カテゴリー別アーカイブ: 心筋梗塞

トレッドミル

曇り

 

磯子の雨は上がったようです。

昨夜は11時過ぎに消灯・・・4時55分起床。

統計的には、6時間で目が覚めるという感じです。

薬を飲むために取る為の朝ごはん・・・おじいちゃんだなぁ。

“朝一は白湯を飲め” との母ちゃんの教えをちゃんと守ってます。

 

錦織、頑張ってますね。

ロシアのフラットテニスに惑わされながらも、戦術を切り替えてそのまま圧勝でした。

ダニエル君も頑張りましたねー 190㎝と言うのはやはりサービスが有利に働きますね。

大坂さんも3回戦へ・・・次戦に勝つとオリンピックが見えてくるランキングになるようです。 ハレブなんで厳しいとは思いますが、楽しみです。

 

水曜日は退院後初めての外来。

初めての事なので、いろいろと戸惑いました。

10時半の予約だったので、30分前に到着。

外来者用のATMみたいな所に診察券を入れて、今日の流れを知ることに・・・。

診察前にやることがこんなにあるとは・・・。

まずは、循環器科の受付へ。

心電図を撮るので、検査科へ行くように言われる。

心電図を撮って、再度循環器科の受付へ・・・

“そこの血圧計で血圧を測ってください” と。

前の人のやり方を見て、そのまま結果票をもって再再度循環器科の受付へ。

ここでやっと、“診察室の前でお待ちください” と、受付番号を片手に待つことに。

ここまでで丁度10時半少し前くらい。

待合所で人の流れを見ながらボーっとしていると、

“すみません、採血もお願いします” と、循環器科の受付の方がやってきた。

やれやれ・・・。

言われるがまま、採血所?へ・・・。

長テーブルが横になっておかれており、上には3まで振られた番号が書いてある。

最初に通った時に行列が出来ていたが、僕が言った時間には並んでいるのはひとり。 程なく呼ばれ、席に着く。

病院での受付でずーっと聞かれてきたセリフ・・・

“お名前は?” (これに生年月日が加わることもある)

こう言った検査、心電図検査前測るときなどもそうですが、必ず聞かれます。 本人確認、なのだろう・・・。

この採血所。

もう、ひたすら流れ作業で、“採血” し続けてるところらしい。

“これは大変ですねー” と話しかけたところ、とても感じよい看護士さんで、やさしく対応してくれた。

4本分摂ったのですが、“量は大したことないいですよ” と言ってくれたり。

採血一つとっても何が起こるかわかりませんからね~ 緊張感をもってひたすら血をとりまくる・・・大変だわ。

元々注射が嫌いだったので、刺しているところからずっ~と目を背けてきましたが、今回はチラ見してみました。

もう何十回になるんだろう・・・

注射が嫌いで献血も1度したことがありませんでしたが、これからは機会があったらトライしようと思います。

 

結局、11時ちょっとすぎに診察開始。

退院後の調子を聞かれたり、血液検査の結果を見たり・・・。

そうそう・・・血液検査をする時は、朝食を抜いてきた方がよかったらしく、

“次回は食べないで来て下い” と。

初めての外来なので、、、え”~~ って感じ。

これはベテラン患者なら当たり前の事なんだろなぁ・・・と思いながら、“はい” と答えておきました。

コレストロールの数値がよくない、と。 卵とか1日置くらいね・・・とか。

ただ、元々、朝食とってきたので、正しい数値は出ないようでした。

とほほ・・・である。

診察前にいろいろやることがあるのは教えてくれなくても気づかなきゃいけなかったのかなぁーー

 

心臓のダメージは2~3割くらいと。

心肺停止はなかったと。

お酒はビールなら500ml、お酒なら1合・・・。

まぁ、まだ飲みたい気は起らないんですけどね。

11時半過ぎには終了。

午後3時からだった運動負荷試験は、気を遣ってくれてか?前倒しの13時半に。1度帰宅しようか迷っていたのですが、これならぶらぶらしていればすぐだな・・・と。

外来日が決まった時から決めていたランチは、元町のはずれのご存じ、 “下前商店”

久しぶりの来店。

病院から5分ほどで到着、3人目。

2016-05-25 11.50.29わんたんめん!

ちょっと麺がゆるかったかなぁー

懐かし味のスープは安定してましたが・・・。

スープはレンゲに3杯、いや4杯だったかな? あとはずべて残しました(T_T)

 

久しぶりの元町ぶらぶら。

今週末はチャーミングセールのようです。

日本大通の方ではテレビ神奈川さんがイベントを行うみたい。

土日なので今まで行った事なかったのですが、暑く無ければお散歩がてら行ってみようと思います。

先週末は山下公園でベルギービール祭り・・・外で飲むと美味しいよね。

 

午後1時15分くらいに到着。

ちょっと早いかな?と思ったのですが、すぐに検査室へ案内されました。

まだ気心が知れ会えてない主治医に、“少し早かったですね、すみません・・・ご飯とられましたか?” と声をかけたものの、

普通に、

“はい”

と・・・。

まだまだ時間はかかりそうだ。

 

いろいろな負荷試験があるようですが、僕が受けたのは

“トレッドミル負荷心肺機能検査”

なるものでした。

胸に心電図を、腕に血圧計を取り付けた状態で、回転するベルトの上を歩き続けて測定します。

一定時間ごとベルトの速度と傾斜を上げて運動量を増やしていき、

僕が、“もうこれ以上は無理!!”

