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羽生先生に「先生」と敬称をつけて呼んでいるのは伊達じゃない

羽生直剛選手、古巣ジェフ千葉へ完全移籍か…

羽生先生にはねえ、
もうほんとに「サッカーは頭使ってやるものだ」
というのを教えてもらえて心から感謝してる。
それまでもわかってたつもりだったんだけど、
それこそ頭だけの理解だったというのを実感させられた。
あれほど「頭でサッカー」を実践してる選手ははじめて観たんだよ。

もちろん千葉時代から羽生先生のプレーはそれ以前から観てたんだけど、
やっぱり自分トコの選手として観ると、視点も思い入れも違ってきて、
先生がどれだけすごい選手かというのがはっきり伝わってくる。

常に今現在のプレーを観て、先、先、次、次、を考え、
「次」がやってきた瞬間、すでにそのプレーのために走り出している。
決して身体は大きくなく、特別足が速いわけでもないが、
誰よりも先に、誰よりもいてほしい場所に走ってくれている。
ぼくも後から見れば羽生先生のプレーの意味や意図はわかるんだけど、
無数にある「次」のプレーの中から最適なものをその瞬間、
いや、その「半瞬前」に判断し、選択していると思うと、
どんだけ頭の中がフルスピードで回転しているのか驚愕するほどです。

ましてそれがワンプレーだけじゃなく、
90分間ほぼ休みなしで、しかも常に走りながらおこなわれ続けてると思うと、
それこそ90分間全力疾走するような選手以上の労力とスタミナなんじゃないかと、
畏敬すらおぼえてしまう。

それがわかるからこそ、どの監督も最低でも必ずベンチに置いていた。
マッシモさんのときなんか、最初はMFでも相当序列は後ろだったろうに、
いつの間にかスタメン確保してたもんな。
マッシモさんも思わぬ拾い物だったろうよ(笑)。

だから羽生先生がいる間に優勝したかったというのは、心からある。
いや、ナビスコ(現ルヴァン杯)と天皇杯は取ってるけど、
やっぱりリーグ優勝は格別だろうからね。

なんにせよ、羽生先生のプレーはまだまだ観られる。
しかもお隣で。
じつはぼくの家からはフクアリに行くのも味スタに行くのも、
時間的には大差ないのです(苦笑い)。
それどころか乗り換えを考えると蘇我の方が便利なくらいで(苦笑い)。

とはいえやはりぼくは東京のサポーター。
千葉に鞍替えはありません。
でも来季、J2で一番に応援するクラブは決まりました。
まだこれから移籍があったりして、
他のJ2クラブにうちから行くようなことがあると困ってしまうが(苦笑い)、
でも今のところはとりあえず、ジェフのにわかサポになる予定です(笑)。
自動昇格が一番だけど、
せめて四度目のプレーオフには必ず進出して、
そして再来年はJ1で戦おう、絶対。

羽生先生、延べ8年間ありがとうございました!

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 16:43 | コメントをどうぞ

世の中は広い

SMAPの解散とか、逃げ恥とか、
世間を席巻(シャレではない(笑))している事柄がいろいろあるけれど、
この辺には本当にまったく、全然触れないで生きている一人です。

一人と書いたようにぼく以外にもこの手のことにまったく興味を持たず生きている人もたくさんいるだろうし、
ぼくの場合、「流行りに乗ってたまるか」という中二的な部分がいまだにあるという自覚もある(苦笑い)。
ただ興味があるものならたとえ流行りモノでもきっちり乗るし(真田丸とか)、
やはり興味がない、興味が湧かないというのが第一なのも確かです。
こころざし的に我ながらどうかと思うところもあるけれど、
ハリポタとか、シンゴジとか、君の名はとかも、
まったく読もう、観に行こうという気にならない(苦笑い)。

