月別アーカイブ: 2018年5月

ローマ1000 SF ナダル、ジョコビッチ戦はよかった

日曜日 晴れ

昨日今日と午前中は庭木の剪定、しばらく休んで3時からコートで1時間余りの壁打ちで過ごすとすっかり疲れている。シングルスの練習も以前ほどの意欲はなく、肩から膝と故障は重なり連絡に躊躇しているこの頃。

昨夜のナダルvs.ジョコビッチ戦を朝から見る。まれに見るすごい試合だった。決勝戦だと思っていたが、負けるとジョコビッチはバックを背負ってすたこらさっさとコートを離れたのでおかしいなーと首をかしげていた。

すごい打ち合いを演じて観衆を堪能させた。まさにトップの選手にふさわしい激戦、故障上がりのジョコビッチはあと一歩届かなかった。

錦織 圭も故障から着実に力を取り戻しているが、全仏の頃にはジョコビッチ、往年の姿を取り戻しているだろうと感じた。67(4-7)36

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相手が誰でも勝てそうな気が徐々にしている

土曜日 曇り

昨夜は錦織vsジョコビッチを観ようと11時まで起きていたが、なかなか始まらない。コールシュライバー戦やデミトロフィ戦の録画を長々と見せられて、やる気配がないので、ソファーで横になりうとうと気がつくと、ファースト圭が62取ってセカンドの1ゲームジョコビッチがブレークしているとこらだった。
夜中のテニスは録画して結果を確認せず朝から観るを常としていたが、今回は11連敗のしているジョコビッチに勝てる最大のチャンスだと期待してライブで見届けたい思いだった。誰でも勝てそうな気が徐々にしている。コメントがトゲのようにノドに引っ掛かっていた。

セカンドを16 ファイナルは接戦だったが33からジョコビッチにブレークされ3436と負ける。

二回戦、世界4位のディミトロフのときは67でファーストを落してセカンドは75取ってファイナルへと突入した。ファイナルは33から34とブレークを許すもすぐにブレークで44 55 56  そしてブレークして64と勝利していた。
相手は4位のディミトロフ、気らくに戦えたが11連敗のジョコビッチに対しては気持ちが違っていたに違いない。

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よわいをかさねるということは

金曜日 曇り

朝から孫娘にあいに行くあーちゃんを空港に送る。後楽園での巨人VS横浜のチェケットをツイッターに載せてぼくを誘惑したが乗らなかった。

雨の予定が降っていない。いつも午後からコートへ行く毎日だが、降る前にと11時頃コートへ出かけて一人で練習しているとコートわきの道をO氏が帰宅していた。挨拶すると立ち止まって、昼にラーメン食べに来ないと言う。今日からしばらく独身だしと甘えて返事をした。

歩いて二三分の距離、農業高校の校長先生だったというだけのことはあって、玄関先の庭には季節の花が咲き乱れていた。彼は3年前奥さんを亡くしている本物の独身。

三度の食事はどうしていますかと尋ねると、くわしく教えてくれた。参考にはなったが、一人での生活は寂しそうだった。何時かは誰もがそうなる運命だ。女が後の方がいいに決まっているがこればっかしは分らない。

誰もいない家に戻るとしーんとしている。彼のことを考えると人ごとではない。そんなふうになってもおかしくない世代に突入している。

JOPに参戦して、F県テニス大会で初めて勝利した選手がそんな運命を背負っていた。大会で顔を合わせていたが親しくなるには時間がかかった。ぼくと同じようにとっつきにくかったが、挨拶をかわすようにようになり、親しく会話が出来る関係になっていった。あるとき彼が何時でも奥さんと同伴して参加していることを知った。でも会場で顔を合わせたことは一度もなかった。近くのショッピングセンターとか、そういう所で待たせているか言っていたが、深くも考えはしなかった。

奥さんは病弱であることを知った。そのために連れてきているのか、深くは知るよしもないが、中国選手権で徳山まで一緒に来ていた。海辺の宿に泊まりましたという。そしてコートの近くの車に奥さんはいるという。

博多の森での出来事、駐車場の車に行き、コートの方に戻ろうと車の横を通りかかったら、助手席の窓が空いていて女性が席にもたれかかっていた。もしかしたらと考えた。が、ちらっと見て通り過ぎようとしたとき、ぼくの名前を小さな声で呼んだ気がした。初対面だったのに、主人がお世話になっていますと言った。慈愛に満ちて弱々しかった。