と言うところまで続ける、と。

だいたい10分前後らしいのですが。

上着だけ抜いで、電極を10か所に、と血圧計を取り付け、裸足でスタート。

初めは、ゆーっくり。

(なんだ、楽ちん、楽ちん♪)

そこから徐々にスピードと傾斜が・・・

2段階目、まぁまぁ、かな(まだ余裕)

3段階目・・・ちょっときついぞ・・・まだ “歩き”のか?

そして、4段階目・・・

いやいや・・・速い、速い! (>_<)

もう、(先日ドキュメンタリーで見た)競歩の選手みたいになってる。

おいおい・・・ オリンピックは目指してない!

これは歩きでは無理だろうー

って思っていたところに、看護士さん、

“走っていいんですよ”

え”~ 早く言ってよ・・・。

どうも、二人ともこの機会に詳しくない感じ・・・。

そろそろきつくなってきた時、

“もう止めますか? あと30秒? 1分?” と聞かれ、鰻を頼むときにいつも “竹” を頼む僕は、

“あと30秒で”

と返事。 (した後に後悔する)

きつい・・・(この場でもう1度心筋梗塞起こさせる気か? っつうくらいキツカッタ)

時間が来て、“はい、終了~” との声。

だんだんとスピードが落ちてくる。

そしてストップ。

座って、クールダウンしながら結果を見る。

“心拍数を上げても、波形はそんなに乱れてないね” と。

一安心である。

“脈も、ね” と。

いよいよ運動再開が待たれるが・・・

“ゆっくりなら良いですよ。自分できつくなった時に、すぐに止められる状況なら・・・” と。

うーむ・・・。

僕の、“もう1か月” は、主治医にすると、 “まだ一か月” という言い方に変わる。

これから暑くなりますしね、とも。

6月半ばには、と考えていますが。

少し前にはちょっとやってみようと思います。

 

前回もそうですが、清算にそんなに時間がかからないのは助かります。 機械相手なので、ボランティアでサポートしてくれる人が何人かいてくれるのもスムーズに流れてるとこかな。

今回は薬も初めて自分で購入。

近場の薬局へ・・・6種類を1か月分。

ジェネリックとの差額を出してくれます。

月にすると500円、“まぁ、いっか?”

“年間にすると6,000円になります・・・”

“あっ、じゃぁ、そっちで(*_*;”

これから一生のお付き合いになるのでしょうか・・・

 

まずは一安心。

焦らずにね。

カテゴリー: 心筋梗塞 | 投稿者おふじ 11:28 | コメントをどうぞ

リハビリ

晴れ

 

洗濯日和ですね。

 

今日も5時過ぎには起床。

お出かけしないと洗い物が出ないので、久しぶりのお洗濯。

バランス悪く、斜めに風になびく洗濯物・・・この方が早く乾くかな。

ファイル 2016-05-21 9 29 43今日の朝食は、トマトときゅうりと豚肉に加え、頂きもののカロリー抑えめシリーズ、サバの醤油煮と上げと根菜の味噌汁。 この二つで245kcal。 嬉しい見方である。

 

 

そして・・・えぞ菊か流星軒と決めていた退院後のメン活。2016-05-17 12.58.42 我慢できずに、近場の方へ・・・

限定の、

“手もみ“N”スモーキー”

を食べてきました。

文字通り、手もみ麺とカモのチャーシューにワンタン入りです。 安定の流星軒、大満足でした。

・・・ちゃんと、スープは残しました(^^)

 

2016-05-21 14.56.35先日、夕方の情報番組で放送されていた、“日本一きれいな星空” に触発され、こんな本を買ってしまいました。

海外も魅力ですが、なんせ飛行機が・・・(*_*;

という事で、日本版です。

まずは机上でお勉強です。

 

さて、リハビリなんですが・・・

手術後から段階的にあったのですが、“これが・・・?” と言うような感じからスタート。 気持ち的には元気なので、ちょっとなめちゃってるのかもしれません。

丸々5日間、ほぼ寝たきりでした。

そこから、まずは座ったままベッドから体を起こす。

その形から、次は立ち上がる・・・この初めて立った時は、ぐらっとしてしまいました。 自分では全然大丈夫なつもりだったんですけどね。

その後は、室内を2週・・・距離にして20m程。

これがOKになると、部屋の中のトイレに自由に行けることになります。 ちょうどカテーテルが抜けたくらいの時だったかな。

その後は、フロア内を周回。

100m→200m と順に距離を伸ばしていきます。

1週100mなので、日をまたいで増やして行いました。

この後は階段の上り下り・・・なのですが、心電図の送信機をしているため、病院内でのリハビリはここまでで終了。

あとは、“日常生活” と通して散歩、少し早めのウォーキング・・・と続いていきます。

そして、退院後最初の外来の日に、心肺運動負荷テストなるものを実施し、現時点での運動レベルが決まるようです。

このテストは、心電図を計測しながら、ウォーキングマシンやランニングマシンに乗るとのこと・・・どうなることやら・・・。

2度目の手術から2週間経過。

体調は良いです(^^)

