久しぶりブログをたどると

金曜日 晴れ 風強し

昔のブログをたどっていると次男の希望で墓参りに出かけたブログに出会った。

香春神社
・思いもよらぬ北九州T 70単複制覇

2013年05月10日
錦織圭、フェデラーを破る殊勲
2013年03月19日
卒業式

2013年01月13日
「シェルブールの雨傘」(1963)

ある雪の夜、妻マドレーヌと息子フランソワがクリスマスの買い物に出ていった後、一台の車がギイのガソリンスタンドに給油に訪れる。運転席にはジュヌヴィエーヴが、助手席には3,4才くらいの女の子が乗っている。入営の日、シェルブール駅で別れて以来の再会だった。事務所で短く言葉を交わす2人。金持ちそうな毛皮のコートに身を包むジュヌヴィエーヴ。娘の名はフランソワーズだと告げ、「会ってみる?」とギイに聞くが、彼は無言で首を振り、互いの幸せを確認し合うと「給油が終わったようだ」と言う。ジュヌヴィエーヴの車が去って行くのと入れ替わりにマドレーヌとフランソワが帰ってくる。すると、ギイは気持ちを切り替え、2人の帰りを大はしゃぎで迎える。ガラス窓のカーテンが家族3人で幸せに楽しく過ごす様子を映し出す。

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マイアミ1000 keiチパスに善戦するも 

木曜日 晴れ

昨日の朝練、HG氏の練習相手が来ていなかったので、ストロークとサービスからの練習を久しぶり行う。何とかついていけたのだが、終盤右足を痛めて止めた。

今日は用心をして休む。明日は軽くやって様子を見よう。毎トーの初戦2回戦は来週の日曜日だ。現状での全力を尽くして頑張ってみたい。

マイアミ1000の4回戦はランキング5位のチチパス、366316で敗退したが、ファイナルまで頑張ってのは、次に向けて自信につながったことだろう。10歳ぐらい違うのでデビュー当時のことを思い出していたに違いない。18歳のケイはデビューの翌年の全米でランキング4位のフェレールとファイナルにもつれ込む大熱戦をして観衆を沸かして、フェレールに勝利して、コートに倒れこみ喜びをあらわにした。コートサイドには両親が見守っていて母親から祝福されて感極まっていた彼を思いだす。

そのフェレールも引退した。31歳になったケイは試練の歳月が待っている。どこまで頑張れるか注視して応援して行きたい。

グランドスラム3度優勝したのになおみの試合の放映するテレビのないことが、納得できない。それで頭に来たのではあるまいが女子マイアミオープンのQFでなおみは筋肉ウーマンのギリシャのサッカリに0646で敗退する。ぼくばユーチューブでのその負けぶりを拝見した。

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ファミリーのルーツを尋ねて

土曜日 晴れ

昨日は晴天、さくらは満開、しかしテニスクラブはイヴェントで有料だと聞いていた。その内と思っていた尺八の修理もできていたし、昔々の両親や家族の写真を2L版にして額に収めていたので、兄の処に届けようとルーツの詰まっている田川経由で目指した。

鳥栖インターで下りて途中から大きく左に曲がり飯塚を経由。いつかわと何度も思いながら、やっとその日飯塚の街の手前から右折して田川の中心部へとデイズを走らせていた。
祖父の住んでいた大藪の社宅、何十個あったのだろうか、一戸一戸板塀に囲われていた住宅があまたあった気がしている。

列車が土手の上を走っていて土手の下のトンネルの道を抜けると左手少し下の方に社宅が立ち並んでいた。社宅の先にはちょつとした広場があり、その先の高台に職員の憩いの建物、クラブとか言っていたような気がする。その道をまっすぐ進むと自分たちが住んでいた香春へ、行けると思っていた。

そこは大藪の社宅と呼ばれていたと、ぼくは車を運転しながら、思いだしていて、びっくりしていた。しかし戦前の話で、戦後もしばらくは使っていたかもしれないが、黒いダイヤと呼ばれていた石炭は、ラジオがテレビに代わっていたように、石炭は石油に変わって行って栄えていた田川は取り残されていったのだと思う。その頃炭塵爆発で三池炭鉱だったか、斜陽産業が大打撃を受けていたのを思いだす。