だからこういうのを見てると、やはり世間は広いなあと感じたりもします。
自分にまったく興味がないものに、人生懸けるほど傾倒している人たちがたくさんいて、
そういう人たちの力で大きな経済効果が起こってたりもする。
逆にこういう人たちがまったく興味のない分野でも、
充分な世界循環や経済効果が起こってたりもする。

すべての人が一つの分野に集中しなくても、世界はしっかりいろんな分野が繁栄していて、
人の数や人の興味というのは、多数で多彩ですばらしいんだなあ、と漠然と感じたりしています。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 16:43 | コメントをどうぞ

選手権はずっと大人気であってほしいかな

第95回全国高校サッカー選手権大会。
青森山田が前橋育英を5-0で破って初優勝。
青森山田初優勝だったんだなあ。
ずっと強豪のイメージだったからちょっと意外な気もしたよ。

「選手権」は、おそらく甲子園に次いで、高校スポーツで人気のある大会だろうと思う。
毎年テレビで大々的に放送されるし、
予選は各県のテレビ局で流されてるのを見ることもある。

ただ今の日本高校年代で最高峰の大会は「U-18プレミアリーグ」で、
本来であれば最高峰が最も注目されるべきという考え方もあると思う。
でもプレミアはどうしてもJリーグのユースチームが強い。
今年は青森山田がEASTリーグもチャンピオンシップも優勝して日本一になったから絶対的というわけではないけれど、全体的に見るとどうしてもね。

だけど選手権は、予選まで含めると、毎年全国4100以上の高校が参加している。
つまり見方を変えれば日本は全国に4100以上の「U-18クラブチーム」があるわけで、
これは世界的にも珍しいことみたいだ。
このアドバンテージを活かさない手はないし、ましてや殺すべきではない。

近くにJクラブがない選手だと選択肢はないけど、
Jも高校もどちらも選べる状況ながら高校サッカーを選択する選手もよくいて、
その理由が「選手権に出たいから」というのもとてもよく聞く。
このあたりはいろんな考え方もあるだろうけど、
「他のスポーツではなくサッカーを選ぶ理由」の一つとしても強力だし、
Jに行きたいけど近くにないという選手にとっての大きなモチベーションにもなってくれる。
だけどプレミアが選手権より注目されるようになると、
選手権の魅力が目減りし、せっかくのアドバンテージを殺してしまう可能性もある。
その意味では今までどおり、
選手権が日本で最も注目される高校サッカーの大会である方が、
総体的に見ると日本サッカーにとっていいのかもしれない。

もっともこの意見は異論もあるだろうなあ。
選手権ファンの人はもちろん、
ぼく自身、プレミアでがんばってる選手たちのことを考えたりすれば、
絶対的に押せる気持ちでもないし(苦笑い)。

ただ、今は高校サッカーも、
選手を獲得するために守ってカウンター一辺倒のチームも少なくなって
(前橋育英や佐野日大はやむにやまれぬ理由で選択した戦術のようだし)、
各校の「色」を前面に出してきているみたいだ。
これから先、高校サッカーはさらに変わってくるだろうし、
実力でJユースより上にいくようになるかもしれない。
そうなったらなったでJの方も黙っていないだろう。
なにもJvs高校の図式を作る必要もないけど、
どうしてもそうなってしまう傾向はあるらしい。
だけどそれも、不要な確執で互いが憎悪しあって険悪な関係になるのでなければ、
悪い話ではないかもしれない。
競い合う相手がいるのは悪いことではないし、他にも町クラブという存在もある。

なんにせよ、ぼくらは切磋琢磨して、
すばらしい選手がたくさん出てくれればそれが一番うれしいからね(笑)。
無責任ではあるけれど、存分に応援させてもらおう(笑)。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 16:42 | コメントをどうぞ

「冬・グループリーグ」「夏・決勝トーナメント」で分けるのもいいかもな

2026年からワールドカップ本大会の出場枠が48チームになるのかあ。
今が32だから16も増えるわけか。
おそらく中東あたりの国々が、お金を使って説得した部分もあるだろうけど(苦笑い)、
でも順当な話でもあるのかな。