カテゴリー: 心筋梗塞 | 投稿者おふじ 15:32 | コメントをどうぞ

退院

曇り

 

今日は少し肌寒いです。

今朝も5時起き・・・起き抜けに燃えるゴミを出しに行くも3番目。

世の中、早起きの方がいるもんですね。

2016-05-16 18.22.00 2016-05-19 18.18.13卵は1日にひとつぐらいを目安に・・・と言われています。

じゃがいもと玉ねぎががあるので、スペインオムレツを作りました。

初めはちょっと焦げ気味だったので、教訓を生かし、2回目は幾分黄色が残りました。 そんなに味は変わりませんでしがが・・・。

 

 

 

さて・・・ いよいよ退院が秒読みに(^^)/

やりたい事、食べたいものが頭の中を駆け巡ります。

でも、1番は、“外の空気を吸う” 事だったかな。

空気に触れ、街並みを眺め、雑踏に耳を傾ける・・・ そんなふれあいのようなものも求めていたように思います。

 

僕は実家の最寄り駅が地下鉄東西線の早稲田でした。

高校は京王線沿線だったので、高田馬場まで出て、山手線で新宿、からの京王線と言う日々を送っていました。

東西線の高田馬場階段を駆け上がり、山手線のホームへ。 そして、新宿駅では、中央広場を抜けて京王線改札まで・・・まさに人込みの中をすり抜ける高校時代でした。

そんな生い立ちからか、人込みは嫌いではないんです。

そして新宿のネオンも・・・

小学校のお泊り旅行が長野県だったのですが、僕はすぐにホームシックになる子で・・・。

帰り道、中央高速道路を走るバスの車窓から、遠くに見える新宿の明かりを見て安堵したのを、いまだに覚えています。

その頃からお家が好きだったんすね。

 

ちょっと脱線しましたが、要は、“日常” を感じたかったのだと思います。

 

退院の日の前日は、嬉しくてあまり眠れませんでした。

ほんとはもう1日、と言われたんですけどね。

 

前日に事務の方が来て、退院日のの流れを説明してくれていました。 とっても感じよい方でした。

その指示に従って、最後の心電図検査・・・この検査は初めて階下へ行きました。 外来の方と同じ1階の診察所での検査でした。 もう元気だったのですが、やはり車いす(ちょっと速いやつです)

ささっと終わり、また高速車いすで病棟へ戻ります。

その後、支払いを済ませ、事務の方へ報告。

最後に薬剤師からの薬の授与式。

毎日飲む6種類と、もしもの時の為のニトロ。

簡単な説明を受けて、無事に終了。

 

そうそう、このニトロ。

救急搬送されて手術台に上がってすぐ、

“薬飲めますか!? 噛むことは出来ますか!?” と言われ・・・頷くぼく。

救急車呼んで直後から、

“周りの誰かが、大声で呼びかける声に導かれるように目を覚ましては、また闇の中へ奥深く沈んでいく・・・”

そんな事を何度も繰り返したように思います。

すると、すぐに口の中に錠剤を入れられ、

“噛んで、噛んで、大事なお薬だから、噛んで!” と耳元で叫ぶ看護士さんの声で、まだ意識が戻るっていう感じ・・・。

“ガリッ、ガリッ” と噛むと、

“よし、噛んだ、噛んだ” ・・・と安どの声。

それもニトロだったのかなぁー、と。

 

意識朦朧の中だったので、断片的なところも多々ありますが、こんな感じの2週間でした。

まさに、夢の中のような・・・。

そんな日々でした。

 

命をつないだのは、早い治療だったとの事。

心筋梗塞では2割の人がなくなるようですが、その2割の方は発症後3日間に集中しているようです。

緊急手術から始まり、全体安静、足を動かせない、寝返りをうてない、そして検査の毎日・・・ つらかったですが、過ぎてみればあっという間でした。

救急隊員の方、看護士そしてお医者さん、そして母と妹、陰で支えてくれたたくさんの人に感謝せずにはいられません。

 

こうしてこの体験を書いていることも夢のようです。

これからの人生どう生きるか・・・

生かされた意味を考えてる毎日です。

 

カテゴリー: 心筋梗塞 | 投稿者おふじ 10:17 | コメントをどうぞ

2週目突入

晴れ

 

今日もテニス日和。

テニスできない立場からすると、微妙なお天気・・・(雨ならこの状況も納得できたりしてるので)

 

昨日はフライパンを新調しました。

テフロン・・・交換時が難しく無いっすか?