カーナビなどを使ってウロチョロしてみたが、アップダウンのある入りこんだ道が迷路のようにあり、兄のところにもいかなければと諦めて、兄宅にナビで設定して車を走らせていると、道沿いの家で、頃合いの良い老婦人が玄関先で何かしているのが目につい。二人目の人だった、ダメもとで尋ねてみようと、車を止めた。ぼくはどんな風に話しかけたか記憶にない。なんだか心意気があったのか、どうどこちらへと玄関際に座らせてくれた。

87歳という女性は色々思いだしてくれて、詳しかった。大藪の社宅というのも知っていて驚いた。社宅の跡地はマンションなどが立っているようですという。母のことも、自分は香春町で生まれて云々と会話した。そこで写真館をしていて、これが写真ですと香春岳の写真2枚を見せると、驚いて自分もこんな風に見えるところに住んでいましたと話す。

分厚い名簿を持ってきて、昔は女学校に行くのは大変で、行けるのは優秀な人たちだけでしたなどという。母がどこの学校に行ったかなど詳しくない、田舎の親せきの家に下宿して先生になるため中津の学校に通って、田川で小学校の先生をしていたとは聞いていた。

IMG_20200101_0002香春岳
(昭和初期の香春岳)

創立100周年記念と書かれた名簿、平成29年版、福岡県立西田川高等学校、高羽同窓会会員名簿と書かれており、その中に母の名前があるなんて、思いもしなかった。渡された名簿を、なんとなくページをめくっていると、昭和3年、卒業生の名簿の物故者のところに母の名前を見つけたときは、まさかと感極まっていた。何というめぐりあわせか、物静かなこの人は母の後輩だったのだ。色々話した気はするがうろ覚えだ。家の前には道を挟んで木立があった。この向こうに石炭公園がありますよと教えてくれた。ぼくは兄宅へと急がねばと、次の機会にと考え車を走らせていると、二つの煙突が目に留まった。

帰って調べると古ぼけた写真集が見付かった。母は当時、福岡県田川高等女学校を卒業していた。京阪・山陰地方 修学旅行記念 昭和2年10月 福岡県田川高等女学校 四年生と粗末な黒っぽい表紙に印刷されていた。

母の父は現在豊前市と呼ばれている片田舎から満足に小学校にも行かずに田川の炭鉱で働いていたに違いない。田舎の人たちを呼んで自宅に住まわせ炭鉱夫の下請けみたいなことをやっていたようだ。6人兄弟の長女だった母は小さい頃から、まかないの手伝いなどさせられて、大変だったと語っていたのを思いだす。無学だった母の両親は子供たちには学問をさせようと誓って頑張っていたという。男の子供二人には大学まで行かせて、女姉妹四人は当時の女学校を卒業させて、小学校教員免許をとれるところまで学ばせていた。

母は中津の何とかいう専門学校を卒業して田川で小学校の先生をしていた。その当時好きな人が小倉にいたが軍人だったので、結婚を反対されて失意のどんどこだったに相違ない。
フィリッピンで写真で成功した男が嫁探しに帰国していていた。その男は母と20歳も違う男、出稼ぎで出かけ、写真屋に潜り込み成功したのだ。若い可愛い女性に目をつけて、成長するのを待っていたようだが、彼女が年ごろになると、父は振られていたのだ。

お互いに通じ合うものがあったのだろうか、母は意を決して父のもとフィリッピンへと別府港から船出した。「今宵で船かお名残り惜しや 暗い波間に・・・」

歌詞:『出船』
今宵(こよい)出船か お名残惜しや
暗い波間に 雪が散る
船は見えねど 別れの小唄に
沖じゃ千鳥も 泣くぞいな

今鳴る汽笛は 出船の合図
無事で着いたら 便りをくりゃれ
暗いさみしい 灯影(ほかげ)の下(もと)で
涙ながらに 読もうもの

別府港の桟橋には妹のきみ子叔母さんが見送りに来ていて、この歌を手渡したのだ。小さい頃何度も聞かされ覚えている。

IMG_20210223_0003母父
(フィリッピンでの両親 犬の名前 ノウブル 何枚かの写真いつも母の前に座っている)

