土曜日
試合開始NB10:30。近くの高速バス停07:39に乗り込むとほぼ1時間半の9時過ぎには福岡空港に到着していた。降り立つと朝立ちの気配、路面が少し濡れていた。今日はシメシメの天気かなと喜んだのはつかのま、雲が厚かったとはいえ、顔をのぞかせた太陽は容赦なかった。水分3リッター入れたコロ付の大きなバッグを舗装の良いところを選び汗をしたたらせながら博多の森を目指した。
受付を済ませて1.2.3番コートを行くと1番コートで45歳男子決勝戦が行われていた。はるばる横浜からのTUchiya氏が優位に試合を進めていたので、安心して春以来の奥さんと会話した。
3番コートが終わってから30分遅れ11時ごろからぼくたちの試合が始まった。相手のnishiharashiとは、いつか福岡のテニス仲間が阿蘇で合宿した折に、地元の仲間も参加してテニスを楽しんだことがある。その時シングルスワンセットお手合わせして勝った記憶があり、行ける感触を抱いていたのが、そもそもの間違いの元であった。
22 23とそつのないテニスでほんろうされて、相手の術中におちいったかのようだった。頑張ってもみたが24となっていた。本当にやばいと思っていた。このセット落とすとファイナルで頑張ればいいとよぎったがファイナルは10ポイントのスーパータイブレーク、いかんいかんこのセットを頑張ってみよう。
34 44 54 55の相手のサービス、 ここで問題が起きていたがやっているぼくにはわからなかった。65 66のタイブレーク。ここでも42から追いつかれて66 86でかろうじてセットを取ったが、疲れはてていた。
1リッターの水と2リッターのアクアは半分以上は飲んでいたし、冷たさもなくなりかけていた。炎天下の戦いはこれだったのだと再認識するしまつ。体の動きも緩慢になり、期待のサービスもダメだった。浅いスピンボールは上段からの大根入りで一発で決められ、よたよたと走り回っていた。
セカンドは30とリードしたのに32追い上げられ、キープして42 43 キープして53 キープされて54 そしてサービングマッチをかろうじてキープして64で長い長い2時間半の試合は終止符をうった。お互いに疲れ果てていたが、互いの健闘を認め合うかのような固い握手をかわした。
重いバッグをコートの階段から引き揚げ、木陰をさがしてそこにへたり込んだ。
汗はまだしたたり落ちてうつろな気分だったが、初戦の勝利に本当に胸をなでおろしていた。相手は強かったのだ。遊びがてらに北海道毎日に出場して決勝までいって、せっかくのフルムーンが活用できなかったとぼやいていたのを、試合前に聞いていたのに重要視していなかった。ランキング60位余位というのもおろそかにしていた。敵を知り、己を知ろうとしなかったところに問題があった。
着替えているとバッグの中でケイタイが鳴っていた。北九州のtoshimitushiからだった。あまりのタイミング良さに思わず苦笑した。ぼくはうれしさのあまりルル状況を説明した。
ぼくはしばらくそのままそこにとどまり、ようやく腰を上げて受付へ勝利の報告に出かけた。