月別アーカイブ: 2016年8月

ドラえもん好きじゃーねー

古い「さくら銀行」のドラえもんのキャッシュカードにヒビが入ってしまったので再発行してもらいました。1080円かかるとの話でしたが、三井住友へ変更と言うことで無料でした。

そして、ついでに殆ど記帳していなかった通帳も替えてもらいました。即日交付で、新カードと通帳を渡されるとき、「通帳はお返しできますが、せっかくの可愛いデザインですが、カードは回収となります。」だと。

ドラえもんのカードに執着はねーよ。おっさんだもの・・・。と思ったのですが、色気のない新カードをしまうとき、ビックカメラのポイントカードが見られたみたいでした。

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カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 02:35 | コメントをどうぞ

やっぱり俺は歴史が好きだ(笑)

先週、予約していた塩野七生さんの最新刊
「ギリシア人の物語 Ⅰ」を図書館で借りられたので今読んでるんですが、
やっぱりおもしろいね(笑)。

実はここ一年以上、故あって自己啓発本やビジネス関連書ばかりを読んでいて、
それはそれでおもしろかったんですが、
こういう歴史関係の本の方がぼくにとってはよりおもしろい。
おもしろいというより「合っている」という方が正確かもしれない。
なんというか、スッと入ってくるというか、
すんなり入ってきてすぐに栄養になるような、そんな感覚。
塩野七生さんに限らず、
だいたいの歴史関係の本やテレビ番組を観ていると同じように感じるので、
視点とか考え方とか感覚とか、精神的体質(?)が合っているんだろう。

これからも、一生歴史からは離れられないかもしれないな(笑)。

それにしても塩野七生さんのバイタリティはどうなってるのか。
1937年生まれだからぼくの両親より年上なのに、
まだまだこんな力作をバリバリ書かれている。
ぼくは自分に最も足りないのがバイタリティ、行動力、やる気だと思っているので、
こういう人たちを見ると羨望と自虐とを同時に覚えてしまいます。
個人差はあるにしても、ぼくももう少しくらいは物事に積極的にならないとな。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 10:01 | コメントをどうぞ

今日も暑かったのにね。

今日ではなく、すでに昨日になってしまったが、やはり暑くて暑くてジリジリと肌を焼くような日差しの一日でした。

こんな暑い日なのに、仕事のポジションがこれがまた暑い場所、プラス油まみれになる場所と仕事の中で一番嫌いな場所での仕事。

まあ、ひとそれぞれ苦手な場所や得意な場所があるので仕方がないよね。と思いながらも今日も一生懸命に働かせていただきましたよ。

いつもの終了時間より30分オーバーで終了。

本当は時間通りに終わらせたかったのですが、最近いろいろなシステムが変更になったため一つ一つの作業にロス時間が発生して思った通りの時間に終わらない。

まあそんなこんなで、やっと仕事が終わったので携帯をみると長女からのラインが。。。。

「ゴミだし忘れた。ごめん」

一気に疲れがでました。

我が家ではゴミを捨てるのが長女の仕事。

ゴミをまとめて捨てやすいように玄関に用意しておくことまでは私。

長女はただそのゴミをごみ捨ての場所まで運べばいいだけ。

この暑い日の玄関に生ゴミが置かれた状態を想像してみてください。

とても嫌になります。

家に着くなりかなり不機嫌になる私。いやこのラインを読んだ瞬間から不機嫌だね私。

本当に簡単な仕事なんだからね。

ゴミぐらい捨ててよ。と思っていますよ。

夏休みということもあり、家族みんながすでに家にいる状態。

誰も気づかないのか、このゴミを。

一日誰も外には出なかったのか。

いろいろなことが頭の中を巡りましたが、まず私の一声。

「今からでもいいからゴミを捨ててきて。」

「えっ。いいの今から捨てても?」という長女。

すぐに捨てる場所に運んでもらいました。

暑いのに余計にイライラさせれらる一日でした。

ゴミの捨て忘れには注意しましょうね。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 18:19 | コメントをどうぞ

良いものを作るには切り捨てるものも必要。

こんばんは。
本日は東京ディズニーシーに新しいミュージカルショー、アウト・オブ・シャドウランドを鑑賞しに行ってきました。

公式には7月9日に公開となっていますが、先週からスニーク公演が行われているようです。
まだシステム調整などの不具合も一定の割合で起こっているようですが、正式公開までにはそのあたりも上手く修正してほしいですね。

さて、今回のショーはディズニーのキャラクターは一切登場しないミュージカルショー。
子供が楽しむというよりはどちらかというと大人向けの内容かもしれません。

開園当初のディズニーシーでは、大人向けのショーが中心で、アトラクションも小さい子供というよりは大人向けのものが多く、ディズニーランドとのすみわけがされていました。
しかし、最近では、子供を対象としたアトラクションの導入や、ショーへの多数のキャラクターの登場など、対象年齢を下げてきている傾向がありました。
このことに関しては、ディズニーファンの中でもよいという意見と昔の方が良かったという意見とが混在していました。