ざっと見回してみても、
かなりの国がサッカーに本気で取り組むようになっている。
近場でも、東南アジア各国の本気度は、20年前の日本に近いものがあるし、
そもそも日本だって20年前にようやく本気になった「新興国」だ。
W杯アジア予選でも、
そろそろウズベキスタンが4つの椅子のうち一つを取りそうだし、
タイもまったくあなどれない。
中東だってUAEを見てみれば、カウンター一辺倒の国ばかりじゃなくなってきている。
視界を広げれば、アルゼンチンが南米予選で苦戦してたり、
アメリカがいきなり2連敗してたりと、
アジアだけでなくよその地域でもかなりの地殻変動が起こってる印象だ。

だけどそういう国々でも、なかなか結果が出なかったら、
せっかくの国内の盛り上がりが沈静化してしまうことも充分考えられる。
サッカーファンはつい自分の中だけの価値観で考えがちだけど、
「サッカーなんていらない。なくてもべつに困らない」っていう人だってたくさんいる。
そういう人たちはサッカーがつまらないと感じたら、
さっさと他のスポーツに(限らないけど)目をやるだけだ。

「サッカーは世界で最も人気のあるスポーツだ」なんてドヤ顔してふんぞり返っているのも多いけど、
それは逆から見れば、開拓地が少なく、今が絶頂の爛熟期で、
これから衰退していくだけのスポーツとも言える。
少なくとも「これまで一番だったんだからこれからもそうだ」なんて油断してれば、
確実にそうなっていく。

その意味では、せっかく新田を開墾してくれてる国がたくさんあるのだから、
彼らを援助するのはとても大切で、
「本大会出場枠拡大」は、その援助としても大きな要素になるでしょう。

ただ、そのせいで本大会の水準が落ちたり、
試合数が増えて選手の負担が増したりするのはよろしくない。
その辺はレギュレーションをいろいろいじってうまいことやらないと。

たとえば、増やした16チーム分グループリーグを増やし、
これまでグループ上位2チームが決勝トーナメントへ進んでいたのを1位のチームだけにして、
あとは各グループ2位の中で成績上位のチームだけが勝ち抜ける、
ヨーロッパの予選方式に近いものにするとか。
こうなるとたとえ本大会出場がラクになっても、
「入るのは簡単だが出るのは難しい」アメリカの大学みたいになるが(笑)、
でもまあ新興国にとってはそれでも充分恩恵はあるはずだ。
「死のグループ」が今よりもっと厳しいものになる心配はあるけども(苦笑い)。

あとは地域チャンピオンズリーグみたいに、
グループリーグと決勝トーナメントを分けて開催するのもいいかもしれないな。
前年までに予選はすべて終えて、
本大会の年、まずはウィンターブレイクの時期に「グループリーグ」をやって、
そしてシーズン終了後の夏にグループリーグを突破した面々で「決勝トーナメント」をやる。
これだと日程にも余裕ができるし、試合数も減らさないですむ。

それに開催地についても同じ国でやる必要がなくなるから自由度が増す。
開催地になりたい国は今でもたくさんいるだろうし、
その意味でも数が増えるのは悪い話ではないでしょう。

あとカタール大会は「夏にやるなんて死ぬ」という懸念があるけど、
これも冬のグループリーグはこっちで開催して、
夏の決勝トーナメントは別の国でやればいい。
グループリーグと決勝トーナメントでは価値が違うからというのなら、
「夏・グループリーグ」「冬・決勝トーナメント」にしてもいい。
四年ごとの話なんだから、そこは柔軟にね。

それにグループリーグだって充分に盛り上がるだろうし、
決勝トーナメントに進出できなかった人気のある強豪国が必ずいくつかはあるはずで、
その心配がないのはありがたい話だと思う。