しばらくして仲間から訃報に接した。それから彼はコートに顔を見せたことはない。きっと愛妻家であったに違いない。テニスも出来ないようになってしまったという。
テニスのライバルたちはコートから消えてゆく。さびしい。
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北九州トーナメントのてんまつ

水曜日 晴れ

今日は北九州トーナメント、75sの決勝戦が行われるはずだった。昨日、シングルス準決勝の後行われたダブルス準決勝、セカンド03でぼくの左足が動かなくなり棄権を申し入れた。ファースト23までは接戦でぼくのサービスで、打とうとしたとき、ふくらはぎの筋肉に痛みがはしった。ヤバイ、サービスを落してチェンジのときに、用心のため巻いていたテーピングを強く巻直して、頑張ろうとしたが立ち直ることは出来なかった。

気温は30度越えていたという、9時から桃園公園テニスコートで始まったシングル。相手は初めての選手九州毎日にも出場、ここでの1回戦は九州毎日で1回戦勝ち抜いている選手に勝っていた。あなどれない選手だという思いはあったが、試合はその通り進んでいた。体は石のように重く感じながら、頑張ろうとしていたが、相手の方は闘志満々でかかって来ていた。オタオタしながら23 24 25とズルズルと追いつめられて45までばん回したが46で取られていた。サービスは肩をかばってスピンサービスだけで勝負していたが、不安定で肝心なところでダブルフォールトを犯したりしていた。

負けは覚悟をしながらもセカンドはサービスを少し工夫して、相手のバックを徹底的に攻めることにした。それが功を奏したが62でものにしていた。ファイナルはスーパータイブレーク(10ポイント)これも10 5で取り2時間近い試合に決着がついていた。

隣りのコートで同時進行していた準決勝は64 26  10 7で1シードが勝利していた。二人とも似たような戦いで決勝に進んでいたのだ。

ダブルスを棄権してから本部に行き明日のシングルスの決勝戦はデフォしますと事情を説明して了解してもらった。三日はかかると思っていたトーナメントは1日で終わっていた。

いろんな青春時代を過ごした北九州。八幡の桃園テニスコートは友達のマンションから車で10分足らずに位置していた。こんもりとした木立に囲まれて、コートの立地には恵まれていた。

早朝散歩するという友達に付き合うことにした。もう明るい5時に起きて1時間ほど半世紀前の街を散歩した。道路が整備されて昔をしのぶのはむずかしかったが、友達の説明でうろ覚えの記憶をたどっていた。

ここが市民会館で今は使っていないと彼は説明をした。ここは演奏会をしたところと尋ねると彼は笑顔でうなずいた。駅から歩いてこられるところだったと記憶を探っていた。緊張して尺八を吹いた記憶がある。

あの頃はぼくたちが一番若い方で男性は20も30も年配の方々、準師範、師範、大師範とかいう人ばかりで雲の上の存在だった。生きている人は何人いるんだろうかと思ったりすると何とも言えない寂しさむなしさあった。

琴を弾いていたうら若き女性たちはぼくらと同じ世代、いいおばあちゃんになって孫たちをあやしているのだろうか。一人くらい琴を趣味としている人いるかもしれない。

円形の道路があった。ラウンドアバウト(環状交差点)と言って信号機がなくてもスムーズに行くことができると友達は説明してくれた。試作でしばらくは説明書きがあったがもうないという。北九州市は企業が多く集まっているから、我が方等と比べればずっと財政豊なんだと想像たくましくしていた。

見上げれば皿倉山、自然の大きな変化はないにしても、道路も整備されて、マンションがニョキニョキと視界を遮りつつある街。裏通りを歩けは半世紀のママのなつかしさをくすぐる所もあって、あの頃はある意味で良かったような気持ちも湧いてきたりしていた。

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小学校の同級会へ マドリード決勝戦決まる

土曜日 晴れ

5時半に起床して用意された朝食をとり、6時過ぎに出発。日田まで高速、それから国道だが渋滞は一切なく、順調すぎるほど順調で小一時間で墓地に到着、3年ぶりのお参りを済ませてから、親せき1軒に挨拶して近くの同級会の会場へ、心配する必要なくけっこう集まっていた。