食器用スポンジと同じくらい、替え時が微妙ーです。

しかし、こんな事があったので、その辺は、ガンガン強気でいこう! と気持ちを切り替えてます。 食器を洗う時の洗剤も、けちらずがっつりプッシュしてます。

自炊はしてる方ですが、朝昼晩全て・・・という事はありませんでした。 大変ですね。

構想から買い物、準備・・・それにかかる時間に比べて、食べてる時間の短いこと・・・。

そして、洗い物。

その洗い物しながら、次の食事の構想を練る。

子供たちはお母さんに感謝しないとね~。

 

フライパンと共に、プレートも購入。

目にするまで思いつきませんでした。

これなら洗い物が減るな・・・と。

いろいろ迷いました。 プラスチック製の方が割れないから良いかな? と思いましたが、病院食を思い出すので・・・木製にしました。

2016-05-19 08.54.51トマトは切るだけなので、出来るだけ毎食入れてます。 トマトは値段で甘みが違う事も発見! 特売に釣られちゃダメですね(+_+) 2016-05-18 12.32.24 2016-05-17 17.27.18 2016-05-17 17.54.09

カジキはおふくろが作って冷凍にしておいたのが美味しかったので、自分でも作ってみました。 クックパッドで目についたレシピ・・・醤油とお酒みりん、スライスしたニンニク1かけ、このタレに3時間くらい漬け込んでから焼きます。 焼き終えたら、残ったタレにごま油やねぎを加えて、更にタレを作るように書いてありましたが、これは濃すぎるかと思い止めておきました。 大根おろしは大事ですね。

ただ、ちょっと面倒くさいので調べてみると、“おろしちゃん 楽々” という自動おろし器がありました(^^)/ ・・・検討中です。

大好きなナスのシギ焼きは・・・素人には難しかったです。

もっと焼かないといけなかったよう・・・皮むきに5分、食べるのに3秒・・・という時間のアンバランスさに涙。 見た目も痩せほそってますね(>_<)

サラダに関しては、スーパーでの取り合わせを参考にしてます。 いろいろな組み合わせが勉強になります。 スーパー自体も、ちょっと足を延ばして普段いかないお店にも行ってます。 大きなところ行くと楽しいです。 テーマは、“減塩” ですけどね。

 

昨夜は退院後初めての夜の外食。

昭和な方たち(^^)と和食を頂きました。

久しぶりの、“人と会話しながらの食事” やはりひとりで食べるよりおいしいですね。

アルコールは無し。 冷たい緑茶とお水で凌ぎました。

こういう会が増えていくのでしょうか・・・

この僕が・・・信じられませんよねー

“あと1杯” と、みんなを足止めしてきた僕の半生。

もう酔っぱらう事もないのかな・・・

 

お酒抜きでも、3時間ちょっとがあっという間でした。

飲まなくても時間が過ぎていくのですね。

普通のしょうゆと普通のお塩で作られた料理を堪能。

“減塩生活” で頑張ってるので、たまには良いでしょう(^^♪

 

さてさて・・・

パンツ星人に戻った僕は、翌日の金曜日には、術後初の洗髪。

ベートーベンみたいな上部の盛り上がりが気になってるとこでした。

看護士さんにその旨を伝え、予約してもらう(完全予約制 おひとりさま30分)。

 

その3日後にはシャワーも解禁。

こちらも要予約。

そして、シャワー前後に心電図と血圧を測る・・・という念の入れよう。

心臓と言うのはやはりいろいろと大変なんだな・・・と改めて痛感する。

 

僕が入った一般病棟は、扇状に4床あるお部屋でした。 結構な広さがあったと思います。

僕は左から2番目、扇のかなめに向かって足が向いてる感じです。

僕が4人目として入りました、新人ですね。

カーテンがきっちりしまってるので、お互い顔を合わせることもなく、当然会話もしません。 それぞれの方のお見舞いの方との会話で声が分かるくらい。

僕は、いびきはかかない(自称ですけど、かいてないと思います)ので、こういった相部屋時に迷惑はかけてないと思うのですが・・・

みなさん、すごかった。

僕以外の全員、です。 もう、合唱です。

いや、輪唱・・・か・・・?