父の写真の師匠は肺病を病んでいた。暗い密閉された暗室での写真の仕事で、父も肺病になっていた。病んで帰国した父は母や祖父の生活の地を選んで香春岳のふもとに小さな写真館を開業した。道を挟んで直ぐに小学校があり、その隅っこに幼稚園があった。

父の師匠の末路は知る由もありませんが、父はわかっていたはずです。
あの戦争の勃発した年、昭和十六年四月、香春神社まで行き家族写真を撮ったのには何かを感じます。祈祷師がいました。まだ余裕のあったらしい父は香春町に色々と寄付をしていました。兄宅でその感謝状を見ました。神頼みで延命を願っていたのでしょうか、とにかく自分が元気なうちにと、神社まで行って大きな箱型の写真機のシャッターをどんな思いで押したことでしょうか。ガラス張りの写場をもっていたのですから。父は母子4人を残して終戦の前の年19年に亡くなりました。

軍人だからと結婚を反対された母、その人は元気に復員していたかもしれません。
その後の母の苦労を思うと胸が痛みます、その恩をどれくらい感じて生きてきたかと思うと又胸がいたみます、八十路になってようやく・・・・・。

IMG_20200101_0001家族

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ブログ怠ると 謳歌満開 朝練継続

水曜日 晴れ

花冷え、朝は寒い。桜は満開に。

先週金曜日の熊壮会、出かけてみると先月の4連敗で一ランク格下げの竹Aになっていた。
松A松B 竹A竹B 梅A梅Bの六つのランクに別れているが、肩を痛めて松Bに落ちて、そしてまさかの竹Aに陥落していた。

60歳なり立て新規参加者の中には、パワフルな人たちがいて、松Aの復帰はかなり困難に感じている。八十路を考えれば無理のないことだが、全体的にレベルが上がっているのも事実。

62 63 64 62で全勝し、来月は松Bに戻ることが出来そうだ。サービス、少し打てたのが勝因。

ブログを怠ると、一日伸ばしで過ぎて行き止まりそうもなかったが、二十日以上ご無沙汰していたのに、ある日ビジターが千人以上、ページビューが最高の5千人以上になっていたので、申し訳ないと思った。

昨日列車の写真を撮りに出かける。

近々に行われwowowで放映された大会。
・ドバイ500の大会、決勝戦は予選勝者のハリス(南アフリカ)VSワイルドカード(主催者推薦)カラツェフ(ロシア)の対戦だった。
ハリスは2メートル近い長身で錦織選手を破った選手。カラツェフは27歳にして注目を集めている選手。全豪でも予選から勝ち上がりセミファイナルでジョコビッチと対戦して、ストレートで負けはしたがその内容には、観客を驚かせていた。物おじしないテニススタイルでストロークもサービスも、彼を見た選手は嫌な選手が突如表れたと思ったに違いない。ビッグサービスで勝ち上がったハリスを6362、ストロークで寄せ付けなかった。

・アカプルコ500の大会、決勝戦はチチパスVSズべレス4667でズべレフ優勝。

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シニアテニス 団体戦  新阿蘇大橋開通

日曜日 曇り 雨

シニアテニス団体戦、運動公園Bコートで行われる。

降雨のため4試合行うところ、2試合終わったところで中止となった。運動公園はまだ春の訪れは遠くに思えた。しかし、こぶしの花が我が物顔で運動公園を引き立てていた。

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九州毎日テニス選手権ドロー発表

火曜日 風強く寒い

左の二の腕と肩の痛みは治る気配なし。分かってはいるけれど、少し良いかなと思って朝一番にコートに出かける。この時間帯はまだ少なくっじっくり練習ができる。左の二の腕を脇に押し付け固定して手首だけでトスをあげて、痛みを最小限に留めようとしているが、トスもままならず、肩にくる。無我夢中でトスを上げていると、肩に負担がかかっていたのだと、後で分かる。家に戻ると元の痛みの状態に戻っているのだ。