目の不自由な仲間がえらい昔話を周りの女性陣ににやにやしながらしている。耳をそばだてると女遊びの話、それも17歳高校二年生のときのことらしい。農家の息子で納屋の米櫃からこっそり自転車に積んで売りに行きそれで遊んでいたという。友達に連れて行ってやるからコメを持ってこいとか言ってやっていたらしい。米櫃が空になり親にばれたこと。近くに小さな港があり、そんな置屋があったという。売春禁止法が出来て、置屋がなくなったのは、ぼくらの高校生時代であったことを思いだしていた。彼らは青春をある意味で謳歌していたのだった。

月曜日 曇り 雨

雨が運よく止んでいたので11時30分からのレッスンを受ける。90分は老の体にこたえる。終えて壁でサービスの練習をしているとOG氏の声がコートから聞こえた。ダブルス1セットはサービスの確認にはもってこいだったが、足にはダメージをあった。本降りの雨が降りだしそうだったので中止を願う。

マドリード1000テレビを見ているとナダルが負けていた。ティエムに。テイエムは3回戦でチョリッチ(クロアチア)に26でファーストを落して劣勢だった。セカンドはタイブレークを取り76、ファイナルは64とティエムの底力見せつけ64でものにしたがあぶなかった。だけど準々決勝戦でナダルに7563。準決勝でアンダーソン6462で勝利。

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決勝戦はもう決まっていた今日の深夜行われるティエムVSズベレフ戦。

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昨日レッスンで疲労困憊 そして今日はK氏に完敗

木曜日 晴れ

朝外に出ると心地よい、五月らしい一日になりそうと感じた。11時30分のレッスンの予約を入れて、テレビで柳瀬氏の国会のライブを見ていた。国会ですべてを話すと語っていたが、肝心なところはぼかし逃げていた。

90分のレッスンを終えて外に出ると疲れがどっと出ていた。この疲れはなんだろうと考え込んだ。年齢かな、15000歩の昨日の疲れか残っているのか、両方から来ているのか、腕肩も気になって、沈んでいた。

N氏を相手にサービスの練習を少ししたが、肩が回らず、パワーがなくてコントロールもない。来週が思いやられていた。

明日はK氏とシングルス、ぼくの現状を把握するのにはおもしろい。

金曜日 晴れ

今日も五月晴れ、準備万端整えてコートへ。K氏と10時シングルスの約束、貸コート専用の7番コートへシングルポールをクラブハウスから小脇に抱えて行く。シングルポールをセットして準備していると小柄なK氏が現れた。
腕から肩へとパーフェクトと思えしテーピングをしていたが、腕は上がるのだが思い切り振りきることが出来なかった。特にサービス。ぼくのショットが甘かったのか、それだけでなく彼のショットが若々しく感じるほどぼくのコートへ突き刺ささってきた。動きは良いし何でも返ってくるのだ。

1626くらいでやられていた。2時間のレンタル、まだ1時間ほどある。ぼくは2セット1時間足らずで負かされていた。タイブレークでなくもう1セットと彼は言う。あくまでも練習なのだ、時間は十分残されているので言い訳しながら3セットへと突入。
ここではワンブレーク許すも互角の戦いが出来ていた。一番問題だったサービス、トスを高くすると、何とか戦えるようになっていた。46で負けはしたが、来週の北九州トーナメントに少しだけ明るさを取り戻した。厳しいとは思うが頑張ってみたい。

明日土曜日は北九州トーナメントの1回戦だったが、雨天の為一日伸びたと連絡があり、追いかけるようにしてぼくの対戦相手が欠場すると連絡がくる。それでぼくの初戦は月曜日の昼からとなっていた。

その日は小学校の同級会、運よくテニスの試合と重なったので欠席届けを出していたが、熱心な幹事のことを思うにつけ、心苦しくは思っていた。こうやって二日間も伸びたのは出席せよということかもしれないと、幹事に電話した。前回から3年しかたっていないので、参加者もきっと少ないとだろうという思いもあった。

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風強く肌寒い F氏とローンでシングルス 

水曜日 晴れ 曇り

強風の中F氏とシングルス。76 57の別け。腕と肩はしっかりテーピングしていたが痛みが気になり満足のいくテニスとは言えなかった。

熊本震災、2年経過してじゅわじゅわと影響が表に現れ来ているようだ。

マドリード1000の大会、杉田も登場したがコールシュライバーに46 36で敗退、相手のフォアとサービスにお手上げの状態だった。西岡がコールシュライバーに土をつけた大会が最近あったのでランキング上位の杉田祐二に期待をしていたが残念。

