土曜日
人ごとと思えし東日本被災地の現状が目の前に展開している。津波の来ないのが救いと思えしが南阿蘇には山津波が襲っていた。あの阿蘇大橋が消えてなくなるとは!
くわばら、くわらば。
16日午前1時25分に発生したマグニチュード(M)7.3の地震(本震)に二階のベットの上で必死にしがみ付いていた。揺れが収まると同時に停電となった。とりあえずあーちゃんのようすをと、出口に行くとドアの前には何かが散乱してトアも閉じて出ることが出来ない。昨日は何もなかったのに、ドアの横にある書棚のドアを本などが突き破りに落下してドアを殺していた。手探りでかき分けて何とかすべり出て隣の畳の部屋へ行くとまだ危ないと怒られた。
暗闇でしばらくしていると点灯した。家の中を見て回ると目を覆いたくなるように、これでもかと言うほど散乱していた。地震は何度も何度もあってまんじりともせずに朝を迎えた。外へ出てみると家は何とか形を残していた。屋上に出て周囲を見渡すと倒壊した家はなかったが瓦をやられている家が散見された。
テレビを見ていると南阿蘇一帯が普通ではなかった。
終日余震は続いて家で過ごすが、テレビでに映し出された惨状ははるか想像を超えていた。
電気はあるが水が問題、コートから持ち帰った水で何とか持ちこたえているが、心細くなる。夕方二人で近くの小学校に水をもらいにゆく。一人3リッター、ぼくは2回行き9リッターゲットすることができた。
夜、北九州のyonekuraから電話があった。ぼくのことは頭にないと思っていたので正直、たまらなくうれしかった。
↓プリーズクリックhere____ ↓クリック____↓クリックpoint