バックの両手打ちは良いのだが、フォアの両手打ちは痛い。MRIで腱板断裂といわれた。昨年のMRIは切れてはいないと言われたが、秋の大会で我慢しての左でのサービスが、損傷から断裂となったかもしれない。肩がギクシャクしているのだ。

迷いに迷った末、九州毎日テニス選手権にエントリーしていたが、今日ドローが発表されていた。4月の上旬、一ヶ月余、とりあえず頑張ぞ。

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春を覗かせる運動公園の散策

水曜日 小春日和

コート行きを休んで運動公園へチャリで出かける。

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全豪決勝戦 ジョコビッチ、メドベージェフを一蹴 

日曜日 晴れ

若手頭と期待したが情けないメドベージェフ、572626でジョコビッチに完敗とは。

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全豪 大坂なおみ 優勝 プレイディを6463

土曜日
 晴れ 曇り

昨日昼からテニス、ダブルス2試合して、豪打のHG氏とストロークしていたら、左肩の痛みが激しくなってきたころ、お姉さんが現れて、ダブルスお願いと来たが、ぼくはストロークをしていたにも拘わらず肩が痛いのでと冷たく断ってしまった。体のためには良かったが、断りずらい場面だった。それからサービスの練習をしたが、さっぱりダメだった。

肩をアイシングしながら帰ったが、食事を済ませてソファーに座ると体は石のように重くなり動けなかったし、両肩のダメージも思った以上だったのでがっくりしていた。

・「大坂は自信に満ち溢れてる」

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ナダルを下したチチパス なおみ セレナを下す

木曜日 小雪

いっぺんに春が来るわけがないとは知りつつも、あのこ温かさに忘れようとしていた。昨日今日と小雪が舞う。

昨夜のチチパスVSナダル戦、4時間を超える死闘が終えて、ブログの意欲も萎えてきていたが、パソコンの前に座るとブログの画面が出てこない。持てる知識を駆使したがダメだった。
もうそろそろ終わりにして良い頃かなと考えたりしていたので、潮時なのだ。
そう思って朝開いてみるともとに戻っていた。

今日が九州毎日テニス選手権の締め切り日、どうすべきか迷いに迷っていたが、滑り込みでエントリー済ませた。
左肩の痛みはサービスだけでなく、両手打ちでのストローク、サービスのトスにも影響しだしていて、JOPでの大会は止めようと一旦決断したのだったが、左の二の腕を使わないようにして、どこまで通用するのか、試して決断することに、考えが変わっていた。

若手の期待される一人のチチパスだが2セットダウンに追い込まれ、あきらめて寅さんの
最初のドラマに切り替えた。何度か見ただろうが、寅さんの妹さくらと職工のラブシーンが、初々しくて懐かしい。これから延々ととらさんという俳優が死ぬまで続くのだ、全国津々浦々の紹介もしてくれた作品は、素晴らしいの一言しかない。見終わって切り替えるとまだ戦いは続いていてびっくり、4セット目の終盤でセット21、チチパスが盛り返していた。セット22となっていよいよファイナルセットに突入していた。控室で衣類をきがえたらしいナダルは心機一転の表情で出てきた。互いにサービスキープで55となって、ナダルのチョットしたみすからラブフォーティとなって65、チチパスのサービスアンドマッチとなっていた。ナダルの抵抗でジュースにもつれて繰り返すも、最後にはストレートのウイナーで止めをさした。淡々とプレイしていたかに見えたチチパスの緩んだ表情が何ともいえぬ悦びを表していた。

昼から行われた大坂なおみvsセレナ戦、試合前ネットをはさんで対峙した二人、なおみの方が堂々として大きく見えた。セレナのハレプ戦では動きも良くて、いつものパワーヒッターでハレプを寄せ付けず圧勝していたので、心配はあった。いきなりサービスをブレークされて02となったときには不安は感じたが3ゲーム目サービスを何とかキープした時は一安心した。直ぐにブレークして22、ファースト63で取ると勢いは止まらずストレートでくだして寄せ付けなかった。

・女子決勝戦は大坂なおみvsプレイディ(米)

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 11:51 | コメントをどうぞ