土曜日
昨日はケイ氏と1週間ぶりのシングルス、前回はアンダーサービス一蹴されていたが、サービスを上から打てるまで回復していた。痛みは少し残っていて思い切りとはいかず、ショットも迷える羊で2セットともいいとこなしでやられたが、タイブレークの練習は三回ともものにして、良い気分だった。
・錦織 初戦「難しい試合だった」(マイアミOP)
・大坂 吐き気の体調不良に苦しむ(マイアミOP)
・西岡 マイアミ3年連続初戦突破(マイアミOP)
帰りに以前のクラブに立ち寄り、入会の手続きを済ませた。今のクラブに入ったのは丁度2年前、そしてまもはくあの大地震に見舞われた。
二十代後半新婚まもない頃、高台から見下ろすところにテニスコートを見いだした。嬉しかったに違いない。渡りに船、ラケットを一本持っていたのにチャンスはほとんどなかった。東バイパス予定地だったとは知らず草ぼうぼう中を横切って、そっと門をくぐると駐車広場があり突き当りのコート際に小さなクラブハウスがあった。クレイコートが三面、コートの長さのブロック塀の壁打ち、広場の横の敷地に所有者の家屋敷があった。
早速そこに入会してぼくのテニスは始まった。当時そんなクラブは県内には唯一だろと想像する。メンバーは裁判官、医師、弁護士や公務員がメイン、ぼくのような一般は珍しく、相手もいなく、壁を相手にやっていたに違いない。
まもなくテニスブームがやってる、県かでも雨後のタケノコ、クラブや公営のコートが生まれた。どういうわけか、クレイコート三面のクラブはコートが減るという事態になり、ぼくたち仲間は近くにオープンしたクレイコート6面ハード2面有する真新しいクラブへ移った。しばらくはみんなと和気藹々楽しく過ごした。
しかし、テニスブームが一息つくとクラブ経営は厳しくなり、ぼくたちのクラブも例外ではなかった。隣地に建設予定のショッピングセンターの駐車場用地として身売りすることになり、テニス仲間はまた流浪の民となっていた。
ぼくたちは同じ規模のクラブがひとつ残されていることを知っていた。そのクラブと団体で移るということで交渉した。そのクラブは入会金や会費等で息を吹き返したらしかったが、またもジリ貧となって行く。経営者は地主、クラブをごわさんにして、敷地を真っ平らな更地にして新しいクラブを立ち上げた。その時は感心していた。
屋内3面屋外6面人口芝コートに瀟洒なクラブハウス、こんどこそはうまくいってほしいと、心底思っていた。レッスンのコーチ陣も充実して、順風にスタートしたかに思えたが、しばらくすると会員に人気のあるコーチがやめさせられる、やめるという、会員のひんしゅくをかう事態が出来事が続く。
もんくを腹いっぱい会話したが何せ無勢、経営者がいかに強いかと重々承知していがた言うべきことは述べた。そしてぼくはこんなクラブでは楽しくないと退会して放浪する。
行きついたのが高台から見下ろしたクラブ、初めて手ほどきを染めたテニスクラブだった。3面あってコートは変遷、1面の時、3面のとき、そして今では5面だが、年月には逆らえずそれなりのなりをしたクラブとなって、何とか生きながらえているようにも推察していた。
土日はそこそこ集まっていたがウイークデイはガラガラ、ぼく一人のときもあった。壁打ちをしてかごボールで遊んでサービスの練習などをして2時間くらい過ごす。そして週2回ほどシングルスの練習相手に来てもらって練習。誰からも干渉されることなくシングルスを集中して楽しむことが出来たのは最高だった。
この状態がいつまでも続けばいいなあと思っていたが、そうはいかなかった。孤独を愛するぼくはこれがずっと続けばここにいるだろうと思っていたが、経営者にはそれなりの悩みがあったようだ。
ぼくの思い描いたテニスが出来なくなりそうだと分かると、げんきんなものでぼくは行動を起こしていた。もといたクラブは立ちいかなくなったのか、昨年のある日経営者が変わりこの4月から新ルール―で運営するとの情報もあり、退会したぼくにも入会の案内が2度ほど届いていた。まさかカンバックするなんてと思っていたが、言い合った経営陣はいない。今が潮時なのだと思いいたる。
もどろうというクラブで、戻ってきますのでよろしくと言うと、どこを放浪していたのという。言われればそうかもしれない。心の中ではずっと放浪し続けているのだ。
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