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マドリード1000の初戦 錦織ジョコビッチに苦杯

火曜日 雨

朝から昨夜行われた錦織VSジョコビッチの録画を勝敗を確認せずみていた。
ファースト、ジョコはサービスも入らずよたよたで絶好のブレークチャンスを逃すとキープが続き、そこで圭がブレークして、このセットチャンス到来と期待するもすぐにブレークを許して55まで行き56、そこでブレークされて57でファースト落とす。
セカンド、互いにブレークはなく、互いに何とかキープしながら44まで行く。ジョコビッチがキープして45、ジョコの積極的なプレーに圭はついて行けなかった。46。

これでジョコビッチに11連敗としって驚く。フェデラーには何回か勝っているのに。

・錦織 ジョコに屈し11連敗

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ダニエル太郎 イスタンブール250 初の決勝へ

日曜日 曇り 雨

O氏に会えるかとコートへ早く出かけてみたが、いなかった。病み上がりと思えし彼がテニスをしていると分かり、一緒にと期待していた。今日まで連休の特別の割振りとなっていることにコートで思いだす、おまけに午前中曇りの予報に反して降りだしていた。

せっかく来たのだからと小雨の中でストロークとダブルス2セットやると雨も強まり引き上げた。サービス、腕は上がるのだが威力がぜんぜん感じられず、コントロールもままならず情けなかった。週末の試合に出ても、期待してはならないとようやく思い知っていた。

・ダニエル太郎、初の決勝進出(イスタンブール・オープン250)

・ダニエル太郎 ツアー初Vの快挙

テレビで録画していた「大林宣彦の最後の講義」を観照。長かったので二回に分けて観たけどそれでも長かった。3時間でした。この人の映画はほとんど見ていない、顔と名前は見知っていたというぐらい。余命3か月と宣告されていたという大林宣彦氏の早稲田大学での映像作りに興味を持つ若者を前にしての講演だった。

ぼくと二歳くらいしか違わないのにすごい戦争体験と言うか、そういうものに影響されての自分の人生観をしっかりと持って生き抜いてきて、映画作りをやっていたこと。フィロソフィー、平和への哲学を込めて映画作りをやっていたこと。当たり前とはいえ映画界についてのはくしき眼からうろこの講義が次から次えと続き、若者たちは膝をのりだし、目を輝かせて食い入るように、一言も聞き漏らさないぞと、耳をそばだてているかに見えた。おもしろいとか、おかしいとか、よくできているとか、その辺で満足していたが、フィロソフィーはなんであるかを見極めながら観るとまた違った観点から見ることが出来ることを教わっていた。ハリウッドはアメリカ人が作ったのでなくユダヤ人が作ったなど、驚くことが次から次へと語られ、メモなどは全くなく、よどみなく水の流れるがごとくに、驚くべき記憶力で語るのには、最後の講義というタイトルに言い尽くしたい。という消えかかりそうな命に鞭打っているかのようにも思えた。これからは映画を見る目が違うだろう、戦後名監督と言われた作品をもう一度見てみたいという思いに駆られていた。

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子どもの日 野イチゴにであう

土曜日 晴れ

子どもの日というけれど、子供孫らの姿はなかった。昨日今日と午前中は錆が出たところを塗料で補修して過ごす。

昼からはスロージョギング再開。九州毎日で左足痛めてから止めていたが、体がなまるというか、体力の減退を感じ北九州トーナメント、九州選手権のことを考えると不安はつのっていたけれども左腕肩はかばかしくなく、それもあってか、やることなすこといいことなしで、ジョギングの意欲は遠のいていた。

ジョギングはクラブハウスまでの往復、大会の様子を垣間見ようと思ったが、知らない人がほとんどで、少しがっかりしていた。帰りは下の国道に下りて図書館へ、立ち読みしてから武蔵公園まで行くと、横断幕、明日宮本武蔵の顕彰祭が行われるのだ。高速道路を越えてナーセリ立ち寄りかぼちゃの苗一個買っての帰道、野イチゴを見つける。昔懐かし味をかみしめた子どもの日。

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