日曜日 小春日和
朝方は少し寒かったけど気温は上がり小春日和、テレビの全日本バトミントン女子決勝戦やNHKの将棋などを見て昼からコートへ、陽気に誘われたか久しぶりに4面のコートは盛況だった。ぼくは一人奥のクレーコートでサービスやかごボールで練習、それから仲間に加わってダブルス一つ、女性陣のダブルスにも一つお願いして満足していた。
2007.12月 ブログの思い出
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土曜日
気が付けば師走が訪れている、歳月人を待たず。しばらく天気はよさそうだ。昨日、コートからの帰り武蔵公園に立ち寄った。往復路で気に留めていた紅葉。
その前の日は白菜漬けを試みた。干していた吊るし柿の皮も使っている。五日間ほどからOKとあったので楽しみ。
午後からコートへ出かけ、相手がいたのでストロークとワンセットやったがベーグルでやられていた。体調のせいにもしたかったが、バトミントン上がりという相手のフォアーは厳しかった。シングルスはぼくとやったのが初めてといっていたが、半年余りでメキメキと上達している。頑張らなくっちゃー。
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水曜日
先週の水曜日も今日みたいな予報で没になっていたF氏とのシングルス、降りそうで雨粒は落ちてこず、間に合うように家を出た。
コートはじっくりとして空を見上げるといつ降り出してもおかしくない。ぼくの嫌いなサーフェースだった。
ファーストは36で落した。セカンドは短パンになって頑張ると63で粘り勝ちをしていた。練習していたサービス、ダブルフォールも重ねたが、変えずにそれで通してゲームを戦えたのが良かったと思う。
F氏は先週の勤労感謝の日、河盛純造氏の「お別れの会」があるので上京すると言っていたので、どうでしたかと尋ねてみた。
200名近くの参列があり渡辺康二、渡辺功、坂井利郎ら、当時のデ杯選手の顔が多く見受けられたそうだ。そこで献杯のセレモニーをされたそうだ。昨年だったか石黒修も80才を過ぎたところで鬼籍となり、そんな存在になっていらっしゃるんだと思ったりもした。
このホームコートの一番奥、いまでもクレーコートで残っている。そこで1971年(s46)豪州とのデ敗戦で日本がまさかの勝利して有頂天になっていた遠い遠い昔話。
凱旋報告で全国を回っていたのか河盛純造らがやって来ていた。当時、ダブルスのスペシャリストとして耳にしていた本人がコートに立っていた。その姿を背後から見た時の鍛え抜かれた両足が印象に残っている。
ぼくが30才のごろ、テニスをはじめて二三年、まぶしい思いでみていた。
日馬富士引退記者会見、次のターゲットは誰になるのだろう、こわいこわい。
みんな言いたいほうだい識者ぶりにのたまっておるけど、日本は平和な島国のようですね?ミサイルが飛び交おうとしているのだけれど。
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月曜日
朝新聞を取に行くと濃霧が発生していた。
日馬富士の暴行問題、九州場所も終わり、ようやく決着つきそうだ。餌に群がるはえを感じたのはぼくだけではあるまい。それにしても進展しないと分っていてもよくやるは同じことをくどくどとテレビで。
雨上がり、家のメンテナンスは明日にして昼からコートへ、壁打ちサービスの練習。暖かかった、短パンになっていた。
2014.11月 ブログの思い出
・2014年11月01日 (勝てない相手はもういないと思うので・・・・)
・2014年11月06日 (かっこいい!左右両手打ちは決勝へ)
・2014年11月07日 (グラスベテランテニス75F 刀折れ矢尽きる)
・2014年11月10日(K壮会 創立30周年記念大会)
・2014年11月24日 (お店屋さんごっこ)
・2014年11月28日 (15歳の少女 セルビアへ単身テニス留学中)
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土曜日
木漏れ日の日ざしがあり、晴れるのを期待したが薄曇りで終日過ぎて行った。
風もないので先日塗装した二階テラスの外部に面している所の塗装する。下塗をして乾くまでの時間に段差プレートを固定、コンクリートビスで止める。