短期間でグループリーグから決勝まで一気に消化するからこそ盛り上がるという意見や気分もあるだろうけど、
選手権や甲子園の過密日程すら問題視される昨今、
ぼくらも選手のことはもうちょっと真剣に考えないといけないとも思っています。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 16:42 | コメントをどうぞ

俊輔がジュビロで10番をつける「縁」は思ってるより絶妙なのかもなあ

ジュビロ磐田に移籍した中村俊輔の背番号は当然のように「10」。
そして7と10は誰がつけるかは、名波監督に決定権があったらしい。
去年はつけたいという選手もいたけど許可せず、
今年俊輔が入ってくるのを待っていたように空き番になっていたことに名波は「縁」と言っていた。
ぼくも似たような感覚はありますが、「7」ではなく「10」が空いていたのには、
もっと絶妙なほどの天の配剤が込められているのかもという気持ちもあります。

今回の移籍の注目度の高さは、
俊輔と名波のプレー(の感覚)が似ていることからくるためだろうけど、
だからといって俊輔が名波の「後継者」というわけじゃない。
後継者というにはあまりに本人に実力と実績がありすぎるからね。
中村俊輔はすでに中村俊輔として確立されている。

でもやはり名波と俊輔のプレーやサッカー観は、
観てるこちらにとっても重なる部分が多く見える。
そしてそのプレーは、やはり一般的には「10番的」なものになる。

名波といえば背番号は7。だけどプレーは10番的。
俊輔と名波に重なるところはある。
だけど同じ人間ではなく、後継者でもない。
つまり重なるところは「10番的プレー」というところだけ。
もちろんプレーとは書いても、ピッチ上のそれだけでなく、
サッカーに対する接し方、考え方、感覚なども含めてのことだ。

だからこの「10番」は、中村俊輔そのものを表現しつつ、
名波浩を感じさせもする絶妙な番号なんじゃないかなと、そんな気がしてるんですよ。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 16:41 | コメントをどうぞ

今年のマリノスは強いかもしれないな

今回はまたしても、よそのクラブのことを好き勝手書いているので、
そういうのがアカンという方はバックでお願いします(汗)。
あとだいたい報道を見ての印象だけなので、
事実と違うことも多々あるかと思いますが、そこも申し訳ありません(汗)。

提携先の影響力が強すぎて、フロントが無力になり、
選手に不評の監督が残留し、またクラブハウスや練習場も定まらないため、
中村俊輔をはじめ主力が相当出て行って、
「今年はJ2降格もありえるんじゃ?」とも懸念されている横浜マリノス。
でも見方を変えると意外と強くなる要素もあるかも、とも感じています。

まずこれだけネガティブな要素がてんこ盛りなわけだけど、
逆に言えば残った選手はそのことをわきまえているわけで、
「もう何を言っても無駄なんだ。変わらないんだ」というあきらめを基礎に「だったらだったで残ったんだから」と割り切ってサッカーに集中する心理状態になっているかもしれない。
気にくわない監督だとしても、更迭も交替もないのなら、
この人の言うことを能面のような表情で全面的に聞いて、
やれと言われたことをきっちりやりきるしかない。
「監督を男に!」みたいな連帯感はなくとも、
ビジネスライク的な「団結」は得やすい環境になったとも言えるんじゃないでしょうか。

それに中心選手がかなり出て行ったけど、
もともとJリーグでも上位の戦力を持っていたクラブだ。
多少小粒になるにせよ能力の高い選手は維持できているはずで、
その選手たちが、理由はどうあれ「団結」して監督のサッカーを体現していくとすれば、
これは充分脅威になります。

加えて若手の中から急成長して中心になる「親孝行」な選手が出てくれば、さらに万々歳だ。
これは功労選手を切り捨ててでも強引に若返りをはかろうとしているくらいだから、
なかなか期待できる話でしょう。

