☆『幸せ革命』丸坊主☆

 ☆『幸せ革命』丸坊主☆

小学校から中学に上がると、全員丸坊主になる、

『何で自分の身体なのに、自由に出来ない』これが一番嫌だった、

中学は規則でがんじがらめだ、何故に全国一律で学生服を着ないと

いけないんだ、沖縄は熱いんだから、Tシャツや長袖シャツがあれば充分

じゃないか?衣替えも東京と沖縄は温度差があるのに何故に一緒なのだ?

桜でも1月に咲くのにオカシイだろうが!って、絶対に髪を切らなかった、

 

学校側も1学年17~18クラス、3学年で2700人の中の1人が

言う事を聞かないと規律が乱れると思い、強行突破にでた、

生徒指導部の先生が3人やってきて、二人に片方ずつの腕を抑えられ、

もう一人がヒーローの頭の真ん中にバリカンを入れられ、

逆モヒカンにして去って行った、納得出来ないがしょうがない、

床屋で丸坊主にした、だけど、髪を少しずつ伸ばして、

ギリギリオッケイラインを見つけ、自分でレーザーカッターで

髪を切っていた、沖縄で丸坊主にすると、紫外線が直接頭に当たるから、

頭皮が乾燥して、フケが出る人が多かった、

髪を伸ばしたら不潔って?誰が決める、不潔な人は損をするんだから、

少なくとも自分で決める事なんて思っていました。

 

 ☆『幸せ革命』御殿のような家☆

父のパチンコ屋さんは、大成功を収めて、御殿のような家へ引越しです、

小さな丘に石垣を積んで、坂道を上がると、広い庭、

1000万円もする松や、ソテツ、家が1軒建つほどの大きな池、

その中には錦鯉が沢山泳いでいます、裏庭には、人が住めそうな犬小屋と、

20mはあろうかと思えるプールとシャワー、

 

30畳の仏間、応接間、客間、お手伝いさんの部屋、寝室、書斎、

それぞれ子供達の部屋、2階からは、那覇市が全部見える絶景、

下の方に市民会館があり、芸能人がホテルと間違って来るほどで、

『玉城御殿』と呼ばれていました、

 

最高に幸せ?と思いきや、そうでもありません、

時が経つにつれて、錦鯉に餌をやるのも飽きて来て、

血統証付きのコリー犬、ラッシーも散歩に連れて行く子供達も居なくなり、

其々の部屋に篭って居る、台所では、ポットが失くなり、

新しいのを買うと又失くなる、各部屋でテレビを見て、

各部屋でコーヒーを飲み、昔、皆で番組を譲りあったり、

チョコレートを分けあった兄弟姉妹はバラバラになった気がした、

ヒーローは出来るだけ妹達を集め、狭い場所で花札やトランプをしたり、

犬を散歩に連れていったりした、

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カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 23:46 | コメントをどうぞ

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☆『幸せ革命』壺屋焼き登り窯の戦い☆
自分の家から歩いて5分の所に小学校があり、
近所の友達は、この学校に行っているのに、
何故か我が家だけは、30分も掛かる小学校に通ってた、

近所の子供達は、ヒーローが学校で苛められてるって聞いて、…
『よし、俺たちが、やっつけてやる』って事になり、宣戦布告!
困ったけど、しょうがない、だって帰るまで一人だからね、

下校と同時にダッシュして帰らないといけないけど、
足が遅いので、校門に見張りがついている、
ヒーローは、塀を越えて、ひとの家の屋根ずたいに帰る事もあった、
そして、仲間と合流して、壺屋焼きの登り窯のある所で戦争をした、

協定では、焼き物をやく、赤い粘土を投げ合うって話だったけど、
粘土の中に石をいれて投げてきた、それがエスカレートして、石だけになり、
後は、ゴムカンと言う飛び道具を使って来た、

これが、2週間も続いた、そこでヒーローは考えた、
そう言えば、お店してる時のかんしゃく玉があったな~、
それを持ち出して来て、ゴムカンで打つと、相手は総崩れになり、
逃げ出して行った、後を追いかけボスの家へ、そして捕まえて、
壺屋焼きの登り窯の前に連れて行き、かんしゃく玉を背中に当て、
死刑にすると大泣き!ようやく、壺屋焼きの戦いの幕を下ろす、