1人が終わると次の人が・・・と言う感じでした。

基本、消灯は22時で、部屋の電気はそこで消えます。

そのあとも個人的に頭上の小さな明かりを付けて本を読んだりしてもよいのですが、皆さん、もう、その前から寝てる感じです。

けっこう年配の方が多かったようです(声からの推測)

その輪唱も、深夜2時過ぎるくらい? になるとみなさんピタッと終わるのです。

いざ終わると、今度は、“いつまた始まるんだ?” と言う感じで寝付けず・・・

結局、明け方寝付くような感じに・・・

ただ、ちょうどそんな感じの時に、鳥のさえずりと共に、“採血”・・・

と言う感じで一般病棟へ移った直後はなかなか寝られませんでした。

8時の朝食後、羽鳥さんを見ながらうとうとするのですが、10時からの “春のワルツ” は見逃せないので、頑張って起きてると・・・今度は昼食がやってくる、という感じでした。

合唱隊のひとりが30日の土曜日に退院。 この方は輪唱に加え、“プップー” もすごく、これにも参りました。 本人は気持ちよく出したいようで、容赦なく、躊躇なく、ぶちかまします(>_<) もう、ほんとにカーテンが揺れるくらい・・・ちょっとデリカシーが無かったかな。

翌日にまた一人退院・・・で、僕から見ると右隣にに当たる、“なおさん” と二人きりになってしまいました。

なおさん、は奥様の呼び方から判断しました。

この方は、唯一、お顔を拝見できた方です。

食事を運んできた方が開けたお互いのカーテンが少し開いてので目にした感じです。

多分、70歳前半から半ばくらいでしょうか?

この方は、夜、おトイレに行く際に2日連続で転んでしまい、おでこの右端と左端を縫う事態に・・・(*_*;

2度目の方が結構深く切ったらしく、“倒れた音聞きました?” と、看護士さんに “事情聴取” されました。

深夜3時くらいの出来事だったようです。 起きてたと思うんですが・・・そんな大きな音はしなかったんだよなー

滑りやすい靴だったらしく、2度目のけがの翌日、きちんと足が固定できるサンダルを息子さんが買ってあげてました。

看護士さんが、“よかったねー” と。

看護士さんは、年齢に関係なく、あまり敬語は使いませんね。

対象の方の多くが仕事をリタイアした様子の年齢が高い方が多いからでしょうか?

僕まで、“まだお仕事しててるんですか?” と聞かれた始末。

リタイアした歳には見えないだろー と、驚きましたよ。

 

そして日曜日。 入院から1週間です。

だいぶ様子も分かってきました。

世の中はゴールデン真っ最中。

テレビからは各地のイベント、そして渋滞情報なんかをやってます。

まさか、なぁー  と言う感じで過ごしたGWでした。

 

この頃には、点滴類はすべて外され、心電図の送信機のみとなりました。 胸に貼られていたぺったんも、6つから3つへ。

この送信機は、高価な為、20台しかないらしく“厳選された方” のみ使用できるんですよ、と言われました。

 

2度目の手術が6日の金曜日になることを知らされたのが、2日の月曜日。

この日の夜、初めて “コードブルー” がアナウンスされたのでした。

夜0時くらいだったでしょうか?

“6階の○○号室、コードブルー” と。

その後5分くらい経った後、

“○○号室、コードブルー解除” と。

その後聞いたところ、心肺停止になるとアナウンスされるようです。

これはその後も、もう1回ありました。

ちょっと、ビビりますよねー テレビじゃないっすもんねー

 

4日は “台北に舞う雪” を見ました。

入院期間中の、こうした衛星放送での映画はとても貴重でした。

初めてだはなかったので、流しながらも見れるし、新しい発見もあったり・・・ちょっと切ない内容なんですよけどね。

 

初めの手術明けの水曜日だったか?

スクールのヘッドコーチが顔出してくれました。

ちょっと顔を見たかったよう。

過去にダブルスくんだり、飲みに行ったり・・・同じ競馬仲間としてプライベートでも仲良くしてるやつなんすけど。

“びっくりしましたよ!” って。

僕も・・・

“まだまだお手伝いしてもらうことがあるんですからー” と言ってくれました。

彼はこの後、同僚を連れてもう1度顔出してくれました。

前述したとおり、術後は胸の痛みより頭痛がひどくて、連絡してくれた方には、お見舞いはお断りしていました。

連絡なしできた後輩が何人かいましたが、皆、とりあえず心配で顔を見たかったようでした。

2度目の手術前にほかにもお見舞いに来ていて頂きました。

まぁ、正直、気を遣わないと言ったら嘘になりますが、来てもらえて、ちょっと話をするだ、とても気分転換になりました。

もう、悲壮感たっぷりに来て、僕が普通に歩いているのを見て、

“ん? 大丈夫なの?” と、けっこう心配されたりしましたが。

でも、たくさんの人に来てもらいました。

辺鄙なとこにある病院だし、皆さんお忙しいところ、ありがたいですね。

 

そして2度目の手術前夜・・・母と妹が顔出してくれて、その前で、例の

“手術前点滴準備失敗の巻” が執り行われたのでした。

母と妹は、そのまま僕のうちに泊まり、翌日の手術に立ち会ってくれることに。

9時前には始まるという事で、8時の朝ご飯を終えて、大人しく病室で待つ。

こちらも前述したかもしれませんが・・・

1度目は緊急で、全てが一気に行われ、あっという間でしたが、今回は頭の中で全てシュミレーションできる分、ビビってました。

そうそう、一般病棟へ移ってスマホが使えるようになってから・・・

“心筋梗塞” から始まり、

“心筋梗塞 テニス”、

と言うように、“心筋梗塞” からのひとつワードを足したあらゆる検索をしました。

“手術”、 “原因”、“運動”、“復帰”・・・

後半は、“リハビリ” 等々。

心筋梗塞になった方のブログもけっこう見つかり、いろいろと参考になりました。

食事に関してもけっこう勉強したので、退院前の管理栄養士さんとの話は、すべて知ってることばかりでした。

 