ついでにシーズン中も「造反者」はほとんど出てこないはず。
なにしろこれだけ大騒ぎしても何も変わらなかったんだから「言っても無駄」は選手に染み着いているはずで、
だったらどんなに不満があっても黙々と言うことを聞くはずだからね。

そしてこれで結果が出始めれば、自然と選手の方も軟化してくる。
勝利以上の肯定材料は、この世界ではなかなかありえないから。

ただしそれも、今年うまくいって結果が出ればの話だろうけど。
うまくいかなければ不満や鬱屈はさらに深まって内圧を高め、
モチベーションは低下し、造反に近い形でパフォーマンスも落ち、
結果、J2へ降格という流れになってしまう可能性は高い。

それにたとえうまくいっても、今のマリノスは構造的不満があるから、
選手やサポーターどころか、フロントにすら鬱屈がたまっていくと思えてならないです。
なにしろ誰が最終決定権を持っているのか、まったく見えてこないものなあ。
フロントや社長の上にいる人が勝手に現場や人事をいじくって、しかも責任は取らない。
この前社長が辞めさせられちゃったけど、
これだってスケープゴートにされた印象があるものねえ。

今回のことも、社長は選手のため、ずいぶんがんばってたように見える。
でも今のマリノスは、選手やサポーターの声がフロントまでは届くけど、
その上には届かないイメージだ。

本来、最終決定権保持者=最終責任者であるはずの社長が「中間管理職」じゃ、
関わる人全員が不信と不満をおぼえても無理ないよ。
これで成績が出なかったら、監督が解任されて、
それで大騒ぎになったら社長が辞めさせられるんだろうな、また(苦笑い)。

そしてこれで今年うまくいっちゃったら、「見えない上の人(たち)」が、
「ほら見たことか。お前らは俺(たち)の言うことを黙って聞いときゃいいんだよ」的な感じになっちゃって、
さらにシッチャカメッチャカになってしまう可能性もある(苦笑い)。

仮にそれで「来年」や「再来年」も結果が出たとしても、
フロントも選手もさらに不満は募り、怒りは内圧を高めるのも間違いない。
人間なんだから、たとえうまくいってても
「お前らはアホなんだから黙って言うこと聞いとけ」って扱いをされればいい気分はしない。
ましてプロになるような選手や、クラブ(企業)のフロントに入るような人たちは、
自分の実力や実績にプライドを持っているだろうから、なおさらね。
そして数年後、結局今以上に取り返しのつかない形でクラブが崩壊してしまうかもしれない…

だから今年早々に失敗しちゃって、その「負の実績」を盾に大胆な構造改革をするのが、
長い目で見るとクラブのためになるんじゃないかなーとも思うんだけどねえ。
でもよそのクラブの話だから、あんまり言うのもねー(苦笑い)。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 16:40 | コメントをどうぞ

昔の記憶がよみがえるとき(笑)

いまアニマックスで1980年版の「サイボーグ009」が放送されています。
ぼくの中で009といえばコレなので、とてもありがたい(笑)。
さすがに当時は小学生だったからねー、純粋に観てましたよ、いろいろと(笑)。

主題歌の「誰がために」も、カッコよくて、
それだけじゃなく歌詞の内容も作品の内容やテーマにあまりにピッタリで、
これぞ「テーマ(主題)ソング」って感じです。
原作の石ノ森章太郎さんが作詞だけど、
この人はコピーライターとかやらせても超一流になってたんじゃないかと思うほどですよ。
もちろん作曲の平尾昌晃さんの曲も抜群で。
そしてOPアニメーションもすばらしい。
さすが金田伊功。
「鉄人28号(太陽の使者)」も大好きでした。
もしかしたらもろもろひっくるめて、
アニメ史上最高の主題歌かもしれないとも思ってます。

