カテゴリー別アーカイブ: ミニコラム

「物(ラケット)には魂が宿る」

「物(ラケット)には魂が宿る」

日本では古来より「物には魂が宿る」とされる考え方があります。元々は様々な説がありますが、その心は「物を大切にする」というものでもあります。

部活等でもコートに入る際に一礼してから入る習慣もその一種であり、テニスが出来ることに感謝したり、誠心誠意を持って練習に取り組む為の決意表明等の意味合いがあります。…
日本独自の習慣とも言えますが、個人的にはとても気持ちの良い作法と思います。

礼節を重んじる習慣というのは世界的にも評価されることも多く、誇るべき文化と言えるのではないでしょうか?

ラケットにおいても同様に、思うようなプレーが出来ないことによって八つ当たりのような動作を行ってしまうようなことがあります。
「苦しい練習を共にしてきた相方(ラケット)」
「自身の成長を助けてきてくれた相方(ラケット)」
と考えた時に、思うように行かないからといって、どのような行動を取るのでしょうか?
相方を地面に叩きつけたり、投げたりするでしょうか?
もし本当に心があるならば、悲しいことであり、信頼関係も崩れ、仲直りすることも困難でしょう。

強制的な環境の下、義務的に礼節や物を大切にするのではなく、その立ち振舞いの根幹にある意味合いを理解しつつ、優しい心を育んで欲しいですね。

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「勝負事に絶対は無い」応援の本質

「勝負事に絶対は無い」応援の本質

極々当たり前のことですが、絶対勝ちたいという気持ちがあったとしても絶対勝てることなんてありません。
絶対なんて言える人は勝負事の本質を知らない人とも言えます。
少しでも勝利に対して確率を高め、自信を持って立ち向かえる為に、努力を重ねているものです。
スポーツでもビジネス等でも2度訪れることの無いようなチャンスをモノにするための一喜一憂するのは誰しもが同じです。

しかし時として、異なる分野や他人事になると人に対して絶対を求めてしまいます。少し自分に置き換えて考えれば、絶対なんてことは無く、チャンスであればあるほど、不安にかられるものです。
だからこそ周囲は結果だけに注目するのではなく、経過や努力、姿勢に対して見守る必要があります。
努力している時の時間は、時として長く、遅く感じることがあります。そんな時にこそ周囲の応援というものは大きなサポートになります。

情報社会となり、結果をすぐに手に入れられるようになったものの、情報過多により様々な結果の情報ばかりに目が向きがちなることがあります。意識しなければ細かい情報や過程の情報は入ってきません。
応援というものは、試合自体を応援するだけではなく、過程の応援こそ大切です。

夏場に各地で多くのジュニアの大会が開催されています。特にジュニアは成長過程であることから結果が思わしくなくても、後に華開くことも多いです。結果だけではなく過程を含めた評価やサポートを継続的に行っていきたいですね。

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「アイデアを出すことより、出させることのほうが難しい。」

「アイデアを出すことより、出させることのほうが難しい。」
「アイデアを否定することより、肯定することのほうが難しい。」

物事の本質というものは難しいものです。
一見「アイデアを出す」ということは、自分の意見がありクリエイティブな感覚になれるものの、時間をかけて熟考しさえすれば多くの人が気づけことも多いです。…
人ひとりが考え出せることなんて限りがあり、仲間が10人いるのであれば、10人のアイデアを引き出せる環境や風潮を作り出せることのほうが価値があることがあります。
何より発案後、実現に結び付かせるという大きな課題が残るだけに周囲の信頼を得ながら協力をしてもらえる能力も重要です。

また、人が出したアイデアを否定したり懸念点を指摘することは、一時的に自分のほうが優れているという優位性を感じることが出来るかもしれません。
一方で安易な指摘というものは、苦労をしてアイデアをひねり出した側に対して不信感を抱かせてしまうこともあり、何より次回からの発案を抑制させてしまうことも多いです。
そもそもアイデアのほとんどが不完全なもののほうが多く、それらに対して懸念点を指摘することはさほど難しいことでは無いものです。
それらをブラッシュアップさせて完全に近づけることが出来るかが鍵になり、受け手の最初のスタンスや言葉遣いで次へのステップや思考が変わります。

アイデアを出す側か?出させる側か?
アイデアに対して肯定派か?否定派か?

