日曜日
あと一歩まで行くことみたび、くやしい、もどかしい思いを繰り返していた、ようやくのぞの棘が取れた思いだ。
優勝を決めたとびさるとの一戦は、あやういものだった、あの緊張のすもうを勝ち切ったことは正代を一回りも二回りも成長させたに違いない。
大関はゆうにおよばず、現在の相撲取りの中で、横綱最先端の力士と確信を得る。
水道管尺八に挑戦しているが、音色、音程、音の出具合がおもうようにはいっていない。
2本作成しているが、色々むずかしい。
火曜日 秋分の日
すっかり秋らしくなってきたこのごろ、今日もローマ大会の録画を見ながら水道管尺八の調整にほぼ終日費やした。
深夜の決勝戦、シュワルツマンがなんと30とリードしているではないか。もしかしたらナダル戦の再現があるかもと寝るのは止めにして、見いいっていた。40になればファースト取るかもしれないと期待していた。観覧席のシュワルツマンのガールフレンドが大写しになる。
だがサービスブレークされ31 32 33とジョコビッチに追い付かれた。34となったので諦めて寝ることにした。
朝、期待せずに結果だけ知りたいと録画を見ると44でシュワルツマンが攻勢をかけていた。
55と熱戦を繰り広げている、そこからギアチェンジしたかどうか、わからないがジョコビッチは2ゲーム連取して75でファーストを取る。
セカンドもシュワルツマンは心機一転頑張るも、ジョコビッチの術中にはまっていた。
63でジョコビッチは優勝をさらっていた。
無駄な筋肉をそぎ落とした、ムチのような体は30歳代になっても、縦横無尽にコートを走り回り、負けそうでいて負けない彼の強さが、ぼくの見る範囲でにじみ出ていた。
月曜日 敬老の日
19(土曜日)から20 21 22日と明日まで四連休。てにすはお休み、今日の朝は冷え込んでいた。布団を昨夜出してもらっていたにも関わらず、朝から鼻水が止まらず終日家にこもる。
連休はハンズマン通いして水道管や、工具、治具を買いに三日間続けて、パソコンで見つけた水道管尺八作成に費やした。今日は一日かけて形だけ1号かんは完成したが、音が出にくく未完成だ。これから微調整して音が出やすくなるかが勝負どころ、歌口の作成にとまどり、かつそこが一番難しいところで時間がかかった。
ローマ大会はいよいよ今日の深夜決勝戦が行われる。
・ジョコビッチVSシュワルツマン
シュワルツマンはまさかの赤土の王者ナダルをQFで破り、SFでは若手頭の一人シャポバロフをフルセットタイブレークで破っていた。
ジョコビッチはQFでドイツ26歳のコープファーにファイナルの苦戦を強いられSFでもドイツ21歳のルードにガンガンと打ち込まれて劣勢に見えたが、相手を威嚇するように雄たけびを何度も上げながら、また自分を鼓舞しているようにも見受けられた。ドイツの中堅、若手に苦しめられていたジョコビッチ対して錦織と同世代のシュワルツマン、初めてであろう1000のタイトル戦にどんな戦いを挑か楽しみだ。
金曜日
終日雨模様の予報、PCで雲の流れをチェックして小雨の中コートへ出かける。半分雨漏り室内で久しぶり練習することができた。雨漏りはすぐになくなり雨の止んだことがことが分かったが1時間ほど練習。それから外で1時間、両手打ちでのサービスの練習をしていると、新たな打ち方を発見することができた。何とかなるかもしれない、そんな気がしていた。
深夜行われていた錦織ローマ大会2回戦を録画して朝方見る。相手はイタリア18歳の若者ムゼッティ、身長2メータはありそうな長身、片手バックハンドで、1回戦でバブリンカを破ったというので注目していると、サービス、ストロークにあなぞれないものを感じていた。
1回戦は同世代の選手で何とか対応できたが、もうベテラン選手世代の彼は、失うものはないとばかりに、ガンガンと攻めてきた若者に手を焼いていた。何とかいなそうと、得意のストロークでかわそうとしていたけれども、振りぬいてくる片手バックハンドにも威力があり、スライス、ドロップと押されたときは対応され、ついてゆくのがやっとで、ブレークされるともう大きな赤信号となっていた。36 46で終わっていた。
錦織圭は12月が誕生日、その前にデビューして18歳になった年に大活躍して一躍注目される選手となった。
圭も思わんことはなかっただろう、俺にもそんな時代があったと、頭の隅に。
昨日、大きなカマキリが家の垣根から道路に下りてゆっくゆっくりとアスファルト舗装を渡って前の家へと渡切っていた。運よく車一台も来なかったのが不思議な気がするくらいのろかったのだが。