冠動脈とは、心臓の上を冠のように乗っている血管(動脈)で、心臓を取り囲むようにして走行しています。

その冠動脈は、右冠動脈と左冠動脈に分かれていて、更に左冠動脈は、左冠動脈前下行枝および左冠動脈回旋枝と呼ばれています。

要は、右に1本、左は途中で別れて2本になる、計3本という事っすね。

初めの手術は、右冠動脈の付け根が詰まってしまい、そこを広げてステント留置。

2度目は、左冠動脈の方の左冠動脈前下行枝、要は真ん中?2本目のやつです。

その部分に75%の狭窄が見られたので、その部分を前回と同じように、カテーテルを入れて、ステントを巻いた風船を患部まで持っていき、膨らまし留置する、という手術でした。

 

歩けるのですが、手術室までは車いすで。

担当はお気に入りの高橋君です。

母と妹の励ましに見送られ、手術室へ。

1000人にひとり・・・と説明されたもしもの時の “誓約書” のサインが頭に浮かびます・・・

こんな時はなかなかポジティブに考えられないもので・・・

宝くじは当たらないんすけどね、こういう確率だけは、もしかしたら・・・なんて想像もしてしまうものです。

手術室到着。 相変わらず寒い・・・ 手術後に聞いたところ、カテーテル手術は、とんでもなく高い電圧を要するので寒くなってるらしい?的なお話を看護士さんよりお伺いしました。

手術開始。

前回同様、目は見えない。

まずは、看護士さんが尿道カテーテルを入れる。これは術後、一時的に排尿できなくなるため。

まぁ、2度目なので感じは分かりますが、前回は半分意識ないままだったので、今

今回の方がまともにきました(*_*;

“う”っ、う~”  と言う感じです。

“う” に、点々がつくやつです。

入れ終わると、“あ”-、これこれ、この感覚だー” と “あ” に点々の感じを思い出しました。 まぁ、楽と言えば楽ですが・・・ もう、やりてくないですね。

この入れた感じを説明すると・・・ずっと、少し尿を催した感じが続いてるかんじ? っつう感じです。 残尿感ありながらも、でも、出てる・・と言う感じ。

そして、右足付け根に麻酔。 思ったより痛くなかった。

その後、カテーテルで造影剤が入る。

胸の上を逐一移動してるのは画像をモニターするためのカメラのよう。

うっすらと左には大画面に映る僕の心臓君。

これでテレビ見たら迫力あるであろう、大きな画面です(上村さんちくらいか?)

その画面を見ながら、かちゃかちゃとカテーテルをコントローラー音。

部分麻酔なので、もちろん音はすべて聞こえてる。

 

そしてステント挿入。

ステントが心臓に到着、そして膨らむ風船・・・

ここで、胸が熱くなったのです。

じわーっと。

そして押されるような痛み。

・・・ん??

そう、この痛みは、例の痛みでした。

あの、苦痛に悶えた24日の夜の、あの痛みです。

胸を熱くする押し込まれたような痛み、あの日の夜と同じ痛みでした。

しばらくそのままその痛みの中で、カチャカチャ・・・。

計1時間半くらい? で終了。

“無事に終わりましたよ。前回、手術したところの血流も順調です” と・・・(感謝と感動の涙(T_T))

そのまま画面を見ながら更に説明してくれようとしましたが、

“視力が悪いので見えませんので・・・” と言うと、そのまま去っていきました。

 

1度目の手術後一安心も、この2度目の手術がある為、憂鬱な日々を送っていたのですが、この瞬間はとても嬉しかったです。 これで、“退院” の二文字が、現実味を帯びてきました。

その手術後、僕のベットが中々来てくれず、寒い思いをしました。

横にいた看護士さんが、“遅いわねー、迷っちゃったのかしら?” なんてのんきなこと言ってるし(*_*; でも、足元と胸に毛布を掛けてくれました。

まぁまぁ、待ってやっと到着。

そうそう・・・術後15分くらい? 担当医師がカテーテルを入れた足元の動脈をずっと抑えてくれていました。

こんなに長い間? と思っていましたが、あとで聞いたところ、動脈なので、しっかり止血しないとやばいとのこと。

15分後、止まったと見るや、15㎝幅くらいのちょっと固めで粘着力の強いキネシオテープみたいなものをがっつりまかれました。

かなりきつめに・・・ 患部を中心に、右足もも裏からぐるっと前へ、

左胸辺りからも、右足付け根に向かってがっちり、と。

まさに、“固定” とはこういうことを言うのだろう。

手首もこのくらい固めれば、ボレーも安定するかもね。

 

手術台からベッドへの移動。

3人くらいで、“いっせいの~、せっ!” と言う感じ。

“1,2のー3” だったか?