もちろん、どちらも必要です。
ただ、アイデアを閃いたとしても、すぐに自分から発案するのではなく、人から引き出すように促したり、アイデアを発案された後に一度肯定した後に指摘するようなテクニックもあります。
まどろっこしく感じたり、時間の無駄と考えられる方もいると思いますが、人との関わり合いの中でこれらによって結果が異なることも現実だと思います。
指導という観点でも、すぐに答えを与えることより、アイデアを出す努力や人からの意見を受け入れられる能力を身に付けて欲しいと思うものです。

少し部活とはかけ離れた論点に感じるかもしれませんが、部活というものは会社や組織等の縮図でもあり社会勉強の場でもあります。
指導者のスタンスや指示、部員それぞれの主義主張・思考によって大きく変わるものなだけにミーティング等では気をつけたいポイントかもしれませんね。

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「画面の一部を隠してテニス観戦すれば、新たな発見があるかも」

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「画面の一部を隠してテニス観戦すれば、新たな発見があるかも」

テニスの試合を観戦していると、どうしてもボールの行方に目を奪われてしまいます。もちろん、観戦の楽しみ方として間違っているわけではなく、勝敗に対して一喜一憂するのは素晴らしいことです。
一方で上達する為にはどんな観戦方法があるのでしょうか?
ボールを見るばかりではなく、各選手の動きを観察することも重要な要素です。テレビ中継であれば、大抵はやや上部後方からのアングルの映像が多いです。

そこで、例えばテレビ画面上部のコート半面に当たる部分をタオル等で隠して録画した試合を観戦してみると選手の動きを集中して見ることが出来ます。
意外とこの「隠す」という作業が重要で、どうしてもフルコート見渡せる状況下だと、ボールの行方やポイント、相手の動きに目がいってしまいます。
特にジュニアを指導した経験がある方であれば分かるように、どんなに一選手だけを見るように指示しても、目の動きまで強制することは出来ないものです。
敢えて隠して映像をシャットアウトしてみるのも良い方法です。

イメージトレーニングという言葉があります。
確かに自分が打つボールを詳細に球種やスピード等を先立ってイメージすることは大切です。
一方で、ボールはあくまでボールであり、自分自身がボールになれるわけではありません。
ラリーが始まり、ラリーが終わるまで自分自身がどのような動きをするかをイメージすることも重要となります。
観戦時、ボールに目を奪われていると、ボールを追い駆けてから打つ姿までの印象が深く視界に入り、動き出しや打った後の態勢作り等が抜けてしまうこともあります。

ジュニアは特に大人より感受性豊かであり、言葉よりも視覚で捕えたものを自分自身の動きとしてイメージすることもあります。
その視覚で捕えるものに偏りがあると、自然と偏りのあるイメージを膨らましてしまうこともあります。
始まりから終わりまでのトータルした視覚情報を手に入れた時に、初めて自分がプレーした時のトータルイメージが具体的に描けるようになるかもしれません。
*電化製品の上部ですので長時間の観戦をお止め下さい。
*タオルでは無く、他素材で画面を隠しても良いです。
*指導者・保護者様の指導の下、実施して下さい。

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「ラケットを折る行為とそれらに対する罰則」

「ラケットを折る行為とそれらに対する罰則」

プロの試合等で残念ながら見掛ける光景ですが、プレーが上手くいかずに選手がラケットを折るようなことがあります。
もちろん、プロの試合であればペナルティが発生しますが、テニスにおいては若干罰則が軽いように感じます。度を越えれば失格もありますが、現状、警告に留まることが多いです。
サッカーや野球であれば、暴言や非紳士的行為等で退場処分になることもあります。
確かに自分のラケットであり、人に対してでは無いかもしれませんが、相手や審判に対する威圧的な行為ともなりうる可能性があり、観客に対しても感じの良いものではありません。
また、プロを夢見る子供たちが勘違いしてしまうこともあるかもしれません。

