土曜日
少し冷え込んでいるものの朝から天気が良い。被災した仲間を尋ねてみようという気になっていた。そんなに遠くはないのでチャリで出かけた。
自衛隊の駐屯地から急左折の道は何度も見ていたが初めての道、かなりの坂道でチャリを押して行かねば到底無理、くねくねと曲がる路際の建物は高級で傷んでいるようすは伺えない。展望が開けて街を見下ろせる。
長崎の坂道を思い起こすに十分な上り坂が続く、ipadのナビを自転車の荷物入の上着の上にそっとのせて、仲間の家を探査して行った。
そこは岩倉台というから高台なのだ。まもなく登り切り下りになっていた。近くまで来ていた。右折して下って行くと通行止めになっていたがチャリですり抜けて行くと、ナビが示していた一番端っこの家の前に来ていた。彼の車を見つけたので、いるんだなと思って近よって表札を見ると違っていた。うしろで声がした。振り返るとびっくり顔の彼がいた。
ブルーシートは乗っかっていたが家の外観は保たれていたので痛みの程度は分からなかったが、もう住めないと言っていた。近くの真新しいコンクリートのガレージに相手の好意で10日ほど寝泊まりしたという。
義捐金を募集してくださいと、冗談ともいえぬ真顔で言った。ぼくはキリギリスですと言いたかったが噛みしめた。時間はあります。汗もかけますから遠慮なく言って下さいが精一杯だった。
まもなく友人の運転する軽トラックが来た。洗濯機と物干し一式積み込むのを手伝って別れた。