ま~、それからと言うもの、虐める人は居なくなった、
この時はじめて、もしかして自分は強いかもしれないと思った、

運動会でも、障害物競争だと2位ぐらいになった、
だけど、普通の駆けっこは、相変わらず最下位で、身体は柔軟性が無く
鉄棒やマット運動も出来ないし、リズム感がなく音痴で、
笛やカスタネットでリズムを取るのも苦手だったし、勉強も出来ないし
まるで、劣等感のオンパレードでした、

だけど、主婦やちびっ子達からは、好かれて居た気がします、
家でも少しずつ、兄姉妹とも仲良くなり、過ごしやすくなっていました、

☆『幸せ革命』僕たちの学校!☆
5年生のある時、運動会練習のダンスで、女の子と手を繋ぐのだが、
手を繋ぐのが恥ずかしい、ほんとは繋ぎたいのだが、皆が見てるし、
男のプライドが許さない、繋いでるフリをしてたら、女の子が、
『先生、ヒーローは手を繋ぎません』って言われた、すると先生が、
『手を繋がない人は誰だ!』って言うと、6人ぐらいが手を上げ、
『前に出てこい!』って言われ、出て行くと6人横に並ばされ、
バシッ!バシッ!っと平手打ちが飛んできた、顔がカッっと熱くなった
かと思うと、目眩とともに星がキラキラ回ってる、
『全体を乱すお前らは、学校に来るな!帰れ!』って言われた、

6人とも敵味方で戦ったガキ大将ばっかり、『皆、どうする』って
事になり、学校に行けないんだったら、自分達の学校を作ろうって事になり、
早速、使わなくなった校舎裏の倉庫を片付けて、黒板を設置し、
古い机と椅子を並べると、かっこいい教室になった、先生も居ないから、
交代ずつで得意な科目の先生になる、ヒーローは、得意なものが無いので、
人気の無い理科になった、教えるとなると、勉強しないとね~、

家に帰って、姉ちゃんに教えてもらい頑張った、翌日から、
自分達の学校に登校、日頃は遅刻すれすれに行くのに、
7時半には全員集合、出席をとり、授業が始まる、これが面白いのなんのって、
担任の真似をして教える子や、テレビで流行りのギャグを随所に入れて
授業をする子、給食時間は、皆の弁当を開いて、バフェスタイルで、
好きなのを交互に選んでいって食べたり、お昼寝タイムを作ったり、
超楽しかった、翌日はヒーローの理科の授業、内容はどうだったか
覚えてないけど、凄いウケた記憶はある、

自分達が楽しく過ごしてる間に、
学校では大変な事が起こっていた、問題児6人が全員休んでいる、
これはおかしいって事で、担任に家庭訪問をしろって事になったらしい、
親は、『うちの子は、朝早く学校に行きましたよ!』って、
先生達も方々探し回ったとの事、それを知らない自分達は、
家に帰ると鬼のような顔をした親達が待ち受けていてぶっ飛ばされた、

翌日、学校の校長室に呼ばれ、説教された!。
だけど、『俺達は悪くない、先生が来るなって言うから、
自分達の学校を作ったし、勉強もしてた』って思ってたから、
涙も出なかった、6年の成績も1・2・1・2・1だけど、理科が4になった。もっと見る

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 23:51 | コメントをどうぞ

☆『幸せ革命』扱いにくい子供☆

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新しいお父さんから見れば扱いにくい子供だったのかもしれない、

朝出たら、夕飯時間まで帰ってこないし甘えてこない、

ヒーローから見れば、怖いおじさんだからね、

 

パチンコ屋さんを始めて、仕事が上手くいき、羽振りがよくなると、

毎日明け方に酔っ払って帰ってきて、お母さんを叱りつけたり、

ヒーローを、柱にくくりつけ、お灸をすえる、

今でも身体のあちこちに、火傷の跡が消えなく残ってる、

これが地獄なんてもんじゃない、ジワジワ熱くなり燃え尽きるまで据える、

 

後で聞いた話だけど、夜の社交界では有名だったらしい、

『閑古鳥が鳴くキャバレーに入っても、お前らの父さんが来たら、

 店に客がいっぱいになる、そうすると構って貰えないから面白く無い、

 次の店に行く、これを明け方まで繰り返す、ホステスからは

 神様だと崇められてるよ!』だって、

 