「物を大切にする」ということが分かっていても、テニス界にどっぷり漬かっていると今のペナルティがルールだからと少々流しがちになっているような感覚もあります。
ペナルティを金銭で解決する方策は仮にベターであってもベストではありません。
普通の生活に置き換えてみれば、物を故意に破損する行為は、ある意味で暴力行為とも取れるはずです。
プロであれば、様々な契約条項ありペナルティの条項もあるとは思いますが、ラケットを叩きつけることは、メーカーの看板を叩きつける行為と同様であり、常識的に考えればペナルティどころでは無いはずです。

前記で「ペナルティが軽いのでは?」と書いたものの、重い軽いではなく、「ラケットを大切にするのはプロであれば当然」で「叩き折るなんて論外」というようになって欲しいと思います。
テニスは紳士淑女と言われるスポーツにも関わらず物にあたってしまう行為というものは愚の骨頂。

ここからは個人的な見解ですが、スポーツは世界のルールやレギュレーションに合わせる傾向がありますが、一方で本当に正しいと思われることならば「ラケットを故意に折ったら即退場」というルールを日本から発信しても良いのではないでしょうか?
プレー自体には影響は無いはずですし、「折って気分転換できる」なんてことを容認すべきでもないはずです。
ルールにすると、偶然と故意の判断等、様々な判断基準が必要になるかもしれませんし、もしかしたら賛否に分かれるような要件もあるかもしれませんが、冷静に常識的な眼差しで今の現状を考えて欲しいと思います。

少なからずプロの大会で故意にラケットが折られることが無いようになることを願っています

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「報われないかもしれない目標に対して努力を出来る強さ」

「報われないかもしれない目標に対して努力を出来る強さ」

「努力は裏切らない」という言葉があります。
たしかに、部活のように試合結果に結びつかなくても後々になって思い出として振り返れば良い思い出に感じることも多いです。
また、勉強のように、例え試験結果や合否に結びつかなくても、人生において知識を得たことは多いなる収穫と考えることも出来ます。

ただ、努力をしている最中に具体的に想像も出来ないほど遠い将来に役に立つ為と意識できることは少なく、直近や長くても1~2年先の結果に向けて努力することのほうが多いです。
目標設定は様々ですが、努力したからといって全てが達成できるかは分かりません。
ネガティブな考え方かもしれませんが、それは言い換えれば、報われるか報われないか分からない状況下で努力するとも言えます。

ここからは個人的な見解ではありますが、それらは本当に必要な経験だと考えます。
将来社会に出て、仕事においても報われる可能性が低くても労を惜しむことなく行動しなければならないこともあります。
物事の捉え方次第ではありますが、キレイ事ではなく、努力が報われないこともあるのが現実だと思います。
ただ、そんな時ほど人としての真価が問われ、「報われる可能性が低いからチャレンジしない」等の考え方にはなってほしくはありません。。

報われることが確実な努力というものはほぼ存在しません。
ただ、努力した者にしか成功は訪れないものです。
報われるか報われないか分からないからこそ、喜びも大きいのかもしれません。
不確定なものに対して努力できるようになれれば、はじめて報われなかった努力の経過や結果も前向きに捉え、「人としての強さ」という精神力を身に付ける過程になるはずです。
少なからずテニスの試合であれば、大抵はトーナメントで、優勝者以外は負けて大会を終了します。
華やかに思われるプロ選手も、成功を信じるものの、人生を掛けて不確定な現実にチャレンジしています。

話が飛躍し過ぎたかもしれませんが、部活動は社会勉強とも言われます。
努力が報われなくても折れない心と、次へ向けての目標設定や切替えができるような思考を!