1000のローマ大会がNHKのBSで放映されている。一昨日は錦織圭がイタリアのラモス ビノラスと戦い64 76で勝利していたが65のサービングマッチゲームで5回のマッチを逃してタイブレークに突入してしてようやくの勝利は危なげさを感じた。
昨日深夜に行われた西岡の初戦の相手は、錦織復帰後最初の大会(キッツビューエル250)1回戦で敗退したケツマノビッチ(セルビア21才)だった。
強打の相手を寄せ付けず64 61と一方的に勝利したのに驚く。2回戦は今夜10時過ぎくらいから、相手はディミトロフ。
月曜日
全米オープンシングルス男子決勝戦
ズべレフ(独)VSティーム(オーストリア)
62 64 46 36 67 セット32でティーム優勝
ズべレフ ファースト、セカンド62 64と2メートル近い身長から繰り出すサービス、ストロークにティームは対応できずにいとも簡単に2セットダウン、3セットもズべレフ優勝のセオリはあったにも関わらず46で落としてからティーム奮起して63で取りセット22となって分からなくなった。
ファイナルはお互いに体力消耗してブレーク合戦をしてタイブレークに突入していた。ティームは足を引きずり、ここでもミニブレーク合戦、ズべレフも体力いっぱいいっぱいに見えたが、それでも足をかばうティームより優位に思へ、ネットに出らず後ろで最後まで戦えば勝機はあったろうに、66になってもむやみにネットに出てティームの餌食となったのが、敗因だった。
表彰のセレモニー、マイクの前に立ったズべレフ、両親への感謝は涙に溢れて言葉に詰まっていた。手元まで引き寄せていた大魚をあと一歩で逃していたのだから、気持ちは十二分にさっせられた。
日曜日
全米女子決勝戦、大坂なおみVSアザレンカ。朝テレビの前へ行くとファーストセットが終わってセカンドに入ったところだった。目を凝らすとなんと16でなおみが落としているので、目を疑いたくなった。
セカンドはアザレンカのサービスで始まりキープされ01ブレークされ02ブレークして12キープして22キープされ23ここでなおみのサービスがさく裂してラブで33にすると、7ゲーム目動揺があったのかアザレンカはいきなりダブルフォールトしてこのゲーム落とし43。セカンドは63で取りファイナルへ。
ファイナル、42からアザレンカはブレークして43とワンブレークを返して並ぶもすぐにブレークして53 サービスを危なげなくキープして二度目の全米チャンピオンとなっていた。
金曜日
今日の試合開始はNB10:30、昨日のことを考え高速バスで決めていると、あーちゃんがバス停までは付き合えないという、自分の足をそこまで心配しているのだと分かり、自分も臀部が痛み歩くのは出来るだけ避けなければと、ようやくわかり日産のプロパイロット付きターボ車で行く。今日は十分余裕を見ていたので80から90で行く大型トラックの後を追尾、100キロ前後で設定していると、白線内にもキープしてくれるので、両足はフロアーにおき、ハンドルを触っているだけで、快適に追尾してくれる。
博多の森のベンチには雨水がたまっていた。雨上がりだった。1番コートのAT9時の試合は1時間で終わっていた。ぼくたちは10分前に話し合ってコートに入っていた。
相手は一回やったことのある選手とうろ覚え、負けた記憶はないので何とかなるだろうと、そんな気持ちでいた。しかし、相手は思った以上に上手でファースト26で落とした時は、勝てそうな気は失せていた。すべてそこそこに上手、一球一球に肩を揺さぶり声を出して気合を入れる。ゆっくりとボールをひらいにゆく、せかせかのぼくと微妙にタイミングはずれ、いらいらしていた。
セカンド、ファーストと同じくサービスゲームの1ゲームキープ、2ゲーム目をブレーク20、、相手のミスが多くなっていた気がする。ファーストをとり、いけると気負っていたのかもしれない。40 41 51 61と思いもしなかったスコアーでファイナル10ポイントタイブレークへと突入していた。トイレブレークを取り、ハチマキ、ウエアもチェンジして一息入れてのファイナル。
スコアーボードの3セット目を活用して一ポイントずつボードにスコアを入れ行く。これは夏の大会asawo氏に敗れた時彼がそれを活用した経験で相手に提案した。
これはスコアーを間違えることはない。しかし今回は33でのチェンジコートを忘れていた。66の大接戦で進み、勝負は混とんとしていたが、それから4ポイントぼくが連取、何が良かったのかわからなかったが、今回はぼくに勝利の女神が舞い降りていた感じがしていた。
昨年のこの大会から春、夏と3回も初戦敗退が続いていたから、やっと報われうれしかった。