時々、酔っても気分が良い時は、お土産に焼き鳥や寿司を買ってくる、

そして二日酔いで頭が痛いからと子供達に按摩をさせて小遣いをあげる、

こんな親の世話にはなりたくないと思った、

 

母も、新しいお父さんとの間に、赤ちゃんが出来てなお忙しくしてた、

お手伝いさんを雇い、子供の面倒を見させてパチンコ屋さんの経理や、

従業員の面倒なども見るようになった、

 

ヒーローもどんどん暗い性格になり、学校でも苛められた、

男子で身長が一番大きいけど、弱虫だったので、女子の身長の大きな子

3人にとっては、情け無い奴に見えたんだろう?

休み時間の度に、砂場に連れていかれて苛められていた、

 

お陰で成績はどん底、良い子の歩には、5段階評価なのに

1・2・1・2・1・2と並んでいた、体操の選手か?って言われてた、

それに運動会が一番嫌だった、駆けっこは、いつもピリ!だった、

 

先生達も、『お前の姉や兄は、勉強も運動も出来るのに、何故だ?』

何故と言われても、自分なりに努力してるけど、結果がついていかない、

ヒーローも悲しかったし、母を悲しませるのが辛かった。

 

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 13:33 | コメントをどうぞ

☆『幸せ革命』自立☆

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☆『幸せ革命』自立☆

家から3軒隣ぐらいに、小さな広場があって、

近所の人が夕涼みをしたり、子供達の遊び場だった、

友達の居ないヒーローは、広場の片隅に座り、子供達の遊ぶのを観察してた、

『おーい、ビー玉しようぜ!』って言って始める、

玉が弾けてドブに落ちる、それを見てて皆が帰った後に探して、

翌日、お願いして一緒にビー玉をする、だけど、下手だから、

直ぐに巻き上げられる、そうするとまた、広場の隅に行ってドブに落ちるのを待つ、

これが必死なので、あっと言う間に上手になって来た、

 

気がついたら、箱のいっぱいになっていた、

子供達は負けると、お金を持って駄菓子屋に行って、1セントで5個

(この頃の沖縄はドル)買ってくる、ヒーローは考えた、

みかん箱の上に、ビニール袋にビー玉を10個入れて1セントで並べてみた、

それも10個のうち1個は、珍しいビー玉を入れて、すると、

遠くからも子供達が買いに来るようになった、

 

ビー玉が少なくなると、ゲームをして勝つことで仕入れが出来る、

ある時、市場にビー玉の袋を閉じる輪ゴムを探しに行ったら、

いっぱい落ちているんだよね、昔は服とか野菜とかを新聞紙で包んで、

輪ゴムをするんだけど、パチーンとアッチコッチに弾かれる、

朝早く行ってそれを拾う、細い腕に両手いっぱいの輪ゴム、

歩いてたら早く出てきた店の人が、『坊や、それを売ってくれないか?』

って言われ、片手3セント、両手だと5セントって言ったら、

みんな買ってくれた、

 

市場に行くと、近所の店より安い事に気づいた、

梅干が、近所の店だと3個で1セントなのに、

市場では6個で1セントなんだよね、これを、5個で1セントで売っても利益が出ない、これを3個1セントで売る為には、工夫が必要だ、考えた結果、

梅干はすっぱいから、子供は好きじゃないから、カレー味にして

漬け変えてみようと思い、樽の中に家にあった、インドカレーの粉末に、

氷砂糖を入れて、混ぜ合わせると4~5日くらいで黄色く甘い梅干が出来る、

それを、マヨネーズ瓶に30個入れて10セントで売った、

これが主婦に大人気、作ったら直ぐに売れる状態だった、

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 23:56 | コメントをどうぞ

☆幸せ革命、新しい家族☆

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☆幸せ革命、新しい家族☆

6歳のある日の事、知らないオジサンが夜に来て、

母と一緒にタクシーに乗せられ、那覇という街に連れていかれた、

そして2階建てが3軒も繋がった大きな汽車みたいな家に連れて行かれた、

大通りに面した一番目の家は、ブロック建ての4角い家、

次が沖縄瓦の家がくっついていて、その後ろにトタン木造の2階建てが、

無理やりくっつけられてるような家だ、

 

