月別アーカイブ: 2022年2月

白菜漬けと運動公園での壁打ち

月曜日 晴れ

今日で2月も終わり。気温も上がって、しばらくは予報によると日中10度以下の日は少なくなりそうだ。

白菜漬けも少なくなったので昨日「さんふれあ」売店から買ってきていた。白菜も終盤なのかな、以前みたいにずっしりと重い白菜は影を潜めている。

今回は三個で4キロ、朝からさっさと漬け終えて、明日3月から入会するためテニスクラブへ出かけた。体験で今日からお願いできませんかと尋ねると、止めてから1年経過していないから駄目だという。
諦めて運動公園へ出かけると、壁打ちは誰もいなかった。これ幸いとバッグに三脚を入れていたので、カメラをセットした。
ところがカメラのバッテリー消耗していて、ほとんどとれていなかった。

ATPツアー500ドバイの決勝戦はロシアの若手ルブレフと初めて見る予選上がりで、ジョコビッチ、シャポバロフを破って勝ち上がったチェコのべセリ。こんなすごい選手がいたのにどうしてという思いで見ていた。彼の両手打ちバックハンドが独特でラケットを立てて、フラット気味のすごいボールを打っていた。

そのまねを壁打ちでやってみると、良い感触で打つことができた。しばらくこれで練習してみようと思った。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:36 | コメントをどうぞ

シニア団体戦2回目の練習会

金曜日 晴れ

シニア団体戦2回目の練習会、運動公園Bコート。
右膝も痛くなっていたが、痛み止めと、肩は昔のようにテーピングして出かけた。動きは鈍かったけど、何とか迷惑をかけないように楽しむことはできた。
最後に時間が余ったので、ねんりんピックのO氏とストロークの練習ができたのが良かった。最もストロークの練習が必要だと理解できた。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:44 | コメントをどうぞ

運動公園へ出かけると

木曜日 晴れ

外気温4度、だったけど天気が良かったので、家の中はわりかし暖かい。

陽光に誘われて、明日のシニアの練習のことを考えると、少しサービスの練習でもと、足腰痛めて以来、久しぶり運動公園へ出かけた。

まず壁打ち、センターコートの上にあがれば、壁打ちの様子が分かる。珍しく誰もいないようだ。壁打ちに近ずくも人影はなかった。4度と言う寒さのせいかな?
寒い日に来れば一人でできるのかな?

誰も来る気配を感じられなかったので、久しぶり動画を撮ってみたくなった。誰もいないし、こんなチャンスはめったにない。カメラを階段にセットすると何とかなりそうだった。そして忘れないために、動画の編集を試みた。

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半年経過して2か月に一度の診察に出かける

14日 月曜日 晴れ

退院してから月一度だった診察、半年経過して2か月に一度となっていた。その1回目として今日を予約していた。8時半に家を出て高速道路、速度90キロに設定して、ほぼ予約時間に到着して順調に終わっていた。

テニスはどうしていますかの主治医の質問には、ゲームはほとんどやっていません。だから許可の出ていたアンダーサービスもほとんど使っていません。右でのサービスの練習で、肩が痛くなりこちらの方が心配になっています。
左での上からのサービスはどうでしょうか?腕を引いて無理な姿勢からうで腕が前に出るので、まだ注意が必要な言い方をしていた。
それはぼくも実感してしていたので、右も左も無理をせずにやっていくしかないようだ。

来月3月に行われる福岡ベテラン春大会のエントリは8日締め切りだったが、見送ていた。4月初旬に行われる九州毎日テニス選手権に出てみたい。福岡ベテランに出場してトラブルと九州毎日も出られなくなる恐れがあるからだ。一発勝負、現状でどれくらいできるのか、3月にクラブに復帰して調整して挑戦してみたい。

その後、待合室の横にある広いリハビリの部屋で若いY君にリハビリしてもらう。足の裏が痛いのサービスで腰が痛いとか愚痴っていると、脚力を付けるには自転車こぎなんかいいんじゃないですかと言う。それには同感だった。前の日、二階にある自転車こぎに本当に久しぶりに乗ってみた。5分もしたらきつくなっていた。何とか10分頑張ったが、体力なしをしみじみと味わっていて反省していたのだ。

左の肩甲骨あたりをもんでいたが、ものすごく痛いの気になる、腱ですかと問うと筋肉ですと言う。ほとんどサービスも打たないのにと、怪訝に思った。ギターの弦を押さえるとき、無理をして押さえようとすると脇が開いて、腕の上部が痛むことがある、続けると神経がピりピりすることもあったりで、脇を体にくっつけるようにして何とか痛みをのがすようにしている状況だが、それがまさか原因だろうかと心配になっていた。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 06:42 | コメントをどうぞ

術後の回復遅々として ギターで癒されている

火曜日 曇り

練習のやり過ぎなのだが、ここまで悪くなるのかとガッカリしている。

福岡ベテラン春大会は今日が締め切り、80歳は6人エントリしていて、出来れば自分も考えていたのにと、参加者を思い浮かべていた。
肩の回復いかんで、エントリーは諦めていたが、未練がましくチェックはしていた。

