『人生は危険と隣り合わせで、自分に何が出来るかが問題だね。』
パールバック財団の主催するチャリティーテニス大会で
ヒーローは、タイ、バンコク行き往復ペアチケットを当たった、
1992年5月に教え子の一人も一緒に行って、最高に楽しい時を過ごした、
沖縄に帰ると、教え子たちは大騒ぎをしてた
タイで暴動 流血の惨事があり、市民50余人の死者、
同1000人近い負傷者がでたらしい、一日違いであった、
1995年(平成7年)1月17日(火)に阪神・淡路大震災があった、
沖縄は被害は無かったけど、何か出来る事はないかと考え、
教え子たちに頼んで、不要な物を提供してもらい、フリーマーケットで
販売し、募金をした、
また、この年エジプト旅行を考えてたが、テロの危険性がありツアーが全て
中止になった、エジプト大使館にお願いして、現地の国営旅行社を紹介
してもらった、テロ対策の為に、音がしたら伏せて動かない練習をしてから、
旅にでた、最高の旅であったが、2年後の1997年11月17日ルクソールの
王家の谷近くにある、ハトシェプスト女王葬祭殿の前にて大虐殺があった、
1999年9月20日沖縄から、台北へ行き、一日遊んでからドイツへと
旅立った、離陸後数時間してから、921大地震が起こった、
それを知ったのは、フランクフルトに着いてからだった、
2001年9月に、教え子達を15人連れて、USオープン観戦に行った
ツインタワービルは、食事に行く時、観戦に行く時の目標の建物で、
毎日、見上げていた、9月10日にニューヨークを出て、
沖縄に着いて、シャワーを浴び、テレビをつけたら、
アメリカ同時多発テロ事件、ツインタワーにジャンボ機が激突
ほんとに、信じられない気持ちだった、
2006年10月に、憧れのハンガリー、ブタペストで1週間のアパート暮らし、
最終日の昼頃から、何かざわついている気がした、政治集会でもしてるかな?
なんて思って行くと、市民に呼ばれ、テントの中でサンドイッチや果物を
貰った、そして、消防車のサイレンのような手回し機を回せと言うので
ぐるぐる回すと、『ウ~ウ~~ン』と甲高くなった、これが暴動の始まりとは
騒がしい夜を越して、朝にウィーンに旅たった、前日のニュースを見たら
ビックリでした、
2011年3月、東北地方太平洋沖地震、テレビで放映される場面、
『あそこにまだ人が居る、危ない、危ない』津波が防波堤を乗り越え
家々を流していく、それを見つめる現地の人々、なんて事だ!
何も出来ない自分がいた、果たして何が出来るのか?
募金をしても、それがどんな役にたったか?実感が無かったので、
今回は、少し落ち着いてから現地を訪問して見る事にした、
地図で見てると、被災地との堺あたりにテニスクラブが会った、
白戸プロや大村コーチの紹介で、行ってみる事にした、
仮設住宅に住む人達にテニスを教えようなんて、無理だった、
自分の出来る事は、現地に住む、ちょっと元気な人を、もっと元気にして
その人を通して、仮設住宅に住む人達が元気になればって思った、
人生にはいっぱいの事件や悲惨な事が必ず起こる、
間違ったら当事者になる場合もあるし、教え子達が巻き込まれる
場合もある、だから、自分の出来る事をなんでもやっておきたい、
もしかして、何処かで、教え子たちが助けられて居るかもしれないしね。