もちろん自分の置かれている状況によってその感じ方は変わってくることでしょう。
子供がいる家庭では対象年齢の引き下げは喜ばしいことでしょうが、「大人の世界」を楽しみたいという方も数多くいらっしゃるはずです。

このように相反する性質をもつ「ゲスト」に対してどのように対応するのか。
どちらかを優先するというのがいいのかもしれませんが、どちらを優先するのか難しいところですし、半分の人は敵(?)に回すことになります。一方で、どっちつかずな中途半端なことをするとすべての人の評価が下がってしまう原因にもなりかねません。
世の中正解のないことの方が多いですが、これもその1つでしょう。

そんな中で、ディズニーシーに「大人向け」のエンターテイメントを残したということは、1つの決断であったことは言うまでもないでしょう。
これに対して人々がどのような反応をするのかはわかりませんが、これは良いことではないでしょうか。
ディズニーシーをまわるときのモデルコースとして大人が十分に楽しめるものと子供が楽しめるものの2種類をきちんと確保できるといいのでしょうが、キャパシティの問題で難しいかもしれません。

2020年ころには新エリアが開発されるという話もありましたが、いったん延期ということも数か月前に発表されました。
よりよいものを作るときには思い切って何かを切り捨てることも必要となることがあることでしょう。

2か月前にクローズしたストームライダーもその一部なのかもしれません。
そのようなものがあったとしても、妥協をせずに最高のものを作り上げてほしいです。

それではこのあたりで失礼します。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 02:12 | コメントをどうぞ

裸足の季節/ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・サン

囲いの中に捕えられた野生の馬(”MUSTANG”)が、人間を乗せるように、というよりはまさに字義のごとく男たちを乗せるよう調教されていくグロテスクの(競りのお披露目すらある)、しかしそれは『エコール』のように寓話めいたファンタジーであるどころか、それを習わしとして形作られる世界で5人の少女が一人ずつ屠られていく日々を誰が生き延びることができるのかという監禁ホラーですらあったといってもいい。オープニングから息苦しいほどに活写される、奔馬として生まれた者たちが世界に求める分け前が正当であればあるほど、それを奪われ続けることで緩慢に死んでいく彼女たちへの仕打ちはもはや殺人に近く、終盤の異様に張り詰めたサスペンスを生んでいるのは冤罪で死刑を宣告された少女たちによる脱獄の物語にほかならず、そこにあるのは『ヴァージン・スーサイズ』が告げたような実存の危機どころか既に生命の危機ですらあったことで、こちらまでが首を絞められるような強迫に苛まれることになる。とはいえこれが、差別や隷属のイズムは表出のパターンに過ぎないといってもいい悲劇的に入り組んだ問題であるのは、祖母(ニハール・G・コルダシュ)のように悪意のない善人や叔父エロル(アイベルク・ペキジャン)のような悪意を悪意と知ることのない罪人、要するに世界には中心があると考えてそこに躊躇なく依存する者と、それぞれを無数の中心にして繋がることで世界は在ると考える者の断絶によっているからで、最終的には同性への連帯よりも世界にかしずいてしまう祖母のような女性や、長髪=ゲイ扱いされる社会で髪をなびかせトラックを運転するヤシンや、密かに事情を汲んでくれる産婦人科の医師のように少女たちを援護する男性の配置にそれは端的に象徴されている。しかし最後にラーレ(ギュネシ・シェンソイ)がその胸に飛び込んだのがそうした垂直と水平の交錯について先鋭であろうディレク先生であったことによりこの一瞬のハッピーエンドが一気に現実の解を求めはじめることで、笑顔もガッツポーツも宙に浮いたままこわばってしまうのを止められないように思うのだ。その割り切れなさは、この断絶が人種も宗教も超えてイギリスやアメリカのシビルウォーの根底にあるものと共通するようにも思えるからで、したがってこの映画を評する補助線としてMMFRを用いるのは、その昂ぶりは理解するものの監督や作品に向かう歩みを止めてしまうようにも思えてしまい、少しばかりわだかまりを感じてしまうのが正直なところである。ルーレや彼女の戦友に肩を貸すように包み込むウォーレン・エリスとニック・ケイヴによるスコアは常に凛として優しいのだけれど、いつしかそれがレクイエムのように聴こえてきてしまうのがこの映画の抱えるハードな状況のどうにも避けがたい反映なのだろう。『コップ・カー』の疾走から百万光年離れた衝突に少しだけ泣きそうになった。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 23:13 | コメントをどうぞ