚かましく参加させてもらった。

宴もたけなわのころ、コートを見下ろすと一人で黙々とサービスを練習している人が目についた。あの人知っていますかと尋ねると知っているという。外人でコーチをしているのではという。サービスを見ればその人のレベルは推測できる。上手だった。

ok氏がこのあいだサービスを受けましたので紹介しましょうと突然言い出した。人見知りのぼくはふだんであれば躊躇しただろうが、黙々と一人で練習している彼(suti-bu)に自分の姿を重複させていた。お願いしますと二人でコートへと下りて行った。

日本語はほとんど話せない、ジェスチャーはぼくにサービスを受けてくれだった。ボストンバッグ一杯のボールを次々と打ってきた。回転のかかった鋭いサービスにびっくりポンしていた。サイドに切れ行くボールはノータッチ、よしんばラケットにとどいてもやっとこさ相手のコートに返すだけ。ぼくのレベルとはかけ離れていて失礼したようだが、ボールボーイの役にはなったかもしれない。

時間が迫っていたらしく最後にサービスからのシングルスの打ち合いを少しやってが、ベーグルでやられるのは間違いなかった。

「ハウオールドアユー」終わってから尋ねたら57歳と日本語で返ってきた。57歳でこんなサービスの人を周りでは見かけない。

明日から九州毎日選手権です。良い練習になりましたと、それを相手に伝えることが出来ず、英語のつたなさを思い知った。

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ジョコビッチの壁は厚くて高し マイアミ決勝戦 錦織

月曜日 曇り

夜中の2時まで眠らずにマイアミオープン決勝戦の始まりを待っていた。錦織圭の念願のかかったマスターズ(1000)の大会なのだ。ライブでないと意味がないと思った。

1万5千人を収容するという会場は最上階まで溢れる中、試合は開始された。

ファーストの1ゲーム目ジョコビッチのサービス。を全米でジョコをやっつけたように、軽いフットワークでかっこよくブレークした。今日こそ何かが起こりそうだと期待が高まっていると2ゲーム目圭のサービスはたやすくブレークされた。

それからは終始ジョコビッチが主導権を握っているように見えた。圭も得意のショットを放つが、良ければよいほどジョコの反応は良くなり、より厳しいボールが帰ってくる。ファースト36。セカンドも36でセットか取れそうな雰囲気ではなかった。

「生き馬の目を抜く」ジョコのテニスの観察しながら浮かんできたことわざ、ここという時はエンジンを全開して、通常はニュートラでの運転で、離れず付かずチャンスを窺っている。攻撃を受けてもコート狭しと駆け抜け、どんなに厳しいと思えるボールでも、そこから攻撃的なボールが帰ってくる。ナンバーワンを守り続けている秘訣の一つには違いない。

・錦織 ジョコに「次は勝ちたい」

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深夜、錦織圭とジョコビッチの対決 寝ずに応援

日曜日 曇り 雨

昼から本格的という雨情報なのに、その気配はなくひるから新しいコートへ出かけてみた。土日に会員が多いというクラブ、練習相手もここで見つけておきたかった。

4月から入会したものです自己紹介して一人の男性に声をかけると、アップしましょうとミリラリーからストロークと長く付き合ってくれた。隣のダブルスが終わるとダブルスにも誘ってくれた。

パートナーを変えてのスリーセットは大接戦でレベルの高さを感じていた。結果はぼくの3連敗で疲労困憊していたが楽しくプレイが出来たのが良かった。

人見知りのぼくは、少し心配していたけれど、仲間に入れてもらえそうな雰囲気を感じていた。

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マイアミオープン頂点は指呼の間、錦織圭

土曜日 曇り 晴れ

あーちゃんは近所のお年寄りたち数人を伴って阿蘇神社へ、近くのJR駅から出かけたので、ぼくも朝から始まっていた錦織圭と悪童キリオスの試合を観終わってから、チャリで近くの公営テニスコートを捜しに出かけた。道際の桜の木は満開でまさに春が訪れていた。 ようやくさがし出したが運動施設の管理室に仲間はいなかった。

家に戻ると郵便屋さんと鉢合わせ、郵便物の中に1枚のはがきがあった。「会社設立のご挨拶」という文字が飛び込んできた。我が家の訪問からひと月もたっていないのに、びっくりぽんしていた。「株式会社○○○○」を設立しましたとあった。

突然の訪問に対してのお礼のはがきが来ていたが、返事を出さなかった。日頃返事は必ず出すようにはしていたが、今回だけは書くことが見当たらなかった。この訪問はなんなのという疑念が心の片隅にあった。意図するところがわからなず戸惑っていた。責任を取らされて辞めざるを得なかった。手のひらを返し周囲の態度、四面楚歌の状況でぼくのことを思い出したのかなとか、勝手に解釈もしたりしていた。

