火曜日 曇り
全仏 シングルス最後の砦 土居美咲も敗退。
西岡選手の初戦の相手はジョコビッチ。持てる力を出し切るもファースト63と頑張ってたが、セカンド61、サンセット目60とジョコビッチに完封されていた。
月曜日 曇り
橋桁の壁打ちで30分ほど練習して運動公園に出かける。今日も参加者少ない。5人だったがあとから一人きて6名。サービスとストロークに不安がある。ラケットの選択にも迷っているこの頃。
今日は4ゲーム先取3セット楽しむ
全仏二日目、大阪なおみ1回戦が行われた。相手は今年の全豪3回戦で敗れたアメリカのアニシモア選手。
大阪なおみのリベンジ戦とかなんとか言われていたが、蓋をあけて見ればストレートの敗退に昔の面影はなかった。
グランドスラム4勝の貫禄、目立つウエアーで登場したなおみは、衣装では誰にも負けていなかったが、体ははちきれんばかりに見えた。グランドスラムを目指して這い上がっていたいたときの、ハングリー精神も無くなり、スリムさも失せて、金満のテニス選手としか見えなかった。それでは勝てない。
ファーストサービスが入ったときはポイントが取れるがそれ以外は不安要素ばかり。アニシモアも調子は良くなかったと思うが、なおみの凡ミスに、勇気をもらい頑張って勝ったという試合だった。
土曜日 曇り
サツキの今頃は新緑気候温暖で良い季節の一つだ。けれど、運動公園くらいしか行かないので、その恩恵を受けることは出来ない。テレビの画面で拝むだけだ。
5月9日(月)の術後10ケ月の診察を終えてから、月末の九州選手権を考えればそろそろ運動公園の仲間の練習会に足を運ばねばと頭によぎっていた。
仲間の運動公園のグループラインに10日書き込む。『久しぶりに参加してみます』
翌日は雨天で中止。『楽しみにしていたので予報が外れて残念でした。』
13日金曜日も雨で中止。『了解、Mさんはほとんど参加しているので、元気ですよね。あちこち故障していますが、
Mさんを見習って努力しています。来週は顔を出します。』
『Sさん参加していますが腰の具合はギリギリですよ。』(Mより)
『膝の回復具合の試しに、お願いしょうと思っています。ゆるりと鍛えて下さい。』
『ぼくのは答えになっていなかったです。ギリギリで頑張っているMさんを見習って。ぼくもぎりぎりで頑張って見ます。今日RKK杯が行われていますね。昔みんなで頑張ったのが懐かしいです。』
来週は行きますよと言ったものの、16日(月)は膝などが心配になって書き込まなかった。参加したのは18日(水)、壁打ちしかしていなかったので、もたもたしていたが4ゲーム戦先取3セットを何とかこなすことができた。
2回目は金曜日、参加者は故障なので減っていてその日は7名。一人、早く帰ったので4試合することになり、限界が来ていた。一回目より2回目少しは違ったかな?
月曜日 雨から曇り
4月下旬に行くはずだった2か月一度の肩の診察は5月の今日に変更していた。あと一回で終わりで、それは7月の4日にお願いした。最後にMRIを行い、筋力検査を行い、昨年の6月15日の手術から1年間にわたる診断チェックは終わることになる。
肩の経過は順調に推移して今日に至るが、足腰の弱体が気になっていた。試合を前にして行ったシングルスの練習で左足膝を痛めて、治りかけていたが、エントリしていたので無理をして出た試合で、ダメージを大きくして、今日にいたっている。
今月末から行われる九州選手権までに膝がどこまで回復できりか、どれだけ練習できるかを頑張ってみて、今後を占うことにしたいと考えている。
ATP1000マドリード大会で地元スペインの若手の一人アルカラス(19歳)がQFでナダル、SFでジョコビッチ、ファイナルでズべレフを破って優勝していた。
全仏を前にして今は赤土のクレイコートのシーズン。アルカラスはもう負ける選手はいないみたいなコメントをしていた。錦織圭も全米で決勝まで進んだとき同じようなコメントをしていたがさて、アルカラスの全仏での戦いを注視しょう。
錦織圭がされたように、アルカラスも徹底的に研究されるであろう。それでもウイナーとなりうるならば、アルカラスの時代の幕あけとなるだろう。
、
木曜日 晴れ こどもの日
5月3日火曜日こどもの日は福岡市ベテランの1回戦でした。