『今日から、此処がお前の家だ、適当に寝れ!』って言われた、

暗さに目が慣れてくると、4畳半ぐらいの木で出来た大きなベットがあり、

その中には、5人ぐらい寝てて、とりあえず、右端が空いてたので寝たら、 

時間が経つにつれ、こちら側に転がって来て押しやられ、

20センチの柵を乗り越え、ベットの下に落とされた、

『ここでは、生きていけない』と思った、

 

翌日朝に皆に紹介された、長女道恵(12歳)次女貴野(10歳)

長男譲(8歳)3女妙(4歳)4女明里

ヒーローが次男6歳で、2歳違いで並んだ、

姉2人、兄1人、妹2人、そして、この日、知念から玉城へと姓が変わった、

 

今までノンビリ暮らして居たから、生活の変化が大変だった、

朝ごはん、トースターからパンがポンと飛び出した瞬間、

姉達がさっと取り、食べ終わるまでついて行けない、

待ってると兄が、『俺はウインナーが好きだから、俺の人参と交換だ、』

とか言って、皿の上からかっさらう、

 

皆が食べ終わって、パンを取りジャムをつけて食べようとしたら、

一番下の子の手が、テーブルの下から伸びて、パンを食べる、 

3女の妙だけは、ヒーローと同じくノンビリした性格だったので、

2人がいつも取り残されていた、

 

兄の譲はイタズラ好きで、物陰に隠れては、『ワッ!』と脅かす、

またクチュクチュを泣くまでやる、お前は弱いからと、

喧嘩相手を探してきて戦わす、構ってくれてるって思ってるみたいだけど、

自分にとっては恐怖でしか無かった、長女は物心がついてる年頃だったので、

お母さんは、産んでくれた人以外認めたくない態度だった、

 

新しいお父さんは、ヒーローがお母さんと話ししてると、

『お前は、自分の子だけ大事にして!』って怒鳴られる、 

これが一番辛かった、自分が居なければ怒られずに済むと思うと、

家に居る時間が少しずつ少なくなってきた、

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 23:46 | コメントをどうぞ

☆幸せ革命、初めての商い!☆

☆幸せ革命、初めての商い!☆
その事件の後、ヒーローは糸満に一緒に住むことになった、

母は、午後から夜まではお店の手伝いで働いて、午前中は、米軍の払い下げから、ワシミルクって言う練乳をケースで仕入れて、頭に乗せて売り歩いていた、それでも24缶を売り切るのに、1週間以上も掛かっていた、

ある時、暇そうにしてるヒーローを見て、『一緒に来る?』て言われ大喜び、お仕事発レビューでした、そこで思ったのが、連れて行かれて母の足でまといになったら、二度と一緒に行けない気がして、常に前を歩き、
お客さんを見つける、

井戸端で洗濯してる人を見つけると『何してるの?』って聞く、『洗濯だよ、坊や何歳だい?冷たいお水を飲みに来たのかい』って言うと、『4歳だよ、お母さんがミルク売ってる』って話をしてる所で母が追いつく、

『うちの孫も、坊やと同じ歳ぐらいだし、買って上げようかね?』なんて言ってくれる、

1週間で、3箱も売れるようになった、『ヒーローが一緒に行くと良く売れるね~』って笑った、新しい箱を仕入れる事に、母はカマボコを買い、半分に切って食べさせてくれる、これが美味しいんだよね、

そんな生活が1年続いたかな?お金が貯まり、ひと坪ほどのかき氷屋さんを開く、糸満は漁業の町だから氷はいっぱいある、夏は売れるけど、冬に向かって売れなくなる、

冬は布団の打ち直しの店をする、夏に向かって売れなくなる、
店って、あるだけで信用なんだよね、毎回ころころ変わったら、
信用は積み上げられない、母は焦っていた、この頃の口癖は
『お前を一流の大学に行かせられるのなら、
猿の代わりに自分が実験台になっても構わない。』だった、

子供なりにプレッシャーを感じて、一生懸命勉強した、5歳までには、足し算引き算、簡単な掛け算、絵本なども読めた、

ヒーローは父の記憶も、思い出も無いし、母が居るだけで幸せだった、
そのまま生活が続いてくれる事だけを願ったよ。

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カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 07:38 | コメントをどうぞ