そして当時は偶然見かけた原作マンガを読んで首を傾げることもあった。
「アオイホノオ」のホノオも言っているが、
原作は「なんだかよくわからない」ところがまた魅力だから、
小学生にはレベルが高すぎるのだ(笑)。
アニメはそのあたり「ちゃんとしている」(ホノオ談)からね(笑)。
ホノオはOPアニメも大絶賛だ(笑)。

たださすがに30年以上経っていて、あまり再放送を観た覚えもないだけに、
すっかり忘れてる話も多いんですが、
昨日の第43話「あばけ! 三兄弟の秘密」のシーンはなぜかよく覚えてて、
記憶が補完されて楽しかったです。
このあとちょっとネタバレ入ります。

これは004ことハインリヒが印象深かったんですよねー。

ネオブラックゴーストのボスの過去を探りに行ったチベットの山奥の村で、
仲良くなった村人たちがゾンビーグ(殺して言いなりになるよう改造されたサイボーグ!)
にされてゼロゼロナンバーズを襲いに来るっていう内容でしたが、
いくら「死体」とはいえ親切にしてくれた村人に反撃するのを躊躇するゼロゼロナンバーズは、山小屋へ逃げ込む。

だけどそこに、最も仲良くなったシーラという少女(推定6歳くらい)のゾンビーグが近づいてくる。
しかも003は彼女の体内には爆弾が仕掛けられていることをスキャンしてしまう。
爆発の有効範囲は約50m。
そこに達する前に彼女を撃って爆破しないと、自分たちも道連れになってしまう。
しかしいくらゾンビーグとはいえ年端も行かない少女を撃つなど…とためらうサイボーグたち。
それでも撃たなければ自分たちが死ぬ、とわかってるだけに、
009がリーダーとして銃を手にする。

が、それを制して「009、その役はおまえには似合わない」と前に出る004、ハインリヒ。

左手に仕込まれたマシンガンを構え、シーラに狙いをつける。
それでもわき上がる一瞬のためらい。
それを振り払うように胸中で強くつぶやく。
「…俺のあだ名は死神だ!」
発射されるマシンガン。
弾はシーラの胸を貫通し、爆弾も爆発する。
そしてそれに誘発されて雪崩が起こり、
ゾンビーグたちと彼らの村は雪の下に沈む…

雪崩に埋もれた村を見下ろしながら、ハインリヒは手にした折り鶴を見つめる。
「それは?」と尋ねる006に、
「俺が003に習って折ったんだ」と答えるハインリヒは、
シーラの名を呼びながら空へ向かって鶴を投げる…

という感じの話だったんですが、いろいろ覚えてたんですよねえ、なぜか。

004だって撃ちたくない。
だけどこういうとき、必ず「汚れ役」を買って出るんだよね、ハインリヒは(泣)。
ゼロゼロナンバーズは全員悲しい過去を背負い、
理不尽な経緯でブラックゴーストにサイボーグ化されているけど、
ハインリヒのそれは「ベルリンの壁」という戦争を想起させる要素があり、
さらに体中に武器を埋め込まれたサイボーグだけに、
余計に「戦い」や「殺し合い」のイメージを強めてしまうんだろうなあ。

あと関係ないが、この時期はもしかしたら「人間爆弾」が流行ってたのかもしれない(苦笑い)。
それと何回か、
折り鶴を最後のシーンみたいに投げたことがあるけど、ああは飛ばないな、やっぱり(笑)。
いいシーンなんだが、
おそらく今だったらかなりツッコミも入るだろう、Twitterの実況TLあたりで(笑)。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 16:40 | コメントをどうぞ

一年の計は元旦にあり

みなさんに、あけましておめでとうございますexclamation ×2
今年もよろしくお願いしますexclamation ×2

元旦をのんびりと過ごしながら、、
さ~~て。今年の目標を定めようと、
12月の研修で刺激を受けて、もう一回、勉強し直そうexclamationそう決意しました。
勉強してるうちに、今まで分からなかったことが分かってきたり
そっか、そう考えたら良いんだ。
と、いろんな事を再確認できました。