相手は地元のTK氏。何回か対戦したけど負けていない。左足膝の痛みを和らげるため、サポーターを考えて着用していた。対戦コート近くですれ違い挨拶、彼は壁打ちの方へ行く。6番コートでNB10時30近くほぼ始まる。相手の動きは思った以上によくて、思った以上にミスがない。よろよろしている足の膝を痛めたのだから、ぼくの動きはぜんぜん悪い。もう少し動けると思ったが、九州毎日とあまり変わらない。痛みは軽くなっていたけれど。14とリードされて諦めていたが、44となって頑張ってみたけれど57でファースト落とす。セカンド、ぼくが先行していたが、この動きで勝つのは難しい、彼は以前より上手になってると感じていた。足をかばいながら、本能的に頑張っていたのだろう。26でセカンドを取りファイナルは10ポイントのタイブレークとなった。もたもたしたテニスをしていたのだろう終わったのは13時だった。2時間半戦っていたことになる。二人とも疲れはてどちらが勝ってもおかしくなかったが最後は10 7でぼくが勝利していた。
勝てば出来ればひざ痛でデフォーしたいと思いながらやっていたが、その必要はなさそうだと考えていた。
隣のコートの勝者は最後までぼくたちの試合を見てくれていたし、欠場するのは申し訳ないと考えていた。
翌日の決勝戦は同じ時間で1番コートで行われた。
F氏はコート中ではやてのごとく縦横無尽に走り回り、同年代とは思えない彼の機敏さを目の前に見せつけられていた。3ゲームくらいで、これでは1ゲーム取るのは厳しいと感じていたが、結果はその通り06 06でやられていた。
団子団子やられた記憶は初めてだ。実力の差を見せつけられて、しっぽを巻いてコートを後にした。
F氏との対戦には、いろんな思い出がある。
JOPに挑戦し始めて、九州選手権で初めて勝利して、回りの人からアドバイスされて本部へ試合ボールを返しに行ったとき、受付の女性との対話でぼくは翌日の昼から行くと試合は終わっていた。WOと判定されていた。その時の次の対戦者がF氏だった。
はじめて彼とシングルスをしたのは阿蘇のカンポでテニス合宿した時だった。遊びのテニスだったとはいへ、格上の彼とシングルスをやって60で勝って、みんながびっくりしていたのが記憶にある。ずいぶんの昔話だが。
正式に彼と対戦したのは2012年福岡県ベテラン大会の準々決勝で対戦して06 76(97)10-5でかろうじて勝利して決勝も63 36 13-11でまたしもかろうじて優勝していた。
次に対戦したのは2016の九州毎日テニス選手権75歳エントリ41名名。準々決勝で対戦している。F氏が64 76(3)で準決勝に進みそして優勝していた。
月曜日 晴れ
29日の祭日、長男がりりちゃんとやってきた。
30日土曜日は三人で花フェスティバルの市中へと出かけぼくは留守番。
長男、テニス遊びは諦めれいるだろうと思ったが、運動公園の予約を閲覧する15時からい1時間半、空いていたので予約して連絡していた。今の体調で息子の相手は無理だと分かっていたのだが。
3月31日、初めてハードな人と初めてのシングルをしてから左の膝が痛くなっていた。自分の体調はわかっていたので、ガンガン打つ人との練習は控えたかったけど、相手が近寄ってくるので、ついついやってしまっていた。
3月いっぱいで体を慣らして4月13日からの九州毎日テニス選手権を考えていた。肩の心配、サービスの心配をしていたのに、膝に来てしまっていた。足もおぼつかなくなっていたので、膝にサポータをしていたが、事故った方はゆるいサポータだった。その違いでゆるい方の膝に来てしまったようだ。
試合まで2週間足らず、出るか出まいかと随分迷っていた。今思うにやはり我慢すべきだったと考える。結句出てしまったので、元の痛みに戻ってしまっていた。半月板損傷したのかなあと不安は限りなかった。
明日から始まる「福岡市のベテラン」も申し込みしていたので、これも迷った末に出ることにした。
息子とのテニスは自分の体調を確かめる意味もあった。4月26日からクラブを休会していたので、テニスは出来ていなかった。4日間していなかっただけだが、ストローク、サービスぼくの意に反する出来で、不安はつのっていた。
今日二日は普通の日としり、朝から運動公園に電話するとコートは十分空いているらしかった。一人ですので、端っこのコートお願いしますと言うと、D-1で決まった。
12時から1時間、8面ほどあるDコーとはぼくを入れて2コートしか使っていなかった。
1時間の練習でサービスも良くなったし、ワンバンドさせたいろんなストロークなども、練習になった。
1時間でいっぱいいっぱいになっていた。体力は相変わらずない、齢のせいか、それとも術後の回復がまだなのか、6月15日で1年となる。
(前の家のおばちゃんか頂いた芍薬、玄関の花瓶でつぼみから咲いていて奇麗だった)
、