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「恥ずかしいを乗り越えて、ひとりでもダッシュトレーニング」

「恥ずかしいを乗り越えて、ひとりでもダッシュトレーニング」

オフコートでの自主練というと多くのスポーツにおいてランニングを選択する学生がいます。
テニスであれば、コート上で練習できる時間も限られることもあるので、持久力をつける為に自主的にトレーニングすることは素晴らしいことです。

「そこからもう一歩踏み込んだ練習ができるか?」
テニスに関わらず多くの球技系スポーツにおいて、ダッシュとストップを繰り返すことが多いです。
ただ、早朝や夕方、ランニングする姿を目にするもののダッシュを繰り返す姿を見掛けることは滅多にありません。
大人であっても、週末の野球やサッカー、テニスの為にランニングする人はいても、ダッシュ等を行っている姿は見ないものです。
ランニングは大切ですが、ダッシュとランニングでは筋肉の使い方や負荷等が異なる部分もある為、試合等で急にダッシュをすれば、肉離れ等のケガに繋がりかねません。
せっかく、運動不足解消や週末スポーツの為にランニングするのであれば、多少のダッシュ等も組み込んだほうが良いことは少し考えれば分かるはずです。

それでもその姿を見ないということは、もしかしたら
「ダッシュトレーニングが大変・・・」
だけではなく、
「ダッシュする姿を見られるのが恥ずかしい」
という感覚があるのではないでしょうか?

部活等で、団体でダッシュトレーニングが出来ても、個人で行える人は極僅かです。
「一所懸命に頑張る姿を見られることが恥ずかしい」
「周りがランニングしているから自分も・・・」
もしかしたら、学生、大人関わらず、こんな思考が巡っているのかもしれません。

昨今、ランニングブームであり、ランニング自体がお洒落にも捉えられるようになってきました。
運動不足解消やランニング自体を楽しむことは、健康促進にも繋がり、本当に素晴らしいことです。
一方で、大人であっても、球技系スポーツを少しでも見越すのであれば、無理をしない程度にダッシュ等を組み込めば、怪我の予防にもなります。
難しい理論では無く、少し考えれば目的に対して何のトレーニングが必要かどうかは分かるものです。
30分ランニングするのであれば、5分だけでも軽いダッシュ等を行えば、きっと身体の動きが変わるはずです。

学生時代に、ひとりであってもダッシュやフットワークトレーニングが出来るような意識や精神力があれば、新たなステージに踏み込めるようになるかもしれませんね。
*路上でのダッシュは安全にくれぐれも注意して下さい。また過剰なダッシュトレーニングはケガの危険性があるので指導者の指示やアドバイスを参考にして下さい。

「あなたはひとりでもダッシュやフットワークトレーニングができますか?」

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「やっぱり統率のとれた部活は強い」

「やっぱり統率のとれた部活は強い」

部活動というものは、放課後や休日等の限られた時間で活動されます。
それは練習時間が限られているとも言えます。
どんなに知識やテクニック、資器材があったとしても、時間を有効活用できなければ絶対的な練習量に差が出てしまいます。

集合やボール拾い、練習メニューの切替等を迅速に出来ることは大きなアドバンテージになることが多いです。
テニスは比較的、個人競技ではあるものの、部活動は団体行動であり、何より相手がいなくては練習もできません。
もちろん、自主性や個性は伸ばしたいものの、最低限の統制は必要になります。

ありきたりな表現となってしまいますが、個性というものは団体の中にあるからこそ光るものであり、団体の中で光ることができる強さが必要なものです。
社会のおいても同様に、規則や制約の中で何が出来るかを考え、今ある環境の中で最善を尽くせるように努力せねばなりません。
「自由=無統制」では無いはずです。

「整列や挨拶」
「計画的に物事を運ぶ」
「先輩後輩のマナー」
ネガティブに捉えれば、
「軍隊のような厳しさ」
「時間に縛られる」
「上下の主従関係」

何でも、物事には程度というものがあり、良い言葉であってもネガティブに捉えれば悪い言葉のように聞こえてしまいます。
一方で、度を越えたものを正当化するように表現することも可能です。

だからこそ、指導者が見守りつつ、程度を調節しながら、規則や制約の意味を根気強く伝えていく必要があるとも言えます。
理想論になってしまうかもしれませんが、「競技的な強さ」だけでなく「人間性の強さ」「チームワークの強さ」も兼ね備えた「強い部活」を目指していきたいですね。

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誰でも思う「やろうと思えば出来る」という思考

誰でも思う「やろうと思えば出来る」という思考

努力の根幹として誰もが一度は思う「やろうと思えば出来る」という思考。確かにレベルや量は考えなければ努力というものは誰にでも出来ることです。しかし、「やろうと思えば」というのは「いつ?」または「どうしたらやろうと思う?」

環境や状況によって異なるものの、もしかしたら「やろうと思う」ことこそが一番高いハードルなのかもしれません。ダイエットの決まり文句のようですが、「毎日5分のトレーニングだけ!」…
この毎日5分を達成できる人はどれだけ存在するのでしょうか?