☆幸せ革命、母を訪ねて3千里☆

☆幸せ革命、母を訪ねて3千里☆
それでも借金が残ってるから、母は名城から3km離れた糸満に出稼ぎに行って、時々しか帰ってこない、お婆ちゃんは居るが寂しかった、

名城という村では、子供達は方言しか喋れないので、親達は、3歳で標準語を喋れるし、簡単な漢字も解るヒーローの所に行かしたがった、子供達も興味本位で習いに来る、『沖縄の方言ではガジャン=蚊』皆が『ヘ~』って関心する、『へェ~は、ハエ』と言うんだよ、なんて生意気に、4~6歳ぐらいの子供達に教えていた、

その中に5歳のアーキー君が居た、この子の父親は糸満でホテルをやってる、きっと自分と同じで、アーキーも父親に会いたいだろうと思い、歩いて会いに行く計画を立てた、お婆ちゃんには、『今日は、家で遊んでおく』って言って、畑に出かけた後に、急いでご飯の残りで『味噌入りおにぎり』を作り、水筒にお茶を入れ、アーキーの家へ迎えに行き、一緒に冒険の旅へ出発、

夜になると光り輝く糸満は、海沿いに歩いて行けば必ず着けると思い、海への道をテクテク歩いた、砂浜で遊んだり、お土産の貝を拾ったり、防波堤の上を歩いたり、2時間を過ぎた頃から、アーキー君は『疲れた、疲れた』と言うのをだましだまし、お茶を上げたり、おにぎりも2個上げて励ましながら、夕方頃に糸満の町についた、

そしてアーキーの父親が経営するホテルへ行くと
父親が飛んできて、抱き上げ『アーキー凄いな、5歳なのに、遠い名城から歩いて会いに来てくれたのか?よし、何でも買ってやる』って出かけて行った、まるで、ヒーローは透明人間か?って思えるほど目に入ってない、

5歳でこんなに喜んでくれるなら、3歳の自分が逢いに言ったらと思うと、胸がドキドキしてきて急いで母の働くお店へ走った、ちょうど店の前に立ってる母を見つけ、泣きながら『お母さ~ん』と走り寄ると、肩を掴まれ、勢いよく顔にビンタがバシーンと飛んで来て、頬が熱くなり、何がなんだか状況が掴めなかった?

3歳の自分には理解出来なかったが、お婆ちゃんが畑から帰った後、居ないヒーローを探しに行ったら、村の人が見かけて海の方に行くのを見たとのこと、そして夕方になっても帰って来ないので心配して、母親に連絡を入れてたのを後で聞いた、ヒーローから見れば、何で同じ事をして、一人は褒められ、一人は叩かれなければいけない?って虚しさを感じた、

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カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 00:47 | コメントをどうぞ

『幸せ革命、台風で家が吹き飛んだ、』

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目覚めるのが早かったせいか?赤ちゃんはみんな見えるのかわからないけど、
不思議な生き物?が我が家の屋根の上で騒いでいる、姿は、赤ちゃんみたいだけど、
顔はお爺ちゃんみたいに皺くちゃで、体はトカゲみたいに長い尻尾があり、
コウモリのような翼がついている、牛の顔のも居る、話声が聞こえて来た、
『向かいのお婆さんは、そろそろ寿命だ』って言ってたので、
うちのお婆ちゃんにこの話をしたら、

『ヒーロー、こんな事、絶対に他人に言ったら駄目だよ。』って言われたので、
見えても無視するようにしたら、段々と見えなくなった、
4日後に向かいのお婆さんは亡くなった、その後も不思議な事があった、
ある風が強い夜、ランプが揺れて影を動かす、それが怖くて早めに寝てると、
遠くから馬の樋爪の音が近づいてくる、音はどんどん大きくなり、
ついには家の前まで来て、前足を大きく上げたかと思うと、家の雨戸を叩き破り、
家の中に入って来た、うわ~と泣いて飛び起きた、

お婆ちゃんが、『どうしたの』って聞いたので、夢の話をしたら、顔色が変わって、
これは何かのお告げかも知れないって言って、お母さんと3人で避難する事になった、
風は台風だった、勝手口の小さな戸から出ると、顔も上げられないほどの大風、
3人で体を寄せ合って、ようやく石垣で組んだ塀の外のに出た途端、
家が1メートルぐらい上に持ち上がり、その後、地面に叩きつけられて崩れ落ちた、