小一時間ほどして塗装のローラーに長い取っ手を取り付けて、地上から塗った。
完全武装して取り掛かったから腰や首には負担は軽減されていると思い、昼を済ませてからコートへ出かけたが、やはり体が重く感じた。土日の男性がたくさん来ていたが、そこに行く元気は感じられず、空いたコートでかごボールで少しだけ練習してから、女性陣のテニスにおじゃましてダブルス2セットして終わりにした。
●2013.11月 ブログのおもいで
・CDクレイコート、最後のシングル大会は(2013年11月16日)
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近くのユニクロは光の森のゆめタウンの中に移転している。ぼくがユニクロの存在を知ってから3回目の移転。チャリで10時過ぎにでる10分もかからず到着したはず、今日はさすが普通の日で店の中に入れたが、開店間もないのにと思うがレジの列が出来ているに首をかしげた。
ぼくの目指した品は十分にあった。めざとく見つけてレジの列に並んだが15台もあるレジにたどり着くまでに20分ほどかかっていた。
寒いけど風は穏やかに見えたのでコートへ出かけた。壁打ちとサービスの練習。サービスの練習は良い感触をおぼえる。
2012.11月 (ブログのアーカイブ)
・2012年11月02日(十三枚目のはがき)
・2012年11月17日(13回忌の法要)
・2012年11月26日(意欲減退のこのごろ)
・2012年11月29日(伊藤のアルマグロ戦)
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木曜日
朝方、いつものジョギングをしたが左甲のあたりにまだ違和感があり、F氏とK氏との練習が中止になってほっとしていた。
ユニクロのチラシが新聞に挟まれていた、テニス用のセーターにと10時ごろチャリで光の森まで出かけた。エスカレーターで二階に上がり売り場に入ろうとすると人が並んでいる、初めての光景だった。スポーツ用品売り場で時間をつぶし、様子を窺うと、最後尾の印の旗はえんえんと伸びていたのでびっくりしてそうそうに引き上げた。
昼からコートへと考えていた、が風も強いし寒いときている、足もいまいちなので止めることにした。
2011.11月 ブログのアーカイブ
・2011年11月02日(少し自信を取り戻す)
・2011年11月13日(T杯テニス大会)
・2011年11月16日(ランキング)
・2011年11月22日(影ぼうし)「この頃から左足の甲が痛んでいる」
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2010水曜日
終日小雨、F氏とのシングルスは連絡がありやめることになる。止みそうで止まない空模様だった。
終日家で過ごす、左足の甲に痛みがあるので今日の中止は救いの雨、ミックスのときも痛かったし、サービスは入らず体は重かった。やりすぎた時などはバロメータみたいに足の甲が今までも痛くなっていた。加齢と相談しなくてはならないのだけれど、痛みがなくなるとがむしゃらにやっているから、痛みが復活してくるのだ。
2010.11月のブログのできごと
・2010年11月01日(全日本グラス70S1回戦何とか勝利)
・2010年11月02日(全日本ベテラングラス70S2回戦敗退の記)
・2010年11月06日(三度目の正直かなわず 米村知子)
・2010年11月07日(福岡九州国際ベテランテニストーナメント(H))
・2010年11月29日(フェデラー最後を飾る)
・2010年11月30日(平々凡々の日々)
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月曜日
目が覚めて時計を見ると5時前、まだやってるはずだとテレビの前に座ると、セカンドの終盤、ゴファンワンブレークでリードしていた。サービスエース、ガンガン打つストロークにミスはなくセカンドは64でゴファン。ファーストはジミトロフが75で取っておりファイナルへと。
セカンドで力を出し尽くしたかゴファン、サービスやストロークにセカンドの威力、コントロールは感じられなくなっていた。23でゴファンはサービスを落して2425からゴファンのサービス、ラブフォーテイと相手にスリーマッチポイント握られて万事休すと見ていると、それからばん回して35、最後の望みを繋いだが、ジミトロフはサービングフォーチャンピオンンシップゲームを手堅くキープして、コートにうつぶせに倒れ込みむせび泣く、ゴファンが近づく気配に立ち上がり固く抱き合っていた。