ハードルを下げる為に「5分だけ」等のフレーズを使い継続を促そうとアドバイスすることを否定するわけではありません。ただ、「やる気」「やろうと思う」為の自身を奮い立たせるようなレクチャーというものはどんなものがあるのでしょうか?

部活動であれば、目標設定やその部の雰囲気等、様々なものに気持ちというものは左右されます。思春期とのなれば、気持ちの振れ幅も大きく、指導者であれば選手のモチベーションが日々異なることに困惑することも多いものです。

大抵、「やろうと思えば出来るんだけど、・・・だから、出来ない」
「出来ない」「やりたくない」という考えの下、出来ない理由探しをしてしまうこともしばしば。

先人の言葉では、「思い立ったが吉日」
現代なら「いつやるの?今でしょ!」

永遠の課題とも言えるかもしれませんが、今も昔も解決策は似ていますね。
先延ばしにすることなく、毎日「いつやる?」と自分に問い掛けながら、その日で完結できるように努めるしか方法は無いのかもしれません。

「やろうと思えば出来るけど」
と逆接をつけるのではなく、
「やろうと思えば出来るから、今」

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カテゴリー: ミニコラム | 投稿者juniortennis 15:38 | コメントをどうぞ

「約0.004秒の感覚を鍛える!」

「約0.004秒の感覚を鍛える!」

どんなにフォーム等を研究したとしても、最終的にボールとラケットとのインパクトにおいてラケットの面の向きや力加減が誤っていればコートにボールは入らないものです。
もちろん、そこに至るまでの過程を研究することも大切であり、構えやテイクバック、ボディバランス等、チェックポイントは無数にあります。

ただ、名選手と呼ばれるようなプレーヤーは並々ならぬ繊細なフィーリングも持ち合わせています。極端な話、良いボールかどうかは別にしてラケットに当てることさえ出来れば、コートにボールを返球できるようなラケットワーク(面作り)と感覚を持っています。

選手の中には0.5ポンド単位でガットのテンションを調節したり、錦織選手のようにステンシル(ガットに描くメーカーロゴ)を薄く塗るというリクエストすることがあるとの話も聞いたことがあります。
あまりにナーバスになり過ぎることも良くないという考え方もありますが、それほど常人では分からないような感覚を持っているとも言えます。

ストロークでのラケットとボールの接触時間は約4/1000秒(0.004秒)
仮にどんなにボールをよく見たり、当たる瞬間を見ようとしても、はっきりと見えないものです。
あらゆる努力をした結果であるものの、最終的に頼りになるのは手の感覚とも言えます。

「弘法は筆を選ばず」
とはことわざがありますが、決して筆を選ぶ能力が無いわけではありません。
筆に応じた、繊細な調節が出来るという意味であり、筆の良し悪しや癖、特長を掴めるだけの感覚を備えてると言う事です。

「自身の能力に対してラケットを合わせる」
「ラケットに対して自分自身を合わせる」
ラケットに対して無頓着になるのではなく、自身のラケットを大切にしつつ、注意深く気を配ったりすることも感覚を養う重要なポイントです。
一方で、ラケットがしっくりこない状況でも、対応できる能力も必要になります。
前者、後者ともに偏ることのないようなバランスの良い思考を身に付けるような意識を持たなければなければなりません。

一言で「バランスの良い思考」と表現しましたが、どうしても人によって偏りがあるものです。
誰もが自分自身に偏りがあるということを認めることは嫌なことなものの、まずは「偏りがあるのではないか?」と疑問を持ちつつ、どちらの思考に偏っているかということを把握することが第一歩かもしれません。

他にも自分の体調やコート状況、気候に至るまで感覚を鍛える機会も多数にあります。
そしてそれらに対して対応できるような能力を身に付けることができれば、技術的にも大きな進歩に繋がるではないでしょうか?

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