これが、まー、さすが、と言うか、慣れてる・・・と言うか・・・

移動先のベッドに、ちゃんと手術着が準備されて待ってる。

僕は手を通すだけ・・・伝わるかな?

パンツマンはまたおむつおじさんに・・・厳密にいうと、“十字帯”なるもの。 おむつをもっと簡略化した感じのやつです。 これは事前に用意するよう言われており、病院の1階のコンビニで手に入れておきました。

この後がつらかった・・・。

“絶対動いてはいけない6時間” スタートです。

ご飯は、“串刺し食” と命名された食事でした(ほんとです) こんな名称が存在してるんですね。

動かなくても食べられるように、おかずに串が刺されているのです。

鶏肉(まさに焼き鳥(^^♪)と野菜の煮物、パイナップル、とおにぎりだったかな? 妹に食べさせてもらいましたが・・・。

暫くして家族は退散。

魔の6時間が始まりました。

腕以外、“全く!!” 動かしてはいけないのです!!!

これは苦痛でした。 耐えられない・・・何度もそう思いました。

寝てしまったら寝返りうってしまうかも、とそれもだめ。

大変でした・・・。

でも、時間は通り過ぎるのですね。

1時間、30分、15分、5分、1分・・・

約束の16時~!!!(^◇^)

と言うのに、医者が来ず・・・。

暫くして、高橋君がやってくる。

“担当の先生が帰ってしまったので、他の先生が来ます” と。

“え”っ~~~、なんだとー( 一一)” まさに怒り心頭。

あとで聞いたところ、宿直明けだったらしい。

そうならそうで、きちんと申し送りしておいてよー!! と。

そうこうするうちに高橋君は勤務を終え帰宅。

次の担当の看護士さんが来た時に、約束の時間が過ぎている旨を報告。

“じゃぁ、すぐに探してきますねー” と、まぁまぁ急いでくれた。

結局、若い医者がもろもろ外しに来てくれたのが、約束の1時間後・・・

彼も事情をよく知らず、特に慌てずに来た。

“担当医、誰?” と看護士さんに尋ねる若い医師。

“○○先生です”

“宿直明けで手術したの? よくやったね~” とのお返事。

むむむ・・・?(+_+)

まぁ、いいけど。

 

カテーテルはその夜⒑時くらいには抜いてもらいました。

“息を吐いてくださ~い” と吐き終わった頃を見計らって、

“ビュンッ!”

前回よりちょっと痛かった・・・と思ったら、案の定、その後の尿には血が混じっていた(*_*;

もう・・・

いろいろあるわな。

こちらからすると、1対1ですが、あちら側から見れば、1対10、とか100ですからね・・・。

家族に接するように、とはよく言ったものです。

気を付けないとね。

 

この夜、お隣のなおさんがナースセンターの近くへ引っ越していきました。 頭が心配でしたからね、 よかったです。

そして、4人部屋にひとり。

 

この日は、病院へきて初めて汽笛が聞こえました。

さぁ、いよいよ退院です!

 

~つづく~

カテゴリー: 心筋梗塞 | 投稿者おふじ 12:05 | コメントをどうぞ

入院生活

雨

 

久しぶりの雨。

今日の散歩は夕方かな。

 

さて、前回の続き。

2016-05-09 18.02.52三つの点滴、カテーテル、酸素濃度、酸素吸入(大)、ペースメーカー、心電図等々・・・多くの管が繋がってる為寝返りが打てない。

やっと上半身だけ捻るくらい。

初日は食事はなかったように思う。

翌日からは普通にあったかな。

しかし、これが1番きつかったというくらいの点滴による頭痛に悩まされ、3日目くらいまで、食欲は全くなかった。

3つの点滴の中の一つが血管の拡張のためのものであり、これが原因だった。

心臓部の欠陥のみならず、頭の血管も開かせるのである。 それによる頭痛だったのだが、これは術後3日間続いた。

担当医にその話をしたところ、暫くして薬が処方されたが、一向に効かず・・・。

その旨を再度訴えると、“では、もう少し強いやつを・・・” と。

これがやっと効果を表し、頭痛は解消されるのであった。

 

朝6時からの採血に始まる検査は続く。

CCUにいる間はその頻度も高かった。

血圧、体温、酸素濃度に加え、エコー検査と心電図検査。

一般病棟移ってから感じたことだが、CCUは至れり尽くせりだった・・・。

例えば体温計・・・脇の間への差し込みから取り出しまでやってもらえた(これには後日談が)

しかも、すべてにおいて迅速。

部屋は6畳×3くらいのスペースだったか。

中央にベット、枕元に計器類。 あとは、がらんとしたフリースペース。

基本ドアは開けっぱなし。 出入りを迅速にするため?