先月の終わり頃から運動公園で仲間の誘いを受けて、ストロークやサービスなど3回3時間していると、左足の底足が痛くなり彼らとの練習は諦めて、一人でのサービスなどの練習を2回終えたころで先週の金曜日から、左腰が徐々に痛くなって、立ち上がるのも苦労している状況となってしまった。

金曜日の練習を最後として、テレビ三昧の毎日、北京のオリンピックが始まったので助かってはいるけれど・・。しばらく体を休ませれば何とかなるかもしれない。なってくれなければ、今年のJOPの大会を楽しむのは無理かもしれない。

断裂していた棘上筋を上腕骨に手術したのだけれど、体のひずみがあちこちと表れている。努力しているつもりだが、体力は戻らずよろよろしている。

手術した左手のむくみのリハビリ、ギターの弦を押さえるのがよいかなと思いつき、9月頃からはじめだした。

二十過ぎの頃ひと月分の給料で買ったクラッシックギターを押し入れの奥から探し出していた。かなりのものだったがケースに入っていたので、何とか使えた。

当時、イエペスの奏でる「禁じられた遊び」に魅せられ手に入れたけれど、ゆえあって止めてしまっていた。

今のぼくはユーチューブで楽譜を引き出し、勉強もさせてもらっているが、今頃になってそのよさに魅了され始めている。リタイヤ後、すぐに始めていればとよぎることもあるが、リハビリを兼ねて楽しもうと、巡り合えたのに感謝しているこの頃です。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:31 | コメントをどうぞ

ついに真冬がやってくる

土曜日 曇り
朝の外気温3度、雪が降るとかうんぬん、おしゃべりテレビの予報士がのたまっていたが、3度では雪は降らないだろう、だけど3度は厳しい寒さ。二三会回素振りしてから家に逃げ込んだ。外気温は5度までしか上がらなかった。寒いはずだ。

北京のオリンピックをテレビで垣間見ていたが、まだ盛り上がりを欠いていた。することもないので、左手のリハビリにクラッシックギターをつま弾いているので、頑張ってみた。
このよわいで、進歩は感じられていないが、やさしい楽譜の1曲か2曲くらいはこの際覚えたいと頑張っているのだが??。

この寒さではホームコート2月に入会しなかったのは、良かった。左足、足底ぶの痛みも出ていて、歩くのも支障きたしている状況なので今月は橋げたや運動公園で軽く過ごすことにする。
よわいを実感するこのごろです。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:40 | コメントをどうぞ

中国での冬のオリンピック開会式

金曜日 晴れ

昼から今日も運動公園へでかけた。

1番コートでokuuji氏が二人で練習していた。手を振るとジェスチャーでこちらで一緒に練習どうぞ、だったが左足の足底部が痛くて走れないので、ぼくは断っていた。

壁打ちコートは3人で練習している。壁打ちに向かっているらしき人、ひとり二人と見かけた、端っこのコートが開いていたので、受付に出かけて今日も1面1時間借りて練習。

8度だったけど、日がさしていたので寒さには我慢出来ていた。右でのサービス、流れの一体感を重要視するとトスが不安定になり、なかなかうまくいかない。左足底部に違和感があり、まだまだのサービス、やり過ぎると右肩も心配になり、筋力のなさも感じていた。

開会式で「イマジン」が流れている。考えは中国も一緒なら、世界は戦争のない、平和になってほしいと願うのは、変わらないのかな?矛盾だらけに感じるけど、自己主張の国々の集まりだから、矛盾に思えるけれど、そうやって時代は時は流れて行くのだろう。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:07 | コメントをどうぞ

「太陽の季節」だった慎太郎も逝く

金曜日 晴れ

今は10時半、朝の温度は6度、昨日は3度だったのであったかいのだ、今日も昼から運動公園出かけて、1時間コートを借りてサービスの練習をしてみよう。今日はこの陽気だ、昨日も出かけていた、寒かったがCの1番コート、端っこが開いていたので借りた。隣のコートの邪魔をしなくてすむ。
コート15面、ぼくのを入れて2面しか人はいない。サービスの練習をメインにやったが、先日okuhirashiとの練習に比べれば、良くなっているのに気がついが、確率もよくて、たまには満足のスピードも出ていた気がしたので、今日も試してみたいのだ。

1日、石原慎太郎の訃報が数日マスメディアを独り占めしていた。確かにそれだけの人だったと思う。若くして芥川賞を取り、その人気に応じて人生思うがままに生きて、国会議員と言えば国会議員、東京都知事といえばと都知事、思いのままに、言いたいことを言っても、それなりに受け入れられて、生きてきて幸せな人生だった気がしている。

総理大臣には、そうそうなれそうもないことを察すると、かっこよく議員を辞めて、石に噛り付いても議員を止めないのが今の政治家なのに、彼にはそれができる余裕があった。格好良すぎる。そうしながら自分の子供は二人も議員にするなど、首をかしげたくなることをやっている。親ばかちゃんりきを、世間はどんな風に見ていたのだろうか。

そんな時期に長男が議員を落選する、彼も忸怩たるものを、少しは感じながら、サンズの革を渡ったのかもしれない。

あの頃の若者は、二人の兄弟の出現に、あこがれと羨望と希望を与えられていたはずだ。戦後十数年たった頃、貧しさに耐え忍んで遠くにあかりが見え隠れしている日本だった。
合掌

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 11:31 | コメントをどうぞ