命からがら従兄妹の家を訪ねて行くと、『
お前らは、縁起が悪いから家には入れられない、馬小屋で泊まれ!』だって、
納屋に入ると、馬たちが歓迎してくれてる気がして、気持ちが落ち着き、
ロフトの上に藁を敷いて寝ると暖かく、豊かな匂いがして、直ぐに眠りについた、
もしかしたら、この馬達が教えてくれたのかな?って子供ながらに思った、

沖縄には、ユイマール精神ってのがあって、困った時には、互いに助け協力しあう、
台風で破壊された我が家も、材料費と食事だけで、村の青年団が力を合わせ、家を建ててくれた、

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 01:11 | コメントをどうぞ

『幸せ革命』

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『幸せ革命』
時は、1954年3月19日の夜、突然に全身が圧迫されて苦しくて目覚めた、
その場所は母の体内だった、命の危機を感じ、何度もお腹を蹴ってもがいた
、ようやく落ち着いて来たのか?いつもの生活に戻れたって思ってたら、
意識が目覚めたまま母体で過ごす事になってしまった、

外の世界はいろんな音で怖い気がして、小さな宇宙の中で心地よく居たかったけど、
18日後についに、この世界に生まれて来た、

後で解った事ですけど、あの日父が結核で他界したと知った、
目覚めが早かったせいか?母の体内で生きてた事や、生まれて来ても、
赤ちゃんの時の記憶が未だに残る、生まれた後、ヒーローをお婆ちゃんに預け、
大黒柱になった母は働きに出ていった、揺り篭に乗せられ過ごした、

おしっこをしたら気持ち悪くて泣くとお婆ちゃんがオシメを変えにやって来る、
時々、従兄妹の子供が来て揺り篭を揺らすけど、これが気持ち悪くて胃がムカムカする、
この子が来るのが怖かった、またお酒臭い人が顔を近づけて来て、
何やら赤い冷たい物を持って来た事なども覚えている、

2歳の頃お母さんに、
『この消防車の玩具、お酒臭い叔父さんが持ってきてくれたんだよね。』って言ったら、
『何で解るの?だって叔父さんは、あなたが赤ちゃんの時、一度しか来てないんだよ、』
って聞いてきたので、母のお腹の中での出来事を話したら、
『あなたには、生まれる前から苦労をかけていたんだね~』と目に涙を浮かべていた。

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 00:06 | コメントをどうぞ

☆怪我をする人しない人☆

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☆怪我をする人しない人

テニスを40年近く教えてると、怪我をする時には

パターンがある事に気づくんだよね、

 

一番多いのが、遅刻をして来た時は、要注意!

まず、準備運動が出来てないのもあるけど、

遅刻した言い訳をする為に、お喋りが多くなる、

『OOさん、気をつけて、ボールが当たるよ』って言ったら

必ず5分以内には当たる、『後ろも見ないのによく解るね、ユタみたい』

って、よく言われます、ほんと気をつけて欲しいし、

遅刻したときは、無駄口は、止めましょう!

 

次の怪我するパターンは、予定外の時、

やるつもりは無かったのに、楽しそうだし、一人足りないからお願いなんて

声かけられて『いっちょうやってやるか?』なんて人は大怪我になります、

誘う人も充分気を付けないと、怪我をさせるはめになるので注意、

 

そして、選手に多いのが、明日は試合だから、ちょっと軽めに

なんて言う人は怪我が多いですね、

面白いのは、ヒーローの練習は、超ハードなんだけど、怪我は無い、

他のコートやサークルは、軽く楽しくしてるけど、怪我があり、

よく、助けに行ったりします、

 

其々の問題は、心構え一つで防ぐことが出来るんですね、

練習中は、最後まで油断しない、いつも厳しくしてるなら、

試合が近くても厳しい練習をした方がいい、

 

逆に気が乗らない時は、練習しないで、家でリラックスした方が

試合の時に調子よくなる場合もあります、

 

ほんの一瞬、気を抜く事で、怪我のリスクが大きくなる、

それに気づき、繰り返さないように充分注意して下さいね、

 

5歳で教えたジュニアは、今は45歳のお父さんやお母さん、

40歳で教えた主婦達が、80歳近くなります、

みんな、健康で今でも、若い人とテニスが出来るのは、

コーチのお陰だねって言ってくれます、幸せです!

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 22:35 | コメントをどうぞ