今回はすぐに古びれた万年筆とインクを捜し出し、タイミングよく買っていた便せんを広げていた。パソコンばかりでペンなど握るのは久しぶり、ミミズのような文字だけど、せめてものぼくの誠意、つたない文字で幼稚な文と気持ちだけのお祝いをしたためた。

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モンフィスとの死闘は、圭に初の頂点をもたらすか

金曜日 曇り

6時の目覚ましで起き二階でペダルを踏みながらテレビを見ていると、突如、錦織がファイナルへ突入したとのアナウンスにびっくりして1階へと駆け降りた。

テレビには録画中の赤のランプはついていない、忘れていたのだ。急いでテレビをつけると、錦織VSモンフィスはファイナルセットの終盤、圭43のリードでサービスを苦戦していた。そしてブレークされて44と振出し戻る。キープしていれば53と勝利は掌中にあった。

55から モンフィスキープして56、そこで圭のサービスでタイブレークを期待していると、何とラブフォーテイとスリーマッチポイントを与えてしまっていた。フォアのイージな逆クロス2本ミスしてからショットに迷いが見えた。

やはりここまでかとぼくは思った。1000は遠くに見えたが、そこからの踏ん張りがすごかった。モンフィスは疲労困憊のしぐさだが観衆の応援を受けて、届きそうな禁断の果実に必死に手を伸ばしていた。届きそうで届かずもがく苦悩の表情が痛々しかったが、プレーが始まると別人になっていた。

まさに奇跡のばん回でジュースに持ち込み、そこでも2回のマッチポイント、計5回のマッチポイントをしのいで66のタイブレークに持ち込み、会場のボルテージはいやがうえにも上がっていた。

モンフィスのサービスから始まり01  11 圭ミニブレーク21  31  32  42  コートチェンジしてモンフィスミニブレーク43  振出しに戻るが、圭ミニブレーク2回モンフィスドロップショットの失敗して53  そして63  そこで圭は1本目のサービスでもぎ取り73で2時間半近くの試合を終えた。フォアのウイニングショットをクロスに決めると、こわばっていた圭の顔がゆるみ苦笑いの笑顔をのぞかせた。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:45 | コメントをどうぞ

新しい門出 

木曜日 曇り 雨

ぼくは明日から別のクラブへ移ります。

28歳の頃、ぼくは小高い丘の市営住宅に新居を構えた。そこで何気なく見下ろした向こうの方にテニスコートが見えて胸躍らしたのを覚えている。F県の職場でテニス同好会に入り二三度参加して二三回打っただけで、テニスのテの字も分からぬまま、こわれてK県まで落ちのびで来ていました。

訪ねてみるとクレイコート3面で片側にコートサイドいっぱいの壁打ち用のブロック塀、さっそく入会して壁打ちをしていたに違いない。そのうち東京へテニス遊学していた次男が戻ってきてテニス教室を始めたが、なぜあの時習わなかったのかと後悔したことがある。本を買って読んではいたが上達は遅々としていたに違いないのだ。

当時の会員は裁判官、医者、教師がメインで県内唯一のテニスクラブではと思う。各県に一つくらい「ローン」と名のつくクラブが存在するけど最初に存在したクラブが競って付けた名前ではと想像している。
その裁判官の中に水俣病裁判の最初の判決を下した裁判官もいたが、すぐに転勤していなくなった。

10年くらいたったころ、クレイコート3面が1面になるという。保険会社と提携していたが2面の返却を迫られていたらしい。

ウインブルドンで沢松和子がダブルスで優勝したりして、テニスブームになっていた頃かもしれない。タイミングよく近くにテニスクラブがオープンするとあって、みんなで移って行った。不義理をしたという気持ちがあったので、もう戻ることはないだろうと思っていたが、今回何度か訪問している内、同世代の経営者と再会することが出来た。

昔話に花が咲いたし、現実の話もした。経営者は孤独だと思った。粗茶ながらと何度も立って行って入れてくれ、恐縮していた。
彼のテニスの話は沢松和子時代の昔話で沢松和子とも親交があるらしい、中央の往年の選手との人脈はさすがだと舌をまいていた。
何かあったの、の問いに、年老いたぼくは最初にお世話になったこのコートで晩年を過ごしたいとるる話した。

周囲に建物が林立して昔の畑の中にあったイメージは様変わりしているが、昔の儘のたたずまいも残っていて、ぼくはなつかしさと郷愁を感じていた。

新しい人口芝コート二面、古い人口芝コート二面、なつかしいクレイコート1面の5面。

多分ぼくは一人壁打ちと籠ボールで楽しんでいることでしょう。

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(右から二人目細川知事 黄色のシャツ次男8歳現在40過ぎ)

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(奥のクレーコート、現在、上の写真とほぼ同じ場所。)

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