金曜日 終日小雨
昨夜、筑豊の仲間からケイタイあり、いつもの泣き言から始まっていた。軟骨がすり減って膝がうんぬんと今までは泣いていたが、今回は脊柱管狭窄、MRIで分かったという。足がしびれてうずくという。試合に出ようか出まいかと、いつもの調子で言うので、医学の発達で脊柱管の病も治るとテレビで見たことを告げて勇気づけ励ました。
北九州テニストーナメントは関東選手権とダブることがあって、関東の会場如何でどうするか決めると前回話していたら、関東の要項は出ていますよと言う、そして北九州とやはりダブっていると教えてくれた。ゲンの良い北九州には是非参加したいと願っていた。年1回、北九州在住の病弱な友を見舞いながらの参加を楽しみにしていた。
それが叶うのか否か、長電話が終わると関東テニス協会のHPと北九州のPHを開いてみた。
まだ先の事だと思ってチェックしていなかったが、考えてみれば5月の中旬から下旬に大会は行われるのだ。
関東選手権は6会場に分かれていた。娘の住まいから通える会場であれば前向きに、遠方それも山梨などでは諦めようというのが基本姿勢だった。
小田原会場とあった。何とも言えない感情が湧いてきた。8年前の事、関東選手権に初めてエントリーした折この会場だった。孫の運動会の応援に出かける計画があり、ついでにその日程近くの大会を探すとこの大会を見つけた。申し込んでみるとダイレクトインしていた。早起きして電車で乗継下りた「蛍田駅」、そこから会場小田原テニスガーデンまでかなり歩いた。
65歳代エントリーは100名近く、だが知った人は誰ひとりもいない、孤独そのもだった。四面楚歌の状況、へたくそがのこのことここまでやって来たもんだと今は思う。ぼくは普通の状態ではなったのです。だから行けたのだと思う。
1回戦は辛うじて勝利して2回戦は元デ杯選手と対戦して華々しく散っていた。
あれから8年、ぼくのテニスはあの時に比較すれば上達しているという自負がある。当時のドローを見れば名前と実力等知りえた選手がたくさんいるし、挨拶や会話を交わせる選手もいると思う。