K壮会のミックスダブルス大会は運動公園ABコートで行われた。参加36チーム、年齢別に4グループに別れて試合を行う。各グループを3ブロックに分け各ブロックの3チームによるリーグ戦。3ブロックの1、2、3位を決めて1位3チーム2位3位も同様に対戦して各々の1位2位3位を決定。
合計4試合を行った。6ゲーム先取で予選リーグ65 62 決勝リーグで65 65と62以外は全て逆転で負けを何度も覚悟したが、運よく勝つことが出来た。ビール500半ダースゲット。
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日曜日
一晩寝ると回復すると思ったが朝になっても足腰がおかしい。段差プレートの仕事が影響したのだとやうやく理解した。
朝方、ジミトロフがファイナルでソックを下したのを見届けたが、そこでまさかのゴファンがフェデラーに勝利したことを知った。急いで深夜行われたゴファン対フェデラーの録画を見る。
ファーストはフェデラの一人舞台、結果を知らなければフェデラーの楽勝だろうと誰もが思ったに違いない。だがセカンド人なると流れが変わって行く、先にブレークしたのはゴファン、それを最後まで守り抜きセカンドを取るとファイナルもワンブレークしたゴファンは26 63 64フェデラーに恩返しをしていた。
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2012年 全仏ベスト16
全仏オープンでは予選決勝で敗退したが、ガエル・モンフィスの直前欠場によりラッキールーザーで4大大会に初出場する。1回戦でラデク・ステパネクを6-2, 4-6, 2-6, 6-4, 6-2で、2回戦でアルノー・クレマンを3-6, 7-6(2), 0-6, 6-2, 6-1で、3回戦でルカシュ・クボットを7-6(4), 7-5, 6-1で破り4回戦に進出した。ラッキールーザーが4大大会の男子シングルスで4回戦に進出したのは1995年ウィンブルドン選手権のディック・ノーマン以来17年ぶりという快挙だった[1][2]。4回戦では憧れのロジャー・フェデラーと対戦し第1セットを先取したが7-5, 5-7, 2-6, 4-6で敗れた。(ウイキペディアより)
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テレビでは、ゴファンの部屋にフェデラーの写真やポスターなどが所狭しと貼りつくされ、ゴファンのあこがれの選手だったことが紹介された。
ゴファンは夢見たであろう憧れのフェデラーと全仏の4回戦で対戦して1セットもぎ取っていた。試合終わりネット越しに握手を交わす二人の表情は何とも言えなかった。それから5年の年月が流れて、20代半ば過ぎの彼はトップ8の座を確保するまでに成長していた。
昨日、掛りつけの医院に薬をもらいに行くと65歳と言う医師がツアーファイナル見ていますかとのたまうのでガッカリ、ぼくがテニスオンリーというのは分っているのに。錦織ブームが起きてから、どうやらとりつかれているようだ。嬉しいことで、ぼくも少しだけ自慢話をしたこともある。
決勝戦はフェデラーとジミトロフでしょう。優勝はジミトロフだと思いますと、いつも外れるぼくの予想を披歴してツウを匂わせて後にした。
一次リーグでジミトロフはゴファンに0626で圧勝でした。決勝戦ではそうは問屋は降ろさないだろう。ゴファンはフェデラー戦では打つ手がないような悲観論をコメントしたそうだが、頭を使って勝利していた。
圧勝したジミトロフの方が逆に、考え過ぎて後手に回るかもしれない。ジミトロフはフェデラーに勝ったことがあるのかな。ナダルを破り憧れであったフェデラーを破ったゴファンは至福の大会、このまま突き抜けるかもしれない。が、ジミトロフも黙ってはいないだろうから、観衆を魅了するすばらしい戦いになるに違いない。
明日は久しぶりのミックスダブルス大会、昼からコートへ行き女性とワンセットお願いしたがやられてしまう。心配だが迷惑をかけないように楽しもう。
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