たまに、“閉めておきますか?” と聞かれたときは閉めてもらっていた(空いてると寝にくかった)

初めての事だらけで、好奇心があふれ出てしまうCCU。

体温測定や血圧計ってる僅かな瞬間を見逃さずいろいろと質問してみた。

集中治療室は3階(後に移る循環器系の病棟は7階)にあり、フロア全外で8床という事だった。 ほかの階はその倍以上はあるので、一部屋の広さがうかがえます。

そして、“ポーン、ポーン” という音は24時間鳴っています。 そこに、“ピンポン、ピンポン” が間に入ってきます。

ポーンは、心電図の音・・・常時フロア全体に響いてる重症患者?の方のよう。

ピンポンは、看護士さんを呼ぶためか、点滴が終わったときや、何か機器に異常があったときになる。

僕も心電図のぺったん?が外れる度に鳴り、お世話になりました。 基本、走ってきます! CCUはみなさん、フットワーク良いです。 年齢はほぼ20代の方だったような?

食事は、基本、“看護助手” なる方が持ってきてくれるのですが、ほとんどの方がマスクしてるので表情は読み取れないものの、あまり愛想が言い方ではなかった。 まぁ、大変なんでしょうけど・・・。

日曜日に入院し、月、火曜日は食欲もなく、ただただ、動かないように過ごしていました。

スマホに関しては、ネットはダメだけど、機内モードでの使用ならOKという事でしたが、音楽聞く心の余裕はありませんでした。

 

そうそう・・・!

仕事先への連絡!

これが急務でした。

まだドタバタしてる手術翌日の月曜日。

お昼頃に面会に来てくれた母と妹。

病室での電話は出来ないので、すべて妹に委託。

先ずは直近の、月曜日のスクールレッスンから始まり、火→水→木の生徒の連絡先を教え、電話してもらうことに。

ちゃんと下書きをして、話した内容も後日見せてもらった。

金曜からは1週間ゴールデンウィークでお休みだったのは良かった?のかな。

まぁ、皆さん一様に驚いていた感じだったよう。

1番びっくりしたのは僕なんですけどね(+_+)

 

水曜か木曜日にCCUを出る予定だったのですが、火曜日の午後、急きょ一般病棟へ移ることに。

どうやら緊急に入院を要する人がいて、一番経過の良い僕が選ばれたのでした。

大丈夫なの? とは、母と妹。

僕も少し不安はありましたが、拘束が減ると思ったので快く了承。

夕方、車いすにてCCUを退散するのでありました。

車いすに初めて乗って感じたのは、“速い” という事。

押してる看護士さんは普通に歩いてるのですが、地面が近いからか?

“けっこう、飛ばすなぁー” という印象でした(この後、2回乗る機会がありましたが、皆さん飛ばし屋でした(*_*;)

 

CCUでは、尿はカテーテルから流れっぱなしなので、自分で出してる間隔は全くなし。

点滴が僕の体を通って、そのまま流れ落ちている感じ。

お通じは・・・当然、トイレには行けないので、ベッドでするとの事。

まぁ、特にもよおすこともなかったのですが、3日目辺りになる火曜日の朝、ちょっと出そうな?と言う感じもあったので、看護士さんに伝えたところ。。。

“これで” とセットされたのが、まさに塵取り。

これを、お尻の下に敷き、そこへ・・・と指示されました。

しかし・・・元々、デリケートな僕。

その上、腹筋使って腰を浮かし、いきまないで(心臓に悪いので・・・)用を足す・・・なんて事は・・・(+o+)

無理でした。

これで出る人って・・・よっぽど溜まってたか? 腹筋強いか? もともと黄門が緩いか? だと思います。

結局、普通にトイレ行けるようになるまでは、もちました。

 

一般病棟に移った翌日、いよいよカテーテルが抜けることになりました。

これで一人でトイレにいけます。 “普通の人” への第一歩です。

 

木曜日には点滴も外され、酸素吸入器も小さなものに変えられました。

 

そして金曜日!!

ついに・・・ “脱おむつ!” です(^^)/

もう~ 毛はないわ、傷跡あるわ、おむつだわ・・・で、下半身は完全におじいちゃん化してましたからねー( 一一)

パンツをはけることがこんなにも嬉しいなんて! 中々感じることは出来ません。

その後も、いろいろな “日常” が戻ってくるたびに、ありがたさを感じることが出来ました。 こう言った事は、ほんとうによい経験だったと思います。

 

そんな小さな喜びが増えていく一方、2日に一回くらい?で様子を見に来てくれる担当医から、もう一か所の手術の話をされ、またブルーになるのでした。

 

2016-04-30 07.52.58毎日見ていた一般病棟からの景色。

分かりにくいですが、正面がシーメンズコート、左手はベイブリッジです。

“退院したら、向こうからこっちを見てやるぞ!”

と思っていたものでした。

 

~つづく~

 

カテゴリー: 心筋梗塞, 未分類 | 投稿者おふじ 12:34 | コメントをどうぞ