結局、電気の世界から足を洗えない。。。
いつかは、電気と全く関係ないことを学んでみたいと思っていたのですが、、
自分で納得できてないことが沢山ありすぎて、
電気の世界を脱出できないみたいですね。

年始からややこしい日記(笑)

公開すれば、やらざるを得ない。
そんな状況に自分を立たせることにしました。
と、一応カッコいいことを書いたりしてね。。。

一年の計は元旦にあり。
ってことで、今年の目標でした。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 13:43 | コメントをどうぞ

今日は「縁結びの日」ですね。

おはようございます。
「時間の無い方用の文
1、ご縁
2、神無月
3、良好な関係」
11月5日。
今日は「縁結びの日」らしいですね。
この「縁結びの日」は神話の国・縁結び観光協会さんが作った記念日で、
「い(1)い(1)ご(5)縁」のゴロ合わせと、
旧暦の10月は『神無月(神在月)』と呼ばれ神々が一所(出雲)に集って
会議をすることからです。
『縁』って本当にあるんですかね?
私はあると良いな、と思っております。
ヒトの縁は偶然の出会いから始まり、大事にするものだと思うんです。
それが必然であるかどうかは分かりませんが、
本当に「ある」かどうかは分かりませんが、
今の自分を形作る要素の一つであり、自己を成長させてくれたものだと感じるんです。
とは言え、他力本願では良い縁をつむぐのは難しいかと思いますが。(><)
自分を見るのは他人を見て他人から見た自分を省みたところから改善を試みるものですから、
自分を改めないと自分も幸せにならないと言いますか。
ちょっと意味がズレますが「他人の振り見て我が振り直せ」ってやつですね。(^^)
で、直す直すではしんどいので、その気持ちを和らげるのがお互いの良好な関係
なんじゃないかな?と。
そういうのが良い関係であり、お互いが良い刺激になり、
良いご縁だと思うんです。
「思う」ばかりですね。(^^)
同じ言葉繰り返すのはあまりよろしくないですね。
つらい事も頑張れる良い縁という物は信じたいですね。
楽ではないかもしれないけれども、価値があるのではないかと、、、
え~っと、愚考します。(^^)
では、ご覧いただきありがとうございます。
今日も一日実り多き一日となりますように。
//

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 07:06 | コメントをどうぞ

今日は「まんがの日」ですね。

おはようございます。
「時間の無い方用の文
1、文化の日
2、漫画=文化 へ
3、文化の日=まんがの日」
11月3日。
今日は「まんがの日」らしいですね。
この「まんがの日」は2002年に日本漫画化協会さんと出版社5社が作った記念日です。
どうやら、「漫画を文化として認知してもらいたい」という想いから、
文化の日を「まんがの日」としたようですね。
また、11月3日があの有名な手塚治虫先生の誕生日でもあるというのも理由のようです。
これは納得ですね。(^^)
漫画と言えば手塚治虫先生のネームバリューはダントツですからね。
まあ、私も手塚治虫先生の漫画を直接読んだ事がある訳ではないですし、
今一番有名な漫画家の方が誰なのかは分かりませんが。
そもそも、今日は「文化の日」ですが、
この「文化の日」って何で「文化」の日なんでしょうか(??)
そのあたりも気になったので調べてみました。
どうやら1946年11月3日に日本国憲法が公布されました。
その日本国憲法は平和と文化を旨としていますので、
「文化の日」とされたようです。
そして、「文化をすすめる日」である11月3日が「まんがの日」となったという流れですね。
なるほどです。(^^)
では、ご覧いただきありがとうございます。
今日も一日実り多き一日となりますように。
//

カテゴリー: 未分類 | 投稿者komachin08 03:02 | コメントをどうぞ