昔、5階建てアパートの5階に住んで居た、
だけど5階までは、エレベーターを作らなくて良い法律があり
会談を駆け上がっていた、
途中途中で、各階の人と出くわすのだが、みんな口々に
「あんたは体力があるね、4階でも大変だのに、」って言う
3階の人も、しんどそうに会談を上ってる、
そうなんだ、皆大変なんだ!
5階まで走れば、体力がつくし楽しいと思っていた、
4階、5階に住んでる人は、不幸せなのかな?って考えたけど
1階、2階のより幸せそうな気もする
ある時、友達の会社を尋ねたら、、エレベーター前に
3人が待ってて、「今、点検中だから、あと20分待つよ」って
ヒーローは「いつも5階まで走ってたから、7階は大丈夫」って
走って登って見た、きつかったけど気持ち良かった、
挑戦して出来た時、超幸せを感じる、
幸せって、考え方なのか?
それとも、5階に住んでた体験が、4階以下は楽に感じて
幸せに感じ、あえて困難な7階に挑戦しようと思うのか?
それから、自分の限界と言うものを知りたくなり挑戦した、
何日、寝ないでいられるか、水と塩だけで何日過ごせるか?
喋らないで何日過ごせるか、どんだけの距離を走れるか?
どうしたら最短距離でテニスを上手にさせる事が出来るか?
いろんな困難を経験すると、あの時よりはマシと思うのか?
移動時間27時間を経験してからは、ヨーロッパまでの移動が
全然苦にならなかったし、世界一周の旅も楽しく感じた、
テニスボール20球、ラケット40本、テニスコート10面
テニスを初めてやる人200人を一人で教えるを経験してから
何処で教えるのも怖く無くなった、
人を裏切ったり裏切られたり、夢を見切ったり見つけたり
金持ちになったり貧乏になったり、好きな人が出来たり失恋したり
健康な身体を無茶して壊し怪我したり病気になったりと
人生には幾度と苦難で不幸せと思える時期がある
だけどこの経験が、許容範囲を広くして
「あの時と比べたら幸せかもしれない!」って思えるんだよね、
ヒーローがテニスを教えるのも、特訓して追い詰めるのも
限界に挑戦する体験を通じて、自分の許容範囲を広げ
幸せになって欲しいと思うからなんだよね、
でも、苦しいだけでは誰も挑戦しない、
コーチの仕事は、この苦しみを楽しさに変えてあげる事
頑張ったら乗り越えられる適度の壁をつくってあげる事、
そうすると、達成感を何度も味わい、自ら挑戦するようになる
ここまで来たら、テニスも強くなるし、
何処で何をしても、幸せを感じると思うよ!
親達は、自分と同じ大変な経験をさせたくないって思っているけど
大変な経験が許容範囲を広げるし、だから今があるって思わない
親の愛情とは、子供達の壁を壊してあげる事ではなく
どう乗り越えるか経験させて、最小限のアドバイスをし
自力で乗り越えるのを見守ってあげる事だとおもうよ!
いちいち口出ししたら、親がやったと思うから
させられた気持ちになって、将来は親のアドバイスに耳を傾けない
愛情って、自立させる為に口をだすのを我慢する事かもね?
人間以外の動物は、みんな出来てるって事が面白いね((´∀`*))ヶラヶラ❤