金曜日
朝7時出かける。相鉄線に乗り横浜駅で乗換、JR根岸線で根岸で下車、駅前からバスで15分ほどで本牧公園テニスコートへ到着する。9時試合開始には、あまり余裕はなかった。
しばらく夏の日差しは遠のいていたのに、今日は朝から日差しがまぶしい。
セミファイナルの相手は独特のスライスを多用する選手でミスも多くて51までいったが、そこからもたもたして53、相手のペースになりかけて慌てたが、サービスを何とかキープして64で勝利したものの54になっていればと、思ったりもした。
少し時間を取って11時からファイナルを同じコートでやりましょう、と本部の女性は組合せ用紙を見つめながらつげた。短時間で終わったつもりだが、夏の日差しに汗は吹き出ていた。シャワー室で着替えていると数人の終えた選手がやってきた。ぼくの所属にくまもととあるので、はるばるくまもとからとの質問や選手の名前を尋ねられて、なごやかに話が盛り上がっていた。
11時過ぎに同じ3番コートに入る。ファイナルの相手は2シードの選手と思いきや、ノーマークの選手HR氏、あぶない選手だと思った、そしてその通りの展開が待っていた。
相手のサービスから始まり、当たりそこない等で運良く何となくブレーク、さい先いいぞと案ずるよりと思いながらコートチェンジしたがそれから4ゲーム連取されていた。
上手だった、こなれたテニスで相手の嫌なところへボールを打ってくる。甘いボールにはミスなく決めてきた。どうしょうもないと諦めの気持ちが浮かんでいた。
優勝して最後の望みをかけるつもりだったが、隠れた選手が関東にはごまんといそうな気がして、弱気になっている自分がいた。ワンセットマッチ、セカンドはない、ばん回の余地は見いだせない。このままいきそうだった。
コートチェンジする時、1 度も使わなかった三本目のラケットを握っていた。どうせ負けるならこのラケットにかけてみよう。ぼくの方から見えなかったスコアボードに目をやると25かなと思っていると14となっていた。
そこでぼくはサービスキープして24 ブレーク34、そしてキープして44と振り出しに戻り、そこでまたブレークして54。なんとぼくのサービングフォーマッチにたどりついていた。ぼくはいつもの練習のサービスをと考えて、平常心でいたつもり。相手は徹底的につないできた。さすがだと感心しているとストレートで落としていた。
55から互いにキープキープで66タイブレーク。
ここで52くらいでリードして勝利が近ずいたかに思えたが、相手の信じられないねばりと走りで気がつけば56と相手にマッチポイントが来ていた。
動揺したがそこをしのぎ66、コートチェンジして76とぼくにマッチがくるも77、そして87とまたもぼくにマッチポイントが来ていた。数回のラリーで浅いボールをネット際に落とすとベースライン近くにいた相手はボールに追いつくことができなかった。
スリーセットマッチにも感じた長い長い試合に終止符がうたれた。固い握手を交わし、お互いの健闘をたたえあった。遠方から来られているからとも言った。同じ年齢だと分かると又固い握手。まさに久しぶりの優勝、最後まで諦めないことをあらためて教わっていた。
彼は来週からの関西選